那須太社 錦輔 の日記

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徳川幕閣 藤野保 中公新書

2015-05-12 20:41:11 | 読書感想文

徳川幕府の大老とか家康の幕僚について知りたくて、山本博文さんの本も読んだけど、自分的にはこの本が一番面白かった。

末広町の中央通ぞいの小さな古書店で購入(奥付けのところにシールが貼ってあった。文行堂さん、電話番号の市内局番が3桁なので古くから商売されいてるお店みたい。面白そうな本が色々入り口外のワゴンに並んでた)。確か110円だったような気がする。

自分が興味あったのは

本多佐渡守正信

方広寺の鐘名事件で暗躍した、金地院崇伝、南光坊天海、林羅山の3人。

松平信綱(知恵伊豆)

等々

徳川四天王の本多忠勝、榊原康政、大久保忠世、井伊直政たち戦国の勇将猛将が関が原のあと表舞台から姿を消し、変わってあらわれる文官系の幕僚たちと、彼らの権力闘争に興味があったのである。

新書なので紙幅の制限もあるだろうし、学問的な本なので自分好みの人物列伝にはなってない。楼中とか大老といった幕閣の役職の成り立ちとか、どのような人材がいかなる経緯で就任するのか、といった論考・分析が主となっている。

曲学阿世の徒である林羅山など方広寺事件の3人については割と詳しく書いておられる。

駿府の家康が大御所となり、江戸の将軍秀忠と二元政治が行われることになった。

家康、秀忠の両者の間を自由に動いたのが、本多佐渡守正信(ただし家康より)。

江戸の将軍、秀忠の側近は大久保忠隣、酒井忠世、土井利勝。

駿府の大御所、家康の側近は4グループあり

本多正信の子、正純ら徳川家臣の譜代大名ジュニアたち

僧侶、学者グループ(崇伝、天海、羅山)

豪商・代官頭グループ

外国人グループ

家康没後の権力再編成期に、家康の側近であった崇伝と天海は激突する。

没後の家康を祭るに際し、天海は神仏習合の「権現」として祭るべきと主張、崇伝は神道式を主張し「大明神」として祭るべきとの構え。

結果は天海の勝利、本多正純と結ぶ崇伝と、土井利勝ら秀忠側近と近づいた天海の抗争は、秀忠派が凱歌を上げた。その後本多正純も失脚するのである。

曲学阿世の徒、林羅山がどうなったかは記述がないので、Wikipediaであとで調べてみたい(どなたの本だったか忘れたけど、渡辺昇一先生かなぁ、朱子学者、林羅山をか教条主義の事大主義と批判しておられるのを随分前に読んでから、自分の中では羅山イコール悪党、ということになっている)。

五代将軍綱吉の就任までの論考・記述なので、新井白石とか田沼意次とか、寛政の改革の松平定信、松本清張の「天保図録」に出てきた天保の改革の水野忠邦、など徳川幕府の中後期の幕閣は対象外となっている。

ちなみに、松平定信の清廉潔白な政治を揶揄批判した
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」
という短歌があって、230年以上昔の人の言葉だが洒落がきいていてうまいなぁ、と思う。

 

コメント
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