白雲去来

蜷川正大の日々是口実

盧溝橋(ろこうきょう)

2024-03-27 12:00:00 | 日記

3月26日(火)雨。

朝食は抜いた。昼は、冷食のエビフライにキャベツの千切り添え、新ワカメのスープ。夜は、仲良しさんたちとの月に一度の食事会。場所は、関内のイタリアン「ビートレ」。美味しかった。食後は有志にて「HIRO」に転戦。10時過ぎに帰宅。

かつてマルコポーロが訪れ、「世界一美しい橋」と驚嘆した北京郊外にある橋「盧溝橋」と聞いて、日本人の歴史好きの人なら、すぐに思い浮かべるのが、昭和12年7月7日に発生した日本軍と中国軍の衝突事件の、いわゆる「溝橋事件(ろこうきょうじけん)」であろう。その衝突事件は、比較的小規模な戦闘が繰り返された後、9日には中国側からの申し入れにより一時停戦状態となったが、その後も小競り合いが続き、幾つかの和平交渉が行われたものの、結果として日中戦争(当時の呼称は支那事変)の発端となった。ちなみに「事変」とは、非常事態や総覧のことを表す言葉で、「事件」よりも規模が大きく、また宣戦布告なしの戦争状態や小規模、短期間の国家紛争に用いられる言葉である。

先日、メルカリで買ったNHKの『漢詩紀行』の第六巻に、清の乾隆帝がその盧溝橋から月を眺めて詠んだ「盧溝暁月(ろこうぎょうげつ)」という漢詩があり、解説も良くてとても感動した。何年か前に北京を訪れたが、何で盧溝橋に行かなかったのかと悔やまれた。その橋のたもとには、乾隆帝の筆とされている「盧溝暁月」の石碑が建っているとのこと。中秋の名月の折には、多くの北京市民が盧溝橋から月を眺めることが恒例になっていると解説にあった。その「暁月」は、金沢八景ならぬ北京八景の一つに数えられているそうだ。※写真は、盧溝橋。

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