飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

ある人の秦氏批判に対する秦氏からの抗議

2014-03-05 17:57:41 | 日本論と宗教論
日本社会の最奥には歴史的実体としての悪が潜んでいる。本来の正当な支配者の元に巧みに擦り寄っては、ある時、その座から彼らを追い出し、自分達がその座に居座った。現在も、何も知らない我々一般の国民を、見えないところから巧妙に支配しつつ、自分たちだけの繁栄を意図しながら悪の所業を様々に繰り返している。この人たちの起源は古代中東のエドム人で、聖書を読むと、古代中東史でイスラエルと呼ばれ、我々日本人にとっては主要な先祖のひとつに当たる、そんな高貴な人々に対して、彼らが我々現代日本人に行っているのと同じような陰謀を、同じように仕掛け続けていたことが分かる。昔から伝わるおとぎ話や伝説、神社伝承、歴史書、古文書ばかりか、現在のアニメやニュース、日本の近現代史に現れる様々な歴史事象などもまた、それらを象徴として読み解くと、何とも不思議なことに、上に述べたような我々日本人の隠された本当の歴史と社会の仕組みが浮かび上がってくるようになっている。…このようなスタンスで記事を書き続けておられる方がアメノマヒトツさんです。この方にアルトさんという私のブログの読者でもある方が、以下のような怒りのコメントをお入れになられました。そこから始まった一連の遣り取りが、私には何だか意義深いものに感じられました。そこで以下に、その経過を記事として収録したいと思います。

註:収録されたすべての表現に、私の修正が少なからず入っています。何故そういうことをしたのかというと、私が組み立てて少しずつ発展させている体系と同じ素材を扱い、いくつかの共通点を含みながら、私の見解から余りにも外れすぎて理解不能になっている部分も多々含まれている。そんな無視すべからざる他説を自分なりにできる限り深く理解するには、このような修正も致し方ない。こう考えたからです。この点、悪しからずご了承ください。


アメノマヒトツさんの記事へのアルトさんのコメント

殖産や土木事業で聖武天皇の御世を救世したのは秦氏である。大仏建立に奔走したのも秦氏。聖武天皇の時代だけではなく、日本が倭と言われていた時代の当初から秦氏は、キリストの正当な後継部族として、我が国家と国民のために大いに尽くしてきていたのだ。それなのに、8世紀後半になって、桓武(百済王家)と藤原北家(百済起源のレビ族の一団で秦氏の宗家である藤原不比等の家系にその一部として加えられた家門)に粛清された。

このような秦氏のことをお前は、クリスチャンであるにも拘らず、無差別攻撃している。つまり、自分でも気づかない内に、反キリスト側の片棒を担いでいるのだ。

お前は義経のことを記事の中で「新羅系の秦氏」によって逼塞させられた列島の正統支配部族「忌部氏」出身ではないかとの推測を発表しているが、これもあらゆる点で酷い誤解だ。例えば私見では、義経は清盛の実子である。そのことを背景に彼の全ての行動を読み取らなければならない。また清盛は、新羅系でもあり、北家の白河院(新羅‐河院)の実子でもある。とするなら、「新羅系の秦氏」によって逼塞させられた「忌部氏」出身の義経というお前の推測は、この私の見解からすれば、もっと奥深くて精密な分析を必要とする、未だ未熟な見解と言わざるを得ない。

一般には秘密にされていることだが、実は、明治維新の前まで皇室には、表の男帝の裏に女帝がいたのだ。エジプト以来の反キリスト的、反イスラエル的な悪しき伝統が受け継がれていたという訳だ。そんな長い歴史の中で聖武天皇だけが、本物の正統な皇帝だったと言わなければならない。お前が記事の中で盛んに崇敬を表明している今上天皇も、表向きはこの聖武天皇の子孫とされているが、実際は全く異なっているのだ。このことに気付かないと、本当のことは何も分かってこない。ただ、異端モルモンの反キリストであるお前には恐らく、このことは決して分かるまい。もし聞く耳があるなら、聞いてよく考えるべきだ。そうすれば、誤解に満ちた記事の連続も収束し、もっといい記事が書けるようになるはずだ。


私からアルトさんへの質問

マメノマヒトツさんの言っている「忌部氏」とは、それを忌部氏と呼ぶことそのものに私は実は反対なのですが、少なくとも「列島最古の支配部族」の意味があると思います。確かに忌部氏もこの部族の列島支配体制の中に組み込まれて重要な役割を果たしてはいたが、この部族全体を忌部氏と同一視してはならない。このような認識です。

ところで新羅は、この部族の分派である朴氏や金氏(中臣氏や蘇我氏のこと)、昔氏が建国した国でした。この部族の列島派(中臣氏や蘇我氏、海部氏、葛城氏、尾張氏、津守氏など)と新羅派(金氏)には互いにある程度の強い親族意識があって、一貫して協力し合っていたというのが、私の最近の認識です。この考えからすると、「忌部氏」の遺物と新羅の遺物が列島内の同一の場所に重なって認められたところで、それを必ずしも、「忌部氏」の占めていた地位を新羅が掠め取った証であるなどと短絡的に断定できる訳ではないのです。

註:朴氏の始祖赫居世居西干〔ヒョッコセイセイカン〕とは、赫居世伊勢神のことで、彼は列島の葛城氏や津守氏を出自とする人物でした。匈奴〔キョウド/クンナ 註:狗奴国のクナに極めて近い発音になっている〕系の部族の族長に付けられてきた汗〔カン/ハン 例:チンギスハーン〕もこの干〔カン〕を語源とするものでした。つまり、驚いたことに、匈奴やモンゴル族も起源は倭人でした。匈奴やモンゴル族が我々の起源だったのではなく、我々が彼らの起源だったという訳です。

註:昔氏は何と、私の最近の調査によると、燕の将軍で、高氏の句麗である建国直後の高句麗を乗っ取って自ら高句麗第3代王になった解氏〔ヘシ〕の無恤〔ムヒョル〕こと大武神〔テムジン 註:チンギスハーンの幼名として伝わっているのもテムジン。これは単なる偶然ではないでしょう〕が後漢に追われて委奴(イド/イナ)国に亡命し改名した、脱解〔ダルへ〕を始祖とする氏族でした。奈良県の地名平群〔ヘグリ〕も解氏の句麗のことを意味するのではないかと思われます。

「忌部氏」の遺物と新羅の遺物が列島内の同じ場所に認められる。後者が前者の占めていた地位をあくどい手段を用いて奪った。これらことは様々な事象のシンボリックな操作からも見えてくる。....これがアメノマヒトツさんの主張です。ということは、本質的には、所謂単なる思考実験の要素が強い訳です。それはそれで大いに価値があるし、少なくともそのこと自体を捉えて責め立てることもできない。但し、このようなシンボリックな手法を用いてある人達を悪の権化と「断定」する場合、「悪の権化」という概念そのものにも私は大いに価値があるとは思いますが、それでも、その人達に対する呼称の用い方が曖昧に過ぎると、それはそれでやはり、一種の暴力になってしまう。私はそう感じます。私達の目的は隠れた悪の暴露と駆逐、それに、人間一般の幸福、平和の実現(と言うより回復)です。アメノマヒトツさんが、悪の権化として追求している者達を一括りに秦氏や賀茂氏と言い切ってしまうのは、今言ったような意味でやはり、余りにも危険なのだと思います。秦氏や賀茂氏でありながら、そのような悪の権化に属さない人達が大勢いるはずだからです。その人達にとっては、それは、暴力以外の何物でもない。アルトさんの怒りもそこにある。

そこでアルトさんに質問なのです。アメノマヒトツさんが悪の権化の目に見える構成員として挙げている勝栄次郎やマイク=ホンダなどの人達は、アルトさんから見ても悪の権化の一員ですか?もしそうなら、秦氏ではなく、何と呼んだらいいでしょうか?


アルトさんの私への回答

マイクホンンダはただユダ金に利用されただけの人物です。仮に彼が秦氏に由来する人物だとしても、日本の秦氏の影響下にある者とは思えません。

勝栄次郎については、「勝」が秦川勝の勝から来ているのであれば、彼も秦氏でしょう。彼が大蔵官僚であることからも、秦氏の一員である可能性は高いと言えます。高位の秦氏と言ってよいのではないでしょうか。但し、私は彼のことを、悪の権化の一員とは認めません。アメノマヒトツさんが彼のことを悪の権化の一員と断定する、秦氏であるという事実以外の理由を、私はぜひ聞いてみたい。

ところで、歴史的実在としての悪すなわち悪の権化のことをどのように呼称すべきなのか?

まず、前提条件として次のような事実の提示から始めなければなりません。列島の支配氏族の最古は、実は、徐福を始祖とする物部氏や、秦氏などからなる秦帝国の者達なのです。彼らの中にはマケドニアギリシャの後裔が含まれています。マケドニアギリシャは東ユダヤ人の国であるペルシャを併合してその地域を州として管理した訳ですが、その時にユダヤと混血し、ひとつの民族となったのでした。この物部氏の分家である燕の公孫氏からは後に、あの卑弥呼が出ました。この公孫氏は、魏の司馬懿仲達の子種を宿した家系でもあります。この家系が列島に渡って来て西日本一帯に(あるいは九州に)「倭国」として建国したのがヤマト(あるいはヤマイ)です。そのヤマトが7世紀後半、新羅に占領され、新羅の金氏とも直接繋がる蘇我本家と婚姻して新たに建国したのが日本国であり、その政府が大和朝廷だったのです。

この三番目の時に聖武天皇が、唯一の正統な天皇として即位しました。この天皇の系統がその後も日本国の正統な天皇家として存続することこそが、イスラエルやキリスト教の観点から見て最も理想的なはずでした。ところが、秦不比等或いは中臣不比等改め藤原不比等から出た家系のひとつである藤原南家の仲麻呂が謀反。この時に、この聖武天皇も失脚。これら一連の動きを陰で操ったのが不比等の家系に新羅の意向で加えられていた百済のレビ族出身の男子を始祖とする藤原北家だったのです。

この藤原北家とその取り巻きたちこそが、悪の権化なのです。秦氏の中には、蘇我氏の血を引き継ぐ点で新羅とも関わりが深い秦氏出身の聖武天皇や、その家臣団を構成している秦氏の人々を裏切った人達もいました。この人達も、確かに秦氏ではあるが、悪の権化の一員と言わなければなりません。秦氏だから悪の権化ということには、だから絶対にはならないのです。この点をアメノマヒトツさんには必ず、理解してほしい。

今上天皇は、桓武の血筋と言われています。私もそう考えるのが妥当と感じます。「百済の武寧王の血筋である」と彼自身が発言したこともあります。桓武天皇とは、藤原北家や裏切り者の秦氏達の支援の元で日本国の皇位を簒奪した百済王家の天皇です。こう考えると、わたしから言わせれば今上天皇もまた、悪の権化の一員なのです。

桓武は易姓革命を果たしたといっても過言ではないでしょう。聖武天皇の遺言家系が真実の天皇家なのですが、現状としては、この国ではもはや、天皇として実際に即位する余地などないかのようにすら見えます。しかし実際は、なれるのです。それは、私たち日本人が古代イスラエルの本流だからです。わたしたち日本人は、ヤコブの遺言を履行しなければならないのです。今の支配氏族である邪悪な者達もヤコブの遺言には逆らえません。エッセネ派の末裔たちも、裏切り者達も皆、そうです。ヤコブの遺言とは「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う」です。桓武天皇はユダではない。聖武天皇こそ秦氏であり、ユダです。

私たち家族は聖武天皇の直系の子孫です。正当な天皇は私たちの家系から出なければならないのです。そのため現在の天皇家と彼らを中心とする勢力から長いこと、実に酷い嫌がらせを受けてきた。どれほど苦労してきたことか。辛酸をなめてきたことか。今上天皇を憎む存念は、私の中でますます強くなるばかりですが、それはまさに、このせいなのです。

アメノマヒトツさんは、裏切り者の秦氏の影に惑わされ、イスラエルの正統な王権継承者と決められている私の家系を含む秦氏全体を、秦氏だからという間違った理由以外の理由を一切挙げないままで、悪の権化と断定しています。その上、悪の権化の正真正銘の一員であり、私の家系への嫌がらせを続ける今上天皇を、よりによって正当な天皇家と誤認しつつ、悪の権化に翻弄されていて同情すべきである。彼の復権こそが日本の未来を創るなどと、全く支離滅裂なことを主張してしまっているのです。私はこれに、どうしても我慢がならないのです。