フラメンコにサンブラという曲がある。アルハンブラ宮殿で名高い古都グラナダのものが特に有名だ。かつてイベリア半島を8世紀にわたって支配したイスラム教徒。フラメンコにも強い影響を与えた彼らの遺産のひとつがこのサンブラだ。アラブ風の翳りを帯びた、哀愁あふれるメロディーは、今もグラナダに多く住むジプシーたちにおもに受け継がれ、こんにちに至っている。
この『サンブラ』をクラシックの技法で1曲に仕上げたのが、20世紀前半に活躍したホアキン・トゥリーナ(1882~1949)。セビージャに生まれマドリードに拠点を移したが、故郷への思いは終生強く、セビージャやアンダルシア地方をモチーフにした作品を多く書いている。『サンブラ』が含まれているのは、『5つのジプシー舞曲』という連作の中の1曲。3分余りの小品だが、確かにジプシーふうのほの暗い薫り溢れる曲に仕上がっている。わたしが耳にしたのは、ホセ・クビーレスが1946年ごろに録音した演奏。クビーレスは20世紀スペインの名ピアニストのひとりだが、彼の奏でる『サンブラ』が実にいい。彼はマヌエル・デ・ファリャと同じアンダルシア屈指の港町カディスの出身だ。
スペイン音楽を語るうえで、外せない要素にコンパスというものがある。リズムとよく一緒にされることもあるが、単なる「リズム」とは違う。いわば「リズムの感覚、捉え方」と言おうか。どんなに優れた演奏であっても、このコンパス感がなければ、スペイン音楽の解釈としては画竜点睛を欠くことになる。クビーレスの『サンブラ』は、その点で実に申し分ない。作曲者トゥリーナもまた名ピアニストだったが、クビーレスの演奏にはきっと満足していたのではないだろうか。なんと言うか、トゥリーナとクビーレスに共通する、アンダルシア人ならではのコンパス感が全編にみなぎっているのだ。クラシックの曲ではあるが、聴いたあと思わず「オレ!」と声をかけたくなる。こればかりはどうしても、よその土地の人間には表現しきれない感覚なのだ。クビーレスはこのレコードの中で、同じ『5つのジプシー舞曲』から『ヘネラリーフェ』と『サクロモンテ』も録音している。アルハンブラの離宮であり、噴水の水音が絶えないヘネラリーフェと、古き良きグラナダが息づくジプシー地区サクロモンテ。そちらもやはりコンパス感に満ちた名演。こうした演奏が録音となって残さ
れていて、本当に幸いだ。できればクビーレスのほかの演奏も聴いてみたくなった。
この『サンブラ』をクラシックの技法で1曲に仕上げたのが、20世紀前半に活躍したホアキン・トゥリーナ(1882~1949)。セビージャに生まれマドリードに拠点を移したが、故郷への思いは終生強く、セビージャやアンダルシア地方をモチーフにした作品を多く書いている。『サンブラ』が含まれているのは、『5つのジプシー舞曲』という連作の中の1曲。3分余りの小品だが、確かにジプシーふうのほの暗い薫り溢れる曲に仕上がっている。わたしが耳にしたのは、ホセ・クビーレスが1946年ごろに録音した演奏。クビーレスは20世紀スペインの名ピアニストのひとりだが、彼の奏でる『サンブラ』が実にいい。彼はマヌエル・デ・ファリャと同じアンダルシア屈指の港町カディスの出身だ。
スペイン音楽を語るうえで、外せない要素にコンパスというものがある。リズムとよく一緒にされることもあるが、単なる「リズム」とは違う。いわば「リズムの感覚、捉え方」と言おうか。どんなに優れた演奏であっても、このコンパス感がなければ、スペイン音楽の解釈としては画竜点睛を欠くことになる。クビーレスの『サンブラ』は、その点で実に申し分ない。作曲者トゥリーナもまた名ピアニストだったが、クビーレスの演奏にはきっと満足していたのではないだろうか。なんと言うか、トゥリーナとクビーレスに共通する、アンダルシア人ならではのコンパス感が全編にみなぎっているのだ。クラシックの曲ではあるが、聴いたあと思わず「オレ!」と声をかけたくなる。こればかりはどうしても、よその土地の人間には表現しきれない感覚なのだ。クビーレスはこのレコードの中で、同じ『5つのジプシー舞曲』から『ヘネラリーフェ』と『サクロモンテ』も録音している。アルハンブラの離宮であり、噴水の水音が絶えないヘネラリーフェと、古き良きグラナダが息づくジプシー地区サクロモンテ。そちらもやはりコンパス感に満ちた名演。こうした演奏が録音となって残さ
れていて、本当に幸いだ。できればクビーレスのほかの演奏も聴いてみたくなった。