SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

竜の唄を継ぐもの 第6話

2022-04-17 10:33:37 | 書いた話
──お待ちあそばしませ。水神に声をかけたのは、息吹姫のかたわらに影のように付きしたがっていた女性だった。年かっこうからして、女官長といったところだろうか。息吹は驚いたように、その女性に視線を向けた。「申し訳ございません、姫さま」女性は目を伏せる。「つい差し出た振舞いをいたしました」そう言いながらも、ふたたび女性は水神に向き直る。「水神のきみには遠路のお越し、篤く御礼申し上げます。ですがご覧の通り姫さまは、お加減がすぐれませぬ。せっかくのお成りではございますが──」「よい」今度は息吹が、口をはさむ番だった。「姫さま」息吹は相変わらず消え入りそうな、けれど芯の強さを湛えたまなざしを女性に据える。「──山吹」「はい」「そなたの気持ちは嬉しい。でも、わたくしは今宵、水神さまに嫁ぐと決めたのです。どうか理解しておくれ」それは決然とした一言だった。山吹と呼ばれた女性も、もはや口をつぐむしかなかった。

竜の唄を継ぐもの 第5話

2022-03-09 13:33:19 | 書いた話
「息吹(イブ)殿か」それは咄嗟に水神の口をついて出た問いだった。本来ならば、案内を待つべきだったろう。だが、花嫁の姿を一目見たとき、つい問わずにはいられなかった。それほどの美しさを、息吹は宿していた。そして、春の淡雪よりなお白い花嫁装束に身を包んだその姿は、透き通るほどに華奢でもあった。(山神、と聞いていたが……)いま目の前に座す息吹を見ていると、山神という雰囲気ではなかった。純白の装束のせいもあるのだろうが、水神の前に控えた息吹は、むしろ一輪の山椿の花のように映った。ただ、彼女の風情があまりにも儚げなのがどうしても気がかりではあった。この様子では、僅かな力を加えても、はらはらと散ってしまいそうであった。そんな水神の戸惑いを察したように、息吹が口をひらいた。「どうぞ、お進みください」いざないに応えて歩を進めようとした水神を、落ち着いた女性の声が押しとどめる。「お待ちあそばしませ、水神の君」

竜の唄を継ぐもの 第4話

2022-02-04 02:44:21 | 書いた話
乳白色の霧が辺りを取り巻いて、婚礼の行列はなかなか進まなかった。別に急ぐ旅でもないが、花嫁とその一族を待たせているのが気がかりではあった。何せ相手は、地帝の姫君なのだ。そのとき、まるで水神の考えを読んだように、輿の外から声がした。「水神さま」それはどうやら、出迎え役に遣わされてきた神の声だった。返事代わりに水神は顔を覗かせる。人の好さそうな丸顔が見えた。確か牧の神と言ったろうか。輿を曳く馬を操るのになかなか長けていた。水神の顔を目にするや、その丸顔に恐縮の色が浮かぶ。「さぞお退屈でございましょう」「大丈夫ですよ、ご心配なく」寛容な返答を受けて、恐縮と感謝が入り交じる。「おそらくあと一刻ばかりかと」牧の神の見通しは正しかった。一刻ほどして、行列は歩みを止めた。 霧が嘘のように晴れて、澄んだ山の気にも似た、涼しげな風情をたたえた館が現れた。輿から降りた水神を待っていたのは、美しい花嫁だった。

竜の唄を継ぐもの 第3話

2021-11-17 16:18:34 | 書いた話
男女双方の声──先の水神の想いは、天宮に召還された遠い日の記憶へと迷い込む。「息吹(イブ)……殿?」その名には、聞き覚えがあった。地帝が得たという双子、その片方が息吹という名前だったはずだ。それだけで覚えていたわけではない。双子のもう一方が、確か今際(イマワ)といった。息吹と、今際。始まりと終わりが対になったようだ、と、印象に残っていたのだ。「左様。その息吹殿を、そなたに嫁がせたいとの話が来ておる」天帝じきじきの呼び出しとあれば、それはもはや下命だった。水神の位に就いて三百年ばかり、そろそろ妻を迎えてもよい頃合いではあった。「よきように」短い返事で、事は決まった。天帝は満足げに言った。「水神としてのそなたの才は際立っておる。地帝の婿となれば、天地をつなぐ神としての役割も期されよう。よろしく頼む」「御意」涼やかに水神は笑った。立身に関心はなかったが、せっかくの賛辞を無下にすることもあるまい。

竜の唄を継ぐもの 第2話

2021-08-16 16:21:05 | 書いた話
「祖父さ……いや、師匠」水神見習いは慌てて居ずまいを正す。いたずらを見とがめられた幼子のように。さいぜんの声は男のものだった。ならばまだ、お叱りのレベルは低いはず──そんな期待を、目の前の師の姿が打ち砕く。動きやすい男性用の戦装束に身を包んだ、女姿の師匠が艶やかな笑みを浮かべた。「まだまだ甘いわね」「ずるい……こんなときだけ女姿で」「何を今さら。ま、人命救助の件は褒めてあげる。だけど──」水神見習いは知っている。この一瞬の間が油断大敵なことを。「細かい応用技を身につける前に、修行に戻る! 覚えることは山ほどあるでしょうに!」「はい!」こうなっては、どんな言い訳も通用しない。水神見習いは深く一礼し、館へと駆け戻る。愛しい妻との再会は、当分先になりそうだ。「やれやれ」男姿に戻った師が苦く笑う。男女双方の声を自在に操り、不世出と謳われた先の水神が。「手間のかかる孫だ。……なあ、息吹(イブ)」

竜の唄を継ぐもの 第1話

2021-01-22 13:22:14 | 書いた話
「あたしのグラスに、映るあんたの顔……口に含んだ少しの酒が毒の味、ああなんてこと……」古い唄を口ずさみながら女は、静かに酒を注いだ。こうしていると、本当にあの人が目の前にいるみたい。苦い笑いがこみあげる。莫迦ね、今ごろは別の女のところにいるのに。だからこうして独りで、人生最後の酒を呑もうとしているんじゃない。女は覚悟を決めて、グラスを口に運ぶ。──すぐ効く毒、のはずだった。だが、いくら待っても、死は訪れなかった。女は戸惑い、薬の容器が空なのを確かめ、グラスを見た。その瞳が驚きに見開かれる。ありふれた硝子のグラスが、みごとな紫水晶に変わっていたのだから。女は笑った。が、その笑いはもう苦くなかった。むしろ楽しげに、美しく輝くグラスを手にする。その様子を眺めていた水神見習いがほっとして窓から離れようとしたとき、間近で涼やかな声がした。「なるほど、硝子を水晶に変えて毒を浄めたわけか。やるもんだね」
(つづく)

新・指先のおとぎ話『雲と雨と』

2020-12-02 18:02:59 | 書いた話
“ラ・マンチャの雲が雲喰ふ春野かな”「……こんな短詩があるんですって、厭ねえ」雲の女神が、ふくよかな頬をすこしふくらませて言った。もっともその顔は、怒ってはいない。「叔母上は喰いそうにないものな」水神は、半ば慰め、半ばやれやれと相槌を打つ。「そうね、あなたは昔、よく盗み食いしていたけどね」「よく、はひどいな、叔母上。夕飯を食いそびれた時だけさ。ここの雲は味がいいからな」「そのあなたが今では一人前の水神さま。わたしも歳をとるはずね」叔母の小さな溜息を、水神は聞き洩らさなかった。「心配事かい?」「娘がね、あなたみたいに早く立派になってくれたらいいのだけど」「いや、彼女はもう、れっきとした雨の女神じゃないか」「駄目よ、いつまでも気分屋の甘えん坊で。雨降るかやと、おっ母さん、滴ひと粒落ちてこぬ……」いつまでも少女の面影のままの従妹の顔を思い浮かべ、雲の女神のひなびた唄を、水神は微笑ましく聴いた。

新・指先のおとぎ話『うだつの上がらぬ神』

2020-11-17 15:35:22 | 書いた話
それは、見るからにうだつの上がらぬ神だった。低い背丈を曲がった腰がさらに低く見せ、櫛を入れる甲斐もなさそうな白髪は、形がよいとは言いかねる頭の周りを寂しげに漂っている。かつては一張羅だったのだろう、くたびれた長衣も、見ればあちこちにほころびがあった。ただ、両の瞳だけが碧玉のように耀いていた。天帝との顔合わせに集った神々も、その神のことを思い出しかねていた。声を掛けようという者も現れない。はからずも注目を集めたみすぼらしい神は意に介するふうもなく、唄の文言のようなものを呟いた。「老人が歩みゆく、あわれにこごえて……栄光あれ、生まれいでし御子に栄光あれ」──と、その姿は一同の前からかき消え、代わりに伝令が駆け込んできた。「お知らせを! 只今、天帝のお孫さまがご生誕!」そして、新たな神の子が天宮に誕生した。まだ髪も生えそろわず、頭も不格好に大きかったが、両の瞳は、碧玉の耀きをそなえていた。

新・指先のおとぎ話『5月のピアノ』

2020-05-06 15:24:05 | 書いた話
おや、あの家からピアノが聴こえる。ふと風神は空を行く足を止めた。老いた作曲家が亡くなってから、あの家からピアノの音がすることは絶えてなかったはずだが。夫人はすぐれたピアニストだったが、夫を見送ったあとは弟子を育てるのに忙しくて、あの家のピアノは弾いていなかったはずだ。そう、あのピアノは少し調子外れなんだ。でも夫妻は、それが味わいなんだと言って無理に直そうとしなかった。初夏のややけだるい空気をはらんだような旋律は、途中で古いわらべ歌めいた調子を帯びる。風神の目の前に、幾人もの少女たちが軽やかな笑い声を立てながら駆けてゆく姿が浮かぶ。緑濃い庭の奥へと少女たちが消えたとき、風神は思い出す。あの家には、もうピアノなどないことを。さてはピアノに聴こえていたのは庭の葉ずれか、と苦笑いした風神は知るよしもなかった。同じころ遠く離れた東の地で、夫人の弟子のひとりが、想いを継いでその曲を奏でていたことなど。

新・指先のおとぎ話『氷壁の呟き』

2020-04-20 17:40:04 | 書いた話
高だかとそびえる氷壁は、透き通った北の海を見下ろして、長い航海に出てゆく船を見送っていた。これまでに何艘の船が、この氷壁のかたわらを過ぎていったことか。そして今の季節になると、そうした船と張り合いたがる氷山が海にあらわれる。中には、つまらぬ見栄で海に消えた者もいた。太陽神が春の息吹きを送って寄越すこの季節、つい自らの力を見せつけたくなるのもわからなくはないが……「力じまんは身のおわり、か」氷壁から洩れた呟きを、耳にしたのは行きずりの風。「珍しく感傷的ですね?」風の問いかけに、氷壁から声が返った。「昔、そう書いた作家がいたのさ。今は大丈夫、“大地の門”があるからね」そのとき、かつて氷壁のもとを旅立った船団が到達した、西の海辺を護る大門のそばで、春を告げる高らかな踊りの調べが鳴りわたった。まさに『大地の門』と題されたその調べは、あらゆる災いを打ちはらうように、世の果てまでも豊かに響いていった。