SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

『サンブラ』

2009-03-31 16:55:52 | 聴いた曲
フラメンコにサンブラという曲がある。アルハンブラ宮殿で名高い古都グラナダのものが特に有名だ。かつてイベリア半島を8世紀にわたって支配したイスラム教徒。フラメンコにも強い影響を与えた彼らの遺産のひとつがこのサンブラだ。アラブ風の翳りを帯びた、哀愁あふれるメロディーは、今もグラナダに多く住むジプシーたちにおもに受け継がれ、こんにちに至っている。
この『サンブラ』をクラシックの技法で1曲に仕上げたのが、20世紀前半に活躍したホアキン・トゥリーナ(1882~1949)。セビージャに生まれマドリードに拠点を移したが、故郷への思いは終生強く、セビージャやアンダルシア地方をモチーフにした作品を多く書いている。『サンブラ』が含まれているのは、『5つのジプシー舞曲』という連作の中の1曲。3分余りの小品だが、確かにジプシーふうのほの暗い薫り溢れる曲に仕上がっている。わたしが耳にしたのは、ホセ・クビーレスが1946年ごろに録音した演奏。クビーレスは20世紀スペインの名ピアニストのひとりだが、彼の奏でる『サンブラ』が実にいい。彼はマヌエル・デ・ファリャと同じアンダルシア屈指の港町カディスの出身だ。
スペイン音楽を語るうえで、外せない要素にコンパスというものがある。リズムとよく一緒にされることもあるが、単なる「リズム」とは違う。いわば「リズムの感覚、捉え方」と言おうか。どんなに優れた演奏であっても、このコンパス感がなければ、スペイン音楽の解釈としては画竜点睛を欠くことになる。クビーレスの『サンブラ』は、その点で実に申し分ない。作曲者トゥリーナもまた名ピアニストだったが、クビーレスの演奏にはきっと満足していたのではないだろうか。なんと言うか、トゥリーナとクビーレスに共通する、アンダルシア人ならではのコンパス感が全編にみなぎっているのだ。クラシックの曲ではあるが、聴いたあと思わず「オレ!」と声をかけたくなる。こればかりはどうしても、よその土地の人間には表現しきれない感覚なのだ。クビーレスはこのレコードの中で、同じ『5つのジプシー舞曲』から『ヘネラリーフェ』と『サクロモンテ』も録音している。アルハンブラの離宮であり、噴水の水音が絶えないヘネラリーフェと、古き良きグラナダが息づくジプシー地区サクロモンテ。そちらもやはりコンパス感に満ちた名演。こうした演奏が録音となって残さ
れていて、本当に幸いだ。できればクビーレスのほかの演奏も聴いてみたくなった。

もうひと頑張り

2009-03-30 14:44:44 | Weblog
昼間、MRI検査と診察を受けてきた。
MRI検査では、きのうも書いたがさまざまな音が聞こえる。ブザーのような連続音や、鼓を軽く打ったような音、パルマ(フラメンコの手拍子)のようなリズミカルな音、などなどが響いていて、何だか一時流行った現代音楽を聴いているようだ。そう書けば音楽好きな方にはわかっていただけるだろう。とまあ、ここまでは暢気な話。
そちらは何事もなく終了し、そのあとで主治医の診察となった。部屋に入ったときには、すでに先生のパソコンにMRI画像が送られてきていた。今では常識的なこととはいえ、さすがハイテク時代……。
さて肝心の経過だが、手術した右側は頑張っていた。靄のようにもやもやしていた血管があちこちで少しずつ伸び、素人目にも良化しているのがわかる。ただ問題はやはりメスを入れなかった左側。去年の手術前には右側のぶんまで懸命に伸びようとしていた血管が、影めいてもやもやしている。「ちょっと、悪くなっちゃってるんだよね」。先生は遠慮がちにおっしゃったが、これまた素人目にも悪化が見える。できれば早いうちに手術をしておいたほうがいいというので、そうさせていただくことにした。たぶん4月末に入院して手術を受けることになりそうだ。「まあ、後は寝てるだけだから」と主治医に言われたが、それは毎度暢気すぎる患者であるわたしへの皮肉でしょうか先生……(皮肉りたくなる気持ちは充分わかる……)。
心配してくださった皆さんには、しょぼいご報告で申し訳ない。でもせっかくなので、ここでもうひと頑張り。これで両側が揃えばさらに危険が遠ざかるわけなので、それを期待してわたしらしくのんびり臨むことにしたい(つくづく緊張感のない病人……)。

明日は

2009-03-29 21:47:38 | Weblog
明日は結構久しぶりにMRI検査がある。
前回この話題を出したときはまだ先のことだと思っていた。だが、月日は確実に流れるもので、いつのまにか明日になっていた。この間無事だったと言いたいが、実は先日出先で貧血でひっくり返り、救急車を呼んでもらう騒ぎを起こしてしまった。もう大丈夫と思ってどこかで油断したのだろう。友人にも迷惑をかけ、さすがにその日はへこんだ。明日は主治医に正直に話してお叱りを受けねばならない。
MRI検査は、横になったところにいろいろな音が聞こえる。むろん機械の作動音なのだが、結構リズミカルでおもしろかったりする。そういえばMRIを「ま・る・い」と読んだかわいい友人がいる。本当に丸い気持ちで検査とその後の診察に臨めるよう、今日は穏やかに眠ることとしよう。

追い込みの血筋

2009-03-28 16:35:57 | Weblog
競争馬にもいろいろなタイプがいて、それぞれ得意な走り方がある。まず飛び出してゆく逃げ馬、前半から調子のあがる先行馬、後半に調子のあがる差し馬、終盤一気に勝負に出る追い込み馬。短距離レースでは逃げ馬がそのまま逃げ切ってしまうケースもままある。
競馬ファンも好みが分かれるが、わたしは一貫して追い込み馬派。レースも終わり近く、あと2ハロン(1ハロンは200メートル)ぐらい瀬戸際になってから、後方から一気に馬が追い込んでくるとワクワクする。かつていちばん応援していた大井競馬の馬もこのタイプだった。残念ながら強い馬ではなかったので、優勝したのは生涯1度きりだった(たまたまそのレースをじかに見てファンになった)。だが、ほぼ最後方から先頭に迫ってくる小柄な馬体の凛々しさは今も胸に焼きついている。
物書きにもこれまたさまざまなタイプがあるが、わたしは馬で言えばまさに追い込み馬。以前にも書いたが、まあこちらの追い込みは褒められたものではない。何度編集さんの肝を冷やさせたかわからない。今年はせめて(逃げとまでは到底行かずとも)差しぐらいまではいきたいものだと思っている。ただ問題は、この追い込み馬気質がある種の血筋だということだ。物書き業の大先輩である父も、下手するとわたしを凌ぐ追い込み馬体質。〆切破りの常習犯で、催促が度重なってくると「おれに頼むのが悪い」と理不尽にキレる。わたしが曲がりなりにも編集者だったころにはそんな父によく文句を言ったものだ。その数年後自分が同じようなことをやりだすとは思わなかった。同業者はこういう体質まで遺伝するのだろうか? やはり物書きだった祖父はどうだったのだろう。父に聞いてみたいような、聞きづらいような……。ともあれ、まずは差し馬を目指して努力を続けることにしよう。

人間メール

2009-03-27 17:11:36 | Weblog
メール開設に挫折すること早10日あまり。しかし原稿は進む、という泣き笑いのような現実が続いている。
ついに今日は、原稿を入れたUSBフラッシュドライブを編集部に持参してきた。こういう入稿の仕方をするのは、それこそメール通信をしていなかった2代前のパソコン以来だ。あのころはまだフロッピー全盛期で、原稿をフロッピーに入れ、それを編集部に持参してパソコンに移していた。一度など、帰宅の途についたあとでデータが開けないと連絡があって途方に暮れた。しかし切羽詰まっていたため、どうしようもなく携帯に原稿を打ち込んで送った覚えがある。いくらわたしが打つのが速いといっても、数千字の原稿をよく携帯で打ったものだと思う。今ではもうできそうにない。
それにしても驚くのは、そういうやりとりをしていたのがまだせいぜい12、3年前だという事実。今やフロッピーという道具さえ死語になってしまった。昔は5インチフロッピーと3.5インチフロッピーの互換機などいろいろなアイテムがあったものだが、すでに骨董品レベルだろう。IT業界の速さには本当についていけない。
というわけで、移動に2時間、データを移すのに数分というこの事態。ブログを読んでくれている入稿先の編集長から「今日のブログは、『人間メール』ですね」と言われたので、そのまま採用させてもらった。ありがとうT編集長。
まあとにもかくにも入稿が済んで安心はしたが、次なる問題はメールである。毎回編集部に足を運んでいたのではさすがにたまらない。早く「人間メール」を返上できるよう、頑張らねばなるまい。ああそれにしても、(仕事がなくなるのはわかっていても)手書き原稿のころがいっそ懐かしい……。

赤いじゅうたん

2009-03-26 15:31:18 | Weblog
と言っても、映画祭の有名なじゅうたんやお笑い番組ではない(と言いつつ、ついつい見てしまうのだが……)。
赤いじゅうたんが敷かれた座敷の夢を見た。知り合いの和風の館に、何か打ち合わせで招かれていて出向いたらしい。〆切がどうとか、どのぐらいの分量にするとかという話をしていたから、原稿の打ち合わせらしい(いつもながら具体的な内容を覚えてないのが惜しい)。で、その座敷に敷かれていたのが赤いじゅうたん。障子や違い棚など、全体に和風のたたずまいの中で、そこだけ洋風な、ふかりとやわらかな感触がなぜか記憶に残っている。そうこうするうちに縁側で女性グループの歌の練習が始まり、邪魔しないように縁側から外に出ようとして目が覚めた。
それで思い出したのが、亡き母方の祖父母の家。それこそ戦争に耐えて残った純和風の平屋で、よく泊まった懐かしい家だ。あちこちに抜け道があり、子どもが遊ぶには楽しかった。造りは夢に出てきた家とまるで違うが、その祖父母の家には「洋間」という渾名の部屋があった。もちろんじゅうたんでなく畳敷きだし、6畳ほどの普通の和室だった。ただふたつ変わった点があった。ひとつは部屋の入口がドアだったこと。もうひとつは、出窓がついていたことだ。その出窓から眺める四季おりおりの庭の景色がわたしは好きだった。本当に純和風の木造家屋なのだが、なるほどその意味では「洋間」と呼ばれるにふさわしい空間だったかもしれない。わたしが今でも和洋折衷的なものに無性に心惹かれる原点も、あの家にあったように思う。春の朝らしいのどかな夢が、ふと懐かしい思い出を運んでくれた。

『Open arms』

2009-03-25 19:51:01 | 聴いた曲
あまり認識していなかったのだが、今回TBSのWBC中継テーマ曲は、ジャーニーの『separate ways』という曲だったそうだ。毎日見ていたはずなのにちゃんと聴いてなかったのが悔やまれる。というのも、ジャーニーの曲には高校時代の思い出があるからだ。
その曲は『Open arms』。かなり名曲なので、ご存知の方も多かろう。近年では映画『海猿』の主題歌としても使われ、新たな人気を博したらしい。恋人との別れとふたたびの出会いを爽やかに歌い上げたバラードで、ヴォーカルのハイトーンが印象的だった。
「きみと一緒に船出したのに離ればなれになってしまった、でもこうして戻ってきたからにはずっとそばにいて……」という照れ臭いような歌詞が続くのだが、当時は臆面もなく歌ったものだ。調べたら80年代初頭の曲らしく、かなり新曲のころにいわばコピーしていたことになる。伴奏はこの歌を教えてくれた友人のピアノ。と書くと聞こえがいいが、実は褒められたシチュエーションではなかった。そのピアノは体育館のステージ袖にあり、われわれは体育の時間に『Open arms』の演奏に勤しんでいたのだ。点呼のあと自由な運動時間になると、さっと袖に行き、ピアノに向かう。確か結構厳格な体育教師だった記憶があるのだが、なぜ咎められなかったか不思議でならない。罰を受けた覚えはないので、きっと呆れられていたか見捨てられていたかしていたのだろう。
そのころはむしろプログレッシヴ・ロックやシンセサイザー曲に関心が深く、ジャーニー熱が続くことはなかった。しかし若いときの記憶力というのはなかなか大したもので、いまだに『Open arms』の歌詞の大半は覚えている。あの体育館の片隅の古いピアノ、少し埃っぽい空気感とともに、時折やけに懐かしくなる青春の思い出だ。

勝利

2009-03-24 16:33:14 | Weblog
先日テレビ観戦で話題にしたWBCことワールドベースボールクラシックのつづき。
日本が延長戦を制して勝ち、3年前に続く連覇を成し遂げた(それにしても、よく新聞や放送で見聞きする「2連覇」というおかしな日本語はなんとかならないだろうか)。相手はなんと5度目の対戦になる韓国。岩隈が好投しリードするがたびたび追いつかれ、最後はイチローの劇的なヒットで勝ち越し、ダルビッシュが三振で締めて試合が終わった。ずっと(勝ち越しヒットを打ったときでさえ)仏頂面だったイチローが、ゲームセット後に見せた子どものような笑顔が印象的だった。
きのうの準決勝で野球の母国アメリカをくだし、勢いに乗っていたのだろう。途中併殺が続くなどジリジリするような場面もあった。が、勝利の瞬間ベンチから次々選手が飛び出してくるのは、なかなか胸がすく光景だった。控え選手を含め、ユニフォームを着た全員にメダルが授与されたのもいい光景だった。
もっとも9回裏に追いついた韓国の意地も大したものだった。一時はこのまま逆転負けかと思ったが、日本チームのツキと粘りがさらに運を呼び込んだ。今回日本チームに与えられた「侍ジャパン」という呼称はいかがなものかと思うが、とりあえずはめでたい。今日は延長戦までもつれこんだため、仕事に支障をきたした人が続出したのではないかと、それが心配ではあるが。(ちなみにわたしは一応仕事していた。それでもかなり気をとられたのは否めない)。

不幸な風

2009-03-23 17:25:23 | Weblog
朝、成田空港で不幸な航空機事故があった。中国を飛び立った貨物機が、着陸に失敗して炎上し、乗員2名が死亡したというものだ。
徐々に明らかになってきたところによれば、どうやら原因は強烈な突風らしい。急に風向きが変わって突風が吹く現象を、ウインドシアというそうだ。貨物機は強風にさらされてバウンドし、その後横転して炎上したとのこと。テレビ画面にも、まさにその瞬間の映像が映し出されていた。貨物機があっけなく横転し燃え上がる光景は、あのニューヨークの9・11を思い起こさせた。あれも夜10時のニュースが始まるとほぼ同時のできごとだったため、深夜までテレビから目を離せなくなったものだった。旅客機と比べて小さい貨物機は、ひとたまりもなかったことだろう。確かに成田からは離れた我が家近辺でも、午前中には窓がビリビリするほどの風が吹いていた。
亡くなった二人にも不幸な風だったとしか言いようがない。航空機にとって実は怖いのは、雨より風ではないだろうか。しばらく飛行機に乗っていないためか、改めて事が起きたときの怖さ、痛ましさを考えさせられるできごとだった。

花の雨

2009-03-22 17:35:02 | Weblog
当初から次第に早まってきていた開花予想よりなお早く、東京で、きのう開花宣言が出されたそうだ。確かに先日上野公園を通ったおり、確かに桜に見える花がほころびかけていた。加えてここ数日の暖かさ。これには桜も勝手が狂って、思わず咲いてしまったのだろう。昔の諺に「暑さ寒さも彼岸まで」というのがあるが、春彼岸が過ぎた途端に咲くのも珍しい。
それにしてもこの数年、桜はすっかり3月の花になってしまった感がある。かつては入学式に桜、というイメージがあったのだが、今や大学の卒業式ぐらいの花どきを迎えている。昔、友人と夜桜能を観たが、あれは3月も末、それでも満開にはまだ遠かった記憶がある。今年もこの勢いだと、入学式のころにはもう盛りを過ぎてしまうのではないだろうか。
咲き始め、三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開……いろいろな咲き具合があり、それぞれに見どころがある。だが、きのう知人と話していて、「実は桜吹雪がいいね」ということで見解の一致をみた。ザアッと風が吹きわたり、その風に乗って一斉に花が舞う。その無情さを嫌う人もいようが、わたしはその潔さがむしろ好きだ。去年たまたま横浜の大岡川桜まつりに行ったら、まさに名残の花吹雪の真っ最中。次から次へと降ってくる花の上におぼろ月がかかり、実に心に残る風景だった。
しかし、開花宣言が出たばかりなのに、今日はさっそく非情な強風と雨。桜の時期の雨を「花の雨」といったりするが、この風では桜もびっくりだろう。せっかく咲き出したのにまた引っ込んでしまわなければいいのだが。幸い地元には結構近隣で有名な桜並木があるので、格好の散歩コースとなっている。今年も今週、来週あたりには、花見客で賑わうことだろう。