SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

木の若者と火の娘 第27話

2014-08-28 18:38:01 | 書いた話
 舞い上がった流れ星の女神は、たちまち上空へと昇ってゆく。
「あの──っ」
 フアンの呼びかけに、遥か上から返事が降ってきた。
「仕事の時間です。それに、案内は済んだ」
 かくて夜の庭園に、フアンと雷神が残った。もはやふたりを隔てるものも、仲介するものもない。
 雷神が、ちらりとフアンを見る。射すくめられるような気がした刹那、ふいの炎めいた口調で雷神が言い放った。
「人ならぬ身とは申せ──わらわの力を継ぐ娘を欲するというのか」
「えっ」
 フアンは熱さも忘れて立ちすくむ。
「どうして、それを」
「仮にもわが血脈に連なる者のこと、わらわが目配りしていないと思うたか」
 雷神の放つ威圧感が、熱波のようにフアンを包む。いくら風の助けがあっても、このままでは身がもちそうにない。
 でも。
 雷神が、事の次第を承知しているなら、いっそ話は早い。
「あの……雷神さま」
 雷神は、昂然と、しかし、待っている。
 フアンは、言葉を振り絞った。
「ぼくに、チャンスをください」
「──チャンスとは、なんじゃ」
「……試験です。ぼくが、エストにふさわしい男かどうか。もしふさわしければ」
 少し迷って、
「エストの火の性質を変えてください」
「ほう……」
 雷神が、ほんのつかのま表情をやわらげた。
「して、そなた、何をすると?」 
「ぼくは、歌うたいです。歌を──」
 フアンは、身構えようとした。
 けれど。

木の若者と火の娘 第26話

2014-08-25 17:26:05 | 書いた話
 流れ星の女神に問われるまま、フアンは天宮を訪れたいきさつを語った。女神はじっと聞き終え、悠揚と応じる。
「……ふうん?」
 しなやかな手が、フアンを包む風に触れる。
「弟も、あなたに力を貸しているようね」
「弟?」
「知らなかった? 風神は、わたしの弟」
「えっ……ということは」
「そう。天帝夫人の息子でもある」
 女神の口許に、冷悧な笑みが浮かぶ。
「なら、案内してほしかった?」
「えっ……いいえ」
 肚の底を見透かされたようで、フアンはひやりとする。それでも。
「ぼく自身がなんとかしないと。男ですから」
 答えを聞いた女神の表情がゆるむ。
「だから、あれも、手助けしたくなったのね」
 流れ星の女神は長身をひるがえす。その周りで、星ぼしが揺れる。
「来なさい。母上に会わせてあげよう」
「……ありがとうございます!」
 滑らかな廊下を、女神は飛ぶように進む。フアンは遅れまいと必死でついていく。やがて──ほのかな灯りに照らされた庭園が見えてきた。豊かに茂った樹々が立ち並ぶ。そして、木蔭に佇む年配の女性がひとり。
「母上」
 流れ星の女神の声に顔を上げる。それではこの女性が、目指す天帝夫人──雷神。
「う……」
 熱い。
 じりじりと身を灼かれるような感覚が押し寄せてきて、フアンは思わず後ずさる。風神の風がなければ、跳ね飛ばされていたかもしれない。それほどの圧倒的な空気を、雷神は放出していた。
「なんです」
「客人よ」
 言うが早いか、流れ星の女神は舞い上がる。

木の若者と火の娘 第25話

2014-08-20 11:25:03 | 書いた話
 まっすぐ、と風神は言うが、フアンはさすがに踏み出しかねた。
「でも……突然行って、会っていただけるでしょうか」
「さあ、どうかな」と風神は微笑する。
「でも、きみはそれなりの覚悟で来たんだろ」
「……はい」
「なら、その覚悟を示すことだ」
 風神の声に送られて、フアンは天宮の奥へと歩みを進めた。その前に、衛兵が立ちはだかった。フアンの鼓動が速まる。
「どちらへ」
 言葉つきは丁寧だが、物腰には静かな威圧感があった。
「天帝夫人にお目にかかりにきました」
「おぬしは何者か」
 口調が強まる。しかし、ここで引けない。
「泉の女神の息子です。海神さまの血を引く火の娘のことで、天帝夫人にお願いにあがりました。どうかお取り継ぎを」
「ならぬ。戻れ」
「戻れません。どうかお願いします」
 フアンも意地になった。実際、戻る道はもうないのだ。衛兵が一歩フアンに迫る。フアンが身をこわばらせたとき、玲瓏な声が割って入った。
「母上ならお庭よ」
 衛兵がうやうやしく礼をする。フアンが目をやった先に、しなやかな長身に星をまとった女性の姿があった。衛兵の様子からみて、女神──しかも、天帝夫人を“母上”と呼んだ、ということは。
「あの……あなたは……」
 そんなことも知らんのか、と言わんばかりに、答えたのは衛兵だった。
「流れ星の女神さまだ」
 同じ女神でも、母に比べて、若そうだがずいぶん威厳を感じさせる。天帝夫人の息女というのも頷ける。
「で、母上になんの用かしら」

木の若者と火の娘 第24話

2014-08-17 16:34:01 | 書いた話
 風神はせかすでもなく、そこに佇んでいた。フアンの決心は早かった。
「父さん……母さん。行ってくるね」
 女神はもう抗わず、ゆっくり一礼する。
「息子をよろしく、風神殿」
「うん。ただし、わたしは送るだけだよ。そこから先は、彼と天帝夫人が決めることだ」
「わかってます。お願いします、風神さま」
 フアンが答えるのと同時に、その身体が宙に浮く。たちまち、風神とフアンの姿は夜空に吸い上げられていった。
 泉の女神は凛と佇立していた。けれどアーモンドの若木が枝を伸ばして、きゃしゃな手にそっと触れたとき、その唇が驚いたように動いた。
「わたし……震えていたの?」
 ひと呼吸置いて、若木──夫が応えた。
「信じてやろう。わたしたちの息子を」
「ええ……そうね」
 女神は返して、くらい空を見上げた。

「着いたよ。……大丈夫かい」
「はい……っと」 
 風から降り立ったはいいが、フアンは息苦しさによろめいた。風神が気づく。
「ああ、空気が薄いからね、天界は」
 ふわっと、やわらかな風がフアンを包む。呼吸がたちまち楽になった。
「この風をつけておくよ」
「すみません……」
「でね」
 風神は、雲に覆われた前方を指した。フアンの目には、雲の塊しか見えない。だが、風神がひとつ指を鳴らすと、景色は一変した。まるで霧が晴れるかのように、フアンの眼前に壮大な天宮が出現した。
「有事に備えての目くらましでね」
 天宮の奥を、風神は示してみせる。
「天帝夫人──雷神の居室はいちばん奥だ。まっすぐ行くといい」

木の若者と火の娘 第23話

2014-08-14 18:23:08 | 書いた話
「なんですって」
 女神エストが、あからさまに気色ばむ。
「天宮へ行かせるというの、フアンを」
「ああ。当人が行けば、雷神殿も耳を貸そう」
 ヘスースは、落ち着き払っていた。
 そのはざまで、フアンは立ち尽くしていた。
 父が、自分のために動いてくれたことはわかる。だが、それは母たる女神をも驚嘆させる提案で──
「フアン、おまえは」
「あなたは」
 両親の声が重なった。
「どうしたい?」
 迫られる決断。
 乱れる思いの中で、面影が浮かぶ。
 ポニーテールを揺らして踊る、笑顔の娘。
 肚が、決まった。
「──行くよ。雷神さまに、会いにいく」
「会ってどうなるかわからないのよ。なにも変わらないかもしれない」
「でも行ってみるよ、母さん。……なにもしなきゃ、そこで終わりだ」
 父のヘスースは無言だったが、息子にエールを送るように葉をそよがせてみせた。
「でも──半分しか神の血を引いていないあなたが天宮に行くには、時間がかかるわ」
「大丈夫。旅は、慣れてるよ」
「そうは言っても、急ぐでしょ」
 涼やかな声が割って入った。一家の前に、すらりとした青年が姿を現す。
「──風神さま!」
「悪いけどこの辺りを流していたら、会話が聞こえてしまってね。──よければ、わたしが天宮まで送ろう」
 ありがたい申し出ではあった。
「でも、いいんですか」
「うん」
 一陣の夜風が、林を渡る。
「あの人間たちとは、いささか係わり合いがあってね。幸せになってもらいたいんだよ」

木の若者と火の娘 第22話

2014-08-11 11:22:07 | 書いた話
 人間たちが、思いに沈むころ。
 離れた野で、人ならぬ者たちも、それぞれの思案にくれていた。
 フアンはまだ人間の姿をとってはいたが、その表情からは、すっかり生気が失せていた。泉の女神も花のかんばせを曇らせたまま、昏れゆく野を眺めるともなしに眺めている。
やがて。
「……なあ、フアン」
 アーモンドの若木が、沈黙を破った。フアンはのろのろと、若木をかえりみる。
「どんな娘なんだ、エストというのは」
「父さん」
 フアンの頬に、ぱっと血の気が戻る。
「背が高くて、綺麗な子だよ。黒髪に茶の瞳で、踊りがとてもうまいんだ。火花が散るみたいに、あざやかに踊るんだ」
「ほう、火花みたいにか」
「……それも道理だわ」
 女神エストの声は、憂いをはらんで苦い。
「あの子は、火の娘だもの」
「……母さん」
 フアンは懇願するように母を見る。女神は息子と視線を合わせずに、
「仕方ないのよ。本当だもの。あの子には、天帝夫人──雷神から受け継いだ火の気質が強く出ているの。木や水とは相容れないわ」
「そんなの……」
 わからないじゃないか、と言いかけて、フアンは言葉を呑む。父親のことを思えば、自分の気持ちだけで突き進むのは気が引ける。
 だが。
 その、父が。
「どうだろう、おまえ」
 妻に呼びかけた。
「フアンを、雷神殿に会わせにやっては」
「──あなた」
 呼びかけられた女神が驚きをみせる。
「なんのために?」
「フアンの想いを、遂げさせてやるためさ」

木の若者と火の娘 第21話

2014-08-08 15:21:26 | 書いた話
「これが、マヌエル大伯父さんのギター?」
 エストは半分魂の抜けたような目で、そのギターを見た。
「……ずいぶん、古ぼけたギターね」
「こらこら、バチが当たるよ」
 ニコラスがたしなめる。
「フアンのお父さんの木が使われてるのに」
 エストは青ざめてうつむく。
 いとおしい、でも今は聞くのがつらい名前。
「──無神経よ、ニコ」
 ベロニカが夫を睨んで、娘の肩を抱く。
「……ごめん」
 それでも、ニコラスはギターを置かない。
「でも、見てごらんよ、少しだけ」
 珍しく食いさがる夫に、ベロニカはしぶしぶギターに目をやる。エストも母にならう。
「本当に綺麗なんだから、この細工」
「……知ってるわよ、そんなこと」
 それは、ベロニカも素直に認めざるを得ない。名匠ホアキン・ミラが造り、名人マヌエル・ロペスの手で飴色になるまで使い込まれたギターは今、ニコラスに受け継がれている。
「このヘッドと、サウンドホールの飾り」
 ニコラスが、繊細な細工のほどこされた2ヵ所をエストに示す。
「ここに使ったそうだ、マヌエル伯父さんが」
 切った、と言いかけて、さすがに言い直す。
「見つけてきたアーモンドを」
「なんで、そんなこと……」と、エスト。
「なんとか木材を手に入れて、ミラにギターを造らせたかったんだ。気持ちはわかるよ」
「ニコ……それ、わたしが最初ミラから聞いたことよね。あの樽みたいな偏屈親父が、よくまあこんなこまやかな細工をしたものだわ」
「ベロニカ、きみも言いたい放題だね」
 夫の苦言をひらりといなして、ベロニカは弦の1本をはじいた。ふるさとの、山の洞窟の光景がよみがえる。夜気の中、サンブラを踊った女神エスト。ベロニカは悄然と呟く。
「……どうしちゃったのよ、エスト……」

木の若者と火の娘 第20話

2014-08-04 16:24:02 | 書いた話
 林に囲まれた緑の野に、時ならぬするどい風が吹いた。
 2本のアーモンドが立つその傍らに、まず姿を見せたのは、プラチナブロンドの髪とドレスの女性。少し遅れて、茶の髪と瞳の若者が追ってきた。
「──もう来たの、フアン」
 女神エストが、けだるげに言う。
「あなたのことだから、あの人間たちと一緒に残るかと思ったわ」
「そんな言い方しないで、母さん」 
「……本気なのね」
 白銀の瞳の奥に、苦悩の燠火が灯る。
「……いったいどうしたんだ、ふたりとも」
アーモンドの若木から、重々しい声が響く。
「旅に出た先で、なにかあったのか」
「父さん、実は──」
 フアンが言いかけるのを遮って、女神エストが珍しく高い声を放った。
「彼女は諦めて、フアン!」
「だからどうして、母さん!」
 フアンもこうなると、引っ込みがつかない。
「どうしてエストじゃだめなんだ!」
「お父さんの身になってみてちょうだい!」
 女神は、いよいよ声を張る。フアンはびくっとして、動きを止めた。
「……父さん……」
「──忘れては、いないわよね」
 さきほどまでとはうらはらに、女神エストの声は一気に翳りを帯びていた。一片の雲が、陽射しを翳らせるように。
「70年ほど前のあの日、お父さんの身に起きたことを。そして、それからのわたしたちの旅路を。すべての原因をつくったのは──」
「マヌエル・ロペス……」
 フアンがうなだれる。
「フアン、おまえ、もしかして」
 若木が、なにかを察したようにそよぐ。
「ええ。出会って、しまったの。昔あなたを切り倒した、マヌエル・ロペスの家の娘と」

木の若者と火の娘 第19話

2014-08-01 13:19:59 | 書いた話
 行くわよ。言うが早いか、女神エストはきびすを返す。
「──母さん!?」
 フアンが呆然と声を挙げる。呑み込めないのは、あとの3人も同様だ。
「行くって、どういうこと?」
「懐かしい人たちに会えて、気が済んだでしょう。わたしも安心したし。……あなたもわたしも、もうここへは来ないほうがいい」
「……なにを言ってるの、エスト」
 ベロニカも顔色を変えていた。
「心配しなくていいわ、ベロニカ。あなたたちの守護は続けます」
「そんなことを言ってるんじゃないわ!」
 ニコラスが止める間もなく、ベロニカが女神に詰め寄る。女神は水滴をはじくような冷然さで、それを退けた。
「どうしたのよ、エスト」
 ベロニカの表情がゆがむ。
「わたしたち、ずっと友達じゃなかったの」
「友達よ、ベロニカ。──だけど今度だけは、話が違うの」
 女神の美しい額に宿る、一抹の苦渋。白銀の髪が、力なくしなだれる。
「あなたたちが……」
「え?」
「マヌエル・ロペスに連なる人間でなかったら……」
 マヌエル・ロペス。
 その名前に、少女エスト以外の者たちが息を呑んだ刹那、女神の姿はかき消えていた。
「母さん!」
 フアンが叫び、途方に暮れたようにエストを振り返る。
「ごめんよ。でも、絶対このままで終わらせないから。……待っていて」
 ベロニカとニコラスにも深く頭を下げ、短く呪文めいた文言を唱えて、フアンは消えた。
 エストは母の胸に顔をうずめる。
 本当に、今日はもうたくさんよ。