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飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

受験英語は間違いだらけ その1

2025-03-29 17:25:45 | 教育
本当の英文法とは何か

「文法書や辞書の解説はある意味ほとんどすべて間違えている。が、文法書や辞書に収録されている例文そのものには間違いはなく、十分に価値のあるものとなっている。勉強のコツは、例文理解にのみ意識を集中することだ。辞書や文法書の解説部分はすべて無視したほうがいい」とは、受験生だった遠い昔に、ある大学教授が言ってくれた言葉です。

今私は、プロの英語教師として、この言葉こそ英語力飛躍のカギと理解しています。その上で、間違いのない本当に正しい解説も詳細に提供できるようになりました。文法書や辞書の解説が相変わらず受験生の足を引っ張り続ける中、全く異なる正しい解説を提供することで、多くの生徒を難関大学上位合格レベルに引き上げてきました。全く異なる正しい英文法、暗記に頼らない考える英文法、大学入試の秘密が見える英文法は、本当に存在しているのです。

例えば、ほんの一例をあげましょう。to不定詞の名詞用法。「She wants to go there.」の「to go there」は全体として名詞的で「wants」の目的語になっている。to不定詞は名詞として機能することがある。と、学校文法ではまことしやかに解説されます。ではなぜ、同じ意味をあらわす英文「She is to go there.」が存在しているのか。「is」は自動詞であり目的語を取る動詞ではないので「to go there」を目的語に取っているとは絶対に言えない。従って「wants」も「to go there」を目的語にとってはいるなどとは絶対に言えないのです。

すると、「is」は補語を取る動詞だから「to go there」は補語だ。だから名詞用法だ。などと「説明」して、知った顔をしている輩が数多く出てくる。この人たちは、そう言い張ることで受験生と社会全体が被る悪影響を、気にすることが全くないのではないのでしょうか。

残念ながら補語とは、be動詞の後ろに来れば全部補語になるというような安易なものではありません。例えば、「She is a fool.」(不定冠詞付き名詞) や 「She is fool.」(無冠詞名詞) 、「She is foolish.」(接尾辞付き名詞=形容詞)などという具合に、きわめて限定して語るべきものなのです。この人たちの上記のようなアドホックな態度は、この補語の基本原則の理解にすら悪影響を及ぼしてしまう。こうなるともう、初学者の頭の中は大混乱でしょう。

文法軽視の風潮が広がり、「スラッシュ読み」などという、学術の英文読解で絶対にやってはいけない類の読解法が学校教育に蔓延して久しいけれど、それもこれもすべてこのアドホックな「文法解説」をばらまいてきた輩達のせいなのです。

皆さんはきっと驚かれると思いますが、実はto不定詞などというものをそもそも、存在していると考えるのがすべての元凶なのです。文法書にも、注意深いものにはちゃんと、「to付きの不定詞」と慎重な言い方をしています。すなわちここでは、「不定詞とはひとえに原形不定詞のことで、to原形はひとまとまりとみる場合は常に前置詞句で副詞ととらえるべきである。to不定詞の名詞用法という言い方は二重三重の間違い」ということが示唆されているのです。toと原形との結びつきも世間で考えられているよりはるかに弱い。このことが分かっていない場合、例えば「to thoroughly examine」などと出てくると、どうしていいのかわからなくなってしまうわけです。

ではどう考えるのが合理的なのか?実は、「S V to 原形 ……」は、次の三つのうちのいずれかで捉えるのが最も合理的です。

① 「[S V] [to 原形……]」:副詞用法(「ために」或いは「を見て」)
② 「S (V to) 原形 ……」=「S (助動詞) 原形 ……」
③ 「S (V to) 原形 ……」=「S (V and) V2 ……」:結果

これは「V」と「to」の間に「……」が入って「S V …… to 原形 ……」となっても、全く同様に捉えることができるので便利です。なぜなら、「……」の部分に何が来ようと「V to」の時と全く同じように取り扱い、「……」の部分は無視してよいことになるからです。すなわち、いわゆる「熟語」をただ丸暗記するのではなく系統的に理解し、正しく使いこなせるようになるということの一例となっているのです。

① 「[S V……] [to 原形……]」:副詞用法(「ために」或いは「を見て」)
② 「S (V…… to) 原形 ……」=「S (助動詞) 原形 ……」
③ 「S (V…… to) 原形 ……」=「S (V…… and) V2 ……」:結果

初めに例示した「She wants to go there.」の場合、「She (wants to) go there.」=「She (will) go there.」と捉えるのが正解です。「to」は「go」に付いているのではなく、「wants」の方に付き、意志・願望表現を構成すると考えるべきだったのです。「She is to go there.」も「She (is to) go there.」=「She (will) go there.」と捉えるのが正解です。「to」は「go」に付いているのではなく、「is」の方に付き、意志・願望表現を構成すると考えるべきです。「to go there」を目的語と考え、to不定詞に名詞用法があると考えるのも、「to go there」を補語と考えるのも、どれだけいい加減で有害な考え方だったか、皆さんにはこれで十分に伝わったはずです。

「to 原形」を上記のように新しくとらえるようになるとどんないいことが起こるのでしょうか?例えば「remember」の場合、「to不定詞も動名詞もどちらも目的語に取る他動詞」のひとつと覚えて済ますのでは、なぜダメなのでしょうか?「I remember playing with him when I was a child.」(子供の時に彼と遊んだことを今でも覚えている)や「Remember to go there.」(そこに行くことを覚えていなさい)でダメな理由は何なのでしょうか?

それは「Remember to go there.」を「必ずそこに行きなさい」と正しく訳す人が現れた時に、「きれいな訳だけど飽くまでも意訳でしかない。覚えておいたらいいだろうけど、文法的には間違えている」などという、間違った整理の仕方をしてしまうからです。そうなると、同じ調子で他の多くの表現も整理していく中で、他の多くの表現と同様にその暗記を、暗記であるがゆえに維持できなくなる。奇跡的に辛うじて覚えていてもいざ使おうとした時に正しく使いこなすことができない。ましてや知識を発展させて学習そのものを楽しむということにもなるはずがない。その結果苦しくなって、英語学習そのものに絶望してしまう。実際、こんな感じで英語学習に挫折してしまっている学生を私はこれまで数多く目撃してきました。彼らはアドホックな解説でお茶を濁す英語教育の紛れもない犠牲者なのです。

実は、「Remember to go there.」は、上記の原則の内の③に従って

「Remember to go there.」=「(Remember to) go there.」=「(Don’t forget to) go there.」=「(Never fail to) go there.」=「(Don’t fail and) go there.」=「Go there (without fail).」

と分析し、「忘れずにそこに行きなさい」「必ずそこに行きなさい」と訳すのが、文法上正しいのです。これは決して意訳などではありません。そもそも意訳などというものはあり得ないのです。意訳という言葉を用いる時、それだけで、その人の持っている文法が実は間違えた文法であることを端的に表しているのです。それに対して、上記のような正しい理解なら、自分で使用しようとするときに間違った使い方になることなど絶対にありえません。その上、他の類似表現との連携を認識することにもなり、ひとつ覚えることで同時に複数の表現まで発展的に覚えることになります。更には、何か全く見たことのない表現が出てきたときにも、形が似ているし、類似表現だろう。文脈上もそれで意味が通じると、正しく判断して訳すことすらできるようになるのです。更には、何よりも、考えながら連想しながら覚えていくことで、大いに楽しく勉強できる。記憶が劣化することもほとんどない。これはいいことづくめではないでしょうか?

ここで上げた例は、本当に一例でしかありません。今ここで皆さんにすべてを伝えることは物理的に不可能ですし、皆さんが信じてくれるか分かりませんが、英文法のほぼすべての項目で、上記の改善と同じような改善が可能であり、必要なのは事実です。改善することで一見それぞれが複雑になり全体として大変になりそうと考える人もいるでしょうが、実際は全く逆で、ひとつひとつを改善し深めていくことで、すべての項目が互いに有機的に結びつきあって連携しあい、全体としては比較的コンパクトになるのです。更には、大学入試問題も、ここで一端を述べた本当の文法に基づいて作成されているので、根底から理解して、出題者の意図も的確にとらえて、まるで出題者と対話するかのように解答していくことができるようになります。


英単語帳は使ってはいけない~必須動詞とは~

単語帳って何だろう。単語帳をつくろうとするとき、全国の大学の入試問題を過去10年分解析して一般的に繰り返しよく出てくるものをまずは選びだすことから始めるでしょう。それを出題頻度順に並べたうえで動詞、名詞、形容詞、副詞といった具合に分類する。更には、それぞれを必須動詞と上級動詞、必須名詞と上級名詞、必須形容詞と上級形容詞、必須副詞と上級副詞といった具合により細かく分類する。それに予備校講師や出版社の担当者が日本語訳をつけていく。とまあ、大体こういうことでしょう。

私の目から見ると、この過程には三つの大きな問題点があります。これらの問題点故に単語帳で「英語を勉強」してはいけないと私は言っているのです。

(1) 例えば早稲田大学を志望している人の場合、全国の大学の入試問題に一般的に取り上げられている単語を勉強しても、出題される単語を端的に勉強していることにはならないでしょう。一般的に勉強するのではなく、的を絞って勉強すべきです。志望校の入試問題を10年分直接自分の目で確かめておく方がはるかに合理的です。

(2) 予備校講師や出版社の単語帳制作担当者は問題をつくっている大学の先生のような英語力を持っていません。例えば京都大学の場合、受験業界で「優秀」といわれている腕に覚えのある受験生が競い合うわけですが、その入試で受験生のではなく合格者の平均点が8割9割ではなく5割前後に毎年なっている。このことを見さえすれば、予備校の先生の実力などどの程度なのか容易に推察されるでしょう。実際、各予備校から毎年発表される「模範」解答例を私が採点すると大体6割でしかない。これは、上の認識を明確に裏付けています。彼らの英語力は正直言って、私が教えている受験生の英語力よりも劣っています。そんな人たちが訳例をつけた単語帳で勉強しても、もちろんほぼ全員が単語帳で英語を勉強するという現状がある限りは相対的合格ということもあるにはあるのだけど、その人に大学入試の本質が見えているはずがありません。そうなると受験勉強の際に必要以上の苦労を強要されることになる。現状は、そのような無駄な苦痛に耐え抜いた比較的忍耐力のある人が京大に合格しているだけなのです。彼らは決して英語が精確に読めているわけではありません。

(3) 単語帳には動詞と名詞、形容詞、副詞が横一線に同等に扱われているきらいがあります。ところが実際は以下のような偏りを認識する必要があるのです。すなわち、名詞は、抽象名詞以外は英語そのままで読むべきであり、日本語訳をつける必要がありません。またある意味、日本語訳をつけてはいけないのです。抽象名詞は、「もともと文」ということですから、動詞や形容詞を中心に必ず元の文に戻して理解すべきですから、これも名詞としての訳をつけるべきではありません。副詞は多くが形容詞の変化したものですから、それ自体の訳例を覚える必要がありません。形容詞さえ覚えていたら大丈夫なのですから。更にはこの形容詞も、もともとは名詞や動詞ですから、この名詞や動詞から加工されて出てくる単語生成の過程の認識こそが重要です。形容詞としての訳例を覚えるだけで満足する人がいるけど、それは大変危険なのです。…このように考えると、結局、覚えなければならないのは、また覚えさえすればいいのはまさに、動詞だけということになるのです。このような動詞、名詞、形容詞、副詞の間の序列が全く意識されていないのが単語帳ですから、単語帳を使ってはいけないと言われるのです。

私は、必須動詞300を、一般的に出回っている訳例を捨てて、大学入試問題で用いられている把握法と同じ形で正しく詳しく深く理解しさえすれば、上級動詞を中心に出してくる早稲田大学など一部の大学を除いて、東大や京大、阪大、同志社大学など、大方の大学の入試問題に十分に対応できることを確認しています。また、これらの大学入試問題では、必須動詞300を、一般的に出回っている訳例を捨てて、大学入試問題で用いられている把握法と同じ形で正しく詳しく深く理解するのでない限り決してその問題の本質は見抜けないと断言しているのです。

単語帳の訳例はどれくらい間違えているのでしょうか。それこそほとんどすべての単語に関して逐一詳しくそれを指摘できますが、今は一つだけ代表的な例を以下に示します。

「engage」は、受験生の中には「従事する」と覚えて済ましている人がいます。その間違いを受けて単語帳では「従事させる」と提示しています。ところが、受験生の間違いを訂正するつもりで提示されたこの訳例が二重三重に間違えているのです。例えば、「She is engaged in apparel business.」(彼女はアパレル業に従事している)において、「従事している」と訳しているのは実は「is engaged」ではないのです。それは「in」なのです。前置詞なのに他動詞の訳をするのと多くの人が考えることでしょうが、これは事実です。これは辞書にも一般的に「従事のin」として記載されています。前置詞は主に他動詞として機能するのであり、前置詞句を構成して副詞句をつくるのは全体の5パーセントもありません。時、所、程度をあらわすときに限定されるとちゃんとした文法書にも明記されています。よく、

「She is engaged 〈in apparel business〉.」
S   V     M

などと書く教師がいますが、これは完全に間違えています。私はこの間違いを始めた人の固有名詞すら知っていますし、その人に直接英語を習っていました。でも、間違いは間違いなのです。正しくは、

「She (is engaged) in apparel business.」
  S Vt O

と考えるべきなのです。この「in」は「apparel business」についているのではなく、「is engaged」についているのです。そして「is engaged in」において中核は「is engaged」ではなく「in」なのです。「is engaged」は副詞化して他動詞的前置詞「in」を修飾しているのです。通常は無視して訳さないのですが、あえて訳すなら「もっぱら」とか「他をなげうって」となります。

ところが、入試ではこの「is engaged in」が「従事する」の意味で出ることがありません。例えば、「She is engaged in learning English.」(彼女は今ちょうど英語の習得に専念しているところだ)という形で出題されるのです。「in」が「従事する」と訳されるのは後ろに業種が来る時です。今は動名詞句「learning English」が来ている。これはいったい何なのでしょうか。

実は、中学の時に皆習って知っている現在進行形は「She is learning English.」だけではないのです。「She is in learning English.」もまた現在進行形のもうひとつの形なのです。現在進行形を「している最中」と訳すことがあることを念頭に置くとこの「in」は十分に納得できるはずです。更には、「She is …… learning English.」や「She is …… in learning English.」と「……」が入っても基本の意味に変更はありません。これも現在進行形なのです。ですから例えば、「She is busy in learning English.」を「彼女は英語習得に忙しい」と訳すのは完全な誤訳なのです。正しくは「彼女は今(忙しそうに)英語習得に専念している最中です」です。これは現在進行形なのです。ですから、これは問題としてもよく取り上げられる話なのですが、「She is busy in learning English.」=「She is busy learning English.」なのです。「in」は入っていても入っていなくても同じ意味になるのです。なぜだろうと不思議に思ってはいませんでしたか?その明確な理由が今ここで解明されました。

「She is engaged in learning English.」もですから、実は、現在進行形だったのです。ただ、だからと言って「She is engaged learning English.」はさすがの私も目撃したことがないので使用することはありません。ですが、ここである重要な法則が抽出されていることにはちゃんと気づく必要があります。すなわち「She is …… in ~ing ……」となっていたら「……」の部分に何が入っていてもすべて、「もっぱら~している最中です」と訳せる同義文になるという法則です。すなわち、

「She is busy in learning English.」
「She is engaged in learning English.」
「She is committed in learning English.」
「She is involved in learning English.」

これらはすべて同義なのです。そしていずれも最近10年間の大学入試に頻出しているのです。この認識が何よりも大切なのです。そして単語帳で勉強しているとこの認識を妨害されてしまうのです。この「専念する」は、大学入試の実態に合わせて次のように拡大表記することもできます。

「She is busy in learning English.」
「She is engaged in learning English.」
「She is committed in learning English.」
「She is involved in learning English.」
「She is devoted to learning English.」
「She is dedicated to learning English.」

このように「engage」は正しく詳しく深く理解しておく必要があるのです。この話を聞いて、「engage」だけでこれだけの厚みがあるなら、それが300になったら、たとえ300と比較的少数に限定されていても、それでもものすごい時間と労力になるのでは、と考える人もいるでしょう。ところがよく見てください。「engage」を正しく詳しく深く理解する場合、「commit」や「involve」、「devote」、「dedicate」まで正しく詳しく深く理解することになっていませんか?例文によって正しく詳しく深く理解しているので、これらの動詞と共に用いられる名詞や形容詞、副詞とのコロケーションまで習得できています。つまり、絶対に間違った使用法に陥ることがない上に、いったんは捨てたはずの名詞や形容詞、副詞の正しく詳しく深い習得までできています。これは時間と労力の大きな節約になるのではないでしょうか。

必須動詞300とは言いますが、動詞は動詞型で分類すると実際は29種類しかないことが分かっています。動詞型は提示された文の形を見れば分かる。ということは、この29動詞型を習得すれば、初めて見る単語も、文の形を読み取りさえすれできればその意味が分かるということになるのです。単語には実は意味などなく、文の形に意味があるということです。ですから、必須動詞300の意味を覚えるのではなく、大学入試問題で用いられている把握法と同じ形で正しく詳しく深く理解すると私は表現するのです。単語帳で意味を覚えていくことがいかに危険なことか、これで皆さんも十分に理解していただけるのではないでしょうか。

ところで、このような単語帳にも唯一取り上げるべき利点があります。すなわち、入試に出てくる単語が頻度順にリストアップされている点です。これだけは大いに利用価値があります。

単語帳は必動300をリストアップしてくれています。このリストアップが有効であることは私が実際に入試問題を詳しく見て確認済みです。この必動300を先ずは、上記のように勧めておきながらいかにも逆説的に聞こえるかもしれませんが、発音アクセントと綴りに焦点を絞ってマスターしてください。これなしで正しく詳しく深く理解しようとしても本当は意味がないからです。逆にこれを先にやってから正しく詳しく深い認識の獲得に向かうと、能率が何十倍にも上がります。また短期間で発音アクセントと綴りをマスターした必須動詞は、必須動詞ですから英語の授業で取り扱われる教材に毎回登場してきます。登場してくるたびに発音アクセントと綴りが一瞬で想起される単語は登場してきたその場で、その瞬間に即してある程度は習得できます。必動300の発音アクセントと綴りをマスターしておくことで英語の勉強がすべて自動的に必動300習得の側面を帯びてくることになるのです。

どうですか?単語帳を英語学習に使用してはいけないということや、必須動詞300に焦点を絞って正しく詳しく深く習得する必要があるということが、十分に分かっていただけましたか?



受験英語は間違いだらけ その2

2025-03-29 17:24:48 | 教育
受験英語は間違いだらけ: 本当の英文法とは

自動詞も他動詞の仲間である

最近では動詞を自動詞(Vi)と他動詞(Vt)に分けて考えることそのものを公然と排除する教師が多いそうです。しかし、英語が伸びずに悩んでいる受験生の現状を日々目撃している立場からすると、そのような排除の姿勢は逆効果になっていると言わざるを得ません。自動詞と他動詞の区別は必須事項なのです。

とはいえ、自動詞と他動詞の従来からの区別に問題がないわけではありません。問題があるからこそ排除の風潮が出てきたのです。

従来、他動詞は目的語を取る動詞、自動詞は目的語を取らない動詞と説明されていました。この説明には次のような問題点があります。

⑴ 目的語が

「に」と訳す目的語(専門的には与格とか3格と言われる。OⅠと表記する)
「を」と訳す目的語(専門的には対格とか4格と言われる。OⅡと表記する)

と分類されることが十分に説明されていません。

⑵ 従って他動詞には

「S Vt OⅠ.」(SはOⅠに~する)
「S Vt OⅡ.」(SはOⅡを~する)
「S Vt OⅠ OⅡ.」(SはOⅠにOⅡをあげる/与える/~してあげる)

という3種類の構文が存在することが十分に整理されていません。

ちなみに、「S Vt OⅠ OⅡ.」(SはOⅠにOⅡをあげる/与える/~してあげる)はすべて「give」の意味を内包します。この構文はある条件によって

「S Vt OⅠ.」(SはOⅠに~する)
「S Vt OⅡ.」(SはOⅡを~する)
「S Vt OⅠ OⅡ.」(SはOⅠにOⅡをあげる/与える)=「S Vt OⅡ to OⅠ.」
「S Vt OⅠ OⅡ.」(SはOⅠにOⅡを~してあげる)=「S Vt OⅡ for OⅠ.」

と細分化できます。この条件に付いては今は保留します。

⑶ 自動詞を「目的語を取らない動詞」と規定することにはそもそも、「物事は否定文で規定してはならない」という大原則の違反が含まれています。そもそも最初から、学問の水準に至っていないのです。

⑷ 自動詞は実は、「前置詞の助けを借りて目的語を取る」のです。これが正しい規定です。自動詞は他動詞の仲間なのです。自動詞と他動詞を区別するのは大きな間違いなのです。

「S Vi 前 O.」=「S Vt O.」

他動詞「Vt」と同じ内容を「Vi 前」で示すものを群動詞とか動詞句と呼んでいます。これはアングロサクソン系の表現法です。

「Vi 前」の中核は「Vi」ではなく「前」の部分です。これを他動詞的前置詞と言います。

前置詞は他動詞と同じで目的語を取りますが、これは前置詞がもともと他動詞だったことを示しているのです。

「Vi 前」の「前」を接頭辞として「Vi」の前に付けて「前-Vi」とひとつの動詞にするのはラテン系の表現法です。群動詞や動詞句はすべて同義の他動詞が存在しています。具体例をごく一部だけ下に示します。

「She takes after her mother.」=「She resembles her mother.」(似ている)
「She is searching for the room.」=「She is seeking the room.」(探している)
(「She is searching the room.」は「探している」ではない!「調べている」である。)

⑸ 「S Vi 前 O.」を常に

「S Vi〈前 O〉.」

と分析する教師がいますが、それは間違いです。正しくは、

「S Vi 〈前 O〉.」 前置詞句(副詞句) 時、所、程度を表す時に限定 5%
「S 〈Vi 前〉 O.」=「S Vt O.」 動詞句(群動詞) 95%

となります。前置詞は前置詞句を構成する用法以上に動詞句を構成する用法が重要なのです。学校文法ではこの辺がすっぽりと抜け落ちています。このことを知らないでいると、例えば以下のような書き換えが理解できなくなります。

She looked at me. = I was looked at by her.
(「at」は「me」ではなく「looked」に付いて他動詞句を構成しているから、他動詞として受け身にできるのです)


「think」は自動詞か他動詞か

「I think him to be my teacher.」(私は彼のことをわが師と考えている)

この表現を見て「think」を他動詞と考える教師がいます。そうして、「I think that he is my teacher.」の「think」も他動詞である。「that he is my teacher」は「think」の目的語。だから名詞句。「彼はわが師であると」と訳すのは意訳。「彼がわが師であるということを」と訳すのが直訳などと、間違いの上に間違いを上塗りしていきます。これが間違いなのは「I think so.」という表現があっても「I think it.」とは決して言わないことがそれを端的に示しています。

実は「think」は自動詞でも他動詞でもありません。人間の心の作用を表していて、人間の體の行為を表していないからです。人間の體の行為を表すのが他動詞で、「transitive Verb」の「transitive」とは「この感性界の時空を移動する性質をもった」の意味なのです。「目的語」と訳す「Object」とは「人間が身體を使ってかかわるこの感性界内の物体」という意味です。こう考えると「think」が他動詞でないのは明らかでしょう。that節は名詞節でもなく、目的語でもありません。目を閉じたときに広がるイメージの世界(叡智界)をthatでひと括りにして漫画の吹き抜けのようにその内容を示しているだけで、決して「Object」などと称することはできないのです。

「think」と同じようにthat節を取る動詞は、人間の言語表現にとってより重要なのが心であることを反映して、他動詞や自動詞より数も使用頻度も大きくなっています。つまり、他動詞や自動詞よりもはるかに重要なのです。それにも拘わらずこれを不当にも他動詞、that節を名詞節などと称して放っておく訳です。こんな調子でいる限り本当の英文法が理解できるはずありません。英文法が理解できないのは現在のいい加減な間違えた学校文法のせいであって、決して皆さんのせいではないのです。

「think」のように「that節を取る動詞」のことを私は心理作用動詞と名付けます。心理作用動詞の文は以下のように変形されます。この変形法の理解も英文法の最重要テーマのひとつになります。

① 「I think that she is a teacher.」

② 「I think she is a teacher.」
(thatの省略。直後に主語がある語彙はthatでも関係詞でも省略可)

③ 「I think her to be a teacher.」
(that節の短縮。「her」は見かけ上目的格になっていますが実際は主格として機能しています。見かけ上の格と実際の格の二重構造になっているのです)

④ 「I think her a teacher.」
(「to be」の省略)

⑤ 「It is thought to me that she is a teacher.」
(心理作用動詞の受け身はbyではなくtoを用います。他動詞の受け身がbyを用いるのは主語と目的語がこの感性界で空間的に隣接しない限り他動詞が成立しないことをよく表しています。イメージの世界に空間的な隣接などないから心理作用動詞の受け身はtoを使用するのです)

⑥ 「She is thought to me to be a teacher.」
(「She」を主語としてとる動詞は「is thought」ではありません。「be」です。「is thought」の主語は見えなくなっている「it …… that」の「it」です。「It is thought that」を「it …… that」の部分を消去して「she is」の「is」の部分に移動し「is thought to be」と助動詞化しているのです。)
=「She may be a teacher.」
(「is thought to me to」=「may」!)

⑦ 「It is thought to me that she is a teacher.」=「It seems to me that she is a teacher.」=「It appears to me that she is a teacher.」=「It looks to me that she is a teacher.」
cf.「It occurred to me that she was a teacher.」=「It hit me that she was a teacher.」=「It struck me that she was a teacher.」

⑧ 「She is thought to me to be a teacher.」=「She seems to me to be a teacher.」=「She appears to me to be a teacher.」=「She looks to me to be a teacher.」

⑨ 「She is seemingly to me a teacher.」=「She is apparently to me a teacher.」
(文修飾の副詞。「見かけ上」と訳しても通用しません)

②から⑨はどの表現を見ても常に①に戻して理解するのが正しい理解の第一歩となります。

心理作用動詞の中にはごく一部、that節ではなく疑問節を取るものがあります。

I know that it is an animal.
I know what it is. (疑問節ではなく先行詞を含む関係代名詞節。「それの本質が分かる」)
I don’t know what it is. (疑問節。「それが何であるか分からない」)
I wonder what it is. = I don’t know what it is.(「か分からない」と訳します。「かしら」は誤訳)
I wonder what it is. --- It’s my favorite CD.(疑問文扱い。これは「かしら」と訳します)
= What is it.? --- It’s my favorite CD.
She asked what it was. = She said, ”What is it?”
It is certain that she loves you.
It is not certain whether she loves you.(疑問節)
It is uncertain whether she loves you.(疑問節)
etc.


「S V O C.」など存在していない

「I think that she is a teacger.」は「S V that S’ is C’.」と分析できます。とすると、「I think that she is a teacger.」のthat節短縮である「I think her to be a teacher.」は「S V O(S’) to be C’」と分析すべきです。「her」は見かけ上はthinkの目的語で実際は「be」の主語と、二重構造になっていることを理解すべきです。これを

「I think her to be a teacher.」
S V O C

と説明する教師が非常に多くいます。これは完全に間違いです。この文の「to be」省略文を

「I think her a teacher.」
S V O C

と説明する教師も多い。これも間違いです。これは正しくは、

「I think her a teacher.」
S V O(S’) C’

なのです。

そもそも「to 原形 ……」は補語にはなりません。補語とは、純粋に動詞とは言えず他の一般動詞とは明確に区別されるbe動詞の後ろに来るもので、以下の3種類しか存在していません。

① 「He is a fool.」=「He is a fool of the fools who …….」
(a+名詞。who以下の特徴を持った馬鹿者は何人かいるが、彼もまたそのうちのひとりである。「a」は不定表現で集合表現「of the 複数名詞」の存在を前提とします。「of the 複数名詞」の「the」は確定表現で何らかの内容を持った関係文の存在を前提とします。従って「a 名詞」を見たら必ず「of the 複数名詞 {関係文}」を復元して理解しなければならないのです)

② 「He is fool.」
(無冠詞名詞。彼は馬鹿だ)

③ 「He is foolish.」=「He is like a fool.」
(名詞+接尾辞=形容詞。彼は馬鹿っぽい)

この前提が理解できていないから、be動詞の後ろに来るから補語と考えて何でも補語と言ってしまう風潮が広がるのです。それが明らかに受験生の足を引っ張っています。

例えば「To see is to believe.」は、「S is C.」ではありません。これは無生物主語構文の一種で「[To see] is [to believe].」と分析し、「実際に自分の目で見たらいいよ。そうすれば君もちゃんと信じられるよ」と訳すのが正解です。「見ることは信じることだ」は完全な間違いです。どんな動詞も主語が人以外になっていれば擬人法を除いてすべて、時には見かけ上人が主語になっているように見える時でも、無生物主語構文として取り扱うべきです。詳しくは無生物主語構文の解説の時に。因みに、「Seeing is believing.」は似た意味でも微妙に違っています。この微妙な違いをちゃんと理解すべきです。これは「実際に自分の目で見れば必ず信念が付いてくるものだ」と訳します。どちらも同じと説明するのは完全な間違いです。


基本動詞型をまとめると

① S is C. 第2文型

② S 自 前 O.

③ S 他 OⅠ. 第3文型
④ S 他 OⅡ. 第3文型
⑤ S 他 OⅠ OⅡ. 第4文型

⑥ S 心 that S’ V’ ………. → S 心 O(S’) to 原形 …….
⑦ S 心 that S’ is C’. → /S 心 O(S’) to be C’.→ S 心 O(S’) C’.  第5文型(の一部)
⑧ S 心 wh- ……….


この基本動詞型が発展して最終的には29動詞型になります。この基本動詞型のことは、29動詞型を理解するための出発点と考えればいいでしょう。

学校で習う5文型という考え方は、明らかに実態に合いません。できるだけ早く捨て去るべきです。世界ではもう100年も前に放棄されています。ガラパゴス化しているのは携帯電話だけではないのです。

上のまとめには「S V.」(第1文型)を敢えて入れていません。これは無生物主語構文の一種として理解すべき構文です。詳しくは無生物主語構文の解説の時に。

英単語帳使ってはいけない

2025-03-23 17:12:00 | 教育
英語の勉強というと、とりあえず単語や熟語の意味を結構な数単語帳や熟語で覚えながら文法もおさらいし、読解演習もするというのが相場でしょう。私も遠い昔受験生だった時にそこから始めました。

なかなか覚えられなくてイライラしたり、覚えたのに、言われたように訳しているのに、内容が全然頭に入ってこない。当然点数も低迷している。

或いは学校の定期テストでは何とか対応できるけど模試や過去問になると全然対応できない。

なぜでしょう?

それはネイティブが言語習得する際に自然にやっている最も大切なことが全くやれていない上に、ネイティブが言語習得する際に絶対にやらない無駄なこと或いは有害なことをやってはいけないことを勘違いしてやってしまっているからなのです。

また、単語帳や熟語帳、文法書に本質的な致命的な欠陥があるからです。

その秘訣とは何か?

はるか昔若い時に、私も或る優秀な先生に教わる機会を得て、それまでの悩みが嘘みたいに一気に解消し、語学力が爆上がりした経験があります。

低迷は自分のせいではなかったんだとはっきり自覚できました。

長い年月を経て、今は私が先生として縁のある生徒たちに同じような体験を味わってもらうようになりました。

皆さんもこの秘密に触れてみませんか?






必須動詞300を覚えさえすればよく、覚えない限り何もできない



単語帳って何だろう。単語帳をつくろうとするとき、全国の大学の入試問題を過去10年分解析して一般的に繰り返しよく出てくるものをまずは選びだすことから始めるでしょう。それを出題頻度順に並べたうえで動詞、名詞、形容詞、副詞といった具合に分類する。更には、それぞれを必須動詞と上級動詞、必須名詞と上級名詞、必須形容詞と上級形容詞、必須副詞と上級副詞といった具合により細かく分類する。それに予備校講師や出版社の担当者が日本語訳をつけていく。とまあ、大体こういうことでしょう。



私の目から見ると、この過程には三つの大きな問題点があります。これらの問題点故に単語帳で「英語を勉強」してはいけないと私は言っているのです。



(1)   例えば早稲田大学を志望している人の場合、全国の大学の入試問題に一般的に取り上げられている単語を勉強しても、出題される単語を端的に勉強していることにはならないでしょう。一般的に勉強するのではなく、的を絞って勉強すべきです。志望校の入試問題を10年分直接自分の目で確かめておく方がはるかに合理的です。



(2)   予備校講師や出版社の単語帳制作担当者は問題をつくっている大学の先生のような英語力を持っていません。例えば京都大学の場合、受験業界で「優秀」といわれている腕に覚えのある受験生が競い合うわけですが、その入試で受験生のではなく合格者の平均点が8割9割ではなく5割前後に毎年なっている。このことを見さえすれば、予備校の先生の実力などどの程度なのか容易に推察されるでしょう。実際、各予備校から毎年発表される「模範」解答例を私が採点すると大体6割でしかない。これは、上の認識を明確に裏付けています。彼らの英語力は正直言って、私が教えている受験生の英語力よりも劣っています。そんな人たちが訳例をつけた単語帳で勉強しても、もちろんほぼ全員が単語帳で英語を勉強するという現状がある限りは相対的合格ということもあるにはあるのだけど、その人に大学入試の本質が見えているはずがありません。そうなると受験勉強の際に必要以上の苦労を強要されることになる。現状は、そのような無駄な苦痛に耐え抜いた比較的忍耐力のある人が京大に合格しているだけなのです。彼らは決して英語が精確に読めているわけではありません。



(3)   単語帳には動詞と名詞、形容詞、副詞が横一線に同等に扱われているきらいがあります。ところが実際は以下のような偏りを認識する必要があるのです。すなわち、名詞は、抽象名詞以外は英語そのままで読むべきであり、日本語訳をつける必要がありません。またある意味、日本語訳をつけてはいけないのです。抽象名詞は、「もともと文」ということですから、動詞や形容詞を中心に必ず元の文に戻して理解すべきですから、これも名詞としての訳をつけるべきではありません。副詞は多くが形容詞の変化したものですから、それ自体の訳例を覚える必要がありません。形容詞さえ覚えていたら大丈夫なのですから。更にはこの形容詞も、もともとは名詞や動詞ですから、この名詞や動詞から加工されて出てくる単語生成の過程の認識こそが重要です。形容詞としての訳例を覚えるだけで満足する人がいるけど、それは大変危険なのです。…このように考えると、結局、覚えなければならないのは、また覚えさえすればいいのはまさに、動詞だけということになるのです。このような動詞、名詞、形容詞、副詞の間の序列が全く意識されていないのが単語帳ですから、単語帳を使ってはいけないと言われるのです。



私は、必須動詞300を、一般的に出回っている訳例を捨てて、大学入試問題で用いられている把握法と同じ形で正しく詳しく深く理解しさえすれば、上級動詞を中心に出してくる早稲田大学など一部の大学を除いて、東大や京大、阪大、同志社大学など、大方の大学の入試問題に十分に対応できることを確認しています。また、これらの大学入試問題では、必須動詞300を、一般的に出回っている訳例を捨てて、大学入試問題で用いられている把握法と同じ形で正しく詳しく深く理解するのでない限り決してその問題の本質は見抜けないと断言しているのです。



単語帳の訳例はどれくらい間違えているのでしょうか。それこそほとんどすべての単語に関して逐一詳しくそれを指摘できますが、今は一つだけ代表的な例を以下に示します。



「engage」は、受験生の中には「従事する」と覚えて済ましている人がいます。その間違いを受けて単語帳では「従事させる」と提示しています。ところが、受験生の間違いを訂正するつもりで提示されたこの訳例が二重三重に間違えているのです。例えば、「She is engaged in apparel business.」(彼女はアパレル業に従事している)において、「従事している」と訳しているのは実は「is engaged」ではないのです。それは「in」なのです。前置詞なのに他動詞の訳をするのと多くの人が考えることでしょうが、これは事実です。これは辞書にも一般的に「従事のin」として記載されています。前置詞は主に他動詞として機能するのであり、前置詞句を構成して副詞句をつくるのは全体の5パーセントもありません。時、所、程度をあらわすときに限定されるとちゃんとした文法書にも明記されています。よく、



「She is engaged 〈in apparel business〉.」

   S   V     M



などと書く教師がいますが、これは完全に間違えています。私はこの間違いを始めた人の固有名詞すら知っていますし、その人に直接英語を習っていました。でも、間違いは間違いなのです。正しくは、



「She (is engaged) in apparel business.」

  S             Vt           O



と考えるべきなのです。この「in」は「apparel business」についているのではなく、「is engaged」についているのです。そして「is engaged in」において中核は「is engaged」ではなく「in」なのです。「is engaged」は副詞化して他動詞的前置詞「in」を修飾しているのです。通常は無視して訳さないのですが、あえて訳すなら「もっぱら」とか「他をなげうって」となります。



ところが、入試ではこの「is engaged in」が「従事する」の意味で出ることがありません。例えば、「She is engaged in learning English.」(彼女は今ちょうど英語の習得に専念しているところだ)という形で出題されるのです。「in」が「従事する」と訳されるのは後ろに業種が来る時です。今は動名詞句「learning English」が来ている。これはいったい何なのでしょうか。



実は、中学の時に皆習って知っている現在進行形は「She is learning English.」だけではないのです。「She is in learning English.」もまた現在進行形のもうひとつの形なのです。現在進行形を「している最中」と訳すことがあることを念頭に置くとこの「in」は十分に納得できるはずです。更には、「She is …… learning English.」や「She is …… in learning English.」と「……」が入っても基本の意味に変更はありません。これも現在進行形なのです。ですから例えば、「She is busy in learning English.」を「彼女は英語習得に忙しい」と訳すのは完全な誤訳なのです。正しくは「彼女は今(忙しそうに)英語習得に専念している最中です」です。これは現在進行形なのです。ですから、これは問題としてもよく取り上げられる話なのですが、「She is busy in learning English.」=「She is busy learning English.」なのです。「in」は入っていても入っていなくても同じ意味になるのです。なぜだろうと不思議に思ってはいませんでしたか?その明確な理由が今ここで解明されました。



「She is engaged in learning English.」もですから、実は、現在進行形だったのです。ただ、だからと言って「She is engaged learning English.」はさすがの私も目撃したことがないので使用することはありません。ですが、ここである重要な法則が抽出されていることにはちゃんと気づく必要があります。すなわち「She is …… in ~ing ……」となっていたら「……」の部分に何が入っていてもすべて、「もっぱら~している最中です」と訳せる同義文になるという法則です。すなわち、



「She is busy in learning English.」

「She is engaged in learning English.」

「She is committed in learning English.」

「She is involved in learning English.」



これらはすべて同義なのです。そしていずれも最近10年間の大学入試に頻出しているのです。この認識が何よりも大切なのです。そして単語帳で勉強しているとこの認識を妨害されてしまうのです。この「専念する」は、大学入試の実態に合わせて次のように拡大表記することもできます。



「She is busy in learning English.」

「She is engaged in learning English.」

「She is committed in learning English.」

「She is involved in learning English.」

「She is devoted to learning English.」

「She is dedicated to learning English.」



このように「engage」は正しく詳しく深く理解しておく必要があるのです。この話を聞いて、「engage」だけでこれだけの厚みがあるなら、それが300になったら、たとえ300と比較的少数に限定されていても、それでもものすごい時間と労力になるのでは、と考える人もいるでしょう。ところがよく見てください。「engage」を正しく詳しく深く理解する場合、「commit」や「involve」、「devote」、「dedicate」まで正しく詳しく深く理解することになっていませんか?例文によって正しく詳しく深く理解しているので、これらの動詞と共に用いられる名詞や形容詞、副詞とのコロケーションまで習得できています。つまり、絶対に間違った使用法に陥ることがない上に、いったんは捨てたはずの名詞や形容詞、副詞の正しく詳しく深い習得までできています。これは時間と労力の大きな節約になるのではないでしょうか。



必須動詞300とは言いますが、動詞は動詞型で分類すると実際は29種類しかないことが分かっています。動詞型は提示された文の形を見れば分かる。ということは、この29動詞型を習得すれば、初めて見る単語も、文の形を読み取りさえすれできればその意味が分かるということになるのです。単語には実は意味などなく、文の形に意味があるということです。ですから、必須動詞300の意味を覚えるのではなく、大学入試問題で用いられている把握法と同じ形で正しく詳しく深く理解すると私は表現するのです。単語帳で意味を覚えていくことがいかに危険なことか、これで皆さんも十分に理解していただけるのではないでしょうか。



ところで、このような単語帳にも唯一取り上げるべき利点があります。すなわち、入試に出てくる単語が頻度順にリストアップされている点です。これだけは大いに利用価値があります。



単語帳は必動300をリストアップしてくれています。このリストアップが有効であることは私が実際に入試問題を詳しく見て確認済みです。この必動300を先ずは、上記のように勧めておきながらいかにも逆説的に聞こえるかもしれませんが、発音アクセントと綴りに焦点を絞ってマスターしてください。これなしで正しく詳しく深く理解しようとしても本当は意味がないからです。逆にこれを先にやってから正しく詳しく深い認識の獲得に向かうと、能率が何十倍にも上がります。また短期間で発音アクセントと綴りをマスターした必須動詞は、必須動詞ですから英語の授業で取り扱われる教材に毎回登場してきます。登場してくるたびに発音アクセントと綴りが一瞬で想起される単語は登場してきたその場で、その瞬間に即してある程度は習得できます。必動300の発音アクセントと綴りをマスターしておくことで英語の勉強がすべて自動的に必動300習得の側面を帯びてくることになるのです。



どうですか?単語帳を英語学習に使用してはいけないということや、必須動詞300に焦点を絞って正しく詳しく深く習得する必要があるということが、十分に分かっていただけましたか?



興味がわいてきたら、是非私の門をたたいてください。


古典文法なんで習得できないの

2025-03-22 12:47:52 | 教育
古典文法がなかなか覚えきれないという生徒が本当にたくさんいます。覚えきれないというのは実際は違っていて、本当はこれまで一度も本腰を入れて取り組んだことがないということなのですが、いずれにせよほぼ全員と言っていいと思います。自信がありますという生徒もごくまれにいますが、よく調べてみると使えるレベルになっていない。

理由は妥当性のない文法用語、文法認識の提示と、その丸暗記の強要です。「英文法」なるものがあると知った日本人が約150年前に慌てて即席でつくったものである上に、これまでほとんど何の改善も施されてこなかったから、そうなってしまっているのです。高1の春に初めて出会う「動詞」の深い理解が、全古典文法の基礎中の基礎なのに、そのことが教師にも生徒にもほとんど全く自覚されず、次テーマとして現れる「最も大事」と誤解された「助動詞」に早く入らないとなどと妙に焦ってしまうために、流されてしまうのが原因なのです。「動詞」を徹底的に理解しさえすれば自ずと助動詞も助詞も、文章読解のために実践的にコンパクトに再編成された形で素早く正しく習得できるのに、上記のような制約が慣習として定着してしまっているせいで、この秘訣に誰も気づけなくなっているのです。それに対して大学入試問題制作者は、どこの大学の制作者も、そのような制約からはとっくに抜け出ています。取り残されているのは高校の教科書と受験業界だけなのです。

私は哲学者として大学入試古典文法の詳細な分析を行い、知識の正しい系統を発見しました。この系統に沿って理解していけば、比較的楽に習得することが可能であるばかりか、入試問題の成り立ちそのものを直接反映しているので、受験生が入試問題に対する深い洞察力もって効率よく解答していくことができるようになります。私はこの方法論を使って、これまで36年間いろんな場面で多くの受験生を指導し、心がちゃんと受験に向かい合えている受験生ならほぼ一人の例外もなく、比較的短期間に古典文法をマスターさせてきました。意外と簡単で面白いというのが生徒たちが抱く共通の印象になっているようです。目からウロコと皆、口をそろえます。哲学というとなんだか暗くて難しそうなどと誤解されていますが、それは過去数十年に少なからず存在してきた偽物の哲学者たちのせいです。本当の哲学は物事をわかりやすく、あかるくするものです。世にはびこる偽物には哲学だけではなく十分注意しなければなりません。

授業では質疑応答を通して生徒の学力を一緒に少しずつ構築していきます。生徒の学力が今この瞬間にどのような状況にあるのかを的確に見抜く目があると自負しています。授業そのものも結構盛り上がることが多いです。居眠りする生徒などこれまで一人もいませんでした。勉強は本当は面白いものなのです。

宿題は前回の授業内容の徹底的な見直しです。授業そのものが自ずと前回の授業内容の理解度を調べる確認テストの側面も帯びてきます。文法の習得が目的だから文法問題集を使うなどという愚かなことはしません。あれらはほとんどすべてがインチキです。私の授業では入試問題に実際に取り上げられた文章を教材にして動詞の理解を徹底的に深めていきます。すると動詞そのものや助動詞、助詞の深い理解はもちろん、古文読解とはそもそも何なのかの理解も自然と身についてきます。現代語に訳しながら読むのは、かえって古文の理解から離れてしまうし、そもそもが時間の無駄。あるやり方を守りさえすれば誰もが古文をそのまま理解することができる。大学入試問題もまさにそのような理解をこそ求めているということが無理なく実感できるようになります。

授業に関して生徒にチャットを通じて知らせたことはすべて、保護者にもお知らせします。適宜、詳しい状況報告もします。ご質問があればご自由にアクセスしてください。

お問い合わせの際には、直近の模試の成績を予め整理してお見せください。

本当の英文法とは何か

2025-03-22 12:45:54 | 教育
「文法書や辞書の解説はある意味ほとんどすべて間違えている。が、文法書や辞書に収録されている例文そのものには間違いはなく、十分に価値のあるものとなっている。勉強のコツは、例文理解にのみ意識を集中することだ。辞書や文法書の解説部分はすべて無視したほうがいい」とは、受験生だった遠い昔に、ある大学教授が言ってくれた言葉です。

今私は、プロの英語教師として、この言葉こそ英語力飛躍のカギと理解しています。その上で、間違いのない本当に正しい解説も詳細に提供できるようになりました。文法書や辞書の解説が相変わらず受験生の足を引っ張り続ける中、全く異なる正しい解説を提供することで、多くの生徒を難関大学上位合格レベルに引き上げてきました。全く異なる正しい英文法、暗記に頼らない考える英文法、大学入試の秘密が見える英文法は、本当に存在しているのです。

例えば、ほんの一例をあげましょう。to不定詞の名詞用法。「She wants to go there.」の「to go there」は全体として名詞的で「wants」の目的語になっている。to不定詞は名詞として機能することがある。と、学校文法ではまことしやかに解説されます。ではなぜ、同じ意味をあらわす英文「She is to go there.」が存在しているのか。「is」は自動詞であり目的語を取る動詞ではないので「to go there」を目的語に取っているとは絶対に言えない。従って「wants」も「to go there」を目的語にとってはいるなどとは絶対に言えないのです。

すると、「is」は補語を取る動詞だから「to go there」は補語だ。だから名詞用法だ。などと「説明」して、知った顔をしている輩が数多く出てくる。この人たちは、そう言い張ることで受験生と社会全体が被る悪影響を、気にすることが全くないのではないのでしょうか。

残念ながら補語とは、be動詞の後ろに来れば全部補語になるというような安易なものではありません。例えば、「She is a fool.」(不定冠詞付き名詞) や 「She is fool.」(無冠詞名詞) 、「She is foolish.」(接尾辞付き名詞=形容詞)などという具合に、きわめて限定して語るべきものなのです。この人たちの上記のようなアドホックな態度は、この補語の基本原則の理解にすら悪影響を及ぼしてしまう。こうなるともう、初学者の頭の中は大混乱でしょう。

文法軽視の風潮が広がり、「スラッシュ読み」などという、学術の英文読解で絶対にやってはいけない類の読解法が学校教育に蔓延して久しいけれど、それもこれもすべてこのアドホックな「文法解説」をばらまいてきた輩達のせいなのです。

皆さんはきっと驚かれると思いますが、実はto不定詞などというものをそもそも、存在していると考えるのがすべての元凶なのです。文法書にも、注意深いものにはちゃんと、「to付きの不定詞」と慎重な言い方をしています。すなわちここでは、「不定詞とはひとえに原形不定詞のことで、to原形はひとまとまりとみる場合は常に前置詞句で副詞ととらえるべきである。to不定詞の名詞用法という言い方は二重三重の間違い」ということが示唆されているのです。toと原形との結びつきも世間で考えられているよりはるかに弱い。このことが分かっていない場合、例えば「to thoroughly examine」などと出てくると、どうしていいのかわからなくなってしまうわけです。

ではどう考えるのが合理的なのか?実は、「S V to 原形 ……」は、次の三つのうちのいずれかで捉えるのが最も合理的です。

① 「[S V] [to 原形……]」:副詞用法(「ために」或いは「を見て」)
② 「S (V to) 原形 ……」=「S (助動詞) 原形 ……」
③ 「S (V to) 原形 ……」=「S (V and) V2 ……」:結果

これは「V」と「to」の間に「……」が入って「S V …… to 原形 ……」となっても、全く同様に捉えることができるので便利です。なぜなら、「……」の部分に何が来ようと「V to」の時と全く同じように取り扱い、「……」の部分は無視してよいことになるからです。すなわち、いわゆる「熟語」をただ丸暗記するのではなく系統的に理解し、正しく使いこなせるようになるということの一例となっているのです。

① 「[S V……] [to 原形……]」:副詞用法(「ために」或いは「を見て」)
② 「S (V…… to) 原形 ……」=「S (助動詞) 原形 ……」
③ 「S (V…… to) 原形 ……」=「S (V…… and) V2 ……」:結果

初めに例示した「She wants to go there.」の場合、「She (wants to) go there.」=「She (will) go there.」と捉えるのが正解です。「to」は「go」に付いているのではなく、「wants」の方に付き、意志・願望表現を構成すると考えるべきだったのです。「She is to go there.」も「She (is to) go there.」=「She (will) go there.」と捉えるのが正解です。「to」は「go」に付いているのではなく、「is」の方に付き、意志・願望表現を構成すると考えるべきです。「to go there」を目的語と考え、to不定詞に名詞用法があると考えるのも、「to go there」を補語と考えるのも、どれだけいい加減で有害な考え方だったか、皆さんにはこれで十分に伝わったはずです。

「to 原形」を上記のように新しくとらえるようになるとどんないいことが起こるのでしょうか?例えば「remember」の場合、「to不定詞も動名詞もどちらも目的語に取る他動詞」のひとつと覚えて済ますのでは、なぜダメなのでしょうか?「I remember playing with him when I was a child.」(子供の時に彼と遊んだことを今でも覚えている)や「Remember to go there.」(そこに行くことを覚えていなさい)でダメな理由は何なのでしょうか?

それは「Remember to go there.」を「必ずそこに行きなさい」と正しく訳す人が現れた時に、「きれいな訳だけど飽くまでも意訳でしかない。覚えておいたらいいだろうけど、文法的には間違えている」などという、間違った整理の仕方をしてしまうからです。そうなると、同じ調子で他の多くの表現も整理していく中で、他の多くの表現と同様にその暗記を、暗記であるがゆえに維持できなくなる。奇跡的に辛うじて覚えていてもいざ使おうとした時に正しく使いこなすことができない。ましてや知識を発展させて学習そのものを楽しむということにもなるはずがない。その結果苦しくなって、英語学習そのものに絶望してしまう。実際、こんな感じで英語学習に挫折してしまっている学生を私はこれまで数多く目撃してきました。彼らはアドホックな解説でお茶を濁す英語教育の紛れもない犠牲者なのです。

実は、「Remember to go there.」は、上記の原則の内の③に従って

「Remember to go there.」=「(Remember to) go there.」=「(Don’t forget to) go there.」=「(Never fail to) go there.」=「(Don’t fail and) go there.」=「Go there (without fail).」

と分析し、「忘れずにそこに行きなさい」「必ずそこに行きなさい」と訳すのが、文法上正しいのです。これは決して意訳などではありません。そもそも意訳などというものはあり得ないのです。意訳という言葉を用いる時、それだけで、その人の持っている文法が実は間違えた文法であることを端的に表しているのです。それに対して、上記のような正しい理解なら、自分で使用しようとするときに間違った使い方になることなど絶対にありえません。その上、他の類似表現との連携を認識することにもなり、ひとつ覚えることで同時に複数の表現まで発展的に覚えることになります。更には、何か全く見たことのない表現が出てきたときにも、形が似ているし、類似表現だろう。文脈上もそれで意味が通じると、正しく判断して訳すことすらできるようになるのです。更には、何よりも、考えながら連想しながら覚えていくことで、大いに楽しく勉強できる。記憶が劣化することもほとんどない。これはいいことづくめではないでしょうか?

ここで上げた例は、本当に一例でしかありません。今ここで皆さんにすべてを伝えることは物理的に不可能ですし、皆さんが信じてくれるか分かりませんが、英文法のほぼすべての項目で、上記の改善と同じような改善が可能であり、必要なのは事実です。改善することで一見それぞれが複雑になり全体として大変になりそうと考える人もいるでしょうが、実際は全く逆で、ひとつひとつを改善し深めていくことで、すべての項目が互いに有機的に結びつきあって連携しあい、全体としては比較的コンパクトになるのです。更には、大学入試問題も、ここで一端を述べた本当の文法に基づいて作成されているので、根底から理解して、出題者の意図も的確にとらえて、まるで出題者と対話するかのように解答していくことができるようになります。

そんな本当の英文法を習得してみたくはありませんか?

崇神朝の正体

2023-09-08 01:17:31 | 日本論と宗教論
後漢孝霊帝=孝霊天皇/後漢孝献帝=孝元天皇という構図が考えられます。これは非常に信憑性が高いと私は考えています。孝が付く四天皇は後漢の最後の四皇帝を神武王朝の系譜に繋いだものである可能性が高いと考えています。魏志倭人伝が倭国大乱を桓霊の間とわざわざ後漢皇帝に結びつけて記述しているのもそれを示唆するものと考えられます。

元々列島皇族の一族として中原で王朝を打ち立て運営してきた後漢の最後の皇帝孝献帝の一族が魏の曹操に皇位を禅譲したあと九州の日向に移動。その後その子孫である開化天皇が綿密な長期計画のもと、当時任那の高霊に拠点を移していた、高句麗出身ながら後趙劉氏に養子として入り後趙皇帝となった劉曜の子孫勢力で、列島皇室の血を入れて列島入りを準備していた崇神勢力を、北陸の敦賀から大彦命を将軍として近畿に侵入させ近畿を制圧。自身は吉備津彦を日向から吉備に派遣して吉備を攻略。その上で既に日向で協力関係を結んでいた公孫出身の安羅国祭司王卑弥呼を伴って近畿へ移動。近畿で崇神朝を打ち立てた。北九州では伊都国を拠点として対大陸諸国外交を行った。それが魏志倭人伝に邪馬台国という呼称で記述された。阿波の勢力もその動きに協力し、これら一連の流れを画策し統制した主体は、近江から尾張、東海、関東、東北、北陸、中部に繁栄しながらも歴史上は常に身を潜めて来たある勢力だった。このような流れを私はこの数年来考えています。

因みにこの崇神朝の一族は、後に景行朝にその座を譲った後は、東漢氏や西文氏、三津氏と称するようになり、飛鳥時代に協力関係にあった蘇我宗本家の偽装滅亡後は阿部とその名を変えてその後も現代に至るまでずっとこの列島内で有力な一族として生き残ったようです。

人類文明の陰の本体

2023-04-16 23:10:17 | 日本論と宗教論

紀元前5500年前の鬼界カルデラ大噴火によって西日本の縄文文化が壊滅した際、それ以前に東南アジアのスンダ地域からバンチェン、台湾、琉球、奄美大島と北上を繰り返していた「我々」の文明の中枢は、奄美大島にありました。西日本各地から避難した人々は「我々」の文明の土台となっていた、ヘビをトーテムとするユーラシア南縁海域貿易ネットワークを介して中原やインド、中東に移動、各地で現在四大文明と言われる文明を創設運営していったのです。蛇の海洋ネットワークと陸上の各民族が各地で交流することで各地の文明が運営されたということです。エジプトもシュメールも、インダスやイスラエル、ギリシャ、殷など、そのような構図で文明を分析できます。


そして紀元前3500年の長野の縄文文明もその最も古い事例と解釈できるでしょう。長野の縄文文明は内陸で単独で成立したかのように見えますが、実際は海の民のバックアップの元で栄えた文明だったはずです。そもそも、黒曜石の広域流通は縄文人の丸木舟では決して説明できないのです。海底や奈良時代以降の都市生活の底に埋没し見えなくなっている縄文文明の本体を強く意識すべきなのです。


彼らは大型船でユーラシア南縁海域を地中海から紅海、インド洋、南シナ海、東シナ海、日本海、瀬戸内海、列島太平洋岸黒潮海域と、定期的に運行して廻り続けた、人類文明の陰の母体です。そしてその中枢は現在では間違いなくこの列島にあるのです。我々日本人はその直轄領の民なのです。


地球は自転しないと論ずる人へ

2022-05-08 21:44:03 | その他
ものを手放したら加速度運動をして落下します。つまり、地表に静止した物体は全て地球に落下した後、静止したものなのです。これは誰も否定できない事実です。地球の中心にその周囲の時空を地球の中心に向かって引き付けつつ秩序づける力が存在しているのは事実です。

地表に漂う気体の分子も例外ではありません。気体の分子は地球の中心を中心とした時空秩序のもとで運動しつつ存在しているのです。地球の中心秩序と無関係に存在しているのではないのです。これは否定できない事実でしょう。

ところで列車が動けば、列車の周りの空気は列車にではなく、地球の中心に秩序づけられる形で運動しつつ存在していますから、列車に乗っている人には空気の流れとして感じられるようになります。つまり、空気と地球の関係を空気と列車の関係と同列に扱うことはできない訳です。

ところで、「地球がものすごい勢いで自転しているのにその周囲の空気は風として感じられない。だから地球は自転していない」と言う時、地球の中心に事実として存在する重力を完全に無視し、地球と空気の関係を列車と空気の関係と単純に同一視してしまっていることを意味します。しかし、地球の中心がその周囲の物体に対して及ぼす圧倒的な影響力は、冒頭でも確認したように、紛れもない事実なのです。

ですから、あなたの地球自転否定の議論は完全に間違いと断言できます。地球公転否定の議論についても似たような論証ができるでしょう。が、それは今はもう必要ないと思います。

大学入試の秘密が見える英文法 第02講 Argument Pattern

2022-03-21 17:36:30 | 教育

大学入試の秘密が見える英文法 第01講 S is C. 構文

2022-03-21 17:34:28 | 教育


予告あるいは警告のひとつ

2021-11-25 07:09:47 | 政治
韓流ドラマ『オクニョ』の第29話に、Amazon Prime Videoで無料で見れますが、今回のパンデミック詐欺を予告或いは警告するような物語が入っています。皆さんもご覧になったら如何でしょうか?

現代における反宗教

2021-11-04 23:36:30 | 日本論と宗教論
反宗教は現在では科学や一般常識から行われたりしません。科学や一般常識からの反宗教なるものは、最近の2百年間、西ヨーロッパ的なあり方の広がりの中で極めて限定的に行われていた、今となっては全く時代遅れの皮相な思潮でしかありません。

現代では、人間ひとりひとりの人間観や自然観、宇宙観、生命観が著しく深まり、これまでは偽物と認知されるはずのなかったものを偽物と直感できるようになってきた。

「これまでの社会はかなり初期の頃から一貫して虚偽に満ちていた。本来は人間一般の本質であるはずの宗教性を自分たちだけが独占しているものと神官階級が組織的に捏造して、そうやってひとりひとりを、その本来の神々しい宗教性が発動されないよう、見えないところから巧妙に押さえつけてきた」。今、このような認識が広まり、これを人類は、ほぼ5千年ぶりに覆そうとしている。本来の正しい社会に作り替えていく段階に入ったのです。

お坊さんが、どんな宗教宗派のお坊さんも自ら深く恥じ入り、退くか、或いは、根本からの自己改革に突き進むか、究極的な二者択一を自らに厳しく迫らざるを得ない、そんな時代になったのです。

善と悪の闘争?

2021-07-18 00:21:07 | 日本論と宗教論
支配層が社会全体の存亡に関して強い問題意識を持ったとします。全体が生き残るためには選別と排除が必要である。排除なんて非人間的だし、残された人間の心に悪影響を与えてしまうなどと言って問題を放置などしていたら全体が確実に滅びてしまう。そんなどうしようもない所まで来ている。

この時彼らは、どのような方策に出るでしょうか?

大衆に事情を詳しく説明して、納得ずくで自ら排除されてもらうのでしょうか?そんなことは不可能でしょう。この場合は結局、情報操作というものが必要になってくるのです。

先ずは、支配層の一部に悪役を割り当て、彼らの口からかの問題意識と、必ずしも耳に心地よくはない、その解決のための計画を発表させ、世間にこの計画の認知と、この悪役への憎悪の感情を広めていくことでしょう。

次に、この悪役達に対抗する善役を立て、彼らと悪役との闘争の展開を見せることでしょう。更に、この悪役達が駆逐され、懲罰されていくさまを見せていく。

次に、この勝利に大衆が溜飲を下げたところで、不意を襲う形で、悪役達に語らせていた計画が実行され、多くの人が排除される。この際、これを実行したのは悪役の残党であるなどと偽装され、この残党を拘束し懲罰するさまを見せることで復讐が果たされたように、残された人々に思わせる。

こうして残された少数の大衆と、彼らから強い信頼を得た新支配層によって新しい時代が開始される。

こうなるのではないでしょうか?

こう考えると、インターネットの急速な普及も、DSに彼らの計画を隠す素振りすらなかったことも、DSが非常に分かりやすい形で幼稚な失態を繰り返し、自ら衰退して来ているように見えることも、全て辻褄が合うように私には感ぜられるのです。現在見えている情勢の実態は、実は、上述したような計画の実行過程に過ぎない可能性が高いと感じます。

光のトランプが勝利して新時代が幕開けするなどと言って無邪気に喜んでいる人が大勢いるようですが、わたしなどは、そんなのんきなことを言っている場合ではないのではと、考えるのです。

仮に、光のトランプと闇のDSということが巧妙に演出された虚構などではなく事実なのだとしたなら、彼の口からは、本来、DSのような社会悪の発生と蔓延を防ぐことのできなかった彼自身をも含む支配層全体の責任というものが語られて然るべきでしょう。が、それも恐らくはないはずです。支配層というものは、それくらい信頼できない。

そもそも、DSが滅びても、彼らが我々に認知させた根本問題そのものが決して解決された訳ではありません。例えば、遺伝子組み換え食品や添加物は、食品会社のモラル低下やDSの陰謀と捉えられていることが多いようですが、実際は、食糧危機がもう既に訪れているからこその遺伝子組み換え食品や添加物の普及ということなのかも知れないのです。これらの根本問題を結局は誰かが何らかの方法で解決していくのでなければならない。このことには誰も思い至らないのでしょうか?

更には、もっと先に進んで、次のような思いすら私には浮かんできます。今こそ、支配というものの本質を暴き出すべきだ。そうして、この世から一切の支配を排除すべきだ。その可能性にも躊躇せずに言及する究極的な無政府主義に、多くの人が思い至るべきだ。このような思いです。

卑弥呼共立の基盤が武力でないことが分からないと述べる人への返信コメント

2021-05-21 18:03:47 | 邪馬臺国
桓霊の間の中原の混乱に押し出されるかのように列島に入ってきた勢力とは、武力において列島のあらゆる勢力を凌駕していましたはずですから、やろうと思ったら列島の従来の住民を殲滅できたと思います。なのに、実際はそうしなかった。そこに邪馬台国問題を含めた日本史全体の秘密が隠されています。

考古学の最新成果だけを追いかけているとこういう類の本質問題が問題として浮かんでこなくなるのです。中原や半島の文献は勿論、西域の各国の歴史書を網羅しつつ、想像力を最大限使うということがない限り、そういうことになってしまいます。縄文時代をまだ、縄文土器の時代と思っていませんか?

具体的には、それこそ色々ありますけど、あなたが最もびっくりしなさそうなことをやんわり申し上げると、中原から混乱に押し出される形で列島に入ってきた勢力は、民ではなく軍団と官僚組織を中核とした組織体になると思いますが、実はその大半がかつて列島から計画的に送り込まれ、列島の最も奥からの密かな支援を受け続ける形で中原社会で高い地位を確立し役割を果たしていたものだったです。更には、時を経た後にその役割を終えて、かの奥が新たに描いた次の時代の世界構想に基づいて、その命を受けて列島に帰還したものだった。だから、どれもこれも列島に入った途端に何故か牙を抜かれたかのように戦闘的ではなくなり、列島社会も平気で社会の上層に彼らを迎え入れるということが起こってきたのです。一部は裏事情の分かっていない勢力が混ざっていてある程度は混乱しましたが、それが卑弥呼が共立されたくらいで収まることの本当の意味を悟るべきです。そもそも、半島沿岸まで来た騎馬民族を船で列島まで運んだのは、列島周辺から大陸沿岸域で活発に活動していた列島の海の民でしょう。これを考えるだけで、上に述べたことが夢物語でないことが分かりませんか?また、ローマにおいて属州の統治官を終えた人物がその配下を引き連れてローマに帰還し、次のローマ皇帝家を打ち立てていくさまは、列島のものより破滅的な混乱を多く含むものの、ある程度は列島に関して上に述べたことに類似した事例であると言えます。

近現代において朝鮮や満州国、北朝鮮が担っている緩衝国の役割を、当時は高句麗など半島諸国が第1段階で受け持ち、列島内では九州が第二段階で受け持っていたのです。中原でも、史上有名な氏族の予想よりも多くのものが列島による隠れた配置とコントロール、支援を受け、その使命を果たしてきたと見るべきです。ほんの数例を上げると、呂氏や陳氏です。蜀の出身で江南にも縁故の多かった魏志倭人伝の編纂者の名前は陳寿でしたよね。陳は列島では佐伯と呼ばれる氏族だそうですよ。

これは普通の歴史観にはなかなか入ってこないアイデアですが、よく考えると当然のことではないでしょうか?倭人は決して原始人ではなかったのです。それどころか、世界で最も古い起源を持つ才能豊かな人々だったのですよ。倭は差別語ではなかったのです。それは魏という漢字と比較すれば一目瞭然です。

纒向からは九州由来の土器がほとんど出土しないからと論じるYou Tube番組へのコメント

2021-05-21 11:10:43 | 邪馬臺国
九州由来の土器がほとんど見つかっていない。すなわち、九州が近畿の支配を受けた形跡はほとんど見えない。

この主張に対しては、卑弥呼を象徴とする大邪馬台国連合と卑弥呼の邪馬台国による西日本支配を概念的に区別できず、魏志倭人伝が正確に前者だと言っているのに、それを間違えて後者のように理解していると指摘することができます。

卑弥呼が象徴として君臨していても、実権は、特に外交上の特権は、北九州勢力が、女王国から北九州に出向しているイクメやミマキのリーダーシップの元で振るっていたと考えるべきでしょう。

換言すると、後漢の乱れに伴って九州やその他のいくつかの地域に大陸から押し出されるように侵入してきた勢力の影響で倭国大乱が生じ、九州に侵入した比較的強大な侵入勢力も、中国地方以東の西日本は勿論、九州内の他勢力すら圧倒的に制圧するというまでには至らず、結局は、黒潮沿いに南九州から四国南岸、近畿、東海地方に古くから植民と公益によって緩いネットワークを形成していた、南九州と近畿のどちらにも拠点を持っていた邪馬台国の、中国地方以東と九州の全般に及ぶ求心力を利用するのでないと、倭国大乱を鎮めることができず、外交に専念することもできなかったということになります。