SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

新・指先のおとぎ話『みすぼらしい櫛』

2020-01-30 13:36:04 | 書いた話
その櫛は、飾り櫛と呼ぶにはあまりにみすぼらしかった。それを手にした娘の貧しげな風情が、みすぼらしさに輪をかけていた。「金、あるのかい?」露店商に訊かれ、娘はびくっと櫛から手を離した。「欲しいの?」よく透る声が割って入る。声の主は、気さくな雰囲気の青年。露店商に、青年は金の指輪を差し出した。「は?」「足りなければ、歌もつけよう」軽妙な歌が流れる。「あんたの髪のみすぼらしい櫛で、指輪が欲しいというのかい……」露店商が戸惑う隙に、「逃げるよ」青年は娘の手を取って走り出す。「え、旦那さん……?」「あの指輪はニセモノ。やがて水に還る」「あの、あなたは……」娘の目の前で、青年の醸す空気がおごそかなそれに変わる。「まだ水神見習いだから、術も長くはもたないんだ。ほら、早くお行き」娘は頭を下げ、櫛を揺らして走り去った。「……じいさまには内緒だな」水神見習いは師匠たる先の水神の顔を思い描き、すっと天に溶けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・指先のおとぎ話『光の面影』

2020-01-04 16:33:30 | 書いた話
天帝が亡き妻の居室に足を踏み入れたのは、五百年ぶりのことだった。光の女神だった妻が大小の画布に描きのこしたあらゆる光の姿。それらを天帝は愛おしそうに、一枚一枚眺めていった。その足がやがて、ある絵の元で止まった。妻が自分のいなくなった後を託すように、雷神をほのめかす、ほとばしる稲光を描いた絵。荒々しいまでの生命力にあふれた稲光は変わらない。だが──よく見ると、それまで気づかなかったものが天帝の目を惹いた。稲光を包むように取り巻く薄紅と曙色のやわらかな光。それは、光の女神が好んでまとった、衣の色にほかならなかった。「おまえの瞳の光こそ、港へ続く道しるべ……」妻が好きな唄のひとふしが、天帝の口からこぼれた。と、そのとき、絵の一角がきらきらと光りはじめた。瞳のきらめきにも明星にも似た、さりげないが美しい光。「ずっと見ていてくれたのだな……」天帝は妻の面影を追うように、その光を飽かず見つめていた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする