「宇宙人」や「宇宙人による人類創造」という言葉が聞かれるようになって久しくなりました。当初は耳目を集め驚かせる新奇な情報として受け止められていたこれらの言葉も、今はまるで常識であるかのようにあちこちで語られるようになっています。そんな中私は、当初よりこれらの言葉に対して、曖昧な言葉との評価を与えつづけてきました。我々はこれらの言葉の曖昧性に気づくべきである。真実の「宇宙人」はもはや「宇宙人」という言葉では呼称できない。「創造」も誤訳と誤解の産物、或いは「創造主」と自称する者による意図的虚偽と断ずるべきである。これが私の主張でした。今回はこの主張を改めて詳しく記述してみたいと思います。
先ず、前者は、自らが知的生命体として生成発展してきた母星の閉じた環境の背後に広がる存在次元、即ち、宇宙内の全ての星の閉じた環境それぞれの背後においてそれら全てによってもまた共有されている共通の存在次元に、生命体としての基軸を移す段階にまで進化した存在者と捉えるべきです。
「宇宙人」と聞くと、文明やテクノロジーが高度に発達した結果として宇宙空間にその活動範囲を広げ、恒星間高速飛行技術を用いて宇宙中を駆け巡り、宇宙中の惑星や衛星に降り立ってその環境に即座に適応し、その惑星由来の生物と何らかの形で交流する異星人というイメージを通常は、映画やテレビドラマによる長年来のしつこい刷り込みもあって私達は抱きがちになっています。しかし、そのような意味での宇宙人は、不可能なことと断ぜざるを得ないのです。何故なら、どんなに高度なテクノロジーによっても原理的に絶対に克服不可能な問題をいくつも挙げることができるからです。このことについては当サイト内の記事『「宇宙人」を斬る』に詳しく書きました。
にもかかわらず、私は「宇宙人」という曖昧な言葉で語られる対象そのものが、事実としてこの地球上で太古より我々人類と、ある特殊な決して浅からぬ関係を結んできたと聞く時に、そこにある種のリアリティを感じ取るのです。投げかけられるイメージが間違えているからと言って、イメージを投げかけられる存在そのものが架空のものとは限らない。リアリティが感じられる限り、その間違った曖昧なイメージだけを根こそぎ拭い去り、新たな明瞭な概念でその存在を捉え直すべきと、こう考える訳です。
こう考えた時に私の頭に浮かんでくるのが、この物理空間の背後に時空の制約を超える形で広がる存在次元に生物としての基軸を移す形で進化した知的生命体という概念なのです。このような存在者ならば、先に述べたような多くの問題を抱え込むことなく、母星以外の惑星や衛星に、必ずしも物理的ではない、何らかの形で関わることができるでしょう。例えば、その惑星の知的生命体に霊的に語りかけるとか、他の惑星由来の高度知的生命体と共有される背後の存在次元において同次元の存在同士で一種の社会を構成するとかいったことが、その例として挙げられます。
その中には、地球由来であるが故に地球のこの環境内でもこの環境内の存在者達とこの環境内に固有の物理的な関わり方によって密かに関わってきたものも数種類存在すると考えるべきです。背後の次元に基軸を移しつつもこの物理的次元の存在様式も放棄したわけではないからです。彼らにも上のような意味での「宇宙人」と呼ばれる資格があると私は考えます。これを新たに何と呼ぶべきでしょうか?
この地球由来の高次知的生命体の中には、我々人類が牛や馬、羊などを家畜として飼育しているのと同様に、我々人類を家畜として飼育し、集団として進化せしめた者達がいます。個体としては我々人類よりも遥かに進化しているものの、種としては我々とごく近い関係にあり、生殖関係を結ぶことが可能なものもその中には含まれている。彼らのことは例えば「ネアンデルタール人」とか「ネフィリム」「プレアデス星人」とかいった、限定的な認識、或いは、意図的に操作誘導された誤解に基づいた、断片的な呼称がいくつかの領域の様々な文献に多数散見されます。
彼等は、恒星間高速移動はやはりできないにしろ、この太陽系の惑星や衛星のいくつかへの、移住ではなく活動範囲の拡大を、随分以前から行ってきているものと考えられます。それらの惑星や衛星の環境に生物として適応したのではなく、それらの惑星や衛星で生命維持環境を人為的に構築し、鉱物資源の採掘など必要な活動を限定的に行っていて、この地球にも必然的に頻繁に帰還しているものと考えられる。その帰還の姿を偶然目撃した人がいて、詳しい事情を何も知らないまま彼らのことを「宇宙人」という曖昧な言葉で捉えるようになった、或いは、捉えるように彼ら自身によって、密かに巧みに誘導されたのです。我々人類を家畜として飼育支配している彼等にはそのような情報操作は何も難しくない。彼らこそ、我々人類のピラミッド型支配と支配層の起源なのです。古代の文献には彼らは神々として描かれています。古代の文献ができた時には現在とは違って「宇宙人」という言葉がなかったからです。
彼らとは別に、この地球由来ながら、種として我々人類とはごく遠い関係にあり、生殖関係を結ぶこともできない「レプティリアン」なども含まれています。
これらの何れも我々人類を支配、飼育してきたことに変わりはありません。飼育である以上、我々人類が家畜に対して行うのと同じような人為的交配や遺伝子操作が行われてきたのは事実でしょう。が、それは「create」と意図的に強弁されたのものに過ぎません。我々の先祖もそれを無邪気に無批判に受け入れてきたに過ぎない。それは実際は「create」とは決して言えない事柄でした。例えば、我々人類が豚の遺伝子を操作して品種改良したからといって、我々が新しい豚をcreateしたとは言えないでしょう。豚に意識があり、我々と意思疎通できるなら、我々が彼らをcreateしたのだと彼らに思い込ませることはあるでしょうが。同様に彼らが我々をcreateしたとは言えない。そもそも、自らを我々人類のcreatorと詐称してきた「プレアデス星人」や「レプティリアン」なども含めて、この宇宙内の全ての存在者をcreateした主体以外に、creatorと読んで差し支えのないものはひとつもないのです。
この「create」は日本語で「創造する」「作る」と誤訳され、「manufacture」の意味まで誤って含みこむことになり、その言葉を使って思考する者の思考に修正不可能な程のひどい混乱を招いています。これは本来は「生む」と訳されるべきだった。creatorとは宇宙とその内部の全存在者を生み、宇宙とその内部の全存在として顕現した「Sein」あるいは「空」「無」などのことなのです。時空を超えた存在であり時空内のいかなる事物でもないが故に時空内のいかなる事物の根底にもその存在の根拠として存在する、所謂「精神」や「唯一の絶対的人格神」のことでもあります。それとの本当の繋がりはひとりひとりの内部の奥底にしか見いだせない。人間ひとりひとりは謂わばミクロコスモスなのです。誰の心にもこの繋がりが内蔵されている。この繋がりから目をそらさず、それに基づいて生きていくことこそが本当の宗教で、この本当の宗教が回復されることで従来の全ての宗教が単なる支配装置でしかなかったと暴露され、否定されることになります。
まとめると、この地球上における人類の歴史に関わってきた「宇宙人」には二種類があることになります。ひとつは、時にはシェルターを作ってその中で活動することはあるものの、生身でこの地球環境内に適応することはなく、人間とも霊的な語りかけ以外の関わりは全く持てない「宇宙人」で、もうひとつは、この地球由来であるが故に生身でこの地球環境内で活動し、人間とも霊的な語りかけ以外の関わりも持つ「宇宙人」です。後者は、人類と生殖ができる「宇宙人」とできない「宇宙人」に細分化できることになり、この場合は三種類ということになります。