飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

忌部氏とはサンカのことではないのか?

2014-07-12 22:13:58 | 日本論と宗教論
アメノマヒトツさんの記事に対して私が入れたコメントに、アメノマヒトツさんが非常に詳しい自説の解説を返信してくださいました。有り難いことです。先ずは感謝しなければなりません。このやり取りを通してアメノマヒトツさんの説に対する理解が深まったばかりか、いくつかの意外で刺激的な発見もありました。

今回は下に、その解説に対する私の返信を記事として上げておきたいと思います。

以下引用。

>トマスについてですが、彼はインドで殉教しています。つまりは彼も殺された。ですから、「イエスの磔刑後直ぐに、弟子達は皆殺された」と言った訳です。

「殺された」と見た瞬間、私の頭の中ではコンテキストを踏まえた上で当然、「小アジア以西のヨーロッパで、早創期のキリスト教会をリードしていた使徒達が全員、ヨーロッパのユダヤ周辺で暗躍していたエドム関係者によって殺された」と理解されました。

使徒の殉教と言えば、ヤコブを除いて誰一人として聖書の中には出てこず、全てがカトリックの伝承によるものなのだそうです(使徒以外ではステファノの殉教が描かれています)。従って、それらが史実であるかどうか、実は不確定なのです。ただ、今は仮に、史実であったとしておきましょう。この場合でも、

(1)エドムによるヨーロッパ教会の乗っ取り

と、

(2)神の権能を持った使徒の存続或いは消滅

というふたつの事柄を念頭に置いた上での使徒の殉教以外は、今ここでは何も問題となっていない訳ですから、ヨーロッパとはかけ離れた文脈の中で活動して殉教したトマスの存在は、この問題の考察には、極めて大きな影響を与えることになるのです。それとも、遠いインドの地にもちゃんとエドムのエージェントがいて、インドで神の権能を持ったキリスト教会が興隆することを妨げた。エドムの活動はかくも大規模で、執拗かつ有力なものだった、とでも言うのでしょうか?何れにしても、トマスのインド派遣と現地での殉教が、上述したようなふたつの問題において重大な意味合いを持つことに変わりはありません。私が指摘しようとしたのはそういうことなのです。

更には、次のような問題も残っています。即ち、使徒の一人が殉教しても、その欠員の補充が直ちに行われていた様子が『使徒行伝』や福音書に記述されています。ということはつまり、神の権能の保持には、イエスによって選ばれた使徒の人格そのもの以上にイエスが組織した機構の方に重大な意味合いが帯びるということです。ということは、使徒の殉教そのものは、神の権能の喪失にはそれほど重大な影響を持たなかったということにもなります。重大な影響を持つのは、殉教した使徒の欠員を埋めるだけの人材を使徒達が予め育成できていたかどうかであり、機構そのものが存続し、十分に機能していたかどうかなのです。

註:因みに、イエスが当時組織した機構は、イエスよりも遥かなる昔から存在してきたミトラス教の持っていた機構と、その構成の点で全く同じになっている(そもそも、聖書に記載されたイエスの生涯そのものが、ミトラスのものと酷似している。これは余りにも有名な話である)。しかも、興味深いことに、ミトラス教の機構において最上位の階層に当たる三人の代表者のシンボルマークは「大鴉だ」と、ものの本にはっきりと明記してある。これは、これもまた同一の構成を持っている賀茂氏の「大鴉」或いは「ヤタガラス」と全く同じ。これらの一致は、大いに注目に値すべき一致なのではないでしょうか?

ヨーロッパでキリスト教会から神の権能が喪われたのだとしても、トマスがインドに派遣されたということは、トマスを中心とするヨーロッパのものとは別枠の新たな機構がまたインドにおいて組織された可能性を意味しています。トマスは、インドにおいて神の権能を持った教会を打ち立てることなく殉教したのか、それとも、そのような教会を打ち立てた後で殉教したのか。後者の場合、神の権能を持ったこの、もうひとつの教会はその後、どのような運命を辿ったのか?こういったことも考慮に入れなければなりません。

註:彼が達磨であったなら、彼の教会の影響は間違いなく、インドからこの列島にまで及んでいたはずです。しかも、タツマと漢音で発音されるのではなくダルマと韓国語で発音されているものを我々は、我々に馴染みの深い文化事象のひとつとして自然に想起できる訳です。このことの意味も検討してみる価値が十分にある。

更には、これは飛鳥昭雄氏の指摘したことですが、ヨーロッパのキリスト教会以外には、インドのキリスト教会に加えて、エルサレムのキリスト教会もまた存在していました。これも神の権能を持った教会でした。この教会が神の権能を持たないというなら、他のふたつの教会の何処に神の権能を帯びる要素があるのか分からなくなると言って良いくらい、この教会が神の権能を持っていた可能性は高い。この教会がエルサレムを脱出して東洋世界に姿を隠した可能性が極めて高いという訳です。この点もちゃんと考慮に入れるべきでしょう。

列島で神の権能をかつて持っていたとアメノマヒトツさんが言う本当の秦氏、即ち忌部氏は、紀元前7世紀に列島に入ってきたとする場合には、イエスの教会以前の、バビロン捕囚直前のユダ王国に存在していた神の教会のひとつが枝分かれしたものと考えなければなりません。その場合は忌部氏以外にも、イエスの教会以前のこの同じ教会から神の権能を持って枝分かれした、忌部氏とは別の教会の中東における存在の可能性も考慮に入れなければならないことになります。でなければ、イエスの教会に先行する教会がこの時代、中東には存在していなかったということになる。イエスが一時期所属していた上に、彼等に取り囲まれる形でヨハネから洗礼を受けたことが分かっている、あのエッセネ派は、それと深く関わっていたに違いありません。

さて、忌部氏が列島に入ったのが紀元前7世紀ではなく、紀元後のイエスの死後で、忌部氏とはイエスの教会の枝分かれしたものに違いないと言う場合には、上記のふたつの教会の内、エルサレムのキリスト教会か、インドのキリスト教会か、どちらかが遥々東洋にまで移動してきたと考えなければならないことにもなります。この問題も、無視することが許されない。

>ところで、神の権能は喪われたと言いましたが、もう少し補足を入れましょう。正確には、神の権能は神によって、イエスの弟子達から取り上げられたということになります。パウロは「まず背教が起こる」と預言しました。異教徒からのクリスチャンへの攻撃より先に、クリスチャン自身による神への裏切りが起こる。そちらの方が重大だと強調したのです。

これは、上記の分析からも明らかなように、ヨーロッパのキリスト教会に限定される話です。インドのキリスト教会やエルサレムのキリスト教会にも当て嵌まる話なのかどうか?彼等も例外なく背教して神の権能を喪ったのか?そして、その隙をついたエドムに同じようにやられてしまったのか?

>飛鳥氏のヤタガラスが十二使徒という話についてですが、それは、教義上あり得ないと思います。ヤタガラスは、その組織の構成や運営法など多くの点で使徒の真似をしてるのかもしれません。が、飽く迄も神の権能は持っていないのです。ある教義がそのことを明確に知らせています。これは、モルモン書やジョセフ・スミスの証を読まないと分からない教義です。

飛鳥氏はヤタガラスとは、エルサレムのキリスト教会の流れを汲むものだと主張しています。これに対してアメノマヒトツさんは、ヤタガラスに教義上、神の権能があると考えることは許されないと言っておられる。ところが、その場合、いつからそうなのか?当初からなのか?後者の場合、エルサレムのキリスト教会そのものに既に、神の権能がなかったということになるが、その場合は途中のある時期からなのか?もしそうなら、それはいつどこで、どのようにして喪われたのか?などと問わざるを得ません。それとも、ヤタガラスがエルサレムのキリスト教会の流れを汲むという飛鳥氏の主張そのものが間違いだとでも言うのでしょうか?それなら、彼等は何者?忌部氏即ちサンカが源氏や戦国大名などとして平安末期や戦国時代、戦前、戦後にその勢力を伸ばした際、このヤタガラスと敵対しながらもある意味で二人三脚の関係になっていた訳ですが、それは何故?

「モルモン書を読まない限りは」と仰っていますか?とすると、ユタ州のアメリカ人集団にだけある日突然、サウロの時のように、復活のイエスによって、神の権能が与えられたと言うのでしょうか?だとするなら、神の権能とは、イスラエルやイエスの歴史的現存在の重みを全て無視して世界中の誰にでも、別のある条件さえ整えば与えられるといったような、そんな重みのないものなのか?とするなら、復活のイエスということ以外にも、精霊の降臨ということ(つまりは、ひとりひとりの内部にある理性と感情の再生ということ)も否定できません。それと復活のイエスとはどう関わるのか?

それとも、ユタ州のアメリカ人の教会もまた、イエスの教会、或いは、それ以前の別の神の教会がいつかどこかで枝分かれして、遥々アメリカのユタにまで移動したものなのか?後者なら、ユタに来るまで彼等はどこでどのように過ごしていたのか?

>お知りになりたい場合は、宣教師に質問して下さい。彼らはそのために2年間を主に捧げています。彼等には特別な権能と力が授けられています。

本当ですか?それ以外に探る道は、本当にないのですか?それほどに特別なのですか?

>「キリスト教はいつも戦争の原因となってきた。科学への否定も行ってきた」。世間ではこのような言説がまことしやかに横行しています。よく調べるとそれらは、明らかにデマなのですが、カトリックの腐敗時代には確かに、魔女裁判などの蛮行に加えて、文明退化も引き起こされはしました。これは認めなければなりません。例えば、外科的治療技術は、一般には知られていない隠された超古代文明では、とっくの昔に高度なレベルで確立されていたものなのですが、当時のカトリックはそれを、悪魔由来と糾弾し、市民がその恩恵に浴することを禁じました。しかも有力者だけは陰で、その恩恵にしっかりと預かっていた。このローマ帝国以前からの高度な文明技術を継承していたのがユダヤ人でした。カトリックは、表向きはユダヤ人を迫害しているかのように振る舞いながら、陰ではユダヤ人にある程度の保護を与え、そうすることでユダヤ人が、彼等の継承している医薬品や治療技術の恩恵を支配層に手渡さざるを得ないように誘導していたのではないか?私にこう感じさせる向きが十分に存在しています。日本でも支配者達は、ヨーロッパのユダヤと似た性格を持つある氏族を、河童や鬼、山姥などと蔑むかのように振る舞いながら、特に土木や外科療法の分野で、彼等に大きく依存してきた。こう感じさせるような節が確かに存在しています。瘤取り爺さんや、河童の手つなぎ、茨木童子や、鬼の鍛冶或いは大工仕事なんかは、その例と言えるかもしれません。

ここで述べられている鬼や河童は、忌部氏のことでしょうが、私の最近の研究では、サンカということにもなります。サンカは忌部氏なのではないですか?菅原道真と関係があり、滋賀県の余呉周辺がその重要拠点のひとつとなっている。スガやサガ、サカ音を含む地名や人名に関わっている。子沢山で一夫一婦制を中心とした厳格な掟を固く守る。雷の祟り神としての天神を崇拝し、平安時代になると早くも、天神を祀る社の建設を全国各地で展開し始めた。アメリカの新興キリスト教との関わりも深い。こんな存在がサンカでした。サンカと古代イスラエルやユダヤとの関係は、非常に興味深いテーマではないでしょうか?

>縄文時代からこの列島に暮らし、巨石文明の痕跡も残しているこの氏族を、私は忌部氏と呼び、所謂「真の秦氏」というものが考えられるならそれは、神の権能を持っていたこの忌部氏のことだろう。彼等がかつて秦氏と呼ばれていたが、エドムの侵入を受け、乗っ取られて、自らは秦氏とは呼ばれなくなった。そしその後で、かの藤原氏によって日本の中枢から外れたところに追い払われた。このように想定しているのです。

繰り返します。忌部氏が忌部氏と呼ばれる以前に保持していた神の権能は、どの経路をいつどのように通って列島に入ってきたものなのでしょうか?

>キリスト教ができた1世紀から、カトリックが誕生した辺りまでの4世紀間に背教が広く行われるようになり、神の権能は失われ、神の王国と言われた真の教会は消滅しました。このことは、先述のカトリックによる文明退化行動からも読み取れます。

>飛鷹註:この最後の文はやや、意味不明です。但し、「神の権能を持ったユダヤ人のキリスト教会がその期間ヨーロッパにも存在していた。神の権能を持っていたからこそ、太古からのテクノロジーも保持できていた。その期間のどこかで、パウロの予言の通りに背教が起こり、神の権能が彼等から取り上げられた。だからこそ、彼等のキリスト教会と似ていながら、その実態は全く別の、そんなカトリック教会の成立、即ち、悪魔崇拝集団のステルス支配としてのカトリック教会の成立、などという一種の悪夢を自ら招き、国教化したそのカトリックからの上述したような意味での虐待を受け続けざるを得ないような、そんな惨めな存在へと部族全体で身を落とすはめに陥った」という内容が想定された記述と考えられます。

>ヨーロッパにおけるキリスト教会の上述したような運命を、はっきりと証明する証拠は何もありません。遺された様々な象徴から読み取るしか方法がない。日本でも「空白の4世紀」という言い方がされますが、ヨーロッパで4世紀までにキリスト教会が辿った上述したような運命とよく似たことが、その時起こったのではないか?私はそのように考えています。

これらの話そのものは、よく分かる話です。忌部氏も背教したという訳ですね?

>この空白の4世紀に、私が偽の秦氏或いは藤原氏と呼んでいるところのある邪悪な氏族が、日本に来たものと考えているのです。

そう考える以上、その具体的な経緯を明確に解明しなければなりません。そうしない内に、彼等を悪者と決めつけた話を展開していけば、そうこうする内に、元は仮説でしかなかったことが深刻な概念変質を起こして、単純な既定事実として取り扱われるようになり、そうして、厳しいながら全く根拠なき非難という、重大な暴力の意味合いまで帯びてきてしまいます。ぜひ、考えるだけではなく、具体的な経緯の説明も行ってください。

>ほとんどの歴史家が「この4世紀から5世紀に大和朝廷が成立した」と言っているようですが、これは間違っています。大和朝廷の実際の成立年代は実は1世紀から2世紀にかけての頃なのです。即ち、卑弥呼より約百年前の時代です。歴史書の年代と実際の年代とが約200~300年ズレている。アダム年代はユダヤ人のものと○○のものとでは270年のズレがありますが(飛鷹註:この部分は意味不明)、日本における歴史書の年代と実際の年代との上述したようなズレもまた、これと本当によく似かよっていると私は思います。このことはあの浦島太郎の物語も暗示していることなのではないでしょうか?浦島太郎の物語に描かれた時間のズレも約300年でした。

ここで述べられていることは、以前から何かモヤモヤしていることです。モヤモヤしてはいるけど、何か重大なことが含蓄されていることは確実です。卑弥呼とは天照大神なのか、ヤマトトトヒモモソヒメなのか、それとも神功皇后なのか?神武と崇神と応神は別人なのか、それとも、神武と崇神は同一で、応神だけが別なのか。いや、神武も崇神も応神も、全てが同一なのか?このような何とも重大過ぎるテーマに直結する話です。

>今現在秦氏と称している氏族がそのズレの原因に深くかかわっていたのは確実でしょう。この歴史的事実を隠蔽し、今現在もタブーとして隠蔽し続けているのが彼等なのです。

>飛鷹註:「本当の秦氏である『忌部氏』は長い期間をかけて密かに実力を蓄え、上述したような古代の隠された史実を暗示する様々な象徴を次から次へと世に送り出しながら、このエドム秦氏の支配との暗闘を繰り返してきたのだ」ということが、ここでは言外に暗示されているように、私には感じられます。アメノマヒトツさんが「忌部氏」或いは「かつて神の権能をこの列島において保持していた本当の秦氏」と呼んでいるものとサンカのイメージが、私の中では次第に強く結び付いてきています。

>そのエドム秦氏を、ある人は善と呼び、私は邪悪な秘密結社と思っているわけです。

エドム秦氏のことを善と呼ぶ人はいないでしょう。かつて背教を犯し、その結果エドム秦氏にその中枢を乗っ取られた本当の秦氏は、「忌部氏」なのか?それとも「忌部氏」ではないのか?何れにしても、消滅することなく捲土重来の時が来るのを深いところで密かに待ち、極めて遠大な展望の元あれこれと画策しながらちゃんと存続していると考えた方が良さそうです。この彼等がエドム秦氏の奥或いは周縁に位置しながら、現在の秦氏の一部を構成していると考える。そうして、その現在の秦氏全体を、エドム秦氏に牛耳られてはいても決して、悪などと言い切れるものではないと主張するだけです。

何処かに逼塞させられたこの本当の秦氏のことを忌部氏或いはサンカとは別と考えた場合には、後の日本の歴史のなかでサンカがその巨大な実力を使って、秦氏及び賀茂氏を駆逐することなく、彼等と連繋していた理由もある意味、見えてきそうな気がします。エドム秦氏に乗っ取られてはいても、秦氏全体から神の権能は消えていない。だから、自らもかつては神の教会に参画していた忌部氏は、秦氏や賀茂氏と、エドム秦氏に牛耳られているとは知りながら決して駆逐することなく、連繋し続けた。このような推定も十分に可能になるからです。

引用以上。

「本当の秦氏はもう存在しない」 後半

2014-07-11 00:03:20 | 日本論と宗教論
アメノマヒトツさんから私への返信 その2

いろいろとありがとうございます。

トマスについてですが、彼はインドで殉教しています。つまりは彼も殺された。ですから、「イエスの磔刑後直ぐに、弟子達は皆殺された」と言ったわけです。

ところで、神の権能は喪われたと言いましたが、もう少し補足を入れましょう。正確には、神の権能は神によってイエスの弟子達から取り上げられたとなります。

実は、今回の記事は、『トマス言行録』を元に書きました。余談になりますが、これは、教文館というキリスト教関連の出版社から出版されたものです。今放送中の『アンと花子』の花子が勤めていたのが、この教文館です。彼女はこの出版社で不倫して結婚しています。これが丁度今、NHKの朝の連続テレビ小説として放送されようとしているところです。その直前の時間帯に再放送されている『カーネーション』でも、主人公小原糸子(実名は小篠糸子)の不倫が放送されようとしてしているところです。彼女達は実は、有名なクリスチャンでした。その不倫が国営テレビで堂々と放送されている訳ですから、私としては非常に複雑な思いです。

パウロは「まず背教が起こる」と預言しました。異教徒からのクリスチャンへの攻撃より先にクリスチャン自身による神への裏切りが起こる。そちらの方が重大だ、と強調したのです。彼はベニヤミンです。テント職人であり、頭を剃っていた。これは本物の秦氏が帯びているのと同じ象徴です。

飛鳥氏のヤタガラスが十二使徒という話についてですが、それは、教義上あり得ないと思います。ヤタガラスは、その組織の構成や運営法など多くの点で使徒の真似をしてるのかもしれません。が、飽く迄も神の権能は持っていないのです。ある教義がそのことを明確に知らせています。これは、モルモン書やジョセフ・スミスの証を読まないと分からない教義です。お知りになりたい場合は、宣教師に質問して下さい。彼らはそのために2年間を主に捧げています。彼等には特別な権能と力が授けられています。

「キリスト教はいつも戦争の原因となってきた。科学への否定も行ってきた」。世間ではこのような言説がまことしやかに横行しています。よく調べるとそれらは、明らかにデマなのですが、カトリックの腐敗時代には確かに、魔女裁判などの蛮行に加えて、文明退化も引き起こされはしました。これは認めなければなりません。例えば、外科的治療の技術は、一般には知られていない隠された超古代文明では、とっくの昔に高度なレベルで確立されていたものなのですが、当時のカトリックはそれを、悪魔由来と糾弾し、市民がその恩恵に浴することを禁じました。しかも有力者だけは、その恩恵にしっかりと預かっていた。このローマ帝国以前からの高度な文明技術を継承していたのがユダヤ人でした。カトリックは、表向きはユダヤ人を迫害しているかのように振る舞いながら、陰ではユダヤ人にある程度の保護を与え、そうすることでユダヤ人が、彼等の継承している医薬品や治療技術の恩恵を彼等に享受させるよう誘導していたのではないか?こう感じさせる向きが十分に存在しています。

日本でも支配者達は、ヨーロッパのユダヤと似た性格を持つある氏族を、河童や鬼、山姥などと蔑むかのように振る舞いながら、特に土木や外科療法の分野で、彼等に大きく依存してきた。こう感じさせるような節が確かに存在しています。瘤取り爺さんや、河童の手つなぎ、茨木童子や、鬼の鍛冶或いは大工仕事なんかは、その例と言えるかもしれません。

縄文時代からこの列島に暮らし、巨石文明の痕跡も残しているこの氏族を、私は忌部氏と呼び、所謂「真の秦氏」というものが考えられるならそれは、神の権能を持っていたこの忌部氏のことだろう。彼等がかつて秦氏と呼ばれていたが、エドムの侵入を受け、乗っ取られて、自らは秦氏とは呼ばれなくなった後で、かの藤原氏によって日本の中枢から外れたところに追い払われた。このように想定しているのです。

キリスト教ができた1世紀から、カトリックが誕生したあたりまでの4世紀間に背教が起こり、神の権能は失われ、神の王国と言われた真の教会は消滅しました。このことは、先述のカトリックによる文明退化行動からも読み取れます。

飛鷹註:この最後の文は、「神の権能を持ったユダヤ人のキリスト教会がその期間ヨーロッパにも存在していた。神の権能を持っていたからこそ、太古からのテクノロジーも保持できていた。その期間のどこかで、パウロの予言の通りに背教が起こり、神の権能が彼等から取り上げられた。だからこそ、彼等のキリスト教会と似ていながらも、その実態は全く別のカトリック教会の成立、即ち、悪魔崇拝集団のステルス支配としてのカトリック教会の成立、という悪夢を自ら招き、国教化したそのカトリックからの上述したような意味での虐待を受け続けざるを得ないような、そんな惨めな存在へと部族全体で身を落とすはめに陥ったのだ」という内容が想定された記述と考えられます。

ヨーロッパにおけるキリスト教会の上述したような運命を、はっきりと証明する証拠は何もありません。遺された様々な象徴から読み取るしか方法がない。日本でも「空白の4世紀」という言い方がされますが、ヨーロッパで4世紀までにキリスト教会が辿った上述したような運命とよく似たことがその時起こったのではないか?私はそのように考えています。この空白の4世紀に、私が偽の秦氏或いは藤原氏と呼んでいるところのある邪悪な氏族が、日本に来たものと考えているのです。

ほとんどの歴史家が「この4世紀から5世紀に大和朝廷が成立した」と言っているようですが、これは間違っています。大和朝廷の実際の成立年代は実は1世紀から2世紀にかけての頃なのです。即ち、卑弥呼より約百年前の時代です。歴史書の年代と実際の年代とが約200~300年ズレているのです。アダム年代はユダヤ人のものと○○のものとでは270年のズレがありますが(飛鷹註:この部分は意味不明)、日本における歴史書の年代と実際の年代との上述したようなズレもまた、これと本当によく似かよっていると私は思います。このことはあの浦島太郎の物語も暗示していることなのではないでしょうか?浦島太郎の物語に描かれた時間のズレも約300年でした。

今現在秦氏と称している氏族がそのズレの原因に深くかかわっていたのは確実でしょう。この歴史的事実を隠蔽し、今現在もタブーとして隠蔽し続けているのが彼等なのです。

飛鷹註:「本当の秦氏である『忌部氏』は長い期間をかけて実力を密かに蓄え、上述したような隠された史実を暗示する様々な象徴を次から次へと世に送り出しながら、このエドム秦氏の支配との暗闘を継続してきたのだ」ということが、ここでは言外に暗示されているように、私には感じられます。アメノマヒトツさんが「忌部氏」或いは「かつて神の権能をこの列島において保持していた本当の秦氏」と呼んでいるものとサンカのイメージが、私の中では次第に強く結び付きつつあります。

そのエドム秦氏を、ある人は善と呼び、私は邪悪な秘密結社と思っているわけです。

ところで邪馬台国のことを、魏が(飛鷹註:正確には晋の陳寿がとなるべき)極めて詳細に記録したということそのものが極めて不可解ではないでしょうか?狗奴国などは更に多い。何か変ではないでしょうか?内容としても、奇妙な点をいくつか挙げることができます。例えば、国交印であり、紛失など考えられない金印が、現在どこにあるか分からない。隠している連中がいるのではないでしょうか?因みに、あの飛鳥氏は、ヤタガラスが持っていると主張しています 。

それは奴国の金印も同じです。江戸時代に偶然、地面の下から見つかったとは、これまた不自然です。これもフェイクまたはデコイではないでしょうか?

国が移り変わることは歴史の常です。日本でも古代のある時に、それが起こったのです。邪馬臺国がエドム秦氏に乗っ取られて、表面上は邪馬臺国のままでも、実質は狗奴国由来の邪悪な氏族による過酷な支配が、密やかながらも大規模に、これまでずっと行われてきたのです。この事実は、この邪悪な氏族の巧妙な陰謀によって、我々庶民の目の届かないところに隠蔽されているに違いない。

説明は、以上です。これで少しは、うちのブログの趣旨の説明になったのではないでしょうか?

引用以上。

「本当の秦氏はもう存在しない」 前半

2014-07-09 14:23:52 | 日本論と宗教論
アメノマヒトツさんの記事に対して私が最初に入れたコメントと、それをきっかけにして始まったやり取りを整理して、以下に公開します。元記事は、当blogの記事『アメノマヒトツさんの記事への質問集』を読んでいただければそこにも、整理した形で引用してありますので、ちゃんと把握して戴けるものと思います。

以下引用。

私からアメノマヒトツさんへの
コメント その1

狗奴国の「狗」は、犬の意味です。大陸の江南即ち、越や呉に北方ステップ地帯から陸路、遊牧民の北戎や西戎、犬戎が侵入し続けていましたが、彼等の内、先行組の中には、蛇や龍、鹿、牛等をそれぞれトーテムとする諸部族を纏めあげて運営されていた現地の南方系王朝(様々な動物の特徴を複合していることで有名な架空の動物、麒麟をシンボルマークとする王朝)と新たに融和し、この南方系王朝を後発の遊牧民の侵入から守る傭兵の役割をする者が現れていました。その際の功績をきっかけに現地南方系王朝の姫との結婚を許されて、現地南方系王朝の支配層に加わる者までいたのでした(カッシート或いは月氏、犬戎と称される中東シュメール由来の部族のことです)。彼等の象徴が犬です。

あの『南総里見八犬伝』の冒頭に、敵将の首を討ち取って持ってきた犬に里見の姫が約束通りに嫁ぐ話が出て来ますが、これは中原のある古典の中で紹介されている江南での上記のようなエピソードを下敷きに、『魏史倭人伝』における「狗奴国」の、ある時代以降の拠点のひとつである房総半島と江南との、古代からの強い繋がりを熟知していた滝沢馬琴が、作品中に意図的に盛り込んだものと推測されます。房総半島と古代の江南との犬のイメージによる深い繋がりの暗示を、そのモチーフのひとつとしていたに違いありません。

『魏志倭人伝』の「狗奴国」とは、奴国の内、この犬トーテムを持った南方化した遊牧民が半島南部や列島の太平洋側の各地に定着して維持していたネットワークのことを指しているものと思われます。半島の馬韓にあり、あの「辰王」を輩出していた月氏国、高句麗の解氏、新羅の脱解王や金阿智なども、このネットワークの一環だったようです。長髄彦(中曽根彦)や、平将門で有名な古平氏(赤をシンボルカラーとする。北条氏もこの一族)、大陸北方の匈奴(唐以降に強制された漢音ではキョウドと発音され分からなくなっていますが、それ以前の呉音ではフンナやクンナです)、チンギスハンのモンゴル(青き狼をトーテムとする部族が白き鹿をトーテムとする部族と婚姻して生まれた部族)、更には、ユーラシア全体で暗躍していたことが明らかであり、蘇我氏や聖徳太子、淵蓋蘇文=天武天皇、阿部氏などとの関連も深い漢氏或いは文氏などは、この狗奴国と大いに関連しているに違いありません。とすると、狗奴国の「狗」が表す犬とは、狼なのでしょうか?それとも狐なのでしょうか?

この狗奴国が、同じく江南を起源とする卑弥呼の邪馬臺国と当時激しく対立し合い、卑弥呼をひどく悩ませていたと言われます。その理由は私には定かではありませんが、もし狗奴国の「狗」が狐と断定できるというのなら、と同時に、イスラエルに対して(特に狼トーテムのベニヤミンに対して)その兄弟筋であるにも拘らずある特殊な悪感情を抱いて粘着し続けてきたエドムの「きつね」が狗奴国の「きつね」と同一であり、紀元1世紀末までの中東でのエドムとイスラエルとの葛藤が、紀元3世紀初頭の極東におけるこの、狗奴国と邪馬臺国との対立にまで持ち越されていると断言できるのなら、では逆に訊きたい。本当のユダヤを継承しているとお考えの卑弥呼と邪馬臺国は本当に、狼の象徴と結びついているのでしょうか?

そもそも私には、どうしてもそうとは思えないのです。東洋における狐は、この狗奴国との関連ではなく、何か全く別の事柄と結びつけない限り絶対にクリアにはならない。そもそも狗奴国の狗は本来は犬や狼のことであり、きつね等ではない。私には、こんな風に感じられてなりません。

註:東洋においてきつねは、元々は楚や呉の王族であった姫氏=紀氏と結び付くと主張する人がいることには、最近気付きました。滅亡直前の百済の重鎮智積や、平安時代初頭の日本の漢氏改め阿部氏等も、きつねのイメージを付帯した形で描写されていることは、昔どこかで読んで知ってはいます。今は、殆ど整理がついていない状態です。ただ、きつねと狗奴国を単純に結び付けるのはよくないということだけは、はっきりと分かります。

象徴分析はある程度は有効でしょう。が、それだけでは危険なのです。というのも、エドムはイスラエルに侵入する際に、この象徴を巧みに操作し、誤魔化すことで侵入していた筈でしょう。侵入とはそもそもそういうこと以外の何物でもないからです。象徴分析だけに頼っていては、彼等の術中に嵌ってしまう側面も否めなくなってしまうということにもなるのです。象徴分析によって取り出した仮説をある一定の十分な遣り方で検証していくようにしなくてはいけないという訳です。

私からアメノマヒトツさんへの
コメント その2

午前中にコメントを入れてからあれこれ検索してみました。すると、次のような極めて優れた論文を見つけました。私にとってはかなり刺激的です。これから時間をかけて読みといていくつもりですが、アメノマヒトツさんにとっても同様に刺激的なのではないかという思いが湧いてきて仕方がありません。ひょっとしたらもう既にご存知かもしれませんが、そうでなかったら、そして気が向かれたら、読んで見ていただけないでしょうか?アメノマヒトツさんがこれまでやって来られたことのど真ん中を全く別の観点からついている筈ですが、どのような感覚を持たれますでしょうか?

参照:弥生の興亡3 帰化人の真実5塚田敬章

アメノマヒトツさんから私への
返信 その1

秦氏の役割がうちのブログと逆さまになっていますね。飛鳥氏の説と似ているかもしれません。

イエス・キリストが教会を組織した後、使徒にその権能を授けられましたが(権能を持つ教会はイエス・キリスト以前にもあった)、使徒たちがすべて殺されていなくなった後、神の権能は地上からなくなりました。そのことをイタリアのワルドー派やルター、ザビエルは感じ取り、次の世代にバトンをつないできたわけです。ただし、神の権能がもう既に地上には何処にもないという点では、彼等は誰もが一致しています。

私の場合、日本でもかつて神の権能が存在して、ある時何らかのきっかけで喪われたというのが本当なら、それがいつなくなったのか、この謎を解く手がかりを、忌部氏の鬼と妖怪に求めているというわけです。

カトリックは禁教令が解かれた後、隠れキリシタンをカトリックに改宗させています。このあたり、真実を隠そうとする気配があります。

飛鷹註:ここでいう真実とは、戦国時代におけるキリシタン隆盛も、禁教令発令や島原の乱鎮圧の後数百年経過しても、こうして隠れキリシタンが密かに存続してきたことも、その本当の理由は、日本に、かつて神の権能が存在した名残り残っていたからだということを、意味するようである。

秦氏も神の権能を継承しているなら、今の時代の堕落ぶりを放っておくことがないはずです。私は、その当然のことがなされていない現状を踏まえて、神の権能を継承した本当の秦氏なるものの存続そのものに、或いはそういった意味での本当の秦氏というものの、忌部氏以外での存在そのものに、疑いの目を向けているのです。秦氏が大きな役割を果たすと飛鳥氏は言っていますが、果たしてどうなることやら。

日本で神の権能を継承したのが忌部氏でなく秦氏だと言う場合、うちのブログの記事の中の忌部氏を全て秦氏に置き換えればいいことになりそうです。が、政府に継承されていなければならない金印は不明、邪馬台国はその位置すら不明、化石で発見される人骨と記紀神話との結び付きの指摘は黙殺、日本人のルーツも不明などという情況が、現に認められるのです。これは不信仰以外の何物でもない。こんな酷い情況を放っておく、もしくは隠している、或いは知らないというのは、どの場合も、本当の秦氏なるものが存続していく上では、大いに問題ありと言わなければならないでしょう。ということは、本当の秦氏など、忌部氏以外では全く存在しなかったか、少なくとも現段階ではもう既に存在していないか、どちらかなのだと思います。

うちのblogはそもそも大して人気のない、少数派と言ってよいような存在でしかありません。それなのに飛鷹さんは、うちのブログにのみ、いちいち反対してこられます。これは、先祖からの因縁なのではないでしょうか?

これらの情報に、鬼に対するように心の底から忌み嫌う感情が出て来ているのではないですか?だとしたら、秦氏に、従ってあなたに、神の権能がないと断言されるのが、最も苛立つことになっている筈です。

飛鷹註:私の母方が鮫島で、藤原氏の工藤系(藤原南家)であることを捉えて、エドム系秦氏の家系であると判断されての上のような発言と理解できます。確かに、私の研究でも藤原氏は、北家を除けば全て秦氏であり、東海から関東にかけての契丹系の開拓地を彼等から奪った側になります。

私からアメノマヒトツさんへの
コメント その3

先祖からの因縁ですか...。どうでしょうか?恐らく、突き詰めていったら同じなのではないかと思いますが。分かりません。織田信長は安土あたりのサンカの居つき集落を起源とする八田信長だったという説を最近読んで成るほどと思いました。これは今のこの事柄には関係ないでしょうか?「八田」についても、現段階では、私とアメノマヒトツさんでは、捉え方が全く違うのは重々分かっているのですが。...少なくとも、曖昧なことで断言するのは控えた方がいいではないでしょうか。

それとも、私の先祖に本当にエドムがいるのでしょうか?それはそれで、ちゃんと調べなければなりません。兎に角今は、まだ何も分かりません。

ところで、「のみ一々批判」ということですが、決して「のみ」ではありません。私は、縁のあった方々の内、間違っていると感じた方には例外なく、批判のコメントを入れています。相手が社会的地位のある方なら、批判することでかえって自分の方が不都合な目に遭うものですが、それも厭うことは殆どありません。ただ、自分の恩師のものだけは、弟子としては絶対にできません。

また、私自身も色んな場所で多くの批判を受けます。その際でも、それを全く不快には感じないのです。ありがたいと思うばかりか、面白いとすら思います。

批判が正しければ、自分の誤解が解けて気持ちいいし、誤解が解けたとしてもこれまでの自分が全てダメになるわけでもない。かえってより大きな視野の中で活かされるようになる。こんな感覚すらあります。逆に批判が間違っていたら、それはそれで、それを丁寧に論駁していく。その過程で自分の説が、その批判を受ける以前よりも遥かに精密に、また遥かに深いものになっていく。こう感じられます。

今回紹介申し上げた論文は、取り上げている素材が私達のものと完全に一致しているにも拘らず、マメノマヒトツさんの説にとっても、私の説にとっても、不都合な点を数多く含んでいます。しかし、読んでいて気持ちがいい。かなり優秀な論文とすら感じます。これからこれを研究することでまた、多くのことが吸収できそうです。ワクワクしてきます。アメノマヒトツさんにもそんな気持ちになって欲しい。

先日、サッカーの日本代表がW杯で惨めに敗退した理由を「八咫烏の呪い」に求めておられましたが、私は、あれはいただけませんでした。コートジボワールに負けた時、「負けてしまった。次は頑張らないと。頭を出来るだけ早く切り替えなければ」と自分を追い詰めるだけで、「コートジボワールのあのふたつのゴールは美しくて見事だった。凄かった。敵ながらワクワクした、自分も直ちに真似して同じことが出来るようになりたい。いや、なるべきだと神がヒントをくれたに違いない。あれに予選突破の手がかりがある筈だ」と考えられなかったことが原因だった。私はこう思うのです。要するに、どんな「悲惨な」事態に出くわしてもそれを直ちにプラスに転回できる、或いは何故だか自然に転回してしまう、そんな根底からのオプティミズムが、日本の選手にはなかったということです。彼等には、W杯という最高の舞台で戦える喜びをサッカー選手として純粋に楽しむ心がなかった。ただ、コロンビア戦で本田と岡崎が決めたゴールはコートジボワールが決めたゴールと全く同じゴールでした。今回の日本代表も、そのくらいのオプティミズムは発揮していました。あれをコロンビア戦でではなくギリシア戦で、もっと激しく出すべきだった。私は実は、そう考えています。そして恐らくは、これこそが、他の人は専門家も誰一人として述べていませんが、問題の本質だ。間違っていないとすら思っています。

人間は、困難や敗北、批判を、今私が述べたようなメンタリティで乗り越えて成長するために、この世に生まれて来たのではないでしょうか?イエスの教えの中核もそれではなかったでしょうか?本当の信仰があれば、自然とこうなれるのではないでしょうか?

アメノマヒトツさんの狗奴国論、邪馬臺国論も今、そのような重大な岐路にあると思います(私のものは常にそうです(笑))。特に、象徴分析一辺倒はいただけません。今回紹介申し上げた論文も、アメノマヒトツさんのレベルにはとても至っていませんが、ある程度のレベルの象徴分析を行っています。にも拘らず、同時に、科学的な検証も非常に優秀なレベルで入っている。これは学ぶべき点です。象徴分析による仮説を科学的検証なしに、或いは科学的検証がない単なる仮説であることを自他ともに「ことわる」ことを忘れて、既存の確定した定説として扱ってしまう点も、私はかなり危険だと思います。そもそもこの世では、全ての長所が直ちに、致命的な欠点にもなるものです。ですからどうか、自分とは全く違う「異教」にも、それとこの世でこうして出逢うように導いてくれた神の意志というものに思いを致しながら、真っ正面から向き合ってみて欲しい。心からそう願います。

最後に、イエスの遥か以前から神の権能を持つ教会があり、イエスもその系譜の中に位置付けられるということ。その系譜は、イエスの弟子たちが全員殺されることで途切れてしまったこと。今回はこれを教えていただきました。前半は、ニュアンスが違うかもしれませんが、私も同感です。しかし、後半については、私は初耳です。びっくりしました。飛鳥昭雄さんの説に影響を受けつつ、原始イエス教徒達がエルサレムを脱出して、百済系秦氏としてこの列島の歴史に加わったと考えていましたから。今後、アメノマヒトツさんのこの説を時間をかけて検証しなくてはなりません。

但し、ひとつだけ、この場で伺ってみたい。インドに宣教に出されたトマスがいます。これはアメノマヒトツさんも否定しない筈です。とすれば「使徒の全てが殺された」は間違いということになります。この点についてはどうでしょうか?

前半終わり。

アメノマヒトツさんの記事への質問集

2014-07-09 01:14:51 | 日本論と宗教論
アメノマヒトツさんが先日、自身のblogに上げた記事の内容のひとつひとつが、私には、余りにも気になってしまいました。矛盾のオンパレード。何故そういうことになったのか?私には、それがどうしても分かりませんでした。そこで、疑問のほんの一部をコメントしてみたのですが、アメノマヒトツさんにはそれがあまり明確に伝わらなかったようです。そこで、一念発起して、出来るだけ詳細な質問集をまとめてみることにしました。それが、一旦仕上がってみると、私の最近の研究成果のアウトラインの描写にもなっているように感じられました。また、余りにも大部となったため、アメノマヒトツさんのblogの字数制限のあるコメント欄には、必ずしも入れ易いとは思えない。そこで、こうしてここで、記事としてアップしておこうということになりました。

尚、この質問集の執筆中にアメノマヒトツさんからはふたつの再応答が、ひとつはアメノマヒトツさんのblogのコメント欄に、もうひとつは私のこのblogのコメント欄に入ってきました。それらへの私の返信は、これからまた、書き始めます。再び記事としてアップすることになるかもしれません。

以下引用。

>日本の陸軍と海軍の用いていた象徴は、彼等の存在自体がそれぞれの信仰と深く結びついていたことをよく示している。海軍は、大和や武蔵の戦艦名からもわかるように、海神(わだつみ)、即ち、大和国魂とスサノオへの信仰が見て取れる。

「大和」や「武蔵」が「海神」と結び付く?これは説明が必要でしょう。

スサノオが海神としての性格を帯びていることは、色んな人が色んな場所で言及していることです。ですから、取り敢えずは、意味は分かります。しかし、「大和国魂」と「海神」との結び付きについてはどうでしょうか?これも説明が必要でしょう。

>一方陸軍は、南無八幡大菩薩という幟を掲げていた。八幡神を大菩薩と称する時、そこには、江戸時代の神仏習合の影響が認められるとされる。

岩清水八幡設立当初から神仏習合だったというのが定説のはずですが......。

>しかし、八幡神には同時に、応神天皇としての側面もある。更には、秦氏としての側面もある。応神天皇の時代に列島に迎え入れられたこと、応神天皇が自分達氏族にとって極めて重要な存在であったこと、これらを記念する意味で秦氏が自ら、応神天皇を、自分達の氏神である八幡神の一側面として祀ったものと考えられる。応神天皇とは八幡神の化身だったという次第だ。

八幡神を氏神としていたのは源氏です。源氏は確かに、その形成上、新羅系秦氏と深く関わっていました。しかし、秦氏の氏神は何かと訊かれて八幡神と言い切ることは絶対に出来ません。八幡神を氏神にしていたのは飽く迄も源氏でした。だから、帝国陸軍の象徴が表すのも、飽く迄も「源氏の」と言うに留めるべきでしょう。

>陸軍は秦氏の象徴を持っていたのだろうか?それは確かにそうであった。しかもそれは、真の秦氏の象徴だった。

>秦氏は、藤原氏(狗奴国)の支配がはじまった頃から財務省(旧大蔵省)の役職に就くようになり、金の力を用いて陰から日本を牛耳ってきた。この場合の秦氏とは、様々な象徴が暴露するように、エドムのことである。

藤原氏のルーツは狗奴国?この具体的な意味が全く不明です。何を言っているのか分からない。詳しく説明してほしい。

>エドムは、ユダヤとは云わば縁戚関係にあるユダヤの周辺部族のひとつのこと。ユダヤに対して特殊な悪意を抱きつつ、ユダヤに化けて、ユダヤが創った国に侵入する。そうしてユダヤの国を乗っ取る。こういうことを世界中で繰り返してきた。

エドムが粘着したのはユダヤではなくイスラエルだったはずです。何故に、ここでは敢えてユダヤと変更しているのですか?ユダヤとイスラエルは厳密には異なる筈です。従って、中東では紀元前の何処かで、紀元直後のヘロデを看板にした者達がユダヤに、東洋では○○世紀に、○○世紀の○○を看板にした者達が秦氏に侵入するという形で、それぞれ、エドムによるイスラエル侵入が行われたと考えるのが筋だと思います。ユダヤとイスラエルの区別が曖昧だと、この辺りのことも曖昧になってしまいかねません。そして実際、それが曖昧になっているのではありませんか?

>ヘロデ王は、母方は確かにユダヤ人だが、父方は実はエドム人である。 このヘロデ王のことをイエスは「きつね」と表現した。ところが、一部のユダヤ人は何と、このヘロデのことをメシヤと呼んでいたと言うのだ。この「ユダヤ人」こそユダヤに化けたエドム人だったはずだ。この彼らに侵入を受けて堕落したユダヤが列島に来て秦氏となったのである。彼らのことをこの東洋でも「きつね」と呼んでいる可能性が高い。

この最後から二つ目の文は、或いは、「この彼等がユダヤを出て遥々列島に来て、そうしてまた、同じように、秦氏の中に侵入し、秦氏を乗っ取ったのである」と書こうとされていたのかもしれません。何れにしても非常に曖昧です。もっと明確に表現すべきではないでしょうか?

また、ヘロデの場合は、イエスから揶揄する言葉として「きつね」と呼ばれたのでした。ところが、例えば、稲荷神社にきつねのイメージが明白に付随するのは謂わば、稲荷神社を崇拝している氏族による自称を意味するであって他称を意味するのではありません。ですから、「エドムのことをこの東洋でも『きつね』と呼んでいるに違いない。例えば、稲荷神社を創建し、崇拝、管理、運営してきた秦氏はエドム秦氏であるはずだ。吉原の遊郭にも必ず稲荷が祀ってあった。だから、吉原の遊郭もエドム秦氏の管理下にあるのだ」などと主張する場合、この自称と他称のズレを説明する義務が生じてくることになります。これについては、どう考えられますか?

>秦氏の頭領を「うずまさ」と称するとともに、それにはローマを表す「太秦」の文字が当てられたというのは有名な話だが、これは、今述べたエドム秦氏の祖ヘロデ王がローマからユダヤ王に任命されていたという史実を反映しているのではないだろうか?太秦と称する場合の秦氏とは、本物の秦氏のことではなくエドムの偽秦氏のことを指しているのだという私の説を雄弁に裏付けていることにもならないだろうか?

いいえ、なりません。イエスの弟子達もローマにいたのです。イエスも、「ユダヤ人の王」でした。従って、 秦氏の頭領を「うずまさ」と称するとともに、それにはローマを表す「太秦」の文字が当てられたということだけで、この秦氏のことをエドム秦氏と断言することはできません。

>彼らは不道徳な連中であり、日本で遊郭を独占していた。戦時中に慰安婦を集めていたのも彼らだった。韓国と統一協会がこの従軍慰安婦を問題にして日本帝国軍と日本国を盛んに責め立てているが、これは、エドム秦氏が韓国と統一協会の背後にいて、自分たちの罪を隠そうとして、韓国と統一協会にやらせていることに違いない。時々話題に上る財務官僚の風俗接待も、エドム秦氏が財務省を牛耳ってきた結果としてこぼれ落ちてくる小さな事件の数々に過ぎないと私は睨んでいる。

日本の被差別民は白の遊牧民と、赤と八の海人族、それとサンカに大別されるそうですが(についてはこれから明確にする予定)、遊郭で身売りする女性を排出していたのは、その内の、赤と八の海人族に限られるのだそうです。エドム秦氏が遊郭を運営していると言うなら、今述べたことを踏まえて正確に考えてみたら、赤と八の海人族は飽く迄も管理され利用されている方であり、決してエドム秦氏ではないということになります。これについて、どう思われますか?エドム秦氏の不道徳という場合、その内容として性的「不貞」行為を挙げるのは間違いであり、正確には、性的「不貞」行為の組織的強要と悪用ということにならなければならないということです。ということは、性的「不貞」行為を行っている方の赤と八の海人族、即ち、アメノマヒトツさん言うところの狗奴国人のことをエドム秦氏と考えることはできないということです。間違えているでしょうか?

註:白の遊牧民の場合は遊郭ではなく、関西の生駒=夷駒のような囲い地に女性と子供だけが隔離され、囲われて、何百年もの間、組織的に、支配層の男性の慰み者にされてきただけだったそうです。このような囲い地は、赤と八の海人族の大半もそのような類いの囲い地に囲われていた訳で、極最近まで全く特殊などではなく、全人口の10分の8を占めていた、我々現代庶民の先祖に当たる当時の庶民の殆ど全てが、そのような囲い地の住民だったと言っていいくらい一般的だったと言われます。

註:サンカは、侵略してきた支配層による支配から飽く迄も逃れていようとする強力な意志によって約1300年ほど前に生じた部族なのだそうです。そのため、極めて長期的な展望に基づいた反権力的秘密結社という極めて強烈な性格を帯び、互いに強く連繋し合いながらも、通常は各家族分散して、主に僻地で流浪生活を展開するようになったのだそうです。そのような生活の場合、快楽以上に人口増加に主眼を置いた女性上位の一夫一婦制にならざるを得ない。この一夫一婦制を中核とする、非常に厳格な掟の体系を持ち、遊郭や囲い地での屈辱的な奴隷生活等には一切手を染めなかったということです。この事から、彼等の人口と富の増大の勢いは密やかながらも凄まじく、中世には支配層の各派も無視できないくらいの大変な実力を発揮するようになり、後に「下剋上」と称される歴史現象のほとんど全てが彼等によって引き起こされたものだったと言っていいのだそうです。例えば、これは平安時代のことですが、天神信仰の契丹を出自とし、当時最盛期を迎えていた契丹本国からある意図のもとで京都の朝廷内に送り込まれた菅原道真公の背後にはこのサンカ勢力があって、契丹勢力の敗退後はその全てを自分達のもとに保護し、吸収したと言われています。また、時代は下って、戦国大名の代表的な者達はその殆ど全てが、信長も秀吉も、家康も、彼等の看板役だったと言います。更には、明治期のアメリカ移民の少なからぬ部分が彼等によって占められ、アメリカでクリスチャンになる者も多かったと言います。敗戦後は、進駐軍の一員としてやって来た彼等の力添えで密かに結ばれたCIAとの緊密な協力関係の元で更に地位を上げ、戦後日本の支配層の一角を形成してきたのもサンカなのだそうです。創価学会の中核も彼らであるらしい。

>ユダヤロビーが提供するハリウッド映画(アメリでは上映されない州も多い)は、敬虔なユダヤ教徒は一切見ない。また、アメリカでは貧民層にポテトやハンバーガーを提供して肥満を引き起こしたり、コカ・コーラやペプシといったユダヤの毒水を飲ませたりしているが、ユダヤ教徒は自分の畑で作物を得ようとしているし、コシェルという聖別された食べ物を基本に食生活を構築している。要は、巨大食産業で巨万の富と病気を動かしている「ユダヤ人」は、ユダヤ人ではない。彼らはエドム人である。イスラエル人の双子の兄筋にあたる、神の恵みを自ら拒んだ民族の末裔である。

>エドム秦氏も同じく、日本において銀行業界と薬業界を独占し、死なない程度の毒薬で国民を中毒させ、絶えざる薬の消費で巨万の富を得ている。癌治療にかかわる保険業界と医療業界はいずれも秦氏のドル箱であり、癌を発生させる食生活を推進しながら、自らは特別上質な食生活を送っているのである(食べ物に毒が入っていることはよく知っている)。

>そして、真のユダヤ人に対しては、尽きない憎しみを抱いている。ユダヤ人には12の部族があり、エドム人の憎しみはその中の1部族に特に向けられている。それはベミヤミン族という。現在のユダヤ人はユダ族とベニヤミン族という2部族を中心に構成されているが、ベミヤミン族に極度の憎しみが向けられているのは何故か、それは聖書に克明に記されている。

>エドム人は一時期エジプトを支配下に置き、エジプト人を奴隷としていた。そのエジプトと戦い、エドム人を殲滅し、エジプト人を奴隷から解放したのはイスラエルのサウル王だった。彼は、ベミヤミン族なのである。エドム人のエジプト王をアガグといい、その末裔が後にペルシャ帝国という巨大国家の宰相となった。その宰相をハマンという。彼は帝国内に住むユダヤ人を殲滅しようと計画した。その計画を阻止し、ハマンとその一族を根絶やしにし、ハマンの代わりに宰相となったのがモルデカイだった。彼もベミヤミン族だったのである。

>先述したヘロデ王の前に現れ、キリストの福音を説き、後に殺されたのが、新約聖書の大部分の著者である使徒パウロである。パウロはもともとサウロ(サウルと同じ意味)と言った。サウロはヘブル語で「大いなる者」、パウロは「小さき者」を意味していると言う。日本の記紀神話に登場するオオナムチとスクナヒコナもまた、それぞれに「大いなる者」と「小さき者」を意味しているのだが、サウロのパウロへの改名のことを考えるといつも、私には、このオオナムチとスクナヒコナのことが想起される訳で、何か関連があるのではないかと考える次第である。このパウロもベニヤミンだった。

>エジプトを解放したサウル王には王位継承権を持つ息子ヨナタンがいた。しかし、次の王位には、預言により、ユダ族の羊飼いダビデが就くこととなった。自分が次の王となるはずのところを、どこの誰とも知れない貧しい羊飼いに王位を譲るとなると、それは気分がいいものではないだろう。エドムと同じような存在になってもおかしくないはずだ。しかし、ヨナタンは違った。権威を表す衣を自らダビデに譲り、真の友情をはぐくみ、死に至るまでその友情を絶すことがなかった。ヨナタンの父であるサウルは、不信仰と嫉妬のためにダビデを何度も殺そうとするが、それでもヨナタンはダビデを守り、常に真の友であり続けたのである。このサウルとヨナタンの家系、もしくはモルデカイの一族がベニヤミン族である。

>真の秦氏と私が呼んでいるのはまさに、この一族の列島における末裔達のことなのである。秦氏のかつての象徴はキツネではなく狼であり、ベミヤミン族の象徴もまた狼である。それは日本陸軍の力強い進撃そのものの象徴なのである。彼等が大陸において民衆を、漢民族や両班から、つまりエドム人の末裔達から解放したのは、イスラエルの初代統一王であったサウル王によるエジプト解放の再現であった。

日本陸軍の本体は、八幡大菩薩の幟の掲揚に重大な意味が込められているとする限り、秦氏ではなく源氏と称されなくてはならないはずです。このことは、もう既に、上で述べました。ということは、この論述では無意識ながら、源氏こそ列島における狼、即ちベニヤミンだったと主張していることになります。源氏の成立に深く関与していた筈の新羅系秦氏は、かつては、エドム秦氏の主要な潜伏先として指定されていたはずです。それなのに今度はそれを、知らない内にやってしまったこととはいえ、真の秦氏と呼んでいるということにもなるのです。源氏の氏神として知られる八幡神を秦氏の氏神と独自に呼び換えていることそのものにも驚きますが、その結果今度は、自覚のないこととはいえ、今述べたような極めて深刻な自己矛盾さえ犯している。これは、ビックリするなという方がおかしいでしょう。間違っていますか?

そして更に、その根拠として挙げられているのが何と、帝国陸軍の力強い進撃のイメージが狼の力強いイメージと結び付くからということだけになってしまっているのです。イメージのこのような薄弱な結び付きだけで、そのような重大事を結論付けていいものかどうか。私はこれは、論として非常に乱暴だと思います。間違っていますか?

>エドム人はベミヤミン族を憎む。それは真の秦氏を体現する日本陸軍にも向けられた。戦犯として処刑されたのは陸軍ばかりで、海軍がまったく含まれていなかったのは、如実にそれを表している。(秦氏の中には、海軍の裏切りにより敗戦したというグループもいる)

>陸軍が真の秦氏を表すもう一つのしるしは、切腹にある。陸軍関係者が敗戦の責任を感じ、何人もが自決されている。実は、その切腹のルーツはサウル王にあるのである。

サウル王は切腹した。陸軍関係者も多くが敗戦の際に自決した。だから、陸軍の本体とサウル王の一族は同じ一族と考えていい。これも論として余りにも乱暴すぎる。では訊きたい。世界史には実に様々な時代、場所において、実に多くの人が自決しています。このことから彼らのことを、その内実もろくに調査もしないままサウルの末裔だなどと主張する人が現れた時、そんな乱暴なと抗議の声を上げない人がいましょうか?陸軍関係者の切腹に施されたサウロとの観念連合は、この人の暴論と何が違うのでしょうか?

>陸軍が日本のあるいは世界の災い元凶であるとされているのは、エドム人である偽ユダヤ人の憎しみの表れである。その憎しみは現在も続いており、ゼロ戦パイロットの撃墜王、坂井三郎を毒殺し、小野田少尉を入院先で死亡させたりしている。高齢なので亡くなられて当然と思われているが、齢90を超えても元気であった。それは戦前の日本が邪馬台国であり、その寿命は100に達する世界が再現されていたことからのこと。とすれば、この病院での死は明らかに不自然と言わざるを得ない。エドム人は自然死ではなく、何としてでも復讐死をと考えているのである。

今度は八幡神社が邪馬臺国に結びつけられました。本当にそれでいいのですか?色々と問題が生じるのではありませんか?

>日本で狼が絶滅し、オーストラリアでフクロオオカミが絶滅しているのは偶然ではない。そこにはヘロデ・ユダヤ人とエドム秦氏が関わっており、真の秦氏が今はもう既に滅びてしまったことを暗示しているのではないか?

エドムの本質はイスラエルの死滅ではなく、イスラエルへの、従って真のユダヤ、真の秦氏への粘着だったのであり、これは、真のユダヤ、真の秦氏が滅びてしまっては持続できないこと。従って、エドム秦氏も滅びてしまっていると結論付けざるを得ないことになる。にも拘らずエドム秦氏とその悪事は相変わらず続いていると言う。これは、矛盾以外の何物でもない。...私にはこのように感じられてなりません。思うに、ベニヤミンは本当の秦氏ではなく、彼等の死滅は決して、本当の秦氏の死滅を意味してはいないというのが正解ではないでしょうか?

引用以上。