SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

天の歌と地の唄と 第3話

2015-04-17 17:14:26 | 書いた話
最期の一瞬まで、踊っていたい。それが、時代の名花と謳われたベロニカ・ロペスの口癖だった。そして彼女は、自らの言葉をあざやかに体現してみせた。時は春。年齢を重ねるごとに深みを増してゆくベロニカの踊りを見るために、観客はこの日も劇場を埋めていた。若いころのような派手な公演ではない。観客の数も多くはない。けれどそこにいる全員が、確かに同じ想いを、ひとつの幸福を分かち合っていた。そして公演は、クライマックスにさしかかった。光り輝くような、否、光そのもののようなアレグリアス。夫ニコラスのギター、娘婿フアンのカンテ。舞台袖には、前座をつとめた娘のエスト。すべていつも通りだった。ニコラスが締めの和音を鳴らし、ベロニカがポーズを決める。喝采──静寂。エストが駆け寄ったとき、ベロニカの心臓は鼓動を止めていた。
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天の歌と地の唄と 第2話

2015-04-10 15:59:49 | 書いた話
今宵も、唄が始まる。海からの風は、そろそろと夜の気配を運んでくる。杯を傾けながら、ギターと唄を聴くには好い時分だ。初老のギタリストは、使い込まれた楽器を手に弦の調子をととのえる。若々しい唄い手は軽く喉を湿し、客の様子を眺める。次の瞬間。ギタリストがごく無造作に、最初の和音をはなった。同じくまるで相槌を打つように、唄い手がそれに応えた。ざらりとした手触りの、古いタンゴ。たちまち客席が沸き、歓声が飛ぶ。「オレー、フアン!」「オレー、ニコラス!」客の熱気に誘われて、ふたりの芸は佳境へと入ってゆく。その姿をカウンターの奥から眺めていた女将が、嬉しそうに呟く。「やっぱり、パパのギターとフアンの唄は最高ね、ママ」彼女の傍らには、大判の写真立て。そこには、花の盛りにも似た笑顔の、黒髪の踊り手の姿があった。
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天の歌と地の唄と 第1話

2015-04-01 16:05:09 | 書いた話
地上の異変に気づいたのは、上空を流していた風神だった。急いで探りの風を飛ばし、弟の行方を探させる。目指す相手はすぐに見つかった。「兄上、何用だ?」呑気に尋ねる水神に、風神は早口で告げる。「水門を閉め忘れたろう。地上が水浸しだよ」水神の顔色が変わる。「……あの、馬鹿娘」「やっぱり彼女か」風神が苦笑した。「うっかりは師匠譲りだな。……とりあえず水を止めてこい」水神は頷いて、浮雲に乗り地上へと急行する。溜息とともに、“水返しの歌”を高らかに歌う。大地を震わせる水神の歌声に、暴れ水は見るまに引いていった。やれやれ、と落とした肩の先に、すらりと手足の長い少女の姿。これで病的に痩せていれば、この娘の魂に眠る、疫神さながらだ。「お師匠、どしたの?」「気楽に言うなよ」溜息をもうひとつ。修行の道は、長そうだ。
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