SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

光なす双つのギター・第3話

2010-03-27 17:24:41 | 書いた話
黒髪の彼女は優雅な足取りで、通路を抜け、ステージへと向かった。
ざわめく客の視線を釘付けにしたまま。
若々しい身体つきではない。
が、ゆったりした部屋着の上からでも、無駄な肉がいっさいついていないことがわかる身のこなしだった。
ステージの中央に、彼女は立った。
強い意思を秘めた漆黒の瞳で、客席を見渡した。
「こんばんは」
張りのある声だった。
「そして、ごめんなさい。わたしの踊りを見にきてくれた方」
漂いはじめる、失望の予感。
「わたしは、踊りません」
予感は決定に変わり、客たちは肩を落とす。中には、不満の声を挙げる者もある。
「オーナーには説得されたけど、でも、だめ。ここのギタリストじゃ、わたしは、思うように踊れないの」
「悪くないギタリストだと思うがね」
ひとりの客が抗議した。
「悪くはないわ」
彼女は認める。
「でも、わたしがほしいギターとは違う」
そして。
やおら彼女が動いた。人々は息を呑む。
踊りの衣裳を着てはいないのに。
舞台化粧もしてはいないのに。
人々はそこに、華を見た。
彼女が得意とする、蠱惑的でありながら決して気品を失わない、独特の味わいのひとふし。その黒い瞳がライトを映してきらきらと輝き、腕がしなやかに振られるたびに、皆はうっとりと嘆息した。
「こりゃ、あのギターにゃ無理だ」
あちこちからそんな呟きが漏れた。
やがて、彼女は静かに動きを止めた。
「……これで、お詫びになるかしら」
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光なす双つのギター・第2話

2010-03-24 21:48:08 | 書いた話
店を埋めた客は、主役の登場を今や遅しと待っていた。
客だけではない。
店のスタッフも、同様だった。
期待と、不安と。
両方が入り混ざった空気が、店じゅうを支配していた。
ボーイのひとりが言った。
「さて、女王のご機嫌はどうかな」
「女王?」
別のボーイが聞き返す。
「おまえは知らなかったか、新入り」
最初のボーイが、したり顔で言う。
「第1部は無事に終わったけどな、このまま第2部が始まるかどうかはわからんぞ」
「なんでです?」
「なにせ、主役が気難しくてな」
「そうなんですか」
「ま、気持ちはわからんでもない」
ボーイは、いまだ無人のステージをそっと仰ぎ見る。
「オーナーがなんとか口説き落として客演を頼んだらしい。きのうの初日はなんとかうまくいったが、今日はどうかな」
「そんな、厄介な人なんですか」
「というか、ギターを選ぶんだよ。10代のころから頭角を顕して、ずっと第一線で活躍してきた踊り手だからな。並のギターじゃ満足できないんだよ」
「へええ……」
そのとき、恰幅のいい男が慌てた風情で楽屋に入っていくのが見えた。
最初のボーイが溜息をつく。
「オーナー登場か。……嫌な雲行きだな」
そのまま、しばらくの時が過ぎて。
楽屋から荒々しくオーナーが出てきた。
頬を紅潮させて。
続けて、黒髪の女性が現れた。
部屋着をまとっている。
踊りの衣裳ではない。
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光なす双つのギター・第1話

2010-03-20 18:32:03 | 書いた話
弾き手の姿は、よく見えなかった。
暗闇ではない。
逆光、というのでもない。
なのに、なぜか弾き手は見えない。その姿は、光に包まれているのだった。
男なのか、女なのか。
若いのか、年寄りなのか。
懸命に目を凝らしても、どうしてもわからなかった。
ただ、光の出どころはわかっていた。
弾き手の胸にいだかれたギター。
ダイヤモンドや水晶のような、目を射らんばかりの強いきらめきではない。
そう、聖母像のマントに施されたビーズ刺繍にも似た、包み込むような温かい輝き。
そこから発する光が、弾き手の輪郭をぼかしているのだ。
ギターが奏でる旋律は、優しい子守歌のような調べだった。
彼はしばしうっとりと、その心地よい調べに耳を傾けた。
と。
旋律が止んで、ギターを弾いていた人物が立ち上がるのが見えた。
何か、邪魔をしただろうか。
慌てる彼に、その人物が、輝くギターをすっと差し出した。
「えっ……ぼくに?」
反射的に受け取って、
──彼は、目を覚ました。
まだ朝には遠い、暗いホテルの部屋で。
(やれやれ……また、あの同じ夢か)
苦笑いして、身を起こす。ベッドの脇に置いたギターケースに手を伸ばす。留め具を開けて、自分のギターを取り出した。輝いてはいない、普通のギターを。
(なんであんな夢見るんだろ。しかもこのごろ、ほとんど毎晩じゃないか。……おいおい、しっかりしろよ、ニコラス)
彼は呆れたように、自分に言い聞かせた。
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光なす双つのギター・プロローグ

2010-03-17 20:55:27 | 書いた話
店はどこも閉まっている。
午後4時。
人がやっとすれ違えるほどの路地。
小さな商店街は、午睡の中にあった。
閉ざされたシャッターを、風が揺らす。
カタカタという音が路地を渡る。
路地の奥で、猫の啼く声がする。どうやら応える者はない。
しばらくして、猫の声はやむ。
ふたたびの静寂。
やがて、ひとつの声がする。今度は、人間の声が。
「……変な時間に着いちゃったなあ」
商店街に姿を見せたのは、すらりとした若者。片手にギターケースを提げている。
「ま、いいか」
明るい色の髪をかきあげ、彼はギターを取り出した。
ほどなく、ひとけのない路地に、潤いある音色が響いていった。
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サイン

2010-03-12 19:10:06 | Weblog
苦手なもののひとつに、サインがある。慣れないうえに緊張するので、たいてい不満足な出来になる。字がかすれたり、線が曲がったり。
今日も作家仲間のKさんに、サインをさせてもらう機会があった。本当はアルコールの力でも借りたかったのだが、さすがに真っ昼間ではそうもいかない。以前から「次に会ったときは」とご依頼いただいていたので、とりあえず万年筆のカートリッジは新品に取り替え、心の準備はしていたつもりだった。が、いざとなるとやはりド緊張。だが下手に練習などせず本番一発で臨んだせいか、わたしにしてはまあまあマシなサインに仕上がった気がするがどうだろう。
そのうえ、新たな物語へのヒントも頂いた。結局わたしばかりが有意義な思いをしたような……Kさん、アドバイスありがとう。無駄にしないようまた精進しますね。
ああ、それにしてもサインは難しい。
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大銀杏無惨

2010-03-10 17:22:08 | Weblog
鶴岡八幡宮の大銀杏といえば、樹齢千年に達しようかという巨木。源実朝が暗殺された当時からあったとも言われ、多くの参拝客の信仰を集めていた。
その大銀杏が、今日未明、突然根元から折れたという。高さ30メートル、幹回り6・8メートルに及ぶ大木が、無惨に崩れ果てているさまは痛ましかった。昨夜来の荒天、根腐れなど、いくつかの原因が噂されているが、さしもの銘木も大自然の力には抗えなかったのだろうか。
それにしても、きのうの雪といい、今日の“狐の嫁入り”といい、本当に落ち着かない気候が続く。なんとか安定していってくれるとよいのだが。
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啓蟄

2010-03-06 17:00:31 | Weblog
なんとなくアレルギー症状が出て、無理な外出はせず家でゆっくりすることにした。カレンダーを見ると、今日は啓蟄。眠っていた者たちが目覚める日だ。しかし初夏並みの陽気だった昨日と比べて、今日はふたたび季節が後戻りしたような雨が降っている。この時期の気候は「三寒四温」と言われるが、最近は「二寒一温」とでも呼びたいような天気が続く。
啓蟄にふさわしい光景といえば、庭の小さな池のメダカたち。寒い間は全然姿を見せなかったのが、きのうの暖かさのせいか、一斉に泳ぎはじめた。小さな姿が池の表をチラチラ動いているさまは、なかなか可愛いものだ。せっかく目覚めたのだから、ついでにもう少し春らしく安定した気候を運んでくれないだろうか。
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喜びます

2010-03-04 22:34:37 | Weblog
いま、とあるプランが少しずつ動き出している。そのために原稿チェック、見直しなどを始めている。まだ確定ではないのだが(一瞬、手つかずの確定申告を思い出し気分が暗くなったが脇に置いておいて)、うまく話が進んでくれたらありがたい。
ところで先ほどテレビを見ていたら、島根県出雲市では、「~していただけると助かります」という代わりに「~していただけると喜びます」と言うそうだ。口頭のみならず学校のプリントや書類にも「~喜びます」と書かれていて、なんとも微笑ましい感じがした。わたしがいま取り組んでいるプランも、このまま「~喜びます」となるように、できることはしながら、前に進むよう努力していきたい。
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作曲家のラブレター

2010-03-02 21:09:06 | Weblog
友人のピアニストが、わたしの地元近くのホールでコンサートをするというのでお招きをいただいた。テーマは「作曲家のラブレター」。4人の作曲家が残したラブレターをモチーフに、演奏と朗読、トークでつづる、心和むコンサートだった。
作曲家のラブレターを朗読するのが、人気俳優(トレンディドラマで活躍した、靴下を履かないので有名な俳優といえば察しがつくだろうか)とあって、平日夕方にも関わらず客席はまずまずの入り。友人のピアニストもさすがに心得た選曲で、ポピュラーで聴きやすい曲を中心にうまいプログラムを組んでいた。演奏技術はもとより、テレビ出演の経験も豊富な彼女はトークもお手のもの。きわどくなりがちな恋愛トークも巧みな話術でまとめ、みごとな呼吸で座を盛り上げた。
ちなみに取り上げられていた作曲家は、ショパン、リスト、シューマン、ブラームス。なるほど、大作曲家ともなると音楽だけでなく、残した言葉もそれぞれ熱い。恋愛は、作曲家たちのモチベーションにとって大切な要素だったようだ──と、ふと省みて、甚だ恋愛値の乏しい我が身に気づく……。こればかりは得意の妄想癖に頼っていても限りがあるので、遅まきながら努力をしてみようか。今日の主役たちに比べて、あまりに遠く及ばないこと請け合いだが。
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