SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

風に踊る星の瞳・第27話

2009-08-30 17:48:23 | 書いた話
ギターの音に導かれて、エストは1軒の集合住宅に入っていく。
目指す部屋は3階だった。
フアンが呼び鈴を押す。ギターの音は続いていた。落ち着いた男の声がした。
「はい」
「あの、ロレンソ・ドラゴさんは……」
「わたしだが」
「ぼくたち、ホアキン・ミラさんの紹介で来ました。あなたに会いに」
「……ホアキンから?」
少し戸惑う気配があって、
「まあ、上がってきなさい」
旧いエレベーターに乗り、3階に向かう。エストがひとつ息をつく。
ドアがおもむろに開いた。顔を出したのは、白髪になりかけた髪を撫でつけた男性だった。いかにも温厚そうな顔立ちが、人柄を物語る。エストとフアンを認め、ひとこと「お入り」と言った。慎ましいが穏やかな暮らしを思わせる家具たちが並ぶ部屋。
奥の部屋からは、ギターの音がしていた。
「息子なんだ」
「あなたが教えて?」
エストが小さな声で訊いた。
「ああ。そろそろちゃんとした先生に習わせたいのだがね」
「……セビジャーナス……」
明るく軽やかな3拍子を刻むギター。弾きぶりはたどたどしいが、
「いい音をしているわ。見ても?」
「ああ、どうぞ」
エストはドアを静かに開ける。
6歳ぐらいの少年が、一心にギターに向かっていた。生き生きと音を紡いでいる。手にあるのは、子ども用のギター。
「……違うね……」
フアンが肩を落とす。
それは、ふつうに造られたギターだった。
求めるギターではない。

風に踊る星の瞳・第26話

2009-08-24 12:34:09 | 書いた話
バスは慎重な速度で、山脈を越えた。中途半端な時間のせいか、エストとフアンのほかに乗客はほとんどいない。
途中幾つかの小さな町に寄りながら、目指す街に入った。ベロニカの住む街ほどではないが、ここも、山がすぐ近い。
全体が坂になったような街だった。繊細な細工をほどこした大聖堂が、バスの窓から、ちらりと見えた。その大聖堂のあたりを頂点として、ゆるやかに道が下降していく。長い坂道をくだりきったあたりに、鉄道の駅があるらしい。
そこまで行く前に、バスはバス・センターに入っていた。あまり大きくはない街の、ちょうど中心部にあたる。人々の生活がバスに頼っていることを思わせた。
降りれば、やはり南の土地の陽射しだった。わずかな乗客は、そそくさと散っていく。エストとフアンを残して。
「宿は、決まってるのかい」
運転席から声がした。いかにも人の好さそうな運転手だった。
「ええ。訪ねる先があるの」
「なら、よかった。いや、やけに古風な恰好してるからさ。家出した貴族の奥さんか何かかと思ったよ。んじゃ、気をつけて」
「ありがとう。あなたも」
バスはのんびりと、次の客を乗せるため向きを変えていった。
「ええと、ドラゴさんの家は……」
フアンがメモの住所に目を落とした。
「この坂を昇って、大聖堂の手前ね」
フアンが口を挟むひまもなく、エストは歩き始めている。
古い街だった。由緒ありげな建物が、そこかしこに残っている。立派な大聖堂が見えてきたとき、エストが止まった。
「ギターが鳴っているわ……」
確かに、昼下がりの街に、ギターの小さな音がしていた。

風に踊る星の瞳・第25話

2009-08-20 12:45:16 | 書いた話
独りで帰ったベロニカを、出迎えたのはマヌエル伯父だった。
まん丸い子犬が、待ち兼ねたように飛びついてくる。ベロニカは子犬を抱き上げた。明け方、エストがしていたように。
「……なんか、信じられない」
ベロニカは悄然と言った。
「ゆうべなのよね。エストが、ここで踊ったのって」
マヌエル伯父が、ぽつりと訊いた。
「……会えたのか。ホアキンには」
「会えたわ」
ベロニカはかいつまんで、ホアキン・ミラとのことを話した。マヌエル伯父は、黙って姪の話を聞いていた。聞き終えたあとも、しばらく黙っていた。やがて、ひとことを絞り出した。
「……アーモンドか……」
「うん。何なのかしらね、『悪気じゃなかった』って」
マヌエル伯父は答えなかった。その瞳にかすかに後悔が浮かんだように見えたのは、洞窟に差し込んだ光のせいだったかもしれない。
「みんな、墓地へ行っとる。戻るまで、少し寝ておいたらどうだ」
「……悪いけど、そうするわ」
ベロニカは子犬を降ろし、奥へ入った。

どこの野原かわからない。
優しい緑の野に、2本のアーモンドが、身を寄せ合うように立っている。季節は夏。アーモンドの葉の合間からは、穏やかな色をした実が幾つも覗いている。蝶が2羽、その周りを平和に舞う。
そのとき、野にひとりの男が現れる。手には、斧を持っている。
斧が陽に鋭く光って──。
ベロニカの夢は、そこで覚めた。足許で丸まっていた子犬をどかして、独りごちる。
「……何かしら。今の夢」

風に踊る星の瞳・第24話

2009-08-17 15:48:08 | 書いた話
エストの唇が、言葉をつくる。
「ありがとう、ホアキン・ミラ。あなたに会えてよかった」
ホアキン・ミラは、なおも渋面で突っ立っていた。少し置いて、ぼそっと言った。
「あのころは、本当にものがなかったんだ。マヌエルが、どこからあのアーモンドを拾ってきたかは知らん。ひとつだけわかってくれ。悪気じゃなかったんだ。奴も、おれも」
「ええ……」
エストの声は、ふたたび吹き出したそよ風に溶けていった。
「わかっているわ……」
ミラはもう一度エストをひとしきり眺め、それきり何も言わず、工房へと戻っていった。老いた背中だった。
「……どういうこと」
ベロニカの顔には、おさえきれない動揺があった。
「悪気じゃなかったって……どうして彼があなたに謝るの。マヌエル伯父さんが拾ってきたアーモンドって、あなたの何なの?」
「あなたにもお礼を言わなくては、ベロニカ。ここまで連れてきてくれてありがとう」
3人は押し黙ったまま、時間が流れた。陽は少し高くなり、わずかに、暑さが増した。
「……行っちゃうのね」
やがてベロニカが言った。両手を広げて、少し怒ったように。
エストの手の中には、ミラが書いて寄越したロレンソ・ドラゴの住所のメモがあった。これからエストとフアンは、そこに行く。バスなら1時間ほどの、山向こうの街。
「わかった。止めない。でも」
ベロニカは大きな瞳で、まっすぐにエストを見た。
「いつかまた、会いにきて。待ってるから。あたし、ずっと待ってるから」
「……わかったわ」
エストは、優しくベロニカを抱擁した。

風に踊る星の瞳・第23話

2009-08-14 16:04:47 | 書いた話
息子のためにギターを造ってくれと、ロレンソ・ドラゴは言った。
「なんで、おれが。おまえが自分で造ってやればいい」
ミラは即答する。工房で肩を並べた時代、ドラゴはすべてにおいてミラの上だった。人柄も才能も、努力も。
「……ホアキン。おれはもう、ギターを造っていないんだよ」
続く言葉が砂を噛むように聞こえた。
「親父が倒れてな。家を継がざるを得なかった。今ではただの、食料品店のあるじだ」
「そうか……」
火の気配のない工房の中は、しんしんと冷えていた。手袋をした両手に息を吹きかけながら、ドラゴがさらに言う。
「だから、頼みにきたんだよ」
ミラを温かく眺めた視線が、逸れた。
「あ……それは?」
忘れていた。
「これ、いいじゃないか!」
ミラが制止するより早く、ドラゴはそれを手に取っていた。造って使うでもなく転がしておいた、小さなアーモンドのギター。
「そんなもの。何の役にも立たん」
「でも、ちゃんとギターだ。ネックもあるし、弦だって張ってあるじゃないか」
「まともな音は出んぞ」
「いいんだ。息子は、まだ3つなんだ。小さいうちに、触れさせてやりたいんだ。わかるだろう、ホアキン」
結局ロレンソ・ドラゴは、アーモンドのギターを嬉々として持って帰った。
「メリー・クリスマス、ホアキン」
別れ際に言われて気づいた。その日は、ちょうどクリスマスだった。

「話は、それだけだ」
ホアキン・ミラは無愛想に呟いた。エストがすいっと、彼の前で膝を屈めた。

風に踊る星の瞳・第22話

2009-08-11 19:35:25 | 書いた話
蜘蛛が1匹、花の間に巣を張ろうとしていた。細い脚を動かしながら。
昼の暑さはまだここまで来ない。朝の空気は、まだ清しい。
4人は、工房の外に立っていた。
「……行くのか」
ミラの問いに、エストはそっと頷く。
「あるなら、探します」
フアンがエストの横で言った。
「あるはずだ。あの男は、ものを軽々しく捨てたりはせん」

その、少し前。工房の中でミラが、打ち明け話をした。
「アーモンドのギターは、もうひとつある」
ベロニカが目を丸くする。
「使いにくいんでしょ。なんでまた」
「やってみたくなったのさ」
ミラはぼそぼそと言う。
「木材も手に入り出し、アーモンドの残りはそのまま転がっとった。あるとき思い出して、無性に、使ってみたくなった」
「変わってるわね」
「……物造りとは、そんな人種だ」
むろん、まともなギターができるわけはない。できたのは、
「ただのおもちゃだ。小さく、いびつな」
「でしょうね」
「が、頓狂な奴がいた」
その男がミラの工房を訪れたのは、空気が凍りそうな冬の朝だった。
「ホアキン。覚えているか。おれだ、ロレンソだ」
「ロレンソ……ロレンソ・ドラゴか」
かつて同じ師のもとでギター造りを学んだ仲間。偏屈なミラになぜか懐いた。
「おまえの評判を聞いてな」
「……何の用だ」
「ギターを造ってほしくてな。息子に」
屈託のない笑顔をロレンソは浮かべた。

風に踊る星の瞳・第21話

2009-08-10 15:06:57 | 書いた話
ホアキン・ミラの工房は、木の香りに満ちていた。低い天井からは、造りかけのギターが1本だけ提げられている。質素だが年季の入った道具類。あちこちに散らばる、ギターになるはずの木材。狭い工房は、4人が入るともう一杯だった。
「……マヌエルのギターは」
壁にかかった写真をミラは指した。
「あ……マヌエル伯父さん」
古い写真だった。50年は経っているだろう。ひとりはマヌエル伯父。眼つきの鋭さは今と変わらない。その隣に、カンナをかかえた不機嫌な顔の若者。
「……あの、ろくでもない内戦が終わって、ギターを造ろうにも材料がなかった」
この国で昔、内戦があったことは、若者たちも知っている。
「そんなとき、マヌエルが見つけてきた……その、木材を」
「その木材って──?」
突き動かされたように訊いたのは、フアンだった。
「ふだんなら、ギター造りなぞには使わない木だ。……アーモンドだよ」
「アーモンド……」
聴き取れないほどの声でエストが呟く。刹那、まさに刹那、彼女の周りで、空気がさわさわと鳴った。
「昔は家具にも使われたそうだ。おれは迷ったが、やってやれないことはない、そう思い直した」
「じゃ、それがマヌエル伯父さんのギターになったのね?」
「全部は無理だった。マヌエルのギターに使ったアーモンドは、ほんの一部だ。……サウンドホールと、ヘッドの飾り」
ホアキン・ミラは一息入れる。
「まあ、満足な出来じゃなかったさ。マヌエルじゃなければ、ああは弾けなかったろう」

風に踊る星の瞳・第20話

2009-08-05 12:16:01 | 書いた話
ホアキン・ミラが嘆息とともに眺めた先には、エストがいた。
ベロニカが、怪訝そうにミラを見る。あきらかに、胡散臭い親爺、と思っている顔だ。
フアンは、ベロニカとはまた違っていた。ミラの次の言葉を待つように、エストとミラを交互に眺めて立ち尽くしていた。
エストも、ただ佇立しているようにみえた。
そのとき──古城のほうから強く吹き下ろした風が、彼女の黒髪をさあっと揺らした。
「きゃ……」
ベロニカは、あやういところで、出かかった悲鳴を呑み込んだ。
風は、本当に一瞬、エストの顔をあらわにしていた。隠されていた片側さえも。
(片目が……)
いち早くベロニカの異変に気づいたのは、フアンだった。そっとベロニカに近づき、その身を支えてやる。ベロニカは息をついて、フアンに身を委ねた。
「フアン……エストの、目は……」
ベロニカはやっとの思いでささやいた。
「……うん。そうなんだ」
フアンがささやき返す。
「エストには……片目が、ないんだ」
ベロニカは恐る恐る、エストに目を戻した。
エストは、何事もなかったようにそこにいた。鼻筋のすらりとした、美しい顔立ち。今は風も止んで、髪は元通り、顔の半分を隠している。見えている瞳は、黒曜石の輝き。けれど、髪の下にあるのはなめらかな肌だけ──眼窩さえ、ないのだ。
けれど、それを気味悪いとは、ベロニカにはどうしても思えなかった。エストの美しさ、そして彼女の舞い姿の印象のほうが、不気味さを、はるかにしのいでいた。
「……生まれつき、なの?」
「わからない……」
そのとき、ホアキン・ミラが口をひらいた。
「中に入ったら、どうだ」

風に踊る星の瞳・第19話

2009-08-03 18:42:26 | 書いた話
ギター工房から、答えはなかった。相変わらずトレモロの響きがしているだけだ。曲は、中盤にさしかかっていた。ふるさとを思い出させるような、郷愁あふれる旋律が、丈高い草の上を渡っていく。
ベロニカはもう一度声を張り上げた。
「ホアキン・ミラさん? いるんでしょ?」
状況は、変わらない。
「もうっ」
ベロニカが業を煮やして、扉に手をかけた。
「……待って、ベロニカ」
止めたのは、エスト。
「え、だって」
「いいから」
「……わかった」
ベロニカはしぶしぶ、手を離す。ふとエストのほうを見やって、ベロニカも、フアンも呆気にとられた。エストはいつしか、静かに身体を動かしていた。トレモロにつれて両の手を細かく上げ下げし、フレーズが変わるごとにすっと背を伸ばし、また丸める。どこか古代の舞踊めいた動きは、曲とも、周りの自然とも、完全に同化してみえた。
短調から長調へと移ったメロディーは、優しい表情をいっそう際立たせながら、結びのコーダへと入っていた。朝の露が天に還るような音が連なり、そして、ふっと落ち着いた和音が鳴って、ギターが止んだ。
ほぼ間を置かずに、扉がバンとあいた。
「……マヌエルの姪っ子が、何の用だ」
ひどいダミ声がした。
「なんだ、聞こえてたんじゃないの」
「何の用だ、と訊いとる」
声の主──ホアキン・ミラは、西瓜のような太鼓腹の上に鞠のような頭を乗せていた。炯々たるふたつの眼がなければ、おとぎ話に出てくる小人の頭領といった趣きだ。
「マヌエルさんの、ギターのことで……」
フアンが質問しかける。ミラはそちらに目をやり、「ほう……」と唸った。

風に踊る星の瞳・第18話

2009-08-01 17:09:08 | 書いた話
異教徒の宮殿だったという城は、街を見下ろす高みに建っている。城から下の川までは切り立った崖が続く。そこにへばりつくように、小さなギター工房が見えた。
「道あるのかな、これ」
工房を眺め、フアンが少し心配そうに切り出す。隣でベロニカも、首をひねった。
「さあ……あたしも、ここに来るのは初めてだから」
エストがつっと天を仰ぐ。鳥たちの声が、東から西へ流れる。その流れに沿って、エストはきゃしゃな足を一歩踏み出した。その足許に、道があった。人ひとりがやっと通れるほどの、獣道のような小径(こみち)が。
「……エスト。あなた、鳥と話せるの?」
ベロニカが憧れのまなざしをあらわにして、エストを見る。
「……どうかしら」
「鳥だけじゃないよ」
フアンが口をはさんだ。
「動物だって、簡単になつくしね。ベロニカも見ただろう?」
「ああ、そうね」
ベロニカは留守番に置いてきた、まん丸い子犬のことを思い出した。
「風や天気だって、エストの味方なんじゃないかと思うときがあるよ」
「大風呂敷はいい加減にして、フアン」
エストの叱責に、フアンは苦笑いして黙った。3人は小径を踏みわけ、ギター工房の前まで来た。城はもうほんの一部しか見えない。丈高く伸びた草が、視界を遮る。
「……ギターが聴こえる」
フアンが言う。頭上の城を模したともいう、こまやかでノスタルジックなトレモロの曲が聴こえていた。潤いのある、いい音だ。
「こんにちは、ホアキン・ミラさんいますか? あたしはベロニカ・ロペス。マヌエル・ロペスの姪です」
ベロニカはためらいなく声を張った。