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飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

地球は自転しないと論ずる人へ

2022-05-08 21:44:03 | その他
ものを手放したら加速度運動をして落下します。つまり、地表に静止した物体は全て地球に落下した後、静止したものなのです。これは誰も否定できない事実です。地球の中心にその周囲の時空を地球の中心に向かって引き付けつつ秩序づける力が存在しているのは事実です。

地表に漂う気体の分子も例外ではありません。気体の分子は地球の中心を中心とした時空秩序のもとで運動しつつ存在しているのです。地球の中心秩序と無関係に存在しているのではないのです。これは否定できない事実でしょう。

ところで列車が動けば、列車の周りの空気は列車にではなく、地球の中心に秩序づけられる形で運動しつつ存在していますから、列車に乗っている人には空気の流れとして感じられるようになります。つまり、空気と地球の関係を空気と列車の関係と同列に扱うことはできない訳です。

ところで、「地球がものすごい勢いで自転しているのにその周囲の空気は風として感じられない。だから地球は自転していない」と言う時、地球の中心に事実として存在する重力を完全に無視し、地球と空気の関係を列車と空気の関係と単純に同一視してしまっていることを意味します。しかし、地球の中心がその周囲の物体に対して及ぼす圧倒的な影響力は、冒頭でも確認したように、紛れもない事実なのです。

ですから、あなたの地球自転否定の議論は完全に間違いと断言できます。地球公転否定の議論についても似たような論証ができるでしょう。が、それは今はもう必要ないと思います。

読者の皆さんへ

2016-08-10 10:07:11 | その他
忙し過ぎて記事のアップも、カイタンさんへの返信(実は長文のものを書き上げながら添削に時間がかかっています)も、保留になってしまっている中、このメッセージを書かなくてはなりません。

今回「unknown」と名乗る若者が、何を目的にしているのかさっぱり分からないコメントを連投してきました。言いたいことは要するに、

①自分はお前(飛鷹)よりも知恵者である、
②お前(飛鷹)は白痴である、
③書いていることに文献上の根拠がない、
④お前(飛鷹)は、色々と調べて書いておきながら、肝心のことになると調査中と言って逃げている、
⑤宗教や哲学にはたとえどんなものにも価値がない。今も将来もない。お前(飛鷹)は宗教哲学の代表者だから、そのことを自覚して反省しろ、
⑥だけどコメントを入れてあなた(飛鷹)と交流したい、
⑦あなた(飛鷹)に自分を知恵者と認めて褒めて欲しい、
⑧飛鳥昭雄はトンデモキワモノだから、それを引用するのは許せない。
⑨本名や固定されたペンネームは知られたくない、

ということのようです。

健全な精神をお持ちの読者でしたら、このコメント主に対して一般に、どのような態度で接するのが正しいのかお分かりだと思います。私がコメント欄で行ったことがほぼ、そのような類の正しい接し方であったことも認めていただけることでしょう。

③④⑤⑧に対しては、実は、答えるべきことが十二分にあるのですが、多忙な中それらに応えようとすると、あらゆる困難を斥けて多くの時間を割き、多大なエネルギーを注ぎこむ必要があり、そのためには相当な意欲と動機付けが必要になってきます。それなのに、この若者は、何を目的としているのか分かりにくく、やや分裂症気味です。極めて無礼な上に、文体が才能を微塵も感じさせない。むしろ、若者に限らずインターネット上に大量発生し、私が日頃から大いに問題視してきた輩ども、即ち、その存在がこの社会と人間にはある意味かの秘密結社による例のあの作為的悪以上に有害であり、かの秘密結社による例のあの作為的悪の中心的動機のひとつにすらなっていると私が洞察し、これまでことあるごとに警鐘を鳴らし続けてきた、あの輩どものひとりと言っていい側面すら多分にある。こんな人物のコメントに、どんな理由があって私が、上のような多大なエネルギーを注がなければならないのか?私には全くわかりません。

あのリチャードコシミズ氏は、自分に都合の悪いコメンテーターに対して、その人が過去にリチャードコシミズ氏の活動に対して大きな力添えをしてきた場合ですら、そのことを易々と忘却して工作員認定することで有名です(とはいえ、工作員認定した人物が過去の寄付金の返還を示唆した途端慌てて平謝りしている場面を目撃したことがありますが)。万が一、彼のやっていることと同じなどと誤解されたら不本意ですが、それでも私は、このコメント主を、教育指導して矯正する余地なしと判断した上で、人間のクズと認定し、私のブログへの一切のアクセス禁止を強く申しつけたいと思います。

皆さんへのメッセージは以上です。

ある読者へのメッセージ

2014-06-27 09:39:43 | その他
過去の記事を丁寧に読んでいただき、コメントを入れて下さった方への返信を、記事としてアップいたします。

以下引用。

>飛鷹満さま、遅ればせながら初めまして。 最近こちらのサイトを知りました。 過去記事からゆっくり勉強させて頂いております。

ゆらりすさん、はじめまして。ご訪問いただき、ありがとうございます。

過去記事を最初から順に読んでくださっているとのこと。筆者として大変光栄に感じます。

インターネット上に多くの種類の情報発信サイトが存在している。それらがそれぞれの立場から等しく、ある特殊な世界について語っている。...このことに気付いて大いに驚愕し、それらの内の幾つかを自分なりに熟読しては、その筆者宛にコメントを入れるということを始めたのが、私の場合は3年程前でした。

それらのサイトがどれも等しく、活発に発信しつづけているのは、次のようなことでした。

「既知の表層世界の奥に『形而上学的な超越的叡知界』と云うのとはまた全く異なる色合いを持った、それ自体飽くまでも現実的な異世界がある。我々のこの狭小な表層世界をありとあらゆる点で遥かに凌駕しつつ恐ろしく巧妙に隠されてはいるが、実は厳然と存在し、この表層世界をその余りにも強力過ぎる影響力を持って、その隅々まで隈無く支配し続けている」

ゆらりすさんのコメントを拝見して私は、その時の自分自身のことを思い出しました。

>世の中の仕組みというか、いわゆるインボー論を超えた「この世の中は本当はどうなっているんだろう」ということに常々興味を持っております。

そのような興味は、人としても、日本人としても、至極当然のことでしょう。私もこの数年来、ゆらりすさんと同様の興味関心を抱き、それまでの自分をいろんな意味でひとつずつ脱ぎ捨てながら、調査に没頭して来ました。現在は、個人的な生活環境の激変に巻き込まれたせいで記事の更新そのものは随分長いことご無沙汰させて戴いてはおりますが、研究そのものは、全く変わりなく続いています。安本美典の邪馬壹国論や八切止夫の論、ミトラス教=密教論を中心とした東條真人のミトラ研究、『古事記』や『日本書紀』の偽書性の詳細とその取り扱い方をめぐる諸々の論説、『史記』や『三國志』、『韓非子』といった中国の古典等々、新しい文献を膨大に詳細に、気儘に読み漁っている最中です。自分の過去の記事を客観的に読み直す作業も続けています。何れにしても、この研究領域には間違いなく、非常に重要な何かが含まれていると確信しています。研究は、執筆するしない、発表するしないには関係なく、一生死ぬまで続いていくだろうと予想しています。

>ただ、飛鷹満さんや他の方々とは違い、学問に疎いので、四苦八苦している次第です (^_^;)。

上に挙げた研究領域内の諸々の文献は、誰であれ無視することの許されない非常に重要な情報を含んでいます。このことに間違いはありません。ですが、文章表現や概念に関しては、更には、立場の自己規定に関しては、何れも共通して、余りにも曖昧で、厳密性に欠けています。「四苦八苦」は、ゆらりすさんだけではなく私も、恐らくは同じような状況にありますが、その原因は従って、恐らくは大部分が、今述べたような書き手側の落ち度にあると思うのです。彼等の認識に、その重要性に相応しい正確な概念規定と表現形式を与えると共に、そのことによって更には、認識の空白地帯をも発見し、それらを悉く独自に埋めていく。これが、自分のやるべき仕事ではないかと自覚して、私は作業を進めています。私も「学問」とは無関係な場所にいますが、だからこそ得られる自由を強みに、「学問」には欠落しがちな本当の学問を実現したいと思っています。

>昨今、皇室を貶めるような記事のブログもありますが、 飛鷹満さんの公平で客観的な視点、そしてクリスチャンでいらっしゃるということで、信仰心を基にした考え方の方が、私には納得できます (^_^) 。なぜ大の大人と言えるような方々が、サヨク官僚みたいな方=◯◯先生とやらの情報を鵜呑みにしてしまうのか…謎です。その方がよっぽど彼らが嫌う「宗教」っぽ く思えてしまいます。

あの鬼塚氏のことですね。彼に限らず、この分野の情報発信には何れも、パイオニアだからこそ致し方なくそうなってしまう面もあるのだと私は理解していますが、情報発信者自身の、この情報に対する制御せられざる悪感情の表出が付随しています。体臭漂うかのごとき極めて個人的な存在次元でしか、このようなタイプの真相暴露はそもそも、発想も実現もできないものだからなのでしょうか。何れにしても、このようなタイプの真相暴露の受容の際には、情報の発信者に対して沸き上がってくる生理的な嫌悪感をある程度は覚悟しながら、その嫌悪感にまみれた真実そのものを丁寧に取り出して清めるという作業が必須になってくると思います。そして、自分の体臭が公に晒されることも厭わず、そのような情報発信に邁進してくれたパイオニア達の、尊い心意気に対する敬意も忘れてはなりません。

本当の宗教は本質的に、先ず、支配層の秘密結社内で「密教」として存続している筈です。その支配層の秘密結社から、土地土地の定着被支配民の為にそれぞれの定着被支配民に相応しい支配の道具としての「宗教」と組織が往古に与えられたのです。所謂「顕教」のことです。近代になってこの定着被支配民の間に、ある特定の者達の明確な意図と暗躍の元で、「宗教」への公然たる反発の機運が広められた。その際に、事の本質の理解できない大部分の自称「インテリ」層が養成され、彼等の主導の元で「宗教」と宗教の区別が曖昧にされ、「宗教」への反発が宗教そのものへの反発へと変質させられた。結果として、それまで以上の凄まじい人間阻害が、自由の名の元、あちこちで絶えず繰り広げられるようになった。

そんな定着被支配民の中からも当然、本当の宗教に目覚める人々が時々出てきます。そんな人々に対して支配層が常に、試練しか与えないということにはなっていないでしょう。彼等の厳しい試験に合格した者として、世に救いをもたらす貴重な聖者として、最高級の期待と敬意をもって待遇することも、少なからずあるに違いありません。

他方、本当の宗教を保持している支配層には、そうでない定着被支配民に対する態度の違いによって必ず、大まかに言って二つの派閥ができてきたことでしょう。「哀れみ啓蒙して差し上げよう。できない場合でも蔑むようなことはしてはならず、彼等の慰めにならなくてはならない」と考える者たちと、「啓蒙など無駄だ。試練を容赦なく与え、耐え抜いた一部を除いて全て、弱者として切り捨てざるを得ない」と考える者達です。この両派閥は、支配層として互いに互いを仲間と認め合いつつも、定着被支配民に対する以上のような態度の違いに基づいて対立し合うようになっていた筈です。また、支配層内での人口増加によって支配層内に、限られた権益を巡る争いも頻発していた。この際の敗者に対する勝者の処遇や、その処遇に対する敗者の対応の中にこそ、戦争というものの起源が、更には、歴史的実在としての悪の起源があると、私は最近、考えるようになっています。

>宗教という言葉は確かに怪しい気配を含む場合がありますが、「神さまと私」という経験としての信仰は、人を人たらしめる最もステキなことだと思っています(神道が好きです)。

私も全く同じ思いです。例えば、神々しい夕陽に照らされて何とも言えないような美しい、崇高な姿を現した巨大な雲と、それを眺めて何かに打たれ、うっとりした顔で思わず「神様雲だあ」とひとりごつ子供。この時の気持ちを大人になっても忘れず、日常生活に自ら反映させて生きていこうとする。そして実際に、そのように生き続けていられる。これこそ宗教なのではないでしょうか?

「宗教」に盲従することに慣れ、感情と認識の器官が根から腐ってしまっている者達。更には、そんな人々への憎悪や軽蔑の感情を無批判に、宗教そのものへの憎悪や軽蔑へと転化させてしまい、そのことによって、自覚のないまま、自分と周囲の人間の人間性を自ら著しく阻害してしまっている者達。この人達はどちらも、大きな間違いを犯しているのではないでしょうか?

>それでは、また寄らせて頂きます。

はい(笑)。ありがとうございました。

引用以上。

良いお年を

2012-12-31 20:00:46 | その他
今年はひょんなことから、このようにブログを運営することになりました。誰かに読んでもらうことを前提にしていなかったため、必ずしも読みやすい記事になっていないのにもかかわらず、予想以上にたくさんの方々に読んでいただきました。書きながら自分でも気づかずにいたことに気づいたり、いただいたコメントに刺激されて、通常なら書く意欲すら持たなかったであろうことを書いたりしました。本当に貴重な経験でした。今では、私にとってなくてはならないものになった気がします。

RKさんには、最後にはついつい辛辣になってしまいましたが、「誰に何とアドバイスされようと、独善的な私としては絶対に変わらず、やるべきことをやっていきます」という言葉を聞いて、ある程度追い詰められている情況が伝わってくるとともに、どこまでも折れない心を感じて、何だか泣きたくなるくらい感動しました。認識と希望は彼のものとは正反対なのですがね。心意気には大いに打たれました。思うに、近くにいる人がRKさんに負けないくらいの迫力でRKの限界を超えてあげる時ではないでしょうか?工作員認定も恐れず、RKとの衝突も厭わず、「ならこれは私が責任を持ちます。私にやらせてください」などと気迫を漲らせる時なのでしょう。RKのピンチを救い、大きなチャンスに変えてあげてください。そこにのみ、未来があります。幸運を祈ります。

来年度が皆さんと日本と世界にとっていい年になりますように。また、来年度もこのブログを、よろしくお願いします。