飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

卑弥呼共立の基盤が武力でないことが分からないと述べる人への返信コメント

2021-05-21 18:03:47 | 邪馬臺国
桓霊の間の中原の混乱に押し出されるかのように列島に入ってきた勢力とは、武力において列島のあらゆる勢力を凌駕していましたはずですから、やろうと思ったら列島の従来の住民を殲滅できたと思います。なのに、実際はそうしなかった。そこに邪馬台国問題を含めた日本史全体の秘密が隠されています。

考古学の最新成果だけを追いかけているとこういう類の本質問題が問題として浮かんでこなくなるのです。中原や半島の文献は勿論、西域の各国の歴史書を網羅しつつ、想像力を最大限使うということがない限り、そういうことになってしまいます。縄文時代をまだ、縄文土器の時代と思っていませんか?

具体的には、それこそ色々ありますけど、あなたが最もびっくりしなさそうなことをやんわり申し上げると、中原から混乱に押し出される形で列島に入ってきた勢力は、民ではなく軍団と官僚組織を中核とした組織体になると思いますが、実はその大半がかつて列島から計画的に送り込まれ、列島の最も奥からの密かな支援を受け続ける形で中原社会で高い地位を確立し役割を果たしていたものだったです。更には、時を経た後にその役割を終えて、かの奥が新たに描いた次の時代の世界構想に基づいて、その命を受けて列島に帰還したものだった。だから、どれもこれも列島に入った途端に何故か牙を抜かれたかのように戦闘的ではなくなり、列島社会も平気で社会の上層に彼らを迎え入れるということが起こってきたのです。一部は裏事情の分かっていない勢力が混ざっていてある程度は混乱しましたが、それが卑弥呼が共立されたくらいで収まることの本当の意味を悟るべきです。そもそも、半島沿岸まで来た騎馬民族を船で列島まで運んだのは、列島周辺から大陸沿岸域で活発に活動していた列島の海の民でしょう。これを考えるだけで、上に述べたことが夢物語でないことが分かりませんか?また、ローマにおいて属州の統治官を終えた人物がその配下を引き連れてローマに帰還し、次のローマ皇帝家を打ち立てていくさまは、列島のものより破滅的な混乱を多く含むものの、ある程度は列島に関して上に述べたことに類似した事例であると言えます。

近現代において朝鮮や満州国、北朝鮮が担っている緩衝国の役割を、当時は高句麗など半島諸国が第1段階で受け持ち、列島内では九州が第二段階で受け持っていたのです。中原でも、史上有名な氏族の予想よりも多くのものが列島による隠れた配置とコントロール、支援を受け、その使命を果たしてきたと見るべきです。ほんの数例を上げると、呂氏や陳氏です。蜀の出身で江南にも縁故の多かった魏志倭人伝の編纂者の名前は陳寿でしたよね。陳は列島では佐伯と呼ばれる氏族だそうですよ。

これは普通の歴史観にはなかなか入ってこないアイデアですが、よく考えると当然のことではないでしょうか?倭人は決して原始人ではなかったのです。それどころか、世界で最も古い起源を持つ才能豊かな人々だったのですよ。倭は差別語ではなかったのです。それは魏という漢字と比較すれば一目瞭然です。

纒向からは九州由来の土器がほとんど出土しないからと論じるYou Tube番組へのコメント

2021-05-21 11:10:43 | 邪馬臺国
九州由来の土器がほとんど見つかっていない。すなわち、九州が近畿の支配を受けた形跡はほとんど見えない。

この主張に対しては、卑弥呼を象徴とする大邪馬台国連合と卑弥呼の邪馬台国による西日本支配を概念的に区別できず、魏志倭人伝が正確に前者だと言っているのに、それを間違えて後者のように理解していると指摘することができます。

卑弥呼が象徴として君臨していても、実権は、特に外交上の特権は、北九州勢力が、女王国から北九州に出向しているイクメやミマキのリーダーシップの元で振るっていたと考えるべきでしょう。

換言すると、後漢の乱れに伴って九州やその他のいくつかの地域に大陸から押し出されるように侵入してきた勢力の影響で倭国大乱が生じ、九州に侵入した比較的強大な侵入勢力も、中国地方以東の西日本は勿論、九州内の他勢力すら圧倒的に制圧するというまでには至らず、結局は、黒潮沿いに南九州から四国南岸、近畿、東海地方に古くから植民と公益によって緩いネットワークを形成していた、南九州と近畿のどちらにも拠点を持っていた邪馬台国の、中国地方以東と九州の全般に及ぶ求心力を利用するのでないと、倭国大乱を鎮めることができず、外交に専念することもできなかったということになります。

纏向に環濠がないからと論じるYou Tube番組へのコメント

2021-05-21 06:05:35 | 邪馬臺国
>纏向に環濠がない。これは纏向が邪馬台国である条件にあっていない。

倭国大乱の後、卑弥呼が共立されて邪馬台国連合ができた。女王国には以下のような行程で行けると書いてあるのですから、纏向に環濠がないのはかえって女王国の目印になります。あなたはどうやら邪馬台国の位置を探しているようですが、魏志倭人伝では邪馬台国までの行程ではなく、女王国までの行程と書かれています。女王国と邪馬台国を混同してはいけません。

倭国大乱の倭国とは九州から瀬戸内海沿岸域での大乱のことです。卑弥呼は九州南部から九州中部に移動し、九州北部のナシメ、イクメを中心とする勢力によって権威として立てられ、ナシメ、イクメを中心とする勢力の権力をバックアップする形で、共に双分制を形成したのです。そうすることで倭国大乱を鎮め、近畿に倭国融和を象徴する纏向を建設した。そして同じく倭国融和の象徴たる自分の常駐地としたのです。ナシメとイクメは実務担当として実務の中心地北九州に常駐したのです。

倭国大乱は桓霊の間で146-189年のことです。女王国の位置が主題となっている魏使の日本滞在の時期は239年です。50年の差があります。邪馬台国は189年頃に九州中部にあり、そこで倭国大乱を鎮めた後、189年以降に近畿に移ったのです。中原に対して九州倭国を表に立て本体を近畿に移して邪馬台国の縦深化を図ったものと考えられます。この時、倭国融和の象徴として人工的に建設された纏向に環濠などできるはずがありません。

世界各地に散在するアスカについての伝承をまとめたYou Tube番組へのコメント

2021-05-20 21:59:07 | 日本論と宗教論
氷河期氷期は中緯度以北が現在の高緯度地帯と同じように冷帯で、人が住める場所にはなっていませんでした。そして赤道地帯は、現在のような常夏ではなく常春で、海水面が現在のそれより100メートルも低くなっていました。結果、人が文明を築ける地域は当時は高原地帯となっていたアフリカの赤道地帯から北に下り当時は平原地帯となっていた現在の地中海域と、海抜の低い平原地帯になっていたスンダ陸棚を中心としてインドから東南アジア、東アジア、列島、列島から当時は細長い陸地帯になっていた南東諸島まで続く地域に絞られていました。後者の文明がムー文明で、その圧倒的に活発な活動の地球全土に至る影響がインドではレムリア、地中海世界ではヘラクレイトスの柱の彼方の海中にあるアトランティスという名前によって記憶されたのでしょう。

今回はこの後者の文明とアスカの密接な関連性をあなたの番組から教えて貰ったことになります。

因みにアスカは、ゾロアスター教とペルシャ語では白黒斑の鳥=斑鳩のことも表しているそうですよ。また、白黒斑はあのフリーメーソンでも重要なシンボルとして扱われていますよね。

最後に、これは余談ですが、ヘラクレイトスとはギリシア語でヘラがくれた子でヘラ-クレ-スとそのまま日本語に変換できる不思議な言葉になっています。

日本が東洋の島国以上の、地球規模の何かと根源で結びついた文化圏であることがここでも仄かに見えてきます。

邪馬台国に関する渡邉説の紹介You Tube番組へのコメント

2021-05-20 16:43:15 | 邪馬臺国
私も渡辺氏とは独立に、渡辺説と同じような説をインターネット上で発表しています。理念としての女王国の位置の規定と実際の女王国の位置の規定の区別が必須という考え方です。

ただし、皇帝の威光の及ぶ範囲を二層に分け、第二層の果てに近い位置に邪馬台国を観念的に持ってきたという主張と、敵国呉を牽制するために呉の東側に位置させる必要があったという主張は端的に間違いだと思います。

前者においては第二層において第一層の極限である帯方郡までの方位と帯方郡から邪馬台国までの方位が大きくずれているので、都からの直線距離は5000里+12000里とならず、実際は5000里+12000×cosθと短くなることが理由として挙げられます。また、いくら体面があっても実際と違う情報を記載したら実用にならず困ることから、このような類の書物でそのような虚偽は記載しないはずということも挙げられます。

ところで、魏志倭人伝の里程記事では確かに「帯方郡から邪馬壹国までの距離は東南に12000余里」と書いてあります。九州説はこの記述を見て、「帯方郡から邪馬壹国までの直線距離を当時の人が出せるはずがない。従ってこの数字は総計によって出したものに違いない」と、こんなふうに考えたようです(「消去法を真理判定の決定的な基準と誤認するな」の原則に反す)。しかし、当時の中原王朝の官吏には、帯方郡から邪馬壹国までの直線距離を比較的容易に割り出す手段があったのです。中原内の凡ゆる位置関係の、詳細な地図に依拠した正確なデータ群と、北極星の角度測定を基礎にした普遍的で正確な緯度測定法です。当該2地点の緯度と大まかな方角さえ分かれば、中原内の既存のデータの中から類似のデータを取り出して、その対比から大まかな直線距離を割り出すことができたのです。魏志倭人伝のかの記述「帯方郡から邪馬壹国までの距離は東南に12000余里」は間違いなく直線距離の大まかな推定値です。しかも、かなり実態値に近い。従って、魏志倭人伝の地理観の中で邪馬壹国は決して九州国内になかったことが確認できます。概数の足し算は番組の解説によると渡辺氏もやっているようですが、これは学問としては絶対にやってはいけないことです。

また、後者に関しては、紀元前1300年頃と特定できる論衡の記述から、紀元前数千年の歴史を持ち、江南とも密接な関係を構築していたことが明らかな大国倭国の歴史と、呉の孫権が、琉球や奄美大島、南九州と、船で侵攻させた軍団が大敗して戻ってきたので、激怒したという三国志の記述などから、呉は伝統的に西南諸島の邪馬台国のことは熟知していたと断定できることが、それを間違いと判断すべき理由として挙げることができます。呉は、公孫燕の隣国高句麗にも大船で出向き、高句麗から馬を何百頭も輸送したと三国志に書いてるくらいの海洋大国だったのです。

そもそも、呉の牽制を実質的に行うのに実は女王国の位置はそれほど重要ではありません。何故なら、邪馬台国の大陸からの玄関口であり、邪馬台国の大陸向けの顔であり、邪馬台国の中で最も先進的な地域であり、更には大陸に軍隊を送る際の軍隊の必然的な集結地になるのは九州であって、その情報さえ正確であれば、実用にそぐわないということはまったくないからです。不弥国以降の行程が里数表記ではなく日数表記となっていることや、本来なら直接投馬國まで水行したらいいはずの魏使が大陸に最も近い末羅に一旦上陸し、九州の中心地を視察するような動きをし、不弥国以降は実際には足を運んでいないような書き方で終わっているのも、上記の理由で説明が付きます。

魏志倭人伝では、女王国の位置に関して、行程記事では近畿とも奄美大島とも取れるような曖昧な書き方になり、総括記事と風俗記事、江南との歴史的な関わりの紹介記事では奄美大島にあるかのような書き方になっています。つまり、あえて曖昧にしているし、曖昧にできる歴史的な背景もあるのです。その理由としては、九州の位置さえはっきりすれば実用に支障が出ることはないから女王国の位置に詳細は必要ないという消極的な理由に加えて、ある重大な衝撃的な理由を挙げることができますが、その説明は別の機会に回したいと思います。

「アトランティス」の本当の意味

2021-05-17 16:32:04 | 日本論と宗教論
アトランティスはムーのあまりに強い影響力によって古代ヨーロッパ人の頭に定着した幻影というアイデアについ先程思い至りました。

ムーとはインドや中東の伝承ではレムリアとも呼ばれ、実際は、スンダ陸棚から東アジア、列島、列島南東諸島が地続きだった氷河期氷期の人類の先史文明のことでしょう。東で言うとアメリカ大陸と大西洋を越えてイタリア半島以西の地中海域西部にまで及ぶなど、その影響力があまりにも大きくて、古代地中海人からすれば「ヘラクレイトスの柱の向こう側のはるか彼方に」としか表現できなかったところを、近代ヨーロッパ人が間違えて「ヘラクレイトスの柱の向こう側の大西洋に」と勝手に解釈したのが実情のようです。それを裏付けるかのように、ティマイオスとクリティアスの原文をよく読んでみると、大西洋という言葉は一切出てきません。ここで、そもそもこの時代に「アトランティックオーシャン」という言葉そのものがなかったことを想起させられました。

ヘラクレイトスの柱のはるか向こう側から一方的にやってくる人々は、ヘラクレイトスの柱を抜けた後、大西洋と太平洋を越えてアトランティスの本拠地にまで実際に行って確認するなどということの全くなかった古代地中海人には、大西洋のどこかにと思いこむのが精一杯だったと考えれば、非常に辻褄が合います。この考えは恐らく実際をほぼ言い当てているに違いありません。

どうやら、アトランティスが海没前の地中海にあったというこれまでの自説との、根本からのすり合わせが必要になってきました。

詳説 「宇宙人」の本当の意味

2021-05-14 19:01:33 | 宇宙人
「宇宙人」や「宇宙人による人類創造」という言葉が聞かれるようになって久しくなりました。当初は耳目を集め驚かせる新奇な情報として受け止められていたこれらの言葉も、今はまるで常識であるかのようにあちこちで語られるようになっています。そんな中私は、当初よりこれらの言葉に対して、曖昧な言葉との評価を与えつづけてきました。我々はこれらの言葉の曖昧性に気づくべきである。真実の「宇宙人」はもはや「宇宙人」という言葉では呼称できない。「創造」も誤訳と誤解の産物、或いは「創造主」と自称する者による意図的虚偽と断ずるべきである。これが私の主張でした。今回はこの主張を改めて詳しく記述してみたいと思います。

先ず、前者は、自らが知的生命体として生成発展してきた母星の閉じた環境の背後に広がる存在次元、即ち、宇宙内の全ての星の閉じた環境それぞれの背後においてそれら全てによってもまた共有されている共通の存在次元に、生命体としての基軸を移す段階にまで進化した存在者と捉えるべきです。

「宇宙人」と聞くと、文明やテクノロジーが高度に発達した結果として宇宙空間にその活動範囲を広げ、恒星間高速飛行技術を用いて宇宙中を駆け巡り、宇宙中の惑星や衛星に降り立ってその環境に即座に適応し、その惑星由来の生物と何らかの形で交流する異星人というイメージを通常は、映画やテレビドラマによる長年来のしつこい刷り込みもあって私達は抱きがちになっています。しかし、そのような意味での宇宙人は、不可能なことと断ぜざるを得ないのです。何故なら、どんなに高度なテクノロジーによっても原理的に絶対に克服不可能な問題をいくつも挙げることができるからです。このことについては当サイト内の記事『「宇宙人」を斬る』に詳しく書きました。

にもかかわらず、私は「宇宙人」という曖昧な言葉で語られる対象そのものが、事実としてこの地球上で太古より我々人類と、ある特殊な決して浅からぬ関係を結んできたと聞く時に、そこにある種のリアリティを感じ取るのです。投げかけられるイメージが間違えているからと言って、イメージを投げかけられる存在そのものが架空のものとは限らない。リアリティが感じられる限り、その間違った曖昧なイメージだけを根こそぎ拭い去り、新たな明瞭な概念でその存在を捉え直すべきと、こう考える訳です。

こう考えた時に私の頭に浮かんでくるのが、この物理空間の背後に時空の制約を超える形で広がる存在次元に生物としての基軸を移す形で進化した知的生命体という概念なのです。このような存在者ならば、先に述べたような多くの問題を抱え込むことなく、母星以外の惑星や衛星に、必ずしも物理的ではない、何らかの形で関わることができるでしょう。例えば、その惑星の知的生命体に霊的に語りかけるとか、他の惑星由来の高度知的生命体と共有される背後の存在次元において同次元の存在同士で一種の社会を構成するとかいったことが、その例として挙げられます。

その中には、地球由来であるが故に地球のこの環境内でもこの環境内の存在者達とこの環境内に固有の物理的な関わり方によって密かに関わってきたものも数種類存在すると考えるべきです。背後の次元に基軸を移しつつもこの物理的次元の存在様式も放棄したわけではないからです。彼らにも上のような意味での「宇宙人」と呼ばれる資格があると私は考えます。これを新たに何と呼ぶべきでしょうか?

この地球由来の高次知的生命体の中には、我々人類が牛や馬、羊などを家畜として飼育しているのと同様に、我々人類を家畜として飼育し、集団として進化せしめた者達がいます。個体としては我々人類よりも遥かに進化しているものの、種としては我々とごく近い関係にあり、生殖関係を結ぶことが可能なものもその中には含まれている。彼らのことは例えば「ネアンデルタール人」とか「ネフィリム」「プレアデス星人」とかいった、限定的な認識、或いは、意図的に操作誘導された誤解に基づいた、断片的な呼称がいくつかの領域の様々な文献に多数散見されます。

彼等は、恒星間高速移動はやはりできないにしろ、この太陽系の惑星や衛星のいくつかへの、移住ではなく活動範囲の拡大を、随分以前から行ってきているものと考えられます。それらの惑星や衛星の環境に生物として適応したのではなく、それらの惑星や衛星で生命維持環境を人為的に構築し、鉱物資源の採掘など必要な活動を限定的に行っていて、この地球にも必然的に頻繁に帰還しているものと考えられる。その帰還の姿を偶然目撃した人がいて、詳しい事情を何も知らないまま彼らのことを「宇宙人」という曖昧な言葉で捉えるようになった、或いは、捉えるように彼ら自身によって、密かに巧みに誘導されたのです。我々人類を家畜として飼育支配している彼等にはそのような情報操作は何も難しくない。彼らこそ、我々人類のピラミッド型支配と支配層の起源なのです。古代の文献には彼らは神々として描かれています。古代の文献ができた時には現在とは違って「宇宙人」という言葉がなかったからです。

彼らとは別に、この地球由来ながら、種として我々人類とはごく遠い関係にあり、生殖関係を結ぶこともできない「レプティリアン」なども含まれています。

これらの何れも我々人類を支配、飼育してきたことに変わりはありません。飼育である以上、我々人類が家畜に対して行うのと同じような人為的交配や遺伝子操作が行われてきたのは事実でしょう。が、それは「create」と意図的に強弁されたのものに過ぎません。我々の先祖もそれを無邪気に無批判に受け入れてきたに過ぎない。それは実際は「create」とは決して言えない事柄でした。例えば、我々人類が豚の遺伝子を操作して品種改良したからといって、我々が新しい豚をcreateしたとは言えないでしょう。豚に意識があり、我々と意思疎通できるなら、我々が彼らをcreateしたのだと彼らに思い込ませることはあるでしょうが。同様に彼らが我々をcreateしたとは言えない。そもそも、自らを我々人類のcreatorと詐称してきた「プレアデス星人」や「レプティリアン」なども含めて、この宇宙内の全ての存在者をcreateした主体以外に、creatorと読んで差し支えのないものはひとつもないのです。

この「create」は日本語で「創造する」「作る」と誤訳され、「manufacture」の意味まで誤って含みこむことになり、その言葉を使って思考する者の思考に修正不可能な程のひどい混乱を招いています。これは本来は「生む」と訳されるべきだった。creatorとは宇宙とその内部の全存在者を生み、宇宙とその内部の全存在として顕現した「Sein」あるいは「空」「無」などのことなのです。時空を超えた存在であり時空内のいかなる事物でもないが故に時空内のいかなる事物の根底にもその存在の根拠として存在する、所謂「精神」や「唯一の絶対的人格神」のことでもあります。それとの本当の繋がりはひとりひとりの内部の奥底にしか見いだせない。人間ひとりひとりは謂わばミクロコスモスなのです。誰の心にもこの繋がりが内蔵されている。この繋がりから目をそらさず、それに基づいて生きていくことこそが本当の宗教で、この本当の宗教が回復されることで従来の全ての宗教が単なる支配装置でしかなかったと暴露され、否定されることになります。

まとめると、この地球上における人類の歴史に関わってきた「宇宙人」には二種類があることになります。ひとつは、時にはシェルターを作ってその中で活動することはあるものの、生身でこの地球環境内に適応することはなく、人間とも霊的な語りかけ以外の関わりは全く持てない「宇宙人」で、もうひとつは、この地球由来であるが故に生身でこの地球環境内で活動し、人間とも霊的な語りかけ以外の関わりも持つ「宇宙人」です。後者は、人類と生殖ができる「宇宙人」とできない「宇宙人」に細分化できることになり、この場合は三種類ということになります。

「宇宙人」の本当の意味

2021-05-12 05:49:42 | 宇宙人
私達は「宇宙人」や「宇宙人による人類創造」という言葉の曖昧性にそろそろ気づくべきです。真実の「宇宙人」はもはや「宇宙人」という言葉では呼称できないし、「創造」も誤訳と誤解の産物、或いは「創造主」と自称する者による意図的虚偽と断ずるべきです。

前者は、自らが知的生命体として生成発展してきた母星の閉じた環境の背後に広がる、宇宙内の全ての星の閉じた環境によっても共有されている共通の存在次元に生命体としての基軸を移す段階にまで進化した存在者と捉えるべきで、その中にはこの地球由来であるが故にこの地球のこの環境内でこの環境内の存在者達とこの環境内に固有の関わり方によって密かに関わってきたものも数種類存在すると考えるべきです。これを新たに何と呼ぶべきでしょうか?

この地球由来の高次知的生命体の中には、我々人類が牛や馬、羊などを家畜として飼育しているのと同様に、我々人類を家畜として飼育し、集団として進化せしめた者達がいます。生命体として我々とごく近い関係にあり、生殖関係を結ぶことが可能なものもその中には含まれていて、彼らのことは例えば「ネアンデルタール人」とか「ネフィリム」「プレアデス星人」とかいった、限定的な認識、或いは、意図的に操作誘導された誤解に基づいた、断片的な呼称が多数存在しています。

彼らとは別に、生命体として我々人類とはごく遠い関係にあり、生殖関係を結ぶことができない「レプティリアン」なども含まれています。

何れも我々人類を支配、飼育してきたことに変わりはありません。飼育である以上、我々人類が家畜に対して行うのと同じような人為的交配や遺伝子操作が行われてきたのは事実でしょう。が、それは「create」と意図的に強弁され我々の先祖もそれを無邪気に無批判に受け入れてきたに過ぎないのです。実際は「create」とは決して言えない事柄でしかありませんでした。自らを我々人類のcreatorと詐称してきた「プレアデス星人」や「レプティリアン」をも含む全ての存在者をcreateした主体以外に、creatorと呼んで不都合のないものはひとつもないからです。

この「create」は日本語で「創造する」「作る」と誤訳され、「manufacture」の意味まで誤って含みこむことになり、その言葉を使って思考する者の思考に修正不可能なくらいのひどい混乱を招く結果になっています。これは本来は「生む」と訳されるべきだった。creatorとは宇宙とその内部の全存在者を生み、宇宙とその内部の全存在として顕現した「Sein」あるいは「空」「無」などのことなのです。それとの本当の繋がりはひとりひとりの内部の奥底にしか見いだせない。この繋がりから目をそらさず、それに基づいて生きていくことが本当の宗教で、この本当の宗教が回復されることで従来の全ての宗教が単なる支配装置でしかなかったと暴露され、否定されるのです。

カントの超越論的弁証論

2021-05-09 06:04:06 | 日本論と宗教論
カントによる超越論的弁証論。

ここでは、矛盾するふたつの説の両方を上げて、どちらも間違えていることを論証する訳ですが、注意しないといけないのは、このどちらも間違えていると言っていることです。この三次元の世界が全てという考え方も間違いだと言っているのです。どちらも設定された立場からの仮の表現だと言っている。これは単なる不可知論ではありません。この世しか語れないと言っているのではないのです。そうではなく、どちらも違うと論じている主体は、そう語ることでいかなる語りも受け入れないあるものを語り得ているということなのです。これが超越論的ということです。超越論的 transcendental とは超越的なもの a transcendent との関わりをのみ表現し、超越的なものの直接的な表現を否定することです。超越的なものの直接的な表現を否定することでいかなる表現も不可能な超越的なものとその否定する主体との関わりを表現し、そうすることで超越的なものの真正の表現を得るという意味です。従ってカントは唯物論者ではありません。

そもそも、宇宙の創造や宇宙を作るという日本語は誤訳です。本来は生むと訳されなければならなかった。宇宙を生むとは宇宙として顕現するの意味です。create されたものは create したものの本質を受け継がない限り、create されたものとは決して表現できません。人間の行為としては生殖と芸術活動以外に create と表現されません。子供も芸術作品ももう一人の自分という側面を持つものです。

宇宙すなわち時間空間として顕現したものは時間空間の至るところに存在者として顕現する、いかなる存在者とも異なる、或るものとは決して表現できない、Seinとしか表現できないもののことです。英語では Be としか表現できないドイツ語ですが、英語は Be という表現を受け入れないので、結局はドイツ語で Zein と言う以外に方法がないのです。日本語の存在は或る意味この Zein と一致していると言えます。

これは実は nothing とも表現できません。nothing とは not ...... anything の意味でいかなるものでもないということの表現です。これを名詞と勘違いして無や空などと翻訳すると、本当は間違いになります。仏典のサンスクリット語から漢語への翻訳の際にも同じ間違いが起こったに違いありません。

I am what is. ならぬ I am who am. とそれ自身によって表現されれば、その限りにおいて、この世のいかなるものでもないがこの世のいかなるものの根底にも内蔵しているそれ自体のことが比較的よく表現されています。いかなる物象でもないという意味で人間の精神に似ていることの表現にもなっているからです。

因みに、ヤハウェとはこのありてあるもののと言語的に同じこと言われていますが、私は違うと思います。ヤハウェとはヤーべー即ちベーという名前のヤー、カナンの言葉ではベーという名前のエル即ちベーエル、バールのことだと思います。ありてあるものとは本来は関係ないものに違いありません。