白雲去来

蜷川正大の日々是口実

久しぶりに「やまと」へ。

2024-01-20 15:26:32 | 日記

1月20日(土)曇り。

今日から一泊二日で旅行に出る子供を見送ったのが9時。寒いし寝足りなくてまた布団に入った。二度寝すると必ずと言ってよいほど夢を見る。目的地にたどり着けない・・・と言ったものばかりだ。

昨日、みなとみらいのフェス会場で行われた「釣り具フェスタ」にやって来た盟友らと久しぶりに「やまと」へ。近所に住む佐伯さんも合流。このお店が初めての人が二人。「やまと」は連れて行った人の殆どが「また行きたい」と言ってくれる。定番の「もも揚げ」「手羽揚げ」「生皮揚げ」「団子揚げ」を堪能。その後、関内に転戦。日にちが変わる前に帰宅。

「やまと」のある藤棚商店街は、東京裁判において東條さんや日本の戦争指導者が刑死した際に荼毘に付した久保山火葬場の近くにある。火葬場があるくらいだからお寺も多い。現在も発行しているかは知らないが、そのお寺がスポンサーとなって?『久保山タウン新聞』という地元の様々なお店を紹介しているタウン誌を発行している。その新聞に「やまと」がどーんと紹介されているのを見たことがある。まあ常連さんは今更の感もあるが、これで少しでも新しいお客さんが増えて貰えばファンの一人として嬉しい限りである。

久保山と言うと、前述のように東京裁判で理不尽にも死刑となった東條さんや戦争指導者を荼毘に付した火葬場があることで知られているが、大正期日本のアナキストであり「大逆事件」にて逮捕され、後に獄死した金子文子が幼少期に暮らしていた場所でもある。彼女は、関東大震災の二日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人である朴烈と共に検挙され、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。その後、服役中に獄死。享年23歳。

その彼女の獄中手記『何が私をこうさせたか』という本は、私の中の「心に響く」一冊である。その『何が私をこうさせたか』の中に、彼女が幼少期に住んでいたと言う大正時代の久保山の描写がある。「二度目に叔母がつれ戻されたとき、私たちはまた引越した。それは横浜の久保山で、五、六町奥に寺や火葬場を控えた坂の中程にあった」。久保山を通るたびに、いつも文子が暮らした家はどの辺にあったのだろうかと、思いをめぐらす。

 


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