白雲去来

蜷川正大の日々是口実

不滅の精神国守る。

2019-07-02 12:52:53 | 日記
七月一日(月)曇り後雨。

ぼんやりしていたら(そうでもないですが)もう七月である。慌てて、ブログを五日分も更新した。月が替わるたびに、「もう〇月か」という感慨が湧くが、これをもう何十年も繰り返しているのに、その年ごとの感慨がある。暑くてじめじめして、余程クーラーをつけようかとおもったが、まだ朝である。贅沢は素敵だ、いや敵だと思って我慢した。朝食は、豚肉の生姜焼き、冷食のナポリタンに少なめの稲庭うどん。うーん、全く脈絡のないメニューだ。

午前中に、先月の二十五日に亡くなられた、白龍会の山下桂三会長のご遺体が荼毘に付されると言うことで、朝比奈にある南部斎場へ向かった。高速を降りたら道を間違えてしまい、鎌倉方面に走ってしまい慌てて戻り、ギリギリで山下会長のご遺体とお別れすることが出来た。密葬と言うこともあって、斎場に来た同志の人たちは少なかったが、人が、多かろうが、少なかろうが、心がこもっていればそれでよいと私は思っている。綿谷政孝会長と共に骨揚げ。

生きては官に養われ、死しては神と祀られる、幸ある人の多き世に、こは何事ぞ憂国の、志士てう者は国のため、尽くし尽くして草莽の、伏屋の軒に朽ち果てる、弔うものは泣く虫の、声よりほかになきあとも、不滅の精神国守る。うろ覚えで恐縮だが、黒龍会の内田良平先生作の「憂国志士」という歌である。今日は、この歌が身に沁みた。葬儀場の入口で、皆で写真を撮って解散。合掌。

綿谷会長や政友皇志会の皆さんと東神奈川のうなぎ屋「菊屋」にて昼食。お土産を頂いて、ご挨拶の後に帰宅。帰宅後は、締め切りが過ぎてしまった原稿に向かう。後、十二枚程度。今日できるか分からないが、頑張らなくては今月は、月の初めが忙しい。明日は、原稿書きで、カンズメ。三日は、夏のご挨拶回り。その後も来客や、仕事が立て込んでいる。

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CRAZY KEN BAND ハワイの夜 2019

2019-07-02 09:58:43 | 日記
六月三十日(日)雨。

夕方、松本佳展君に迎えに来て貰い、本牧のブギーカフエへ。このお店に初めて来たのは、盟友の古谷喜久男さんに連れられてだ。オーナーは戦後のヨコハマのロック界では知らぬ人がないCHIBOさん。私が十七歳ぐらいの頃、馬車道にあった中川三郎のディスコティツクに出演していたCHIBOさんのバンドBEBES(ベベズ)の演奏を聞きに行った。記憶が間違っていなければ、確かギターは陳信輝、ベースは、私の中学の先輩の西山タカヨシさん。ドラムが野木信ちゃんで、ヴォーカルがCHIBOさんだった。ベベズはその後、パワーハウスと進化してメジャーになった。思えば、CHIBOさんとも長いお付き合いをさせて頂いている。

もし、昭和四十五年(一九七〇)の三島・森田事件が無ければ、小さなお店を経営していて、ブルースを聞いていたかもしれない。五時から、山下町の横浜 Bay Hallにて行われた、「CRAZY KEN BAND ハワイの夜 2019」へ。お世話になっている方と待ち合わせて入場。CHIBOさんや松本君のお世話で最高の席を用意して頂いた。CKBの演奏は、私のようなおっさんにも分かるノリノリの楽しいものだった。

その後、皆さんと別れて、久しぶりに「やまと」へ。お馴染みさんとの楽しい一献会。

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城ケ島はいつも雨。

2019-07-02 09:01:10 | 日記
六月二十九日(土)雨。

手紙の時候の挨拶文に、梅の実の熟す頃に降る雨の季節となりました・・・。そのままの一日だった。私の思い出の中にある雨の景色と言うものがある。それは小学生の頃に遠足で行った城ケ島の北原白秋の歌碑と、そこから見上げた城ケ島大橋との一対の景色である。そこに行った時に雨が降っていたわけではない。多分、歌碑にある白秋の有名な、「雨はふるふる城ケ島の磯に利休鼠のあめがふる」の詩のイメージがあって、風景の中に雨が重なっているのだろう。この場所には何度も行ったことがあるが、雨に降られたことは一度もない。しかし、歌碑と大橋と重なると、私の場合は、なぜか雨の風景となるのである。神奈川での好きな場所の一つでもある。

夜は、酔狂亭にて独酌。久しぶりのカツオを仕入れた。しかし、ヨツヤかゴス程度の物で、納得がいかなかった。本当に良い鰹に当たらない。切ないぜ。お供は「黒霧島」。

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機関誌の印刷。

2019-07-02 08:41:57 | 日記
六月二十八日(金)曇り。

昨夜、私が「浜一」で飲んでいる間に愚妻が作ったカレーの朝食。キャベツの千切りとオムレツを添えた。トロロコブのスープ。昼は、戸塚のイーオンに買い物に行ったついでにリンガーハットで「固焼きそば」と餃子。夜は、ポークソテーにスライスマッシュルームに吉田町の鶏肉の専門店の「梅や」で買った「手羽餃子」。冷凍なので、一度蒸してから、軽く焼くのが我が家の定番。お供は、黒霧島。

食後は、事務所にて機関誌の印刷。今月号は二百五十号の記念号となる。様々な方から「お祝いのメッセージ」や「名刺広告」を頂いた。今後も精進と努力を重ね、より良い物にして行きたいと思っている。しかしながら、長いこと購読をして頂いた方のお二人が、退会した。お一人は、亡くなられ、もう一人の方は、経済的な理由での購読の中止。これまでのご厚情に感謝する以外にない。

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左翼革命政権の親玉も来たか。

2019-07-02 08:22:43 | 日記
六月二十七日(木)曇り。

本格的な梅雨。えいゃっと気合を入れて起きたのだが、気をつけなければならないのは、あまり勢い良く起き上がると、眩暈がする。何事も無理はいかん。朝食は、事務所の近くのAOKIと言うスーパーのオリジナルの餃子。まあ可もなく不可も無し、と言った感じだった。トーフの味噌汁。昼はおにぎり一つ。夜は、友人と自宅近くの寿司屋「浜一」にて一献。ここのオヤジは中学の先輩で、妹さんとは中学の三年間同じクラスだった。しかし卒業以来会っていないので、もし隣にいても多分、分からないのに違いあるまい。

G20が始まった。大阪は大変な騒ぎだろう。いや警備当局がだ。お隣の左翼革命政権の親玉の文在寅さんが来ても、我が国は相手にしない。それで良いと思う。執拗な過去の蒸し返し、慰安婦や徴用工の問題の約束、合意の反故。まあ日本で言えば共産党が政権を取ったようなものと思えば分かりやすいが、国際常識と言うものが著しく欠如しているのだから、まともな話が出来る訳がない。日本と仲良くして、何か損なことがあるのだろうか。冷かな外交と言うものもあっても良いと私は思う。

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