飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

世界精神の正体

2017-09-12 00:20:09 | 日本論と宗教論
人間のこの社会は、大まかに言うと、三重構造になっているものと思われます。人間が肉体と魂と霊からなるのと同じです。即ち、人間が肉体と、肉体の統合を司る魂と、魂によって統合された肉体に、意識として宿る霊からなるのと同じなのです。魂と霊の区別については、通常は、区別が曖昧になっていますが、今の場合、本来は厳密に区別さるべきことを踏まえておく必要があります。

肉体は魂の統治の元で新陳代謝を繰り返し、成長し、再生産して存続していきます。魂は個体としての肉体が消滅する時にその肉体を離れます(所謂「死」)。個体が成長によって変化する時には、魂は別の適当な魂と入れ替わります(所謂「子供の時とは見違えたね」)。霊は、勉学や人生経験、社会的イニシエーションなどによってより高次の霊の保護を受け、明るく強くなることがあります。反対に、絶望や恐怖、社会的転落などによってより高次の霊の保護を失い、暗く弱くなることもあります。しかしそれ自体は、基本的に入れ替わることがありません。魂によって統治されている肉体から霊が分離し空間全体(宇宙全体)に広がると、肉体は起きて活動しているのとは違う状態になります(所謂「睡眠」や「気絶」)。霊は魂によって統制された肉体を脱ぎ替えて、ある高次の目的のために新しく存在し直すことがあります(所謂「輪廻転生」)。

人間の社会を上記の人間存在に喩えると、肉体は土地と国民と生産流通組織などに、魂は表政府や地方自治体、各種企業団体に、霊は陰の政府を中核とする官僚組織体と、陰の政府のバックアップを行う祭祀組織に、それぞれ当てはめることができます。

この中の影の政府こそが国の本体です。国の霊に当たるこの影の政府が、魂に伴われた肉体に当たる土地と国民と生産組織から離れている時には、魂に当たる表の政府は内政に集中し、外交や、ましてや戦争などを遂行することがありません。言わば、眠っているのと同じ状態になるのです。影の政府内部で新陳代謝がスムーズにいかず、分裂が起こったり、他所の影の政府との国際関係における軋轢や矛盾が生じた時に、そこで初めて、全体に組み替えを施し、情況を安定させようとする動きが生じます。そのために先ずはこの高次なレベルで、外交交渉や協議、方策会議が行われたりするのです。次の安定した時代の形とそこへと移行する際のシナリオがそこで決定されるのです。戦争も、余程の例外を除いてほぼ確実に、この会議で打ち出された方策の一環として実行されるのです。この方策を持って各国の影の政府が、それまで眠っていた表の政府や、下部構造としての国のあらゆる部署にエージェントを組織的に送り込み、あるいは人知れず育て上げる訳です。そうして主に、

(1)スケープゴートとしての悪の暴露

(2)悪によるあからさまな暴虐の数々

(3)それらに耐え続ける民衆のイメージ

(4)善の登場

(5)善を中心とした新しい統合の機運の隆盛

(6)悪の反撃

(7)善の苦難と悲しい別れ

(8)強力な助っ人の突然の登場

(9)隠された関係性の開示

(10)それに基づいた確固とした新しい目的の掲揚

(11)新しく生まれ変わった善による反撃

(12)勝利と悪の滅亡

(13)新しい時代に満足し平安に戻る人々

などといった大筋に沿うよう作られた計画の部分部分を、それぞれ、全体像が見えないようにフィルターをかけながら各エージェントに手渡し、実行させる訳です。このことによって初めて、国民の国民としての自己意識が高まり、下部構造としての国全体が対外的な国として活発に活動し始める訳です。このこと自体は、明治維新という良い事例を持った我々日本人には比較的理解しやすくなっているのではないでしょうか?そう言えば「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった4杯で夜も眠れず」という、事柄の本質を妙に突いている川柳もありました。外国を意識して騒乱が起こるまでは、下部構造としての国は謂わば、太平の中で眠っている訳ですから。

この計画実行の過程で時には、偶発的な事件も起こることでしょう。しかしそれが、全体の基本線を乱すことなどほとんどないようになっています。特殊なやり方で人間存在の根底全体がコントロールされ、その上で上記の全てが実行されるからです。人の世は必ず、このように動いて行くのです。どこまでも必然的なものだと弁えておいた方がいい。実態を知ってか知らずかヘーゲルも、この必然性を「世界精神」と表現し、説明しました。

日本の場合は、戦後、魂の重要な部分として象徴天皇と新しい議会と民主制を与えられました。文字通り「以前とは見違えた国」となった訳です。肉体は戦前とほとんど変わらず、他に類を見ないくらい健康で活発です。何より血の巡りがいいのです。その上に官僚が霊として配置されています。革命があってもこの官僚層だけは変化しません。このことは、ロシアのついこの間の革命の時に私達も、観察することができました。日本も建国以来、この官僚層だけは全く交替していません。交替していたら最早日本ではなくなっていたはずと言っていいくらい交替しないのが、この官僚層なのです。謂わば日本の本体なのです。これに侵入してジワジワと悪質なものに変えていく能力のある、特別な種族の存在も忘れることはできませんが、兎に角、交替しないのが官僚層というものなのです。問題はその上です。詳しくはまだ調査中としか言いようがありませんが、ここに、古来からの幾つかの霊と明治以来の霊、戦後に割り込んできた霊が互いに複雑に絡み合いながら鎮座しているという訳です。どんな関係になっているのかは、今のところは分かりません。

註:「三人の天皇」即ち、山背賀茂氏の裏天皇と葛城賀茂氏の裏天皇、京にいる表の天皇の更に表にいる東京の天皇がその中核にいることは段々と分かってきました。大国主以前のツングース系氏族の集団のことをこの三人の天皇の中に入れるのは、恐らくは間違いです。肉となって地上に現れ、人類の罪の贖いとして十字架に掛かったイエスに対する、レビ族による一定の祭祀機構で、ある特定の印によって保証を受けた祭祀機構がない限り「天皇陛下」と言われることはないからです。大国主以前のツングース系氏族の集団を「大元」あるいは「大本」と言う時は、古さが意識されているだけで、今言ったような権能を持っているとは思えないからです。

15年ほど前から急速に普及してきたPCとインターネットがよもや、自然発生のものと思ってはいけません。それと機を一にするかのように吹き荒れ始めた陰謀論も然りです。全てが計画の内なのです。

ただし、ヤマトや日本が世界史的な意味で本当は、本物のヘブルやイスラエル、ユダヤ、キリスト(メシア)の保存場所であることを明らかにし、そうすることでこれまで跳梁跋扈していた偽物が恭順に追い込まれ、世界全体に大きな変革を起こすというシナリオは、数百年来のなどといった小規模な変革ではなく、何千年来のといった人類がこれまであまり体験したことのないような規模の変革への意志表明となっているが故に、その主役が我が日本人あるいはヤマト族だということもあって、余りにも刺激的すぎるシナリオになっていると言いていいのかもしれません。原爆といい津波といい、単に過酷であるばかりか何とも派手な、いかにも象徴的な役回りをする立場にいることを皆で自覚しなければならないのかもしれません。

以上のことを踏まえて、昨年末にウィスキーボンボンさんから頂いた幾つかの質問に、答えてみたいと思います。

>(1)検察が小沢さんを訴えたのは、RKの言う通り、小沢さんを縛るためだったということでしょうか?あの一連の出来事についてどのようなご意見をお持ちですか?

全てがシナリオ通りという上記のような認識に基づけば当然、検察による小沢さんの強引な起訴が「国民のために旧体制に挑む政治家」小沢さんの行動を縛るものであったという話は、誰もが納得する話だと思います。最早、常識ではないでしょうか?ただし、恐ろしいのはこの常識も、はっきりと、インターネットの世界に閉じ込められているということです。インターネットの世界(A層の世界)とマスコミの世界(B層の世界)とをこれ程厳格に分ける力を持った者、A層といえどもB層の世界では全く無力という情況を演出できる力を持った者の存在をどうしても意識せざるを得ません。

しかも、A層の世界とB層の世界をこのように厳密に分ける際の駒としての小沢さんも意識せざるを得ません。小沢さん自身にその自覚があるかどうかはこの間の選挙の時までは分かりませんでしたが、それもこの間の選挙ではっきりしました。小沢さんにはその自覚がずっとあった。自覚した上で自分の活動が支配層にとっての大規模な偶発事故となるよう本気で試みたこともあるが、あっという間に修繕されてしまった。今ではすっかり諦めモードで、恐らくは近いうちに、後継者も全くないまま引退する。小沢さんについて今はっきりしているのは、このことです。

>(2)太田龍さん、ベンジャミンさん、植草一秀さん、苫小牧さん、等々色々な人がおられますが、だれも具体的な行動は起こしません。これは皆さんRKと同じということでしょうか?ご意見をお聞かせください。

私が知っているのは、晩年の太田龍さんとベンジャミン=フルフォードさんです。基本的には全員が、自覚無自覚は別にして、エージェント(工作員あるいは代理人)だと思います。一人の例外もありません。ですから、無邪気な期待をかけ続けるのだけは危険です。そのことを踏まえた上で、それぞれの人がどんな権力を背後に控えているのか。そんな中のいつどこの場面で自由意志を発揮し、支配者にとっての偶発的な存在になろうとし、そのことで私達国民のどんな光となったのか。このことを押さえておく必要があります。それぞれについては、ちゃんと独立した記事として記述すべきです。RKについてはもう十分にやりました。残りの人についても、機会があれば順次記事にしていきます。ここでは一言、晩年の太田龍さんについて述べます。

晩年の太田龍さんの基本に流れていたのは、自分のそれまでの活動が知らないうちにより大きな存在者の駒として利用される範囲のものでしかなかったことに対する衝撃と絶望、混乱、落胆、好奇心だったと思います。これまで発表されたものは全て、どんなに衝撃的に見えようと、あくまでも穏健な範囲のものに留まっているでしょう。お気づきになられたのが死を強く自覚する70代後半でしたから、ひょっとしたら、未発表のまま封印された遥かに衝撃的な手記が大量に残っている可能性があると思います。密かな後継者も複数いるのではないでしょうか?もっと若い時に暗殺された石井紘基さんの、今は行方不明の資料にも匹敵するような手記が残されているかもしれません。二ビル星とアヌンナキの情報については、虚偽として退けることはしませんし、むしろ私の心の重要な位置に専用の部屋を設けて保存すらしていますが、どんなこともこの地上の材料を使って理解、説明するという私の基本スタンスから、それらについて私が言及する可能性は、今のところはありません。しかし、くどいようですが、虚偽として退けたり、嘲笑したりすることは絶対にやめるべきだと思っています。この辺のことが弁えられない品の悪さがRKにはあります。

>(3)小沢さんは今回の選挙で嘉田さんを担ぎ出して未来の党を作り、戦いました。これは、純粋に選挙に勝つための戦略だったと考える方が自然ですか?あるいは負けを前提にして、取った戦略だったのでしょうか(つまりRKの言うように、不正が行われる前提で直前に未来の党を作ったのか)?ご意見をお聞かせください。

エージェントの中には、規定の役割を果たしていく中で自由意志を発揮するための策をあれこれと練り、機会を伺っている人がいると考えています。彼の今回の行為により、不正選挙があからさまに行われたことが事実として確認しやすくなりました。不正選挙があからさまに行われたことを何とか事実として確認させようと自由意志を発揮したのか?それとも不正選挙があからさまに行われたことを事実として確認させるように動くよう命じられていたのか?それは次の参院選に向けての彼と彼の仲間たちの言動を見るしか確認する術はありませんが、恐らくは後者だろうと考えます。理由は色々ありますが、一番分かりやすいのは、彼が実は済州島出身の在日韓国人であるという情報の体制側の取り扱い方を指摘することでしょう。体制側にとって彼が本当に敵であるなら、その事実をテレビでも大々的に報道するはずです。なのに、実際は、インターネットの中でしか報道しません。そんなことをしたら、他の在日エージェントまで使えなくなるからというのもあるでしょうが、他のエージェントに波及しないよう統制をかけた上で小沢さんを追い詰めるための手段としてそれを行うことなど、彼らには簡単なのだし、それを言うならインターネットではもう既に小沢さん以外にも多くの政治家がこの問題の槍玉に上がっていますから、私にはその指摘には妥当性がないように感じられます。そのことひとつを取っても、小沢さんが彼らにとっての本当の敵ではないことが分かります。同じことは、RKにも言えます。彼など潰す手段など幾らでもあるのに、使っていないのです。RKが勝手に自己意識を肥大させているだけだと思います。「八百万の神に護られている」とか、本気か冗談か分からない言い方をしてです。

>今後も、質問等、させて頂きたく思っております。

ウィスキーボンボンさんもブログなどがありましたら、教えてください。