飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

私の信念

2012-05-12 01:53:28 | 日本論と宗教論
信念は何かという問いに対する私の答えは、次のようになります。時間と能力の限界上、必ずしも明瞭にはなっていないかもしれませんが、可能な限りの明瞭さ、精密さで答えるべきなのは今をおいてないと決断し、心を込めてまとめてみました。質問には必ずお答えしますので、丁寧に読んでいただけたらと思います。

(1)列島に住み日本語を用いて生きている人々が、個人として自分の資質と能力を十分に活かし、充実した人生を送る機会を、現時点において完全に奪われているということを、信じています。

(2)従って、列島に住み日本語を用いて生きている人々が、家族としても、民族集団としても、国家としても、自立して生きていけなくなっている、あるいはその意味や必要性すら感じられず、邪悪な者どもによる屈辱的な支配は全く嫌悪しないのに、支配と聞くとどんな形態の支配であれ無意識の内に嫌悪感を抱き、その結果、個人の中に閉じこもってしまい、かえって邪悪な者どもの巧妙な支配を許容してしまう、そんな酷い状況にまで追い込まれているということ、つまり一種の精神的・文化的な「亡国・亡郷の流民」になってしまっているということを、信じています。

(3)この状況に気づき戦慄して、懸命に情報を集め、それをできるだけ広く流布しようとする人達や、その情報を受けて納得し、時代に向ける眼差しのあり方を変える人達の数が、かつてない程の規模や速度で増えているということを、信じています。

(4)しかし、それらの情報発信源が、互いに連絡を取り合い情報の確度や精密度を上げるという、当然行われるべき作業に入らず、互いに傍観しあっていることや、ある程度ちゃんと生活できている以上現状をそれ程問題とは感じず、真実の暴露に触れると激しい拒絶反応を起こす、そんな人の数が今だに巨大であること、暴露も単なる面白半分の暴露に留まり、明確な解放運動として表明されることが稀なことなどから、ほぼどの運動も、「だから何」という問いに答えられず、崩壊寸前に陥りつつあるということを、信じています。

(5)「だから何」に答える為には、それら新勢力が結集することで互いの欠損を補いながら、邪悪な裏社会支配構造をより深くより精確に解明していくしかないということ、つまり裏社会学会や日本解放同盟の(十分な対スパイ防御線を巡らせた上での)設立が急務であるということ、その際にマヨさんを含む数人の人達が重要な責務を帯びる可能性があるということを、信じています。(手始めにマヨさんが、福島原発事故の状況の深刻さについて、リチャード=コシミズ氏と公開討論すべきであるということを、信じています)。

(6)莫大な量の金塊を手元に置いて巨大な財力を密かに発揮し続けているとの伝説がある今上天皇の力の源泉となっているに違いないとマヨさんが看破した「お種」の意味を、マヨさん自身が形而上学的に問い詰めるべき時に(何故なら、お種理論が歴史事象の説明に極めて有効であるということは、それが真実であり、そこには形而上学的な根拠があるということを表しているに違いないから)、宗教アレルギーからそれを避けてしまっていることが、近現代日本についてのABCDE理論が登場した時にマヨさんが、これまでの自説を修正補足ではなく保留撤回しなければならないかもとやや絶望してしまっていることの原因となっているということを、信じています。

(7)「妄想」を「だから何」の試練に耐えられるようにするには、宗教は権力者に利用されやすいからという原則の適用範囲を明確に限定するなど、宗教についての正しい理解が必要不可欠であるということを信じています(マヨさんが世界支配民族のルーツと洞察しているバンツーの世界観は、マヨさん推奨のアフリカ文献の『終章-2』によると、私が魔術として説明している事柄と全く同じになっていますよ。注目してください)。

(8)お種センターの影響下にある国には必ず、その価値観を受け入れるのを可能にする形而上学的根拠を宗教として信じ切っている集団が、二重三重の入念で熟練した霊的かつ社会的仕掛け(カッバーラ)の下に潜伏しているはずだということを、従って日本国においても、近現代のC勢力が(いくらBDEの外国勢力やAの売国奴勢力と結託し宗教団体として腐敗しているように見えようとも)かつてY勢力だった時に持っていた宗教的な中身を、必ず何らかの方法で保存しているはずだということを、信じています。また、その発掘あるいは推定が日本復興には急務であるということを、それはギリシア語でイエス=キリスト(アラム語でウュズ=メァシャ/うずまさ/太秦)や弥勒(マイトレーヤ)、観音、シャンバラ、密教、第六天魔王(サナートクマラ)などと何らかの関係があるはずだということを、信じています。

(9)天皇が傀儡だとしたらそれは、外国勢力の傀儡ではなく、この隠れた密儀集団(裏天皇/八咫烏)の傀儡であるに違いないということを、信じています。(飛鳥昭雄はもっと多くの人に、この角度からもっと徹底的に、読まれるべきであるということを信じています)。

(10)神道が形式的で中身のないものに見え、ほとんど全ての日本人が仏教やキリスト教などと違って大まかな説明すらできないのに、それにも拘らず、極めて大規模な生きた宗教として現存しているのは、その中身が密儀の本質上何重もの仕掛けの奥に隠されているからであるということを、信じています。

(11)日本復興の主体となるのは、天皇とC勢力の仮面を脱いで復古したY勢力、XーA=Zの新武士軍団、日本の魂と仕組み、現在の屈辱的な状況などを完全に理解し切った国民となるだろうということを、信じています。

(12)近現代の欧米悪魔崇拝者グループと金銭が排除すべき敵であるということ、日月神示の解釈者のうちの何人かが主張しているように、お金のない社会(金銭を媒介とした蓄財の為の就労ではなく純粋な社会貢献の為の就労がベースとなっている社会)の構築が来るべき未来社会像として周知さるべきであるということ、人間と宗教の意義が真の意味で全ての人間に理解さるべきであるということを、信じています。

(13)その時その時の精神的活動の前提となる仮説を、それが間違いと判明した時に、(撤回ではなく)修正補足すべきであるということ、それを可能にする為にも無限のパースペクティブを持ってその中で手元から奥に向かってあれこれと読み解いて行くという超越論的 transcendental な(すなわち宗教的 religious な)態度は決して放棄すべきでないということを、信じています。

(解説:超越している transcendent = transcending ものを記述するのは矛盾である。超越しているものを記述することはできない。だからと言って、超越しているものとの関係性 transcendental(-al は「~に関わる」を意味する接尾辞) まで否定すると、人間の人間としての価値を全て根こそぎ排除してしまうことになる。これが超越論的哲学で、私の研究によると、インマヌエル=カントがこれを提唱した時、イエスの「主の祈り」が示す宗教性の定義を下敷きにしていたに違いないということになる。)