SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

山のこだまと海のしぶきと 第8話

2011-02-25 18:39:03 | 書いた話
 山際に日が落ちてゆく。その最後の光彩が静かに消え、空気があっというまに温度を下げるころ、エスペランサとソニアは人目を忍ぶようにして集落を出た。
「まるで咎人だな」
 そっとふたりを見送ってきたティトが、不平を洩らす。
「どうして天下のエスペランサともあろうものが、こんなふうにコソコソ旅立たなきゃいけないんだい」
「言ったでしょ、ティト。わたしはともかく、母さんが集落を出ることが知れ渡ってごらんなさい。大騒ぎだわ」
 エスペランサが素早く囁き返す。かたわらのソニアが、申し訳なさそうにうつむいた。
「気にしなくていいのよ、母さん」
 エスペランサの大きな瞳が、ひたりとティトに据えられる。黄昏のなかその瞳が、しなやかな山の獣めいた迫力を帯びて光った。
「わかってくれたはずよね、ティト」
「……悪かったよ」
 こうなれば、ティトに抗うすべはなかった。ティトが納得したのを見て、エスペランサの頬はたちまち緩む。
「待っていてね。帰ったら結婚式よ」
 集落の外れには、1台の小さな馬車が待っていた。ティトとエスペランサのほかにただひとり、今度のことを知る長老が、手配してくれたと聞いている。御者らしい男は、マントをすっぽり被っている。エスペランサは、髪を覆っていたベールをずらし、貝の髪飾りをちらりと示した。御者が頷いた。
 ティトが手を貸し、まずソニアを、次いでエスペランサを馬車に乗せる。
「こんな小さな馬で大丈夫かよ」
 馬車を牽くのは、小柄な栗毛の馬だった。
「大丈夫ですよ。丈夫な馬だから」
 マントの下から、存外に若い声がした。
「じゃ、行ってくるわね」
 エスペランサはティトに口づけを投げた。
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山のこだまと海のしぶきと 第7話

2011-02-18 12:18:17 | 書いた話
 夢を見た、とソニアは言う。エスペランサは母に請われるまま、髪飾りを手渡した。ソニアは真剣なまなざしでそれを見つめていたが、やおら、耳に押し当てた。
(……?)
 エスペランサは母の仕草に虚を突かれた。髪に挿すならわかる。胸に抱くのでもまだわかる。けれど、耳に当てるとは……
「何しているの、母さん」
 エスペランサは問うた。ソニアは髪飾りを耳から離さずに、低く言った。エスペランサの問いに答えるというよりは、独り言のような声色だった。
「ああ……海の音がする……」
「海の音、ですって? ほんと?」
 エスペランサはソニアに近寄り、髪飾りのそばに自分の耳を寄せた。
「何も聞こえないわよ、母さん」
 エスペランサは不安に駆られた。母は、大丈夫だろうか。何かに取り憑かれてしまったのではないだろうか。
「ねえ、母さんったら」
「……エスペランサ」
 名前を呼ばれたことにひとまずほっとして、エスペランサは母を見る。
「ここにいるわよ」
「夢の中で、呼ぶ人がいたのだよ……海においで、と」
「なあに、それ」
「見たこともない髪の色をした人だった……そら、あの飾り櫛のような」
 エスペランサは息を呑んだ。占い婆のくれた飾り櫛、その銀の光。
「言ったでしょ母さん。その髪飾りをわたしにくれた人が、銀の髪をしていたのよ。そう、母さんそっくりの人がね」
 名も告げずに立ち去った、船乗り風の男。エスペランサは、声に力を込めた。
「母さん、行きましょう、港町へ。呼んでいるんだわ、海が。母さんを」
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山のこだまと海のしぶきと 第6話

2011-02-11 02:11:14 | 書いた話
 占い婆のもとから戻ったあと、ティトはすぐにでも結婚式を挙げたがった。だがエスペランサはその前に、どうしても港町へ行ってきたいと言い張った。
「いったいどうして、エスペランサ」
 事情がよく呑み込めないティトは、腑に落ちない表情で、恋人に問いただすのだった。
「ぼくらの結婚は、吉だと言われたじゃないか。仕事だって山のように待ってるし、港町には結婚したあとだって行けるだろう」
 しかしいざとなると、エスペランサの意志はことのほか固かった。
「わたしは知りたいのよ、ティト。この髪飾りをくれた人のこと」
 エスペランサは、しばらくしまったままにしてあった貝の髪飾りを、占い婆にもらった櫛とともに髪に挿していた。白にも薄紅にも見える貝と、白銀の櫛とが、エスペランサの黒髪に映えて輝く。旅の守りにするように、と占い婆は言ったが、エスペランサにとっては早くも、お守り代わりの品となっているようだった。
「もしも母さんにゆかりのある人なら、結婚式にも来てもらいたいし」
「ま、盛大になるぶんにはいいがね」
「……お願い、ティト」
 結局、ティトが折れた。
 残る問題は、ソニアをいかにしてエスペランサに同行させるかだった。ただでさえ集落を離れたがらない母を、どうやって遠い港町まで連れていこう……。
 もちろん、ソニアの返事は「否」だった。言葉を尽くしても彼女の気持ちは動かず、行動的なエスペランサも考えあぐねた。いっそ諦めて、自分だけで行ってこようかと思案しだした、ある朧月夜。寝つけずにいたエスペランサのもとに、ソニアが来て言った。
「エスペランサ。……髪飾りを見せとくれ」
「どうしたの、母さん」
「……夢を見たのだよ」
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山のこだまと海のしぶきと 第5話

2011-02-04 02:04:06 | 書いた話
 ティトの解釈に、占い婆が異を唱える様子はなかった。
「わかった。どこに行っても、エスペランサをちゃんと集落に連れて帰ると約束する。それでいいだろう」
 エスペランサとティトは、とりあえず占い婆が結婚の許しを与えたことに安堵して、庵を去ろうとした。先にティトが表に出、エスペランサも続こうとしたそのとき、
──お待ち。
 占い婆が、彼女を呼び止めた。心なしかその声が優しい色合いを帯びたように、エスペランサには感じられた。
「え?」
──貝の髪飾りをもらわなんだか?
 エスペランサは、大きな瞳を見開いた。
「もらったわ。昔、港町で」
 胸が高鳴る。
「何かご存じなの? あの人のこと──」
 貝の髪飾りを託していった、母親そっくりの男。母親は知らないと言ったけれど……
──訪ねてごらん、もう一度あの町を。
「え、わたしが?」
──そう。できれば母親も連れて。
 空中に、ひらりと舞うものがあった。エスペランサは、つと受け止める。蝶のようにも見えたそれは、白銀にきらめく櫛だった。
「まあ、きれい」
──持っておゆき。あの髪飾りとこの櫛が、そなたらを守ってくれよう。
 庵の外で、そろそろ痺れを切らしたらしいティトの声がした。
「エスペランサ!」
──お行き。
「……わかったわ」
 ティトの元へと、エスペランサは急ぐ。
 小さな庵には、ふたたび静けさが戻った。
──これでよろしいか、泉のお方。
 占い婆の、恭しく改まった声音。無人のはずの庵に、確かに誰かが頷く気配があった。
コメント (2)
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