飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

鞍馬

2012-05-15 00:46:31 | 日本論と宗教論
鞍馬が明治以前から持ってきた第六天魔王=観音=毘沙門天の信仰体系は、インドから中央アジア、中国を経て、平安時代に列島に入ってきたものです。

信長が「我は第六天魔王なるぞ」と言って京都の勢力をその勢力自身のターミノロジーを用いて恫喝したことは、信長が鞍馬の意味をよく分かった上でその覇権業を進めていたことを、よく表します。

マヨさんいわゆる「高お種度」の義経が鞍馬で十年間保護され、修行したというのは、鞍馬が「お種」センターの日本出張所だったことを表しているはずですよね?

第六天魔王=観音=毘沙門天の思想は日本の生きた伝統のひとつだったのです。

明治になって、これを鞍馬で継承していた人が、世界中の宗教思想を俯瞰しつつ、「インドにはやはり、我々のルーツがあるなあ。神智学協会という現代になって立ち上がったものも、我々とルーツを同じくしているなあ。閉じ籠らずに積極的に交流して行こう」と考えて色々な新しい試みをして行ったら、それだけで即、統一協会やオウム真理教と同じレベルの「オカルト新興宗教」になるのでしょうか?かなり乱暴な決めつけに感じますよ。

そもそも、秘教的だとそれだけで即、「オカルト」のレッテルを貼り、邪悪なものと決めつけるのは、宗教を知らないからでしょう。「宗教的価値の最大の危機はそれの分からない人に誤って理解されることだ。従って、ある段階までは秘匿(オカルト)されなければならない」と、昔から宗教界では周知されてきたのです。例えばイエスは、「聞く耳のある人だけ聞きなさい」とか「子供のような心を持った人でないと天国のことは分かりません」と言っています。宗教には全身全霊で向き合うべきで、どんなに広くて詳細でも、知識だけではかえって、理解が退歩してしまうのです。

金星や龍も、邪悪な悪魔崇拝者達の存在している西洋の文脈では邪悪なものですが、彼らのいない東洋では全く逆の評価になっている。これも、今さら言うまでもないほどの常識です。この辺のズレを鞍馬は、邪悪な世界統一宗教に対して、隠れ蓑としてうまく利用しているというのが実際でしょう。そもそも、金星を信仰しているから悪魔崇拝のオカルトだというのは、求聞持法を成し遂げて金星が口から体内に入り、虚空蔵界の無限の知恵を手に入れたと言い伝えられる空海をオカルト新興宗教と言うくらい、陳腐なことですよ。

神智学協会は、ヨーロッパから出てきた流れですが、ヨーロッパ的なものを否定して、ある段階である邪悪な者達にある邪悪な意図の下で捏造されたイエス像の最奥に東洋的なものを発見し、その本来の姿を復元しようとしたものでしょう。神智学協会だから良くないという言い方そのものがそもそも、「あちら側」の価値観に基づいたものだと私は感じますが、百歩譲ってそうでないとしたら、その論拠は何でしょうか?

唯一無二の絶対的な霊性が私は少なくとも世界の何処かに大切に保存されていると信じていますが、「唯一無二の」とか「絶対的な」とか「霊性」とかいった用語法がある種の良くあるタイプの現代日本人にどんな受け取られ方をするかよく分かった上で使ったのです。その方々は、それが何処かに保存されているという事柄どころか、そんなものの存在すら拒絶反応してしまうように「あちら側」の人達に「プログラミング」(デービッド=アイク)されてしまっているのですよ。

「キリストが目の前に現れてもキリストと気づかないキリスト研究者」(トルストイ)ではないですが、宗教のことが全く分かっていない、宗教音痴の宗教研究者というのも、大学ではよく目撃したなあ。