3月19日(日)晴れ。
天気に一喜一憂し、自宅の近くの桜を見ると、なぜか、そわそわした。若い頃は、夏になると、やはり、そわそわした。海に行くのが待ち遠しくて、落ち着かない日を過ごした。たまにの雪が降れば、この景色を逃さず飲める店が無いものかと、そわそわした。随分前の話である。
今年は、桜の咲くのが早い。十年以上も自宅から比較的に近い大岡川の川沿いの桜を愛でつつ、家族で定点写真を撮っている。稀に、「桜なんかに興味がない」と言う人がいる。正直言って、気障、それともへそ曲がりなのかと思ってしまう。日本人と桜・・・。満開となれば喜び、葉桜となれば、哀れさに涙を誘う。インテリを気取った者が、演歌を低く見るのと、似ているような気がする。
しばらく花見をしていない。五、六年前のことだが、盟友と京都に行った時、芸妓さんに鉄板焼きのお店を紹介して頂いた。カウンターに座れば、正面のガラス窓いっぱいに満開の桜が見えた。まるで額縁に入っているような感じがして、しばし見とれた。歳を取ると、そういった間接的な花見も良いものと、しみじみ思った。
昼から、後輩や友人らと一緒に「オアジ」にての食事会。気の置けない人たちとの酒席ほど楽しいものはない。若くして亡くなられた、元楯の会の阿部勉さんの歌に、「盃に浮かぶ花弁の十重二十重わがあやまちの数に似ており」。というものがある。「アベちゃん。良く分かるよ」と亡き友に相槌を打ちつつ、今日も杯中の酒に溺れた。
今年は、桜の咲くのが早い。十年以上も自宅から比較的に近い大岡川の川沿いの桜を愛でつつ、家族で定点写真を撮っている。稀に、「桜なんかに興味がない」と言う人がいる。正直言って、気障、それともへそ曲がりなのかと思ってしまう。日本人と桜・・・。満開となれば喜び、葉桜となれば、哀れさに涙を誘う。インテリを気取った者が、演歌を低く見るのと、似ているような気がする。
しばらく花見をしていない。五、六年前のことだが、盟友と京都に行った時、芸妓さんに鉄板焼きのお店を紹介して頂いた。カウンターに座れば、正面のガラス窓いっぱいに満開の桜が見えた。まるで額縁に入っているような感じがして、しばし見とれた。歳を取ると、そういった間接的な花見も良いものと、しみじみ思った。
昼から、後輩や友人らと一緒に「オアジ」にての食事会。気の置けない人たちとの酒席ほど楽しいものはない。若くして亡くなられた、元楯の会の阿部勉さんの歌に、「盃に浮かぶ花弁の十重二十重わがあやまちの数に似ており」。というものがある。「アベちゃん。良く分かるよ」と亡き友に相槌を打ちつつ、今日も杯中の酒に溺れた。