聖書や歴史書の「改竄」や「捏造」は、その意図が近代的人間の一般的世界観・価値観を遥かに超えているが故に、近代的人間がその一般的世界観・価値観の中で真面目に丹念に調べ上げれば調べ上げるほど「悪」意の籠った「改竄」や「捏造」としての姿を明確に浮かび上がらせてくるというのが実態なのでしょう。神を知らず、来世を信じず、死ぬのが怖くて、人間を霊魂として見ることができず、書物の奥に精神が見えない人間の限界と言わなければならないでしょうが、神を知り、来世を信じ、死ぬのが待ちどおしくて、日々霊魂として他の周囲の霊魂に関わりながら生活し、精神現象としての読書に熟達した人間もそれを、無下に軽蔑してしまうのではなく、ひとつの視点として「方法的に」受け入れて見せる必要があるのです。イエスが律法のことに律法学者以上に通暁していたのと似ていると言っていいのかもしれません。