あのウイスキーボンボンさんから数年ぶりにコメントを戴きました。今回はそれに対する返信を記事として上げておきたいと思います。
以下引用。
>私は、経済、金融が専門で、本業は投資家です。
そうでしたか。私は哲学者で、塾・予備校の経営によって生計を立てています。ある予備校に講師として出講してもいます。残念ながら、経済、金融、投資はこれまで全く考察の対象にしたことがありません。
ただ、金融では元締めに当たる支配者が結局は儲かるようになっているものだと聞いたことはあります。抑も庶民平民で、金融に関わって最終的に大きな財をなした人なんているものなのでしょうか?例えば、あの落合莞爾さんは貴殿とよく似た経歴で、ある時の一回の取引で大損して破産したと書いてありました。知り合いの中には株で大損して退職金を丸々失った人もいます。また、ホリエモンのことは既に周知の事実で私が説明するまでもないでしょう。
要するに、私の知っている範囲内では残念ながら、この道の成功者はない。その上、大金を稼いで強者になった時の社会的ビジョンなくして、ただ働かずして楽して生活していきたいという個人的願望だけで庶民平民が金融に関わるとしたら、そんなことに抑も、何の意味もない。そして、庶民平民に抑も、そんな社会的ビジョンを正当に思い描ける筈もなく、思い描けるとしたら、それこそその人は最早、庶民平民とは言えない特別な人ということになってしまう。とまあ、このように考えられる訳です。
ここで自分の経験を振り返って考えてみると、我々庶民平民からしたら、他の不特定多数に何らかの形で奉仕してその対価としてお金を戴き、消費して生きる以外に、お金との関わりのないことが分かります。しかし、お金を大きく効率的に運用する能力は、それでも、この世の中全体を管理している者達からすれば、決して無視できない能力のひとつにもなるとも推定できます。とすると、庶民平民が金融に関わることには、庶民平民の枠を脱して支配層に新たに参入し、国家全体の管理体制の一角を占める意味はある訳です。
>また、今後は、出版社を設立しようかと考えております。主に、欧米で出版された本や、雑誌、また欧米の専門家が運営しているウェブサイトを日本語に翻訳して運営することを考えています。英語版の優良情報があまりにもたくさんあるのでこれを翻訳しまくる会社を設立しようかと考えています。同時に、本の内容をドキュメンタリー化することや、それに基づいたディスカッション番組を制作する会社でもありたいと思っています。欧米ではこのような形が一般的なようです。
翻訳家で仕事にあぶれている人は多いのではないでしょうか?その人達のための雇用創出にもなると思います。いい感じです。
実はこの間、新聞記者から転身してウェブライターになった人の書いた記事で、ウェブ論壇の初めての秩序づけの段階が漸くやって来たとの見通しを述べる記事を読みましたが、貴殿の試みはその方向性にも関わってくるのかもしれませんね。
私の場合、ウェブ上の多岐にわたる記事、コメントの文章、或いは、一般にはキワモノとして敬遠されがちな真相暴露系の著作物を、添削或いは翻訳することで、情報としてそれらが抱えている矛盾点や欠落部を明確にし、それらを整理整頓したりそれらに補足を加えたりする。そうやって独自の認識を形成するというのが、結局は、このブログで行っていることです。インターネットの世界は、現状では、情報の質はさておき伝え方は極めて未熟で、その悪影響がその存立の意義そのものすら脅かしかねない、そんな低レベルに停滞している。その程度の情報発信が、開拓されたばかりの分野だからというのも当然あるのでしょうが、それにしても余りに多過ぎる。こう感じる訳です。ウェブ論壇の秩序づけは、私が個人的に小規模に行うだけではなく、その内当然、何れかの方向から、組織的かつ大規模に行われるに違いないと考えます。
>また、過去2年間は、金と銀、それから通貨というものを中心に、その本質はなんだろうか?という観点から金融史、通貨史の研究も積み重ねてきました。
金融が発明され熟成されたのは、鎌倉から江戸にかけての日本なのであり、その極初期の頃にも、最終的には明治維新以降も、様々な段階で、日本を拠点のひとつとする太古以来の秘密勢力が、近代というものを独占的に明確に企図しながら、欧米勢力を傀儡とする形で世界中に広めていったものなのだと、落合莞爾さんは述べています。そして私も、その通りではないかと感じる訳です。スイスやオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スコットランドの王侯貴族は15世紀に大塔宮の血筋を中核とする一大組織が大規模で明確な歴史意識の元、莫大な財と堅固な組織力を携えてヨーロッパに移住し、定着したのを起源としている。宗教改革も、あのロスチャイルド家の勃興も、ヨーロッパに於る金融や駅逓制度の広がりも、更には、カトリックや東インド会社による東洋への進出、日本に於けるカトリック禁教の動き、ウィリアムアダムズなどを介したエリザベス女王の密かながら極めて大規模な軍事援助の事実が確認できる関ヶ原の戦い、長崎出島を窓口とする限定的海外貿易に於る相手国のひとつに指定された唯一のヨーロッパ国がオランダだったことなど、実に多くの歴史的事象が、もっと言うと、近代以降の世界全体の動きが、更には太古以来の世界全体の動きが、実は、裏側で彼らからの大きな働きかけがあってこそ初めて展開していたということだったようなのです。
>古代における秘密結社は、現在で言うところの自己啓発の勉強会だったようです。この勉強会で大きな成果がでて、事実、多くの資産家や有力者が生まれた。そこで、勉強会の内容を門外不出としたことで、秘密結社になっていったようです。
そのような側面もあるでしょうね。ただ、それだけではないとも思います。「大きな成果が出たから秘密にする必要が出てきて、そうやって秘密結社ができた」とおっしゃていると思いますが、それでは因果関係が逆だと思います。秘密結社だから大きな成果も出たとせねばなりません。
自己啓発とは抑も、人間の自己の中に隠蔽された、通常では理解できないような様々の偉大な能力の発掘のことです。ですから先ずは、人間の自己をこのような発掘をわざわざ必要とするくらいの暗部に押し込めた世の中の成り立ち方というものが踏まえられなければならないのです。ユーラシアから北アフリカ、東アフリカに及ぶ広い地域のあちこちで様々に興隆した全ての文明が、その構成員たる多くの人間の、上に述べたような意味での非人間的拘束を必要とした。それと同時に、そのような文明の仕組みの中でややもすれば隠れてしまいがちな人間そのものを啓発して、そのような啓発された自己と自己と自己の、他のいかなる結びつきとも本質において全く異なる高い次元での活き活きとした結びつきも常に維持し続け、支配階級全体の支配階級としての内的能力を高い次元で維持していく必要もあった。後者は先ずは出来るだけ支配階級出身者の中で行われようとするけれども、自己啓発可能性ということそのものが抑も階級の枠に完全には縛られる筈のないことに対する自覚も厳然とあって、支配階級からの失格者の放逐や、庶民平民階級からの有資格者の支配階級への抜擢も、頻繁に行われてきたし、行われている。...こういうことになるのだと思います。
それらは謂わば「大きな価値転換」なのであって、外的には通常「大事件」或いは「大人物」として理解される訳です。それらはまるで自然に、多くの偶然が重なって、或いは、人間の自由意志が相互に積み重なって、発生しただけであるかのように感ぜられます。が、実際は違います。それらを背後から非常に巧みな一定の遣り方で管理する人達がいるのです。彼らこそ、世界中に「自然発生」する秘密結社の隠された共通の根です。
秘密結社は英語では brotherhood と表現されます。要するに、兄弟愛、或いは友愛と同じことです。極東の古典によく出てくるあの「兄弟」も同じことでしょう。実は、起源が他の如何なる宗教よりも遥かに古いある宗教の神話を読むと、驚いたことに、その中心概念が「友愛」になっているのです。あのローマの起源も百人の男達の友愛でした。
人類は七万年前に初めてアフリカを出たとされますが、それは恐らく、一般に考えられているような、弱者のレッテルを貼られた家族による、生き残りの為の一方向的な決死の逃避行だったのではなく、友愛で結ばれた多くの有能な男達による不断の往復運動の、自己目的的でこの上なく計画的な領域拡張だったに違いありません。
>その内容を暴露して回った代表的な人物の一人がイエスキリストで、
「信じる気持ちが強くありさえすればお前達でもあの山を一瞬で動かすことができるのに」や「明日何を着るのか、食べるのか。そんなことに心を煩わせるのは止めなさい。今日1日のことに専念することだ」などのことですよね。彼の背後には確かに、秘密結社があったはずです。だかららこそ、誕生の際に東方から、占星術によって救世主の誕生を認識した大勢の magi が、自発的に祝福にやってきたのだし、イエスが荒野での修行を終えてヨセフによる洗礼を受ける際、ヨセフの組織の大勢の配下に囲まれていたということにもなっているのです。
>従って、処刑されることになったようです。ちなみに処刑した側の人達の末裔が現在のユダ金のようです。
正確には「現在金融偽ユダヤとしてバッシングを受けるべく取り決められている勢力が中世に於いて紛れ込んで乗っ取った、中東以西におけるユダヤ系の秘密結社の先祖に当たる人々がイエスを、宗教的な意味や、呪術的な儀式の意味合いも同時に含めながら、制裁として公開処刑した」とすべきでしょうね。
>また、イエスキリスト自体は、現在でいうところの資産家、億万長者だったようです。
不十分な量のパンや魚を割いて大群衆一人ひとりに手渡していくと、全員に十分に行き渡ったばかりか、全員が満腹した、という内容のエピソードがありましたね。「神のものは神に。カエサルのものはカエサルに」という言葉もありました。それから、イエスが亡くなった時に岩場に横穴を穿って造られた墓所がイエスの為に既に用意されてもいました。イエスが「資産家」或いは「億万長者」だったということについては、今後もアンテナを張り巡らして、自分なりに調べてみたいと思います。
>RKブログでは原油価格の下落でユダ金が苦しんでいることになっていますが、私の研究では、原油価格の下落でユダ金は権力基盤を維持する上で一息つけていることになります。全く正反対の結論が導きだされます。
詳しい解説を拝聴したいものです。
>経済学的に言うと、ケインズ経済学が庶民を守る経済学で、自由競争の経済学がユダ金の利益になる経済学ということになっていますが、これも実態は全く逆だということがわかりました。ケインズ経済学こそユダ金経済学で、国際金融資本家の利益にピッタリ一致する経済学となります。それに対する経済学(つまり庶民の利益に合致する経済学)はオーストリア学派の経済学となることがわかりました(ただ、オーストリア学派については、過激な思想であるというレッテルが張られているので一見すると勘違いを犯しやすいように状況が整えられてしまってはいます)。また、ユダ金は競争、競争、自由化、自由化と口では言っているが、競争と自由化を一番恐れ、とことんまで避けている人々であることもわかりました(考えてみれば、当然と言えば当然なわけですが)。
これも暫く時間をかけて考察してみたいと思います。
>いずれにしても、色々勉強した結果、新しい世界が開けてきました。そして、その成果を今年の秋口から何度かRKブログの掲示板に書き込んだのですが、ほぼ無反応(掲載はされていたと思います)でした(多少は取りあげられていたとは記憶していますが)。
その成果の書き込み対象がRKブログになったということは、ウィスキーボンボンさんにとってRKは未だに重要な人物として意識されていることになりますね。私なら今は、書き込みなどしませんね。
>そして、RKの経済、金融分野に関する理解があまりに幼稚であると思ったので、(今にして思えば愚かだったと自分では反省していますが)12月初旬頃から、多少キツイ言い方で何度か掲示板に書き込みました。
そういうことをしても無駄だということは、二年前の私の例で分かっていただけていたはずですがねえ。
>すると、ブログの常連さん達から、印象操作だけを目的とするような人格攻撃を含めた批判の応酬、あるいは批判することだけを目的とするような批判を頂く結果となりました。このこと自体は、ある程度は予想していたのですが、実際にされてみると、RKとその周囲に集まる人達の実態が見えてきて少しきつかったです。
いつものことです。
>また、RKの目的は、口では立派なことを言っていても、実態は、RK自身がネットジャーナリスト、陰謀論の専門家として出世することがメインで、本気で世の中を良くするきっかけになろうという意欲のようなものはそれほどないのだということも感じました。実際、前々から彼からは彼自身というものをあまり感じなかったのですが、その理由も分かった気がします。RKに群がる人々も、主に、RKの出世に乗っかろうというだけの人のようにも見えました。
良し悪しは別にして、そういう面があることは否めないと私も思います。
>RKがユダ金に潰されないのは、ユダ金がビビッているからではなく、潰すまでもないくらい小さな存在で、むしろ、自由に泳がせた方が役に立つ存在だからということも分かりました。
何処かで自分のブログをユダ金さん上層部が常にチェックしていることを前提に「ユダ金さん〇〇ですかあ」という常套句で彼らに呼びかけて見せて、そうすることで、破滅寸前のユダ金が苦し紛れに実行しようとしている計画を実行しにくい状況に持っていくことができると信じ込んでいるのは確実です。しかし、直感しか頼るものはないが、その直感にかなりの自信を持っている私は、やや滑稽な感じを抱いてそれを見ていました。
最大限好意的に見て、RKが問題を意図的に金融偽ユダヤに絞り込んで分かりやすくしていると解釈できない訳ではないのですが、背後の遥かに大きな文脈を踏まえて捉えない限り、金融偽ユダヤの本質も正確には把握できない筈です。どうしても何だかずれた感じを帯びてしまう。そのズレが、RKの自己認識にも波及し、実態とはややかけ離れて余りにも大袈裟すぎるものになってしまっているのかもしれませんね。それがかの滑稽さの原因なのかもしれません。
>自分としては、大きな間違い(RKに広告やドキュメンタリー動画を作成するための寄付をすることや、書庫を含めたオフィスを提供すること等を考えてしまっていたので)、間違いを実際に犯す前にRKの実態に気付けて良かったと思っています。
ウイスキーボンボンさんを同志にできたらRKも一皮むけることができたかも知れないのに、惜しいことをしましたね。
返信は以上です。この私ごときを今更ながら思い出していただいて、本当に有難うございました。研究がある段階に入ったら記事の更新を再開する予定です。今は、まさにあの金融偽ユダヤの起源たるハザールの起源がこの列島の裏天皇組織だったのではないかとの洞察の元、この列島に自衛隊と米軍という二つの軍事組織が並存していることからも分かる通り、この列島内にふたつの勢力の、今は敵対とも協同とも、はたまた役割分担とも何とも表現しにくい特殊な関係の境界線が引かれていることの正確な意味を探ろうとしています。また、落合莞爾さんが強調するような一神教と多神教の闘争という図式は間違いであるとの直感の元、その間違いの詳しい論証も構想しているところです。落合莞爾さんの最新刊が、従って、今手元に置いて繰り返し精読している対象となりますね。
では、今回はこれにて失礼します。
引用以上。
以下引用。
>私は、経済、金融が専門で、本業は投資家です。
そうでしたか。私は哲学者で、塾・予備校の経営によって生計を立てています。ある予備校に講師として出講してもいます。残念ながら、経済、金融、投資はこれまで全く考察の対象にしたことがありません。
ただ、金融では元締めに当たる支配者が結局は儲かるようになっているものだと聞いたことはあります。抑も庶民平民で、金融に関わって最終的に大きな財をなした人なんているものなのでしょうか?例えば、あの落合莞爾さんは貴殿とよく似た経歴で、ある時の一回の取引で大損して破産したと書いてありました。知り合いの中には株で大損して退職金を丸々失った人もいます。また、ホリエモンのことは既に周知の事実で私が説明するまでもないでしょう。
要するに、私の知っている範囲内では残念ながら、この道の成功者はない。その上、大金を稼いで強者になった時の社会的ビジョンなくして、ただ働かずして楽して生活していきたいという個人的願望だけで庶民平民が金融に関わるとしたら、そんなことに抑も、何の意味もない。そして、庶民平民に抑も、そんな社会的ビジョンを正当に思い描ける筈もなく、思い描けるとしたら、それこそその人は最早、庶民平民とは言えない特別な人ということになってしまう。とまあ、このように考えられる訳です。
ここで自分の経験を振り返って考えてみると、我々庶民平民からしたら、他の不特定多数に何らかの形で奉仕してその対価としてお金を戴き、消費して生きる以外に、お金との関わりのないことが分かります。しかし、お金を大きく効率的に運用する能力は、それでも、この世の中全体を管理している者達からすれば、決して無視できない能力のひとつにもなるとも推定できます。とすると、庶民平民が金融に関わることには、庶民平民の枠を脱して支配層に新たに参入し、国家全体の管理体制の一角を占める意味はある訳です。
>また、今後は、出版社を設立しようかと考えております。主に、欧米で出版された本や、雑誌、また欧米の専門家が運営しているウェブサイトを日本語に翻訳して運営することを考えています。英語版の優良情報があまりにもたくさんあるのでこれを翻訳しまくる会社を設立しようかと考えています。同時に、本の内容をドキュメンタリー化することや、それに基づいたディスカッション番組を制作する会社でもありたいと思っています。欧米ではこのような形が一般的なようです。
翻訳家で仕事にあぶれている人は多いのではないでしょうか?その人達のための雇用創出にもなると思います。いい感じです。
実はこの間、新聞記者から転身してウェブライターになった人の書いた記事で、ウェブ論壇の初めての秩序づけの段階が漸くやって来たとの見通しを述べる記事を読みましたが、貴殿の試みはその方向性にも関わってくるのかもしれませんね。
私の場合、ウェブ上の多岐にわたる記事、コメントの文章、或いは、一般にはキワモノとして敬遠されがちな真相暴露系の著作物を、添削或いは翻訳することで、情報としてそれらが抱えている矛盾点や欠落部を明確にし、それらを整理整頓したりそれらに補足を加えたりする。そうやって独自の認識を形成するというのが、結局は、このブログで行っていることです。インターネットの世界は、現状では、情報の質はさておき伝え方は極めて未熟で、その悪影響がその存立の意義そのものすら脅かしかねない、そんな低レベルに停滞している。その程度の情報発信が、開拓されたばかりの分野だからというのも当然あるのでしょうが、それにしても余りに多過ぎる。こう感じる訳です。ウェブ論壇の秩序づけは、私が個人的に小規模に行うだけではなく、その内当然、何れかの方向から、組織的かつ大規模に行われるに違いないと考えます。
>また、過去2年間は、金と銀、それから通貨というものを中心に、その本質はなんだろうか?という観点から金融史、通貨史の研究も積み重ねてきました。
金融が発明され熟成されたのは、鎌倉から江戸にかけての日本なのであり、その極初期の頃にも、最終的には明治維新以降も、様々な段階で、日本を拠点のひとつとする太古以来の秘密勢力が、近代というものを独占的に明確に企図しながら、欧米勢力を傀儡とする形で世界中に広めていったものなのだと、落合莞爾さんは述べています。そして私も、その通りではないかと感じる訳です。スイスやオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スコットランドの王侯貴族は15世紀に大塔宮の血筋を中核とする一大組織が大規模で明確な歴史意識の元、莫大な財と堅固な組織力を携えてヨーロッパに移住し、定着したのを起源としている。宗教改革も、あのロスチャイルド家の勃興も、ヨーロッパに於る金融や駅逓制度の広がりも、更には、カトリックや東インド会社による東洋への進出、日本に於けるカトリック禁教の動き、ウィリアムアダムズなどを介したエリザベス女王の密かながら極めて大規模な軍事援助の事実が確認できる関ヶ原の戦い、長崎出島を窓口とする限定的海外貿易に於る相手国のひとつに指定された唯一のヨーロッパ国がオランダだったことなど、実に多くの歴史的事象が、もっと言うと、近代以降の世界全体の動きが、更には太古以来の世界全体の動きが、実は、裏側で彼らからの大きな働きかけがあってこそ初めて展開していたということだったようなのです。
>古代における秘密結社は、現在で言うところの自己啓発の勉強会だったようです。この勉強会で大きな成果がでて、事実、多くの資産家や有力者が生まれた。そこで、勉強会の内容を門外不出としたことで、秘密結社になっていったようです。
そのような側面もあるでしょうね。ただ、それだけではないとも思います。「大きな成果が出たから秘密にする必要が出てきて、そうやって秘密結社ができた」とおっしゃていると思いますが、それでは因果関係が逆だと思います。秘密結社だから大きな成果も出たとせねばなりません。
自己啓発とは抑も、人間の自己の中に隠蔽された、通常では理解できないような様々の偉大な能力の発掘のことです。ですから先ずは、人間の自己をこのような発掘をわざわざ必要とするくらいの暗部に押し込めた世の中の成り立ち方というものが踏まえられなければならないのです。ユーラシアから北アフリカ、東アフリカに及ぶ広い地域のあちこちで様々に興隆した全ての文明が、その構成員たる多くの人間の、上に述べたような意味での非人間的拘束を必要とした。それと同時に、そのような文明の仕組みの中でややもすれば隠れてしまいがちな人間そのものを啓発して、そのような啓発された自己と自己と自己の、他のいかなる結びつきとも本質において全く異なる高い次元での活き活きとした結びつきも常に維持し続け、支配階級全体の支配階級としての内的能力を高い次元で維持していく必要もあった。後者は先ずは出来るだけ支配階級出身者の中で行われようとするけれども、自己啓発可能性ということそのものが抑も階級の枠に完全には縛られる筈のないことに対する自覚も厳然とあって、支配階級からの失格者の放逐や、庶民平民階級からの有資格者の支配階級への抜擢も、頻繁に行われてきたし、行われている。...こういうことになるのだと思います。
それらは謂わば「大きな価値転換」なのであって、外的には通常「大事件」或いは「大人物」として理解される訳です。それらはまるで自然に、多くの偶然が重なって、或いは、人間の自由意志が相互に積み重なって、発生しただけであるかのように感ぜられます。が、実際は違います。それらを背後から非常に巧みな一定の遣り方で管理する人達がいるのです。彼らこそ、世界中に「自然発生」する秘密結社の隠された共通の根です。
秘密結社は英語では brotherhood と表現されます。要するに、兄弟愛、或いは友愛と同じことです。極東の古典によく出てくるあの「兄弟」も同じことでしょう。実は、起源が他の如何なる宗教よりも遥かに古いある宗教の神話を読むと、驚いたことに、その中心概念が「友愛」になっているのです。あのローマの起源も百人の男達の友愛でした。
人類は七万年前に初めてアフリカを出たとされますが、それは恐らく、一般に考えられているような、弱者のレッテルを貼られた家族による、生き残りの為の一方向的な決死の逃避行だったのではなく、友愛で結ばれた多くの有能な男達による不断の往復運動の、自己目的的でこの上なく計画的な領域拡張だったに違いありません。
>その内容を暴露して回った代表的な人物の一人がイエスキリストで、
「信じる気持ちが強くありさえすればお前達でもあの山を一瞬で動かすことができるのに」や「明日何を着るのか、食べるのか。そんなことに心を煩わせるのは止めなさい。今日1日のことに専念することだ」などのことですよね。彼の背後には確かに、秘密結社があったはずです。だかららこそ、誕生の際に東方から、占星術によって救世主の誕生を認識した大勢の magi が、自発的に祝福にやってきたのだし、イエスが荒野での修行を終えてヨセフによる洗礼を受ける際、ヨセフの組織の大勢の配下に囲まれていたということにもなっているのです。
>従って、処刑されることになったようです。ちなみに処刑した側の人達の末裔が現在のユダ金のようです。
正確には「現在金融偽ユダヤとしてバッシングを受けるべく取り決められている勢力が中世に於いて紛れ込んで乗っ取った、中東以西におけるユダヤ系の秘密結社の先祖に当たる人々がイエスを、宗教的な意味や、呪術的な儀式の意味合いも同時に含めながら、制裁として公開処刑した」とすべきでしょうね。
>また、イエスキリスト自体は、現在でいうところの資産家、億万長者だったようです。
不十分な量のパンや魚を割いて大群衆一人ひとりに手渡していくと、全員に十分に行き渡ったばかりか、全員が満腹した、という内容のエピソードがありましたね。「神のものは神に。カエサルのものはカエサルに」という言葉もありました。それから、イエスが亡くなった時に岩場に横穴を穿って造られた墓所がイエスの為に既に用意されてもいました。イエスが「資産家」或いは「億万長者」だったということについては、今後もアンテナを張り巡らして、自分なりに調べてみたいと思います。
>RKブログでは原油価格の下落でユダ金が苦しんでいることになっていますが、私の研究では、原油価格の下落でユダ金は権力基盤を維持する上で一息つけていることになります。全く正反対の結論が導きだされます。
詳しい解説を拝聴したいものです。
>経済学的に言うと、ケインズ経済学が庶民を守る経済学で、自由競争の経済学がユダ金の利益になる経済学ということになっていますが、これも実態は全く逆だということがわかりました。ケインズ経済学こそユダ金経済学で、国際金融資本家の利益にピッタリ一致する経済学となります。それに対する経済学(つまり庶民の利益に合致する経済学)はオーストリア学派の経済学となることがわかりました(ただ、オーストリア学派については、過激な思想であるというレッテルが張られているので一見すると勘違いを犯しやすいように状況が整えられてしまってはいます)。また、ユダ金は競争、競争、自由化、自由化と口では言っているが、競争と自由化を一番恐れ、とことんまで避けている人々であることもわかりました(考えてみれば、当然と言えば当然なわけですが)。
これも暫く時間をかけて考察してみたいと思います。
>いずれにしても、色々勉強した結果、新しい世界が開けてきました。そして、その成果を今年の秋口から何度かRKブログの掲示板に書き込んだのですが、ほぼ無反応(掲載はされていたと思います)でした(多少は取りあげられていたとは記憶していますが)。
その成果の書き込み対象がRKブログになったということは、ウィスキーボンボンさんにとってRKは未だに重要な人物として意識されていることになりますね。私なら今は、書き込みなどしませんね。
>そして、RKの経済、金融分野に関する理解があまりに幼稚であると思ったので、(今にして思えば愚かだったと自分では反省していますが)12月初旬頃から、多少キツイ言い方で何度か掲示板に書き込みました。
そういうことをしても無駄だということは、二年前の私の例で分かっていただけていたはずですがねえ。
>すると、ブログの常連さん達から、印象操作だけを目的とするような人格攻撃を含めた批判の応酬、あるいは批判することだけを目的とするような批判を頂く結果となりました。このこと自体は、ある程度は予想していたのですが、実際にされてみると、RKとその周囲に集まる人達の実態が見えてきて少しきつかったです。
いつものことです。
>また、RKの目的は、口では立派なことを言っていても、実態は、RK自身がネットジャーナリスト、陰謀論の専門家として出世することがメインで、本気で世の中を良くするきっかけになろうという意欲のようなものはそれほどないのだということも感じました。実際、前々から彼からは彼自身というものをあまり感じなかったのですが、その理由も分かった気がします。RKに群がる人々も、主に、RKの出世に乗っかろうというだけの人のようにも見えました。
良し悪しは別にして、そういう面があることは否めないと私も思います。
>RKがユダ金に潰されないのは、ユダ金がビビッているからではなく、潰すまでもないくらい小さな存在で、むしろ、自由に泳がせた方が役に立つ存在だからということも分かりました。
何処かで自分のブログをユダ金さん上層部が常にチェックしていることを前提に「ユダ金さん〇〇ですかあ」という常套句で彼らに呼びかけて見せて、そうすることで、破滅寸前のユダ金が苦し紛れに実行しようとしている計画を実行しにくい状況に持っていくことができると信じ込んでいるのは確実です。しかし、直感しか頼るものはないが、その直感にかなりの自信を持っている私は、やや滑稽な感じを抱いてそれを見ていました。
最大限好意的に見て、RKが問題を意図的に金融偽ユダヤに絞り込んで分かりやすくしていると解釈できない訳ではないのですが、背後の遥かに大きな文脈を踏まえて捉えない限り、金融偽ユダヤの本質も正確には把握できない筈です。どうしても何だかずれた感じを帯びてしまう。そのズレが、RKの自己認識にも波及し、実態とはややかけ離れて余りにも大袈裟すぎるものになってしまっているのかもしれませんね。それがかの滑稽さの原因なのかもしれません。
>自分としては、大きな間違い(RKに広告やドキュメンタリー動画を作成するための寄付をすることや、書庫を含めたオフィスを提供すること等を考えてしまっていたので)、間違いを実際に犯す前にRKの実態に気付けて良かったと思っています。
ウイスキーボンボンさんを同志にできたらRKも一皮むけることができたかも知れないのに、惜しいことをしましたね。
返信は以上です。この私ごときを今更ながら思い出していただいて、本当に有難うございました。研究がある段階に入ったら記事の更新を再開する予定です。今は、まさにあの金融偽ユダヤの起源たるハザールの起源がこの列島の裏天皇組織だったのではないかとの洞察の元、この列島に自衛隊と米軍という二つの軍事組織が並存していることからも分かる通り、この列島内にふたつの勢力の、今は敵対とも協同とも、はたまた役割分担とも何とも表現しにくい特殊な関係の境界線が引かれていることの正確な意味を探ろうとしています。また、落合莞爾さんが強調するような一神教と多神教の闘争という図式は間違いであるとの直感の元、その間違いの詳しい論証も構想しているところです。落合莞爾さんの最新刊が、従って、今手元に置いて繰り返し精読している対象となりますね。
では、今回はこれにて失礼します。
引用以上。