飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

ヘブルやイスラエル、ユダヤの背後にいる何者かの痕跡を探る

2012-05-27 03:12:09 | 日本論と宗教論
世界中の多くの人が(中東や地中海世界、ヨーロッパ、南北アメリカの人々だけではなく、中央アジアやインド、チベット、華北、満州、半島、列島の人々も、さらにはアフリカの人々も)この3000年あるいは2000年に渡って聖なる書物として読んできた旧約聖書と新約聖書。この両聖書の中で、天の父なる主によって選ばれた特別な民として描かれているヘブルやイスラエル、ユダヤ。

近現代ヨーロッパによる非ヨーロッパ世界の植民地化や非ヨーロッパ世界へのキリスト教の伝播を待つまでもなく、古代より一貫して「全世界」という意識を民族として例外的に保持し、世界の隅々にまでその活動の領域を及ぼし続けていたことが段々と明らかになりつつあるヘブルやイスラエル、ユダヤ。

註:例えば、シルクロードでは、中継オアシス都市間の距離が共通して隊商による6日間の旅程の距離になっていて、明らかに安息日の規定を厳密に守るユダヤの影響大であると言える(「シルクロードは原初から一貫してユダヤ人の道だった」と断言する有名なユダヤ人もいます)ことや、タルシッシ船など海のシルクロードについての世界各地の伝承にユダヤの足跡がくっきりと残っていること、ユダヤ人だったのではないかと認知されつつある秦始皇の諸制度改革に、ユダヤ人が重職を占めていたことが分かっているペルシャ帝国の影響が大いに見受けられること、仏教の開祖シッダールタの出身部族シャカ族は従来言われてきたようなアーリア人ではなくセム系であり、失われたイスラエル十支族の内のガド族として韓や倭にも渡って来ていた可能性がある(例えば韓国の昔氏は、シャカ族のことだと明言している書物もあります)こと、朝鮮や日本の古代史にヘブルやイスラエル、ユダヤの痕跡が拭いきれない深さと広さで確認できる(秦氏だけではない)こと、シュメールやバビロニアからアッシリアへの覇権移動の物語を踏まえつつその物語を、舞台を中原に移した上で殷から周への易姓革命の物語として捏造したらしいことが論証されつつある司馬遷もどうやらユダヤ人で、そもそも歴史の捏造そのものが元来、各国語の組織的研究(必ず研究所が置かれたらしい)や各国文字の創出(漢字や平仮名、片仮名も例外ではない)などと共に、ユダヤ人の専売特許だったらしいことなどなど・・・数え上げたらきりがないくらい沢山の事例があります。調べれば調べる程に、明白で膨大な事実が出てくるのです。「これ自体が陰謀だ」などと言って切って捨てる人がいますが、そんな可能性など簡単に木っ端微塵に消えて行ってしまうのを感じざるを得ないくらいの明瞭さや膨大さです。従来の歴史は明らかに、全くの捏造だったのであり、今こそ文字通り根底からの組み立て直しを余儀なくされているのです。

この400年間においても全く同じです。悪魔的な視界の広さと系統的な狡猾さをもって我々を計画的に、天の本来的な支配から離れ家畜化するよう誘導し、見えないところから一貫して抑圧的に支配し続けてきたばかりか、NWO(New World Order)の掛け声の下で今現在も更なる悲惨な状況に陥れようと企んでいるとされる巨大で邪悪な秘密組織。その存在と構造を徹底的に暴き出し撲滅することが最重要課題であるとの認識が今、世界中に急速に広まり続けているハザール金融偽ユダヤ(あるいは300人委員会)。この人達に隠れ蓑として利用され続けてきたヘブルやイスラエル、ユダヤ。

ヘブルやイスラエル、ユダヤは何故、かくも一貫して特別だったのか?彼らをこのように特別な地位に置いて来た根源は何だったのか?

これが問題だと私は考えるのです。

ある単一の実体による活動が辛うじて表に現れてきた〈現象〉だったからというのが、どうやらその最も蓋然性の高い解答になるのではないかと思うのです。

300人委員会はその単一の実体の活動からある時期にはみ出してしまったもので、そのような単一の実体が例外的に露呈してしまった唯一の明瞭な馬脚なのではないか?各国におけるユダヤ痕跡の背後に何かひとつのものの存在が見えないか?

このような切り込み方に私は、大いに信憑性を感じるのです。

それらしき痕跡も断片ながらいくつか挙げることができます。

例えば、アブラムがウルを出て今のエルサレム辺りに落ち着く前に滞在しアブラハムと改名した場所で、イサクが結婚前にしばらく滞在し、ヤコブが天使と格闘して勝ちイスラエルの称号を得た場所(タッガーマ地方の都市ハラン。つまりタッガーマのハラン=高天の原)は、ヘブルやイスラエルとは異なるチュルク系の人々の住んでいた都市として知られています。彼らはそこで彼らの主に出会って、そのことでヘブルやイスラエルになったと伝えられているのです。しかもその都市の名前が日本の『古事記』や『日本書紀』にも見られるわけです。即ち、それまでに何千年にも渡ってアフリカから中央アジアの広い範囲を舞台に遊牧と魔術を営み、それらを高度な方法論として体系化していたチュルク系の人達が、紀元前1800年頃にその方法論を初めて人間の群れに適用し、土地ではなく民族と結びついている点で極めて異例の、ただひと柱の人格神を信奉するヘブルやイスラエルが出現したということなのではないか?

また、アブラハムがカナーンの地で出会い、10分の1の捧げ物という極めて特別な待遇をもって接し、祝福まで受けたと伝えられるサレムの王メルキツェデクは、父も母もいなければ初めも終わりもない正義の王、平和の王で、アブラハムの神と同一の「いと高き神」と称される神に仕える永遠の祭司であったという伝承がありますが、ここにもヘブルやイスラエルを背後で操る者たちの存在が感じ取れる訳です。

この類の事例は、まだまだ沢山あります。今後折を見て、ひとつずつ詳述して行くつもりでいます。

世界中の古今東西の国々が、北部あるいは中央アジアの草原地帯を活動範囲とするある特別な組織に、何らかの目的の下、何らかの特別な手段で、まるで家畜であるかのようにコントロールされながら何千年も見かけ上の栄枯盛衰を繰り返して来た。その見かけ上の栄枯盛衰の中で、その隠れたコントロール主の辛うじて目に見えるエージェント、隠れ蓑として動いて来た特殊な民族集団がいくつかある。その内、西洋史の中で結果として最も目立っているのが、所謂「ユダヤ」ということになるのでしょうか?

東アジアにはまだ各国史しかなく、西洋史のような統一的な文明史が語られ切っていない。それが語られつつある今、やはりそこに「ユダヤ」が、したがって例のあの隠れたコントロール主の影が、西洋史と同じように仄かに浮かんで来つつあるということなのでしょう。中央アジアから東アジア、南アジア、東南アジア、北アジアの各国史を比較対照しながら統一的に研究することには、そういった重大な意味合いも含まれているわけです。

世界中の古今東西の年代記や伝説、神話を読んでいくと「実在しない北辺の地下理想郷」との交流が描かれていることが多いそうです。例えば、アルザルやシャンバラ、シャングリラなどです。

日本とテンプル騎士団やイエズス会との意外と古くからの水面下での深い交流も指摘されつつあります。

このような通常では合理化できない種類の交流も、事実として存在している以上、またそれについて論じようとする限り、その背後には、民族国家の枠を超えた国際的な結社勢力の存在を前提せざるを得ないと言えます。それだけの大規模な移動を伴った偶然とは言い切れない連携を突き動かす単一の、特殊で巨大なエネルギー源の存在を感じ取らざるを得ません。それをマヨさんは「お種」理論としてこの3年間(?)ブログ活動の中で鮮やかに展開されてきました。

⇨マヨの本音
http://blog.goo.ne.jp/palinokuni/

何故ユーラシアの王朝が悉く「お種」に拘ったのか?例えば日本史でも、常盤御前と義経、頼朝、清盛、頼盛、池禅尼などの人々が繰り広げる物語ひとつをとってもそれは明々白々です。この集団の力の根源は謎に覆われていて非常に興味深い。ひょっとして・・・と想像力が刺激されるのです。麻薬と魔術?それとも超古代のハイテクによる操作?それとも本当に宇宙人アヌンナキがいるのか?「神々」とは太古に地球人を創造したハイテクの宇宙人だったのか?・・・などなどです。ただここは、ぐっと堪えてそこに踏み込まず、その何かを巡る事実を冷徹に集め、常識にも空想にも嵌らないようにしなければならない。

既存の歴史はどれも、語りであるが故の本質的な事実隠蔽だけでなく、語り手の都合に合わせたその場しのぎの意図的な事実隠蔽まで掛かっていると言われます。そして実際は、スペシャリストによって組織的に意図的に、何らかの統一的な技能をもって、捏造し尽くされてきたものだったのです。言わば、知識の伝達とは全く異なることを目的とした、途轍もない複雑さと奥行きを持った一種の迷宮だったのです。