SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

異国の鳥 第4話

2012-04-24 12:24:15 | 書いた話
 エスペランサの公演には、当然いつもティトが同行していた。あるいはマネージャー、あるいは運転手として。時代はやがて馬車から自動車の世の中に移り、流行に敏感なティトはいちはやくそれを取り入れた。
 けれど、ティトがエスペランサのために舞台で歌うことは決してなかった。そこは自分の仕事ではないとわきまえていた。
 そのかわり、公演が終わり家に戻るたび、エスペランサはティトに歌を所望した。エスペランサ、そして子どもたち、孫たちは、ティトのかたわらに集まって、その歌に耳を澄ませた。ティトは公演旅行の間に覚えた歌を、巧みに節をつけて歌ってみせた。さほどの腕前とは言えなかったが、ギターやピアノを奏でながら歌うこともあった。
「ピアノも弾けたんだね」
「子どものころに少し習ったそうよ」
 ベロニカは、遠い日々を懐かしむように答えた。
 別れは、あまりに急だった。
 エスペランサをステージへと送り出し、舞台袖から楽屋へと戻る通路で、突然にティトは倒れた。居合わせたスタッフは急いで救急車を手配し、公演を止めようとした。
「……知らせないでくれ」
 運ばれていきながら、ティトが呟いた。
「エスペランサとの約束なんだ……」
 動揺する周囲に向けてかすかに微笑んだ、それがティトの最後のメッセージになった。
 その約束が確かなものだったことを、人々は終演後に知った。
 エスペランサはティトの一件を聞いても、軽く頷いたきり、笑顔でファンや後援者に対応した。すべてが終わってから、ようやく病院に向かい、もの言わぬ夫と対面した。
 取り乱すことはしなかった。が、その頬を水晶のような涙が、一筋伝い落ちた。
「あんなきれいな涙は見たことがないわ」
と、ベロニカ。
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異国の鳥 第3話

2012-04-13 08:13:17 | 書いた話
 とはいえティトには、ひとつ強みがあった。歌の上手さだ。都会仕込みの流行歌から、エスペランサの公演で訪れる土地の歌まで、すぐ器用に覚えて歌うことができた。
「レコードを出さないか、という話もあったみたいよ」
 ベロニカが言って、ニコラスのカップにコーヒーをつぐ。
「でもおばあちゃんの公演が忙しすぎて、実現しなかったんですって」
「まあ、そっちが本業だからね」
「わたしもよく歌ってもらったわ。一族の歌い手たちが、あれこれ教えてね」
 その意味では、ティトは一族に溶け込んでいたわけだ。それが、同じ〈外の男〉であるニコラスには何やら心強く思えた。
「母さんが歌好きなのは、おじいちゃんの血筋だと思うわ」
 ふいにセシリアに話題が戻って、ニコラスを戸惑わせる。踊り手としてのセシリアの、歌に対する感覚は、なるほどきわめて鋭い。夫のリカルドは良い歌い手だが、それでも時にはセシリアを怒らせる。
「ティトはそんなに名歌手だったの?」
「と言うより、あなたのギターと同じね」
「えっ!?」
 思いもよらない指摘に、ニコラスは腰を浮かせた。コーヒーがこぼれそうになるのを、慌てて押さえる。
「どういうこと?」
「技術が凄いとか、目の覚めるような名人芸を聴かせるとかではないの。でも、おじいちゃんにしか出せない音色、調べがあったの。うたごころ、と言ったらいいかしら」
 くすぐったいような感覚が、ニコラスを包む。それはつまり、自分のギターがそうだ、と言われていることなのだから。
「聴いてみたかったなあ、彼の歌を」
「早くに亡くなったから──」
 ベロニカは目を伏せた。
コメント (2)
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異国の鳥 第2話

2012-04-03 19:00:11 | 書いた話
 ただ、セシリアの言い分ももっともなのだ。
 舞踊手としての名声が広まるにつれ、エスペランサが妻として、母として過ごせる時間は少なくなっていった。そして、夫のティトは、いわばエスペランサのマネージャー。子どもより、仕事だった。
 結局、エスペランサの子どもは、マヌエルとセシリアのふたりきりだった。
 早くからギターの才能を見せたマヌエルはしかし、家庭を持とうとはしなかった。ギタリストとして人気と尊敬を集めながら、弟子を取ることさえせず、孤高を貫いた。
 一族の目は、否応なく妹のセシリアに集まった。結婚を考える歳になったある日、セシリアは長老に呼び出された。
「言いたいことはわかるな、セシリア」
 長老の口調は、厳しかった。
「おまえの母親は、外の男と結婚した。格段の踊りの才があったから許したが、娘のおまえは、家を守ってくれねばなるまい」
 うら若いセシリアは頷くほかなかった。
「それがわたしの父さん、リカルド。10人兄弟の末っ子だったから、養子に来るのも簡単だったのね」
 ベロニカの述懐のあとを、ニコラスが受け取る。
「なのに、長女のきみがまた、外から来たぼくと結婚した……」
「もう、そんな時代じゃないのにね」
「でも、セシリアもリカルドも、ぼくによくしてくれるけどね」
「母さんも父さんも、あなたを気に入ってるから。もちろん、あなたのギターもね」
 それでも時折、若い日のわが身を省みて、娘に愚痴をこぼしたくなるものらしい。
「ティトおじいちゃんも、こういう気分になったりしたのかしら」
「ぼくよりもっと都会の人だから、苦労も多かったんじゃないかな」
 ニコラスは、ティトに考えを馳せた。
コメント (4)
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