SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

『アストゥリアス(前奏曲)』

2010-07-02 12:39:00 | 聴いた曲
49年の生涯を閃光のように生きたスペインの作曲家、イサーク・アルベニス(1860~1909)。昨年の没後100年に続き、今年2010年は彼の生誕150年を迎える。アルベニスの代表作と言えば最後の傑作『イベリア』ということになるのだろうが、他にも忘れがたい名曲が粒揃いだ。
中でも人気の高いのが、『アストゥリアス』だろう。アストゥリアスはスペイン北部の地名だが、おそらくこれは楽譜出版社がつけた題名だと言われている。その根拠は、曲を聴けば明らかだ。アルベニスは東部カタルーニャの出身でありながら、「わたしの魂はアンダルシアとともにある」と公言したほど南部アンダルシアに強く惹かれた人だった。『アストゥリアス』にも、アンダルシア音楽のメロディーやリズムのエッセンスが詰まっているのだ。まさに、アンダルシアを愛したアルベニスの面目躍如たる1曲と言えるだろう。ちなみにこの曲は『スペイン組曲』の中の1曲だが、やはり会心の作品だったのか、後年『スペインの歌』にもふたたび用いられている。そのときのタイトルが「前奏曲」だったわけだ。
なおこの曲は、名高いスペイン舞踊家のインスピレーションも刺激した。アントニオ・エル・バイラリンの通り名で呼ばれた舞踊家、アントニオ・ルイス・ソレールが、アルベニスの幾つかの曲にカスタネットやサパテアード(足拍子)を入れて録音したのだ。みごとすぎるコンパス感に裏打ちされたそのアルテ(至芸)とピアノとのコラボレーションは、今も語りぐさになっている。
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『サエタ』

2009-04-13 19:02:25 | 聴いた曲
先週は、キリストの受難を悼むイースター週間だった。世界のキリスト教信者にとっては非常に重要な行事だ。スペインではセマナ・サンタと呼ばれ、受難のキリスト像を載せた輿が練り歩くなど、たいへん感動的な祭りとなる。このセマナ・サンタの後には歓喜の春祭り(フェリア)が待ち受けており、この時期のアンダルシア、特に都セビージャは祭三昧となる。歌い手たちはバルコニーから、サエタと呼ばれる宗教歌を投げかけ、人々はそれを熱く称賛する。サエタとは『矢』の意味。まっすぐに放たれる歌の矢が、人の心を射抜くのだ。
『サンブラ』の項でも触れたように、20世紀スペインを代表する作曲家のひとりホアキン・トゥリーナ(1882~1949)には、故郷セビージャを謳った傑作が多い。彼の円熟期の歌曲に、『サエタ』がある。『希望の聖処女に捧げるサルヴェの形によるサエタ』というのが正式なタイトル。ここに現れる『希望の聖処女』とは、ビルヘン・デ・ラ・エスペランサのことで、数おわしますスペインの聖母の中でも特に広く愛される聖母のおひとりだ。トゥリーナの『サエタ』は、敬虔で荘厳な調べを持ち、聴くたびに、キリスト教徒ならずとも深い感銘を受ける。ただユニークなのは、実際の歌詞にうたわれているのは、セビージャを護り給うマカレーナの聖母である点だ。スペインの聖母像はまるで生きているような小麦色の肌に薔薇色の頬、赤い唇が魅力だが、マカレーナの聖母もそうした聖母の典型だ。もともと聖母信仰の盛んなアンダルシア人の魂が、トゥリーナの中にしっかり息づいていることの証だろう。この時期になると、一度は聴きたい名曲である。
とはいえ人酔いするたちのわたしは、残念ながらセマナ・サンタの行列には参加したことがない。ある年、セマナ・サンタの少し前にセビージャの川沿いを散歩していたら、楽隊のたどたどしい練習の音色が聴こえてきて微笑ましかった。知人からは誘われており、せめて一度は実際に見たいと願ってはいるのだが……。
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『サンブラ』

2009-03-31 16:55:52 | 聴いた曲
フラメンコにサンブラという曲がある。アルハンブラ宮殿で名高い古都グラナダのものが特に有名だ。かつてイベリア半島を8世紀にわたって支配したイスラム教徒。フラメンコにも強い影響を与えた彼らの遺産のひとつがこのサンブラだ。アラブ風の翳りを帯びた、哀愁あふれるメロディーは、今もグラナダに多く住むジプシーたちにおもに受け継がれ、こんにちに至っている。
この『サンブラ』をクラシックの技法で1曲に仕上げたのが、20世紀前半に活躍したホアキン・トゥリーナ(1882~1949)。セビージャに生まれマドリードに拠点を移したが、故郷への思いは終生強く、セビージャやアンダルシア地方をモチーフにした作品を多く書いている。『サンブラ』が含まれているのは、『5つのジプシー舞曲』という連作の中の1曲。3分余りの小品だが、確かにジプシーふうのほの暗い薫り溢れる曲に仕上がっている。わたしが耳にしたのは、ホセ・クビーレスが1946年ごろに録音した演奏。クビーレスは20世紀スペインの名ピアニストのひとりだが、彼の奏でる『サンブラ』が実にいい。彼はマヌエル・デ・ファリャと同じアンダルシア屈指の港町カディスの出身だ。
スペイン音楽を語るうえで、外せない要素にコンパスというものがある。リズムとよく一緒にされることもあるが、単なる「リズム」とは違う。いわば「リズムの感覚、捉え方」と言おうか。どんなに優れた演奏であっても、このコンパス感がなければ、スペイン音楽の解釈としては画竜点睛を欠くことになる。クビーレスの『サンブラ』は、その点で実に申し分ない。作曲者トゥリーナもまた名ピアニストだったが、クビーレスの演奏にはきっと満足していたのではないだろうか。なんと言うか、トゥリーナとクビーレスに共通する、アンダルシア人ならではのコンパス感が全編にみなぎっているのだ。クラシックの曲ではあるが、聴いたあと思わず「オレ!」と声をかけたくなる。こればかりはどうしても、よその土地の人間には表現しきれない感覚なのだ。クビーレスはこのレコードの中で、同じ『5つのジプシー舞曲』から『ヘネラリーフェ』と『サクロモンテ』も録音している。アルハンブラの離宮であり、噴水の水音が絶えないヘネラリーフェと、古き良きグラナダが息づくジプシー地区サクロモンテ。そちらもやはりコンパス感に満ちた名演。こうした演奏が録音となって残さ
れていて、本当に幸いだ。できればクビーレスのほかの演奏も聴いてみたくなった。
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『Open arms』

2009-03-25 19:51:01 | 聴いた曲
あまり認識していなかったのだが、今回TBSのWBC中継テーマ曲は、ジャーニーの『separate ways』という曲だったそうだ。毎日見ていたはずなのにちゃんと聴いてなかったのが悔やまれる。というのも、ジャーニーの曲には高校時代の思い出があるからだ。
その曲は『Open arms』。かなり名曲なので、ご存知の方も多かろう。近年では映画『海猿』の主題歌としても使われ、新たな人気を博したらしい。恋人との別れとふたたびの出会いを爽やかに歌い上げたバラードで、ヴォーカルのハイトーンが印象的だった。
「きみと一緒に船出したのに離ればなれになってしまった、でもこうして戻ってきたからにはずっとそばにいて……」という照れ臭いような歌詞が続くのだが、当時は臆面もなく歌ったものだ。調べたら80年代初頭の曲らしく、かなり新曲のころにいわばコピーしていたことになる。伴奏はこの歌を教えてくれた友人のピアノ。と書くと聞こえがいいが、実は褒められたシチュエーションではなかった。そのピアノは体育館のステージ袖にあり、われわれは体育の時間に『Open arms』の演奏に勤しんでいたのだ。点呼のあと自由な運動時間になると、さっと袖に行き、ピアノに向かう。確か結構厳格な体育教師だった記憶があるのだが、なぜ咎められなかったか不思議でならない。罰を受けた覚えはないので、きっと呆れられていたか見捨てられていたかしていたのだろう。
そのころはむしろプログレッシヴ・ロックやシンセサイザー曲に関心が深く、ジャーニー熱が続くことはなかった。しかし若いときの記憶力というのはなかなか大したもので、いまだに『Open arms』の歌詞の大半は覚えている。あの体育館の片隅の古いピアノ、少し埃っぽい空気感とともに、時折やけに懐かしくなる青春の思い出だ。
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『贈る言葉』

2009-03-12 18:54:43 | 聴いた曲
卒業シーズンの定番曲として、今も高い人気を保つこの曲。武田鉄矢率いる海援隊が歌って有名になった、テレビドラマ『3年B組金八先生』のテーマソングだ。ずいぶん息の長いドラマで、数々の俳優が巣だったドラマとしても名高い。初代の『金八先生』には田原俊彦、野村義男、近藤真彦のいわゆるたのきんトリオ、杉田かおるらが生徒役で出演していた。
実は(歳がバレるが)この初代の年、わたしはちょうど中学3年だった。しかも2組。アルファベットと数字の違いこそあれ、いわば3年B組。クラスでもこの話題は盛り上がり、当然卒業式で歌おうということになった。
しかしふたたび実はだが、わたしはこのドラマを見ていなかった。もともとひねくれたたちで、流行りものにはあえて背を向ける性癖があったのだ。そのためやはり当時絶大な人気を誇っていた『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』もほとんど見ていないという、今にして思えば痛恨な話もある。高校時代ロボットアニメにハマったのが自分でも不思議だ。そんなわけで『3年B組金八先生』も見ていなかったため、『贈る言葉』もむろんうろ覚え。なんでみんながこんなに夢中になるのかとむしろ苦々しく思いながら、かなりいい加減に歌った記憶がある。あのころは今にもまして世を拗ね者だったから、それでいいと思った。少しばかり物わかりのよくなった今では、卒業記念にクラスで歌う歌ぐらい素直に歌えばよかったなとやや反省している。しかし考えれば中学卒業から早29年……時の流れをつくづく感じる春のこのごろだ。
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『三つの河のバラード』

2009-02-21 18:45:27 | 聴いた曲
スペインの詩人・劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカ。1898年生まれた彼は、1936年スペイン内戦のさなか正当な理由もなく銃殺された。その作品は今も読み継がれ、世界に多くの愛好家を生んでいる。
音楽通でもありピアノの名手でもあったロルカは、スペイン各地に残る古謡を集め、貴重な楽譜と録音を残した。これら13の古謡は、今もクラシック、フラメンコの世界で愛奏されている。ほかにも彼の詩を用いた曲はいろいろあるが、フラメンコの世界で好んで歌われているのが『三つの河のバラード』だ。
ここに歌われる三つの河とは、アンダルシアを東西に貫いて流れるグアダルキビール河と、グラナダを中心として流れるダーロ、ヘニルの2本の河。グアダルキビールが結構な大河であるのに対し、ダーロ、ヘニルのほうは(特に水の少ない時期は)かなりささやかな印象を与える。ロルカはその三つの河に捧げたバラードの中で、グアダルキビールをアンダルシアの都セビージャ、ダーロとヘニルを古都グラナダの河として歌っている。
「アイ、アモール(ああ、愛よ)……」というリフレインが印象的な美しい詩には、たとえばこういう一節がある。

グアダルキビール河は
オレンジとオリーブの間をゆく
グラナダのふたつの河は
雪から小麦へとくだる

たった4行の詩の中に、アンダルシア的なイメージが満ち溢れている。ちなみにロルカは、グラナダ郊外の町の出身だった。詩の全体を見ても、華やかなセビージャ、翳りを帯びたグラナダのイメージがさまざまな表現で描き出され、鮮明な像を結ぶ。郷土愛の強いアンダルシア人のこと、グラナダの描写により愛情がこもっているように見えるのは許さねばならないだろう。
『三つの河のバラード』は、きのう慌ててお知らせした照紗さん、ルナさんとのコラボでも登場する予定だ。ロルカの名作がどう生まれ変わるか、楽しみに見守っているところだ。
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『涙』

2009-02-10 16:14:15 | 聴いた曲
またしてもギター曲。イサーク・アルベニスと同じく今年で没後百年を迎えるフランシスコ・ターレガの名曲だ。
1852年ビリャレアルに生まれた彼は、早くからその才能を認められていた。『クラシックギターの父』『ギターのサラサーテ』として後世に名を残したヴィルトゥオーゾでもあり、ギターを独奏楽器へと導いたのも彼の功績と言われている。
ターレガの名はむしろ、ギター好きなら誰もがトライしたであろう『アルハンブラの思い出』や『アラブ風奇想曲』『グラン・ホタ』、あるいはアルベニスの『アストゥリアス(伝説)』の編曲などで馴染み深いかもしれない。それらの高度なテクニックを要する曲に比べれば、『涙(スペイン語では「ラグリマ」)』はまことに愛らしい小品だ。メロディは2部構成、長調で始まり短調になってまた長調に戻って終わる。決して難しい曲ではないので、小学生でも弾こうと思えば弾ける。だが、素朴ななかには深い味わいが秘められており、この『涙』とはどんな涙だろうかと想像してみたくなる。曲調からすれば静かで優しいイメージだが、明るさのなかにはしばしば限りない悲しみが秘められているものだ。
なお最近知人のブログで「人生の最後に聴きたい曲」にこれを選んだところ、「あんなにかんたんで演奏効果の高い曲も珍しい」とトピ主からコメントがあった。まったくもって同感である。
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『暁の鐘』

2009-01-30 15:58:45 | 聴いた曲
スペインの作曲家エドゥアルド・サインス・デ・ラ・マーサ(1903~1982)といえば、むしろレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサの弟として名高いかもしれない。長兄レヒーノはかのロドリーゴの『アランフエス協奏曲』を初演したことでも有名なギタリスト。それに比べればエドゥアルドは少し地味な扱いを受けている。
幼少のころからさまざまなギター曲を聴いてきて、好きな曲はたくさんある。しかしもしかしたら一番好きかもしれない曲が、エドゥアルド・サインス・デ・ラ・マーサの『暁の鐘』だ。
全編トレモロに彩られた佳曲で、本当に遠くから暁の鐘が聞こえてくるような印象がある。穏やかな叙情に満ちて始まり、徐々に世が明けていくかのようにメロディが高まっていく。最後は朝の光に融けるようにふたたび音色が遠ざかる。大曲ではないが、なんとも深い印象を残す1編で、聴くたびに感動を覚えるのだ。
そしてこの曲を聴くと、思い出すものがふたつある。
ひとつは、初めてスペインに行ったとき見たセビーリャの暁の風景。マドリードから寝台車に乗り、一晩かけて揺られていって、ちょうどセビーリャに着くころ世が明けた。窓から眺めるセビーリャ郊外の美しい朝焼けは、アンダルシア独特の色彩を備えた家々とともに忘れられない。
もうひとつは、イタリアの画家ジョルジオ・デ・キリコの絵画。特に彼が若いころのシュールリアリズムの作品に登場するマネキンたちが、『暁の鐘』を聴くと無性に思い浮かぶ。たとえば『不安を与える女神たち』に描かれた無表情なのになぜか不思議な情感をたたえるマネキンたちと、『暁の鐘』の静かな中に封じ込められた熱さが、どこか共通しているように思われてならない。
人気のギタリスト村治佳織さんらの録音もあるなど、さりげなく知られている『暁の鐘』。書いていたらまた聴きたくなってきた。同じトレモロの名曲、ターレガの『アルハンブラの思い出』ほど有名ではないが、ギター好きならぜひ知っていただきたい1曲だ。
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