飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

「朝鮮」及び「日本国民」の厳密な意味規定の勧め(RK氏への手紙 06)

2012-05-23 20:57:24 | 日本論と宗教論
日本は渡来人や帰化人から構成されている国です。列島原住民と辛うじて言える人たちの血液もごく一部は入っているでしょうが、それはあくまでもごく一部です。

「縄文時代の後は弥生時代。縄文人と弥生人は・・・」というよく見受けられる比較対称は、存在次元の全く違うものを比較するという間違いを犯してしまっています。「縄文人」とは実際は、弥生人渡来以前に列島に散在していた、今だ実態の確認されていない雑多な部族人のことで、弥生人ほど均質的な存在ではなかったはずです。また、沖積平野の低湿地帯の土木整備などしなかったはずで、住んでいる場所は弥生人が故郷と感じていたであろう領域とはやや異なる山間部や海岸部、河川上流部のごく一部に限られ(例えば京都盆地は湿地帯で、秦氏による大規模土壌改善事業以前に人は全く住んでいなかった。列島各地の各河川には橋も架っていなかった)、人口も列島全体で例えば100万以下などといった桁違いの少なさだった(現在の京都市ひとつよりも少なかった)に違いありません。しかしながら、ドイツ人モース博士の単なる土器形質の特徴に基づいた命名後「縄文人は弥生人とは違い」などと反復する内に、知らず知らずの内に概念の重大な変質を起こし、ある時期から現代日本人の古代への洞察に甚大な悪影響を与え続けるようになってしまったのです。従って「縄文」人という概念には極めて懐疑的にならざるを得ません。

ただし、このように指摘しても「弥生人渡来以前のアラハバキの神には極めて清澄で高貴なものを宗教家として感じる」とか、「火焔土器には日本的でない原初の力強い生命力を芸術家として感じる」という発言の重要性を否定するものではありません。それらを無自覚に「縄文人のもの」と規定するのが間違いだと言っているだけです。それらは、「縄文」人のものではなく、弥生時代以前に列島に散在していた沢山の雑多な部族の内いずれかの部族が持っていたものとしか言えないはずだということです。

従って、日本はほぼ99パーセント、渡来人や帰化人から構成されている国と言っていいと思います。それは現代でも、一般には見えないところで変わることなくずっとそうなっているに違いありません。

「これは飽くまでも支配者層の話で支配を受けている庶民の方は列島原住民なのではないか」と考える人もいるかもしれませんが、それも違います。渡来や帰化とは個人の渡来や帰化ではなく、支配者(王族や貴族、傭兵軍団、神宮)と民の渡来や帰化とならざるを得ない訳で、我々庶民のルーツは、これら支配層と共に渡来あるいは帰化した、当初からすでに情報統制を受けていた民だったにちがいないからです。

その民が支配層内の関係の様々な変動を受けて部族としての記憶を失い、村民としての意識を持つようになったと言っても、それ程受け容れにくい話ではないでしょう。

因みに、民衆の意識における「村民」(あるいは町民)が「日本国民」になったのはいつか?私はそれは、明治から大正・昭和期の近代化政策(特に憲法制定と学校教育、国家神道などの創始。何しろ明治以前は一部の例外を除いてほとんどすべての民に姓すらなかった)や諸外国との一連の戦争(特に朝鮮併合や日露戦争)の影響によってであり、そんなに古い話ではなかったのだから、それ以前は支配者の意識の中にしか「日本国民」という概念はなかったと考えるのが妥当だと考えています。

今我々が「日本国民」として日本の裏社会についてあれこれと論じる時、まずは、前者の明治以降の民衆の「日本国民」を意識しているのか、それとも後者の平安以来の支配者の「日本国民」を意識しているのか、明確に規定すべきであり、その規定の如何によっては「日本解放」の意味も、市民革命や日本共和国建国から日本王国復興、あるいは幕藩体制(つまり連邦国家制)復興やアジア連邦創設まで、本当に様々な色合いを帯びてしまうことになる・・・こう考えています。

それはそうと、具体的には、どんな渡来や帰化があったのでしょうか?

1)日本建国(7世紀)以前に半島・大陸や海のシルクロード経由で列島にやって来ていた葛城氏や秦氏、物部氏、蘇我氏、東漢氏、西漢氏を中心とする人々(紀元前1500年前後に東洋で最初の文明を打ち立てたのは、中国大陸ではなく九州北東部の豊国で、それが大陸に拠点を築いたのが一般に歴史に見られる殷王朝であるとか、九州という呼称は周王朝における全国の意味であり、九州が周王朝にとって何らかの重要な意味を持っていたのは確かだとか述べて、一般の縄文観とは全く異なる縄文観を詳細に展開している人すらいるのです)。紀元後は北魏や燕、高句麗、百済、新羅の王族が入れ替わり立ち替わり列島での勢力争いを繰り返していたという有力で興味深い説(小林恵子)もある。

2)日本建国時(7世紀)に列島征服という形で半島から列島に侵入して来て日本国を建国し、日本以前を何らかの形で隠蔽あるいは吸収した、元高句麗の支配層(淵蓋蘇文=天武天皇など)や統一新羅の支配層(金春秋や金庾信、文武王など)、その傭兵軍団としての源氏(新羅の花郎を率いる源花がその起源か)などの人々

3)7世紀に半島から列島にやってきて、奈良時代(8世紀)に勢力拡大と2)からの政権奪取に成功し、1)の協力の下で平安朝を作った元百済王族(百済王氏/クダラノコニシキシ。「コニシキ」とは新羅語で「古い王族」を表す「古尼師今」のことか?)を中心とする人々。この人達の傭兵軍団が平氏の起源か?藤原氏はこの流れの中で何らかの意図を持って形成された氏族か?

4)平安時代に半島・大陸や東アジア海上交易路経由で日本にやって来て律令制の枠の内あるいは外におかれた平氏(平安京には外国人を逗留させ日本語教育を行う寺院があり、教育を終えそこから出る際にはどの人にも「平」の姓を与えていたらしい)や蜂屋衆(山家衆に吸収され、後に明治維新の中心となった)などの人々。

5)鎌倉時代に半島・大陸経由で日本にやって来て律令制の枠外におかれた高麗の人々

6)桃山時代に秀吉の朝鮮出兵をきっかけとして日本各地に定住させられた李氏朝鮮の人々

7)明治・大正・昭和期に半島経由で日本にやって来て裏社会におかれた人々

8)戦後に韓国政府の弾圧を受け済州島から日本にやって来て裏社会におかれた共産主義を信奉する人々

特に一番最後とそれ以前とは異質です。

リチャードさん達はどうやら、これらを明確に区別することなく、極めて漠然とした外延をもって「朝鮮」と称しているようです。

金融偽ユダヤ人の手下となって日本社会を現在蚕食しつつある半島人は、最後の8)だけ、あるいは笹川良一や児玉誉士夫が戦前からの在日朝鮮人であるという説も考慮に入れれば7)と8)の二つだけ、しかもその全員ではなく、アメリカCIAから「スパイたれ」との誘惑を受けた時にそれを退けるだけの気概のなかった一部の者達だけ、となるのではないですか?

そもそも1)~5)の支配者層が明治以降に金融偽ユダヤ人達との連携を隷属とは必ずしも言えないような形で受け容れたり、戦後在日朝鮮人スパイ達との共存をやはり同じような形で受け容れたり出来た背景も詳細に考察しなければならないでしょう。

例えば、彼ら支配層はひょっとしたら、私たちほど強くは自分たちのことを日本人と思っていず、他の隠された別次元の世界規模の集団で金融偽ユダヤやユーラシアの諸王朝とも淵源を同じくするある未知の集団への帰属意識の方を強く維持しながら、日本と日本人のことはただ単に自らの既得権益として統治してきたに過ぎず、事実を知らないのは我々庶民だけである・・・などという切り込み方です。

また、半島は実際は文献学上は飽くまでも倭や韓であって、それを現在「朝鮮」と呼んでいるのは意図的錯誤であるという有力な説もあります。

朝鮮=チュシン=女真=満州=高句麗=日本=寺社勢力=清=清和源氏=清和会=etc.

といった等式を示唆する人すらいるのです。すなわち、明王朝成立以降にその影響下で成立した李氏朝鮮は厳密には本来の朝鮮でなく、朝鮮の古代神話で語られるようなバイカル湖畔をルーツとする本来の朝鮮の流れは、実は列島に入り込み、列島で維持されて来た。従って『朱蒙』や『淵蓋蘇文』『大王四神記』『広開土王』『善徳女王』『金尚古王』などの日本でもポピュラーになった韓流の歴史ドラマは、実際は日本の支配層が半島にいた時の歴史である可能性が極めて高いということです。この意味もきちんと検証していくべきです。私も今、このテーマを念頭におきながら猛勉強中と言ったところでしょうか?

「ややっこしいから、大まかに言うと」などと言って済ませないで、捏造の歴史を詳しく調べつつ裏社会観を深化させて下さい。そうでないと独立党も、大きな影響力を持つようになった今、思いがけないとんでもない間違いをしてしまう可能性があると思うのです。

例えば、戦後に出て来た創価や統一と平安の昔からずっと維持されて来た高野山とを、同一地平で切るような失礼な真似をしないで下さい。