飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

詳説 : 悪魔崇拝の起源

2018-11-07 19:28:16 | 日本論と宗教論
人の心に善と悪の両方の要素があると、我々人類一般と同じように考える氏族があったとします。この氏族の神はこの氏族の人々に善の心を持って生活することを掟している。この掟に逆らって悪の心を持って行動することが重なり、そのような行動が社会習慣化して決して見過ごせないような状態になった時、そのような社会習慣に染まった者達にのみ自然法則に従った災難が齎されることになる。この時、この氏族の人々の意識の中では、彼等の神が怒り、制裁が加えられたと意識される。

このようなことを過去の記憶としていくつか持っていた場合、現在このようなタイプの滅びの予想される集団に対して、ある義人が、同族としての哀れみと怒りの混ざった感情から、この集団に「このままでは神の怒りが来るぞ」と警告を発し、この集団がその警告を受け入れたものとします。その時、次のようなやりとりが両者の間に行われたものと考えられます。

「本当に全員の心から悪の心が取り去られたのか?本当は残っているのに、外見上取り去ったふりをしているだけではないか?『警告を了承した。反省している』と言っただけでまた同じことを繰り返した人が過去にもいたぞ」。

「確かにその通りです。ただ、悪に染まった私たちも、家族や恋人など愛する者に対する感情を、善の種としてこの心に宿しています。自分達が悪に染まったことをこの心に思い知らせ、反省させ、痛みを刻み込まなければなりません。そうすればもう二度と、悪に染まることがなくなることでしょう。ここに、私達の身内ながら悪に染まらず皆から愛されている者がいます。この者を自ら失いましょう。そうすることで、この心に痛みを与え、二度と過ちを繰り返さないようにします。これを、私達の改心の証として神が受け入れてくれますように」。

このような申し出があれば、この申し出を受け入れたのが我々現代日本人だったら、「分かりました。その言葉で十分でしょう。神も分かってくださると思います。実行するには及びません」などと言って彼等を赦すことでしょう。

しかし、このような選択が認められるということは、同時に、それとは全く逆の選択も認められなければいけないことを意味しています。この場合のこの人の発言は「『神が赦すことだろう』と発言する越権行為など、私にはとても犯せません。私にもあなた方の同族としてあなた方の愛する者への哀れみの気持ちがありますが、今はどうしようもないと思います。私達もあなた方と痛みを分かち合います」といった感じになるでしょうか?

神への生贄は、このようにして出てきたものと考えられます。このような意味での生贄を要求する神は、それだけで悪魔と断定するわけにはいきません。実際、イエスの崇拝する神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、イサクにたった一人の愛息ヤコブを生贄として捧げることを要求したと聖書に明記してあります。このことをもって、イエスの神を悪魔と決めつけることはできないでしょう。

さて、神に生贄を捧げた時に、心の痛みを大いに感じ、心の底から改心する人々。その間に、生贄の苦しむ表情と血の色を密かに快楽の種にする者達がいたとします。友人の不幸を心の底で喜んでしまっている自分を自覚して愕然とした経験のある人は少なくないと思いますが、そのような感情のもっと程度の激しくなったような病的な感情を抱く者達が、彼らの間に紛れ込んでいたとします。この者達は、この部族内に「神への生贄」と称して生贄の習慣が定着することを欲したことでしょう。「そんなことを望むのは良くない」と言ってそのような欲望は当然押しとどめられる。そこで、自分たちだけで密かに集まって、陰でこの習慣を定着させる。こういうこともあったでしょう。

こんな彼等が習慣として生贄を捧げ続ける時、彼等の神は、彼等の行いによって、彼等の意識の中で、悪魔へとその姿を変貌させられたのです。

これこそ悪魔崇拝の起源ではないでしょうか?

神と悪魔とは同源なのではないでしょうか?

そう言えば、聖書の中に、神とサタンが互いに「我々」と言い合いながら話し合いを持ち、義人ヨブの信仰の強さを確かめるためにヨブに試練を与えたいというサタンの提案を神が承認する、そんな場面が描写されています。即ち、悪魔の活動も、その根底に神の承認があるということになります。これは、神と悪魔が同源であることを明確に表わしていると私は考えます。

ところで、悪魔崇拝の対象として指摘されることの多い神のひとつがバール神です。バール神は牛頭の悪魔でヤハウェの敵と考えられている。このバール神はイスラエルの近隣部族である「フェニキア」人即ちカナン人の神で、彼等の影響がイスラエルにも断続的に及び続けていたのだなどと説明される。ところが、エジプトやシナイ山麓にいた時にイスラエルの近隣に「フェニキア」人がいたとは現在の常識ではとても考えられない。イスラエルの近隣に「フェニキア」人がいたのは、イスラエルがエジプトに身を寄せる前と、出エジプト後の長期にわたる放浪の果てにカナンの土地に定着した、その後の話だからです。それなのに、イスラエルによるバール神崇拝への転落の場面は、彼等がシナイ山麓に流浪の民として漂白していた時に初めて生じたものとして聖書には記述されているのです。このことは私も若い時から、何だか変だなあと思っていたことです。ですから、後に、

「シナイ山も含む『フェニキア』人の故地であるアラビア半島南西部で展開したイスラエル人の物語を、後に聖書執筆者が、現在カナンの土地と称されている地域で展開したより大規模な話であるかのように捏造した。本当のカナンは、従って本当のエルサレムも、アラビア半島南西部である」

という話を聞いた時も、現在のイスラエルからイスラエルの古い遺跡が全く出ないらしいことも考慮に入れつつ、これも強ち嘘とは言えないなあと感じてはいたわけです。

それはさておき、「バール」とは実は「バーエル」「ベーエル」のことで、「ベーという名の神」という意味であり、「ヤハウェ」は「ヤーウェー」や「ヤーベー」のことで、これまた「ベーという名の神」という意味になるという話があります。このことを考慮に入れれば、イスラエルの心正しき人々によって「主」として崇められていた「ヤハウェ」が、イスラエルの人々の間に何らかの経緯を経て紛れ込んでいた悪魔崇拝者達の悪しき崇拝行為によって彼等の意識の中で悪魔として変貌した。その場合の神のことを「ヤー」ではなく「エル」と呼ぶ。このようにして「バール」という言葉が生まれた。このように考えることが妥当である、ということになってきます。悪魔とは神が悪魔崇拝者の意識の中で悪魔に変貌したものであり、悪魔もその根源は神と同一である、という上記の私の説を、この二つの言葉もよく示していると思うのです。

ということは、悪魔崇拝の責任を悪魔のせいには決してできない。責任は飽くまでも悪魔崇拝者自身に負わせるべきで、排除するなら悪魔ではなく、悪魔崇拝者の方でなければならない。悪魔崇拝者の行為によって悪魔崇拝者の中で悪魔に変貌した神を、悪魔崇拝者を滅ぼすことによって本来の姿に戻すということでなければならない。こういう結論になってきます。

「生贄の苦しむ表情と血の色を快感の種にするような心を彼等に与えた存在者がいる。これこそ実体としての悪魔だ。責任は飽くまでも悪魔に負わせるべきだ」と考える人がいるでしょうが、こうなると、人間の側の責任追及の手が緩むことになってしまいます。それに、上に明確に示したように悪魔はその実体は神なのですから、悪魔に責任を取らせるということは同時に、神に責任を取らせるということも意味することになります。

現代の無神論の根底には実は、このことが潜んでいたりするのです。現代人が無神論に陥っても、神は勿論、悪魔が存在しなくなるわけではありません。現代の状況は、悪魔崇拝者の陰謀にこの上ない程の自由を与えてしまっているに過ぎず、悪魔崇拝者以外の普通の人々にとって極めて危険な状況になっているとも言えるのです。更には、無神論の広がりそのものが、悪魔崇拝者の陰謀であった可能性大なのです。

以上は、イスラエルの神を中心にした観点から展開した論です。この論をイスラエルの神中心ではなく、アブラハムと改名してイスラエルの始祖となるアブラムの出身母体であるシューメールの神を中心とした観点から展開することもできます。

あるサイトの記事に次のような記述があります。

以下引用
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

その流れは、紀元前3000年の「メソポタミア文明」からはじまり、そこの「シュメール人の神」はやがてこの地方に入ってきた「アラブ系民族・セム族」と融合し「セム族の神」となります。そのセム族の神は、本体としては殆ど変わってはいなかったのですが、部族ごとに「装い」が変わり、名前も変わったりしていきます。
 その中で西方のセム族である「ウガリトやフェニキア」の「バール」が良く知られています。
 ところが、パレスチナ・シリア方面で勢いを広げていたその「バール」に対抗するような形で、同じくパレスチナ地方に進出してきたヘブライ部族は「ヤハウェ」という神を提唱してきたのです。ただし、その本体は「バール」と変わらず、ヤハウェもバールと同じように「雲に乗って天を駆け(詩編68.4)、その力は雷鳴によってあらわれる(詩編29)」とされます。同じセム族同士なのですから、名前を変えたところでその本体は殆ど変わっていなくて全然不思議ではありません。かれらにとって「神」とはそうしたものだったからです。これは中東から西洋にかけての原初の神の共通した姿ともいえ、有名なギリシャの主神「ゼウス」もそうなります。そして働きも結局は「豊穣のめぐみ」にありました。
 他方、ヘブライ民族の場合はもともとの地域が貧しかったものですから、そのまま「豊穣の約束」というわけにはいかず「豊かな土地を与える(これがカナンの地といわれるパレスチナ地方でした)」という形となって「装い」が変えられていました。さらに、このヤハウェは「自分の超越性」を示すために「他の神のように気安く名前を呼ぶな」という命令を下したため、この神は「名前が秘される」ことになっていきます。
 この神のことを語るのが「ヘブライ神話」であり、それがさらに後代になって「ユダヤ教」という宗教体系となっていくことになります。ヘブライ神話の段階から「ユダヤ教」という宗教体系になっていくそのキッカケとなるのは、ユダヤ人がバビロニアに反抗したことから国が滅ぼされてバビロニアに連行されてしまったことにありました。その後、ユダヤ人は「ペルシャ」に解放されて故郷に戻り、自分たちの不幸は「ヤハウェに対する不信仰」にあったとして、従来のヘブライ神話を体系づけて宗教的体系に再形成したのでした。これを従来の神話に基づく祭儀宗教から区別して「ユダヤ教」と呼んでいるわけです。
 他方、ユダヤ人はペルシャに解放されたとはいっても、社会的にはペルシャに支配されることになったものですから、必然的にペルシャの国教であった「ゾロアスター教」の影響を強く受け、やがて「ゾロアスター的ユダヤ教」が形成されていきました。これが実は「パリサイ派」と言われるユダヤ教内の新興勢力でした。彼らは「天使」とか「復活」とか「最後の審判」とかゾロアスター的な考え方を持っていましたが、これは伝統的なユダヤ教には全く存在しないものでした。
 そして、このパリサイ派からエッセネ派が生じ、このエッセネ派から「イエス」が出たのです。このイエスの段階で「ヤハウェ」は大きくその姿を変えられていきます。つまり、現実的な土地の付与という形での救済に変えて、「神の国への再生」といった方向に向きが変えられていったからです。これは、そうした思想内容を持つ先行の宗教「ゾロアスター教」に根源をもっていると考えられます。
 ただし、イエスは、唯一神、創造の神、世界や人間の本性についての理解、あるいは戒律といった考えなどの基本の教えについてはそのままユダヤ教を引き継いでいますので、イエス本人としてみれば「新たな宗教の提唱」とは思ってはおらず、要するに「神の装いを変えた」といったところだったでしょう。
 すなわち、ユダヤ教の場面での神が「豊かな土地の恵みを与えるが、戒律を守れ」と命令し見張っている神、と形容できるのに対して、イエスはその「恵み」の内容を「豊かな土地の約束」から「平安の神の国の約束」へと変えて、「見張っている神」から「見守っている神」へと理解を変えたと言い得ます。

引用以上
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


この記事はかなり正確なことを語っていると私は感じます。イスラエルの神も、イエスの神も、イスラエルの神だから、或いは、イエスの神だから、至高の存在である。その他の神は全て悪魔である、という考えは、盛んに語られる考えですが、実は全くの見当違いなのです。

イスラエルが出てくる以前に至高の神とそれを崇拝する神官団を抱えたシュメールの根元宗教が存在し、それがその装いと名称以外のいかなるものも全く変えないまま、セム系のそれぞれの部族の神となっていった。それぞれの部族がそれぞれの部族の神を崇拝し、そのことを自らのアイデンティティ形成の不可欠の要素とした後でも、それぞれの部族の神官団の中枢と根元宗教との関わりが切れることはなく、根元宗教の密かな干渉によってある部族宗教が大きく改革されることすらあった。その典型例がアブラハムがメルキセデクとの主従関係の中で自らの宗教として確立した宗教や、ゾロアスター教のマギにその誕生を予言され祝福された、更には、洗礼という極めてゾロアスター教的な儀式でもって師匠のヨハネから祝福されたイエスの宗教であった。

私はこのように考えていますが、上の記事はこの私の考えとほぼ一致した考えを提示しています。この考え方からすれば、シュメールの神も、カナン人の神も、ゾロアスター教の神も、そして恐らくはドルイド教の神も、イスラエルやイエスの神とは異なるから悪魔であると言われるようなそんな神ではないということになります。悪魔崇拝の起源は所謂「異教」ということにあるのではなく、全く別のところにあると考えるべきなのです。そして、その起源については、私がこの記事の冒頭で詳説しました。

その上、我が祖国日本は、シュメールも、カナン人も、ゾロアスター教の人々も、そして恐らくはドルイド教の人々も、イスラエル人やイエスメシア教の人々も、全てがそれぞれの時期にこの列島に入ってきて、棲み分けたり、共同したり、時には互いに争いあったりして、そうやって築き上げた国であり、その過程で一貫してユーラシア諸国の歴史的な流れを裏からコントロールし続け、そうすることで恐らくは、悪魔崇拝者の各国における暗躍をその都度駆除し続けてきた、そんな国だったというのが、私の認識になっています。つまり、異教の神は悪魔であるという、聖書の読み込みの浅い、狭量な考え方からすれば、まさに悪魔の国となってしまう訳で、そうである以上、そのような考えの狭量さ、聖書読解としての底の浅さを指摘せざるを得ないと、そのように考える訳です。

悪魔崇拝の起源は異教ということにあるのではなく、それとは全く別のところにある。悪魔崇拝の目印は生贄ではなく、目的をはき違えた上で社会習慣化した生贄である。これが私がこの記事の冒頭で明らかにしたことでした。

例えば、ユダヤ教の中に紛れ込んだ悪魔崇拝者達によってこのような意味での生贄とされたのがあのイエスでした。

「イエスの死によって全人類の罪が贖われた」と考えることで生まれたのがキリスト教ですが、これを密かに悪魔崇拝の儀式とみなしていたのがパリサイ派に紛れていた悪魔崇拝者達でした。

このパリサイ派の一員でイエスの死後イエスの弟子達を大いに迫害した者達の一人だったのがサウロです。

このサウロが「復活したイエスに会い、改心するよう導かれた。イエスの命によってパウロと改名した」と言ってキリスト教団に加わり、主にギリシャ語を喋る人々の支持を集め、アンティオキアという名の町で発展させたのが、ヨーロッパキリスト教の起源でした。

従って、ヨーロッパのキリスト教は、その始まりの瞬間から、本質的に悪魔崇拝だった可能性が高いのです。

それに対して、このパウロに懐疑の目を向け続け、アンティオキア教会とは一線を画し、イスラエルにおいて良きユダヤ人として生活する人々も、ごく少数ながら、存在していました。

彼等はイエスの死を悪魔崇拝の儀式として捉える人がいたことなど思いもよらず、イエスの死を自分達の責任として捉え、イエスの眼差しの記憶と共に、心の底から改心した人々だったと考えられます。

この人々のことを、ギリシャ語でキリスト教徒と呼ぶのは最早、不適切です。私はイエスメシア教徒と呼ぶべきだと考えます。そして、彼等の自称もそうだった可能性が高い。何故なら、彼等の子孫と目される人々が諸般の事情からやむなく中東の地を離れ、東に向かい、長い旅路の果てに列島に辿り着いた時、彼等が本拠地として定着した土地のひとつの地名が現在「うづまさ」(←エスマシャ←イエスメシア)という名称で残っているからです。

この「うづまさ」は「太秦」と漢字表記されています。「太秦」とは中国語で「秦」の大元、ローマ帝国やパルティア王国を意味しています。イエスの磔刑が行われたのはローマ帝国のユダヤ属州内であり、イエスメシヤ教徒が東方に向かう過程で一時期的に定着していたのがパルティア王国だった可能性があることを想起させる、そんな漢字表記となっている訳です。

この人達が、先にこの列島に入ってきていたイスラエル十氏族をはじめとするいくつかの部族と協力し合ってこの列島で定着させたのが神道であり、天皇です。

日本のこの神道や天皇も、現在では悪魔崇拝の人々に乗っ取られてしまっているものと考えられます。現在そんな神道や天皇を隠れた原因として生じる様々な事件の真相を、神道や天皇を悪魔崇拝と捉え切ることで明確に切り取り、その分かりやすさから多くの人の支持を集めている人がいます。その人の存在のことを私はつい二週間前に知り、その人の文章を読むことで、大きな刺激を受けました。天皇や神道、密教のことを世界全体の本当の支配主と捉え、アメリカの金融ハザール偽ユダヤがとかロスチャイルドがとかいった言論に終始する有名陰謀論者の欺瞞を暴いている点なんか、私と全く同じと感じました。神道や天皇を悪魔崇拝と捉え切った上での分析が驚くほどの緻密さと整合性をもって語られているのは明らかです。ということは、神道や天皇が現時点で悪魔崇拝になってしまっているのは明らかだということになります。この発見は、驚くべき大業績であると私は考えます。と同時に、この人の危うさに気づくことにもなったのです。

この人の主張をさらに推し進めると、必然的に、神道や天皇を、従って、日本のアイデンティティをなす伝統文化と一般に考えられ、私がクリスチャンとして、本当のキリスト教の所在の場所であることを見出した、そんな神道や天皇を、仏教などその他のものも全部ひっくるめて、根こそぎ滅ぼすという結論になるでしょう。

その後には、残された庶民や平民による新しい宗教と究極の民主政を、となることでしょう。この新しい宗教と民主政こそ、私は大問題だと考えるのです。こんなものの実在性を信じ切ることが、私にはとてもできない。

神道や天皇を滅ぼすというのでは全然良くありません。現在神道や天皇を乗っ取っている者達の正体を暴き、その者達をこそ滅ぼして、神道や天皇の地位に本来の相応しい人々が復帰できるようにする。こう考えるのが最も正しい。私はこのように考えます。

そして、社会の各分野においてそのような人々が残っていない限り悪魔崇拝者たちが自力でこの日本国を維持することは原理的に不可能である。悪魔崇拝者の本質に創造ということはなく、創造を本質とする本来の相応しい人々の存在に依存することしかできない、という洞察からすると、社会の各分野においてそのような人々が今でも確実に残っていて、彼等がある時期からこの日本発で社会大改革の動きを始めた。そうであるが故のインターネットの普及と裏情報の一般への大量流出という現在の状況が存在する。と、このように断言できるのです。

以上のことを念頭に置いた上で、例えば『End of Days』というハリウッド映画を観て下さい。あの悪名高きハリウッドにも確実に、この世の中を悪魔崇拝者から解放しようと奮闘する人がいることが、よく伝わってくる映画になっていますよ。今のこの状況の中で今自分が何をどうすべきか、このこともはっきりと描写されています。

悪魔崇拝の起源

2018-11-03 20:43:59 | 日本論と宗教論
人の心に善と悪の両方の要素があると、我々を含めた人類一般と同じように考える氏族があったとします。この氏族の神はこの氏族の人々に善の心を持って生活することを掟している。この掟に逆らって悪の心を持って行動した時、そのような行動が社会習慣化して決して見過ごせない状態になった時、そのような社会習慣に染まった者達にのみ自然法則に従った滅びが齎される。この時、この氏族の人々の意識の中では、彼等の神が怒り、制裁を加えたと意識される。

このようなことを過去の記憶としていくつか持った場合、このようなタイプの滅びの予想される集団に対して、ある義人が、同族としての哀れみと怒りの混ざった感情から、この集団に「このままでは神の怒りが来るぞ」と警告を発し、この集団がその警告を受け入れたものとします。

「本当に全員の心から悪の心が取り去られたのか?本当は残っているのに、外見上取り去ったふりをしているだけではないか?『警告を了承した。反省している』と言っただけでまた同じことを繰り返した人々が過去にも何人かいたぞ」。

「確かにその通りです。悪に染まった私たちにも家族や恋人など愛する者に対する感情を善の種としてこの心に宿しています。悪に染まったことをこの心に思い知らせ反省させ、もう二度と悪に染まらない為に、この心に痛みを与えなければいけません。ここに、私達の中にいながら悪に染まらず皆から愛されている者がいます。この者を自ら失うことで、この心に痛みを与え、二度と過ちを繰り返さないようにします。これを、私達の改心の証として神が受け入れてくれますように」。

このような申し出があれば、この申し出を受け入れたのが我々現代日本人だったら、「分かりました。その言葉で十分でしょう。神も分かってくださると思います。実行するには及びません」などと言って彼等を赦すことでしょう。

しかし、このような選択が認められるということは、同時に、それとは全く逆の選択も認められなければいけないことを意味しています。この場合のこの人の発言は「『神が赦す』と発言する越権行為など、私にはとても犯せません。私にもあなた方の同族としてあなた方の愛する者への哀れみの気持ちがありますが、今はどうしようもありません。私達もあなた方と痛みを分かち合います」といった感じになるでしょうか?

神への生贄は、このようにして出てきたものと考えられます。このような意味での生贄を要求する神は、それだけで悪魔と断定するわけにはいきません。実際、イエスの崇拝する神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、イサクにたった一人の愛息ヤコブを生贄として捧げることを要求しました。このことをもって、イエスの神を悪魔と決めつけることはできないでしょう。

神に生贄を捧げた時に、心の痛みを感じ、心の底から改心する人々の間に、生贄の苦しむ表情と血の色を密かに快感の種にする者達が紛れていたとします。友人の不幸を心の底で喜んでいる自分を自覚し愕然とした経験のある人は少なくないと思いますが、そのような感情のもっと程度の激しい感情を抱く者達がいたとします。この者達は、この部族内に「神への生贄」と称して生贄の習慣が定着することを欲したことでしょう。「そんなことを望むのは良くない」と言ってそのような欲望が押しとどめられた時に、自分たちだけで密かに集まって、陰でこの習慣を定着させることもあったでしょう。

こんな彼等が習慣として生贄を捧げ続ける時、彼等の神は、彼等の行いによって、悪魔へとその姿を変貌させられたのです。

これこそ悪魔崇拝の起源ではないでしょうか?

生贄の苦しむ表情と血の色を快感の種にするような心を彼等に与えた存在者を想定した場合、これこそ実体としての悪魔でしょう。

ユダヤ教の中に紛れ込んだ悪魔崇拝者達によってこのような意味での生贄とされたのがあのイエスでした。イエスの死によって全人類の罪が贖われたと考えることで生まれたのがキリスト教ですが、これを悪魔崇拝の儀式とみなしたのがパリサイ派でした。このパリサイ派の一員でイエスの死後イエスの弟子達を大いに迫害した者達の一人だったのがサウロです。このサウロが「復活したイエスに会い、改心するよう導かれた。パウロと改名した」と言ってキリスト教団に加わり、主にギリシャ語を喋る人々の支持を集め、アンティオキアという名の町で発展させたのが、ヨーロッパキリスト教の起源です。ヨーロッパのキリスト教はその始まりの瞬間から、本質的に悪魔崇拝だった可能性が高いのです。

それに対して、このパウロに懐疑の目を向け続け、アンティオキア教会とは一線を画し、イスラエルにおいて良きユダヤ人として生活する人々も、ごく少数ながら、存在していました。彼等はイエスの死を悪魔崇拝の儀式として捉える人がいたことなど思いもよらず、イエスの死を自分たちの責任として捉え、イエスの眼差しの記憶と共に、心の底から改心した人々だったと考えられます。この人々のことをギリシャ語でキリスト教徒と呼ぶのは最早、不適切です。私はイエスメシア教徒と呼ぶべきだと考えます。そして、彼等の自称もそうだった可能性が高い。何故なら、彼等の子孫と目される人々が諸般の事情からやむなく中東の地を離れ、東に向かい、長い旅路の果てに列島に辿り着いた時、彼等が本拠地として定着した土地のひとつの地名が現在「うづまさ」(←エスマシャ←イエスメシア)という名称で残っているからです。この「うづまさ」は「太秦」と漢字表記されています。「太秦」とは中国語で「秦」の大元、ローマ帝国やパルティア王国を意味しています。

この人達が先にこの列島に入ってきていたイスラエル十氏族をはじめとするいくつかの部族と協力し合ってこの列島で定着させたのが神道であり、天皇です。

神道や天皇も、現在では悪魔崇拝の人々に乗っ取られてしまっているものと考えられます。現在そんな神道や天皇を隠れた原因として生じる様々な事件の真相を、神道や天皇を悪魔崇拝と捉え切ることで明確に切り取り、その分かりやすさから多くの人の支持を集めている人がいます。その人の存在のことを私はつい二週間前に知り、その人の文章を読むことで、大きな刺激を受けました。天皇や神道、密教のことを世界全体の本当の支配主と捉え、アメリカの金融ハザール偽ユダヤがとかロスチャイルドがとかいった言論に終始する有名陰謀論者の欺瞞を暴いている点なんか、私と全く同じと感じました。と同時に、この人の危うさに気づくことにもなりました。

この人の主張をさらに推し進めると、必然的に、神道や天皇を、従って、日本のアイデンティティをなす伝統文化と一般に考えられ、私がクリスチャンとして、本当のキリスト教の所在の場所であることを見出した、そんな神道や天皇を、仏教などその他のものも全部ひっくるめて、根こそぎ滅ぼすという結論になるでしょう。その後には、残された庶民や平民による新しい宗教と究極の民主政をとなることでしょう。この新しい宗教と民主政こそ、私は大問題だと考えるのです。こんなものの実在性を信じ切ることが、私にはとてもできない。

神道や天皇を滅ぼすというのでは良くありません。現在神道や天皇を乗っ取っている者達の正体を暴き、その者達をこそ滅ぼして、神道や天皇の地位に本来の相応しい人々が復帰できるようにする。こう考えるのが最も正しい。私はこのように考えます。