SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

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新・指先のおとぎ話『5月のピアノ』

2020-05-06 15:24:05 | 書いた話
おや、あの家からピアノが聴こえる。ふと風神は空を行く足を止めた。老いた作曲家が亡くなってから、あの家からピアノの音がすることは絶えてなかったはずだが。夫人はすぐれたピアニストだったが、夫を見送ったあとは弟子を育てるのに忙しくて、あの家のピアノは弾いていなかったはずだ。そう、あのピアノは少し調子外れなんだ。でも夫妻は、それが味わいなんだと言って無理に直そうとしなかった。初夏のややけだるい空気をはらんだような旋律は、途中で古いわらべ歌めいた調子を帯びる。風神の目の前に、幾人もの少女たちが軽やかな笑い声を立てながら駆けてゆく姿が浮かぶ。緑濃い庭の奥へと少女たちが消えたとき、風神は思い出す。あの家には、もうピアノなどないことを。さてはピアノに聴こえていたのは庭の葉ずれか、と苦笑いした風神は知るよしもなかった。同じころ遠く離れた東の地で、夫人の弟子のひとりが、想いを継いでその曲を奏でていたことなど。
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新・指先のおとぎ話『氷壁の呟き』

2020-04-20 17:40:04 | 書いた話
高だかとそびえる氷壁は、透き通った北の海を見下ろして、長い航海に出てゆく船を見送っていた。これまでに何艘の船が、この氷壁のかたわらを過ぎていったことか。そして今の季節になると、そうした船と張り合いたがる氷山が海にあらわれる。中には、つまらぬ見栄で海に消えた者もいた。太陽神が春の息吹きを送って寄越すこの季節、つい自らの力を見せつけたくなるのもわからなくはないが……「力じまんは身のおわり、か」氷壁から洩れた呟きを、耳にしたのは行きずりの風。「珍しく感傷的ですね?」風の問いかけに、氷壁から声が返った。「昔、そう書いた作家がいたのさ。今は大丈夫、“大地の門”があるからね」そのとき、かつて氷壁のもとを旅立った船団が到達した、西の海辺を護る大門のそばで、春を告げる高らかな踊りの調べが鳴りわたった。まさに『大地の門』と題されたその調べは、あらゆる災いを打ちはらうように、世の果てまでも豊かに響いていった。
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新・指先のおとぎ話『山の双竜』

2020-03-21 11:19:47 | 書いた話
頂きに決して溶けない雪をまとったその山並みは、地の果てまでも続いているかに思われた。壮麗な純白の雪の上には、巨人さながらの雲がむくむくと湧いている。そして雪と硬い大地とが境なす辺りに、いまだ幼い双竜は在った。すんなりと丈高い雄の竜は、早春の息吹めいたさみどりの肌を持ち、やわらかく頭を傾げた雌の竜は、穏やかな秋の陽射しに似た褐色の肌におおわれていた。二頭は地帝を父とし、清らかな山の泉水を母として生まれいでた。天と地を自由に行き来する神々が、彼らに祝福を与えた。風、水、雲、雨、海、虹、そして音楽。双竜がやがて自我を持たんとするころ、音楽の女神が彼らにひとふしの唄を贈った。「山にある園、わたしが好んで聴くのはわがもとに集う山の獣らの声……」。そのとき、双竜のからだから美しい緑と褐色の光が放たれた。その溢れる光は雪をいただく山並みを満たし、彼らの父たる地帝は二頭の竜に、この日、山神の称号を与えた。
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新・指先のおとぎ話『みすぼらしい櫛』

2020-01-30 13:36:04 | 書いた話
その櫛は、飾り櫛と呼ぶにはあまりにみすぼらしかった。それを手にした娘の貧しげな風情が、みすぼらしさに輪をかけていた。「金、あるのかい?」露店商に訊かれ、娘はびくっと櫛から手を離した。「欲しいの?」よく透る声が割って入る。声の主は、気さくな雰囲気の青年。露店商に、青年は金の指輪を差し出した。「は?」「足りなければ、歌もつけよう」軽妙な歌が流れる。「あんたの髪のみすぼらしい櫛で、指輪が欲しいというのかい……」露店商が戸惑う隙に、「逃げるよ」青年は娘の手を取って走り出す。「え、旦那さん……?」「あの指輪はニセモノ。やがて水に還る」「あの、あなたは……」娘の目の前で、青年の醸す空気がおごそかなそれに変わる。「まだ水神見習いだから、術も長くはもたないんだ。ほら、早くお行き」娘は頭を下げ、櫛を揺らして走り去った。「……じいさまには内緒だな」水神見習いは師匠たる先の水神の顔を思い描き、すっと天に溶けた。
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新・指先のおとぎ話『光の面影』

2020-01-04 16:33:30 | 書いた話
天帝が亡き妻の居室に足を踏み入れたのは、五百年ぶりのことだった。光の女神だった妻が大小の画布に描きのこしたあらゆる光の姿。それらを天帝は愛おしそうに、一枚一枚眺めていった。その足がやがて、ある絵の元で止まった。妻が自分のいなくなった後を託すように、雷神をほのめかす、ほとばしる稲光を描いた絵。荒々しいまでの生命力にあふれた稲光は変わらない。だが──よく見ると、それまで気づかなかったものが天帝の目を惹いた。稲光を包むように取り巻く薄紅と曙色のやわらかな光。それは、光の女神が好んでまとった、衣の色にほかならなかった。「おまえの瞳の光こそ、港へ続く道しるべ……」妻が好きな唄のひとふしが、天帝の口からこぼれた。と、そのとき、絵の一角がきらきらと光りはじめた。瞳のきらめきにも明星にも似た、さりげないが美しい光。「ずっと見ていてくれたのだな……」天帝は妻の面影を追うように、その光を飽かず見つめていた。
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新・指先のおとぎ話『沃野を潤す』

2019-03-13 14:14:18 | 書いた話
意匠を凝らした赤い城が、夜明けを待っている。太陽神が目覚めるまでには、まだ暫くの時がある。乾いた大地は城と同じ、赤みを帯びた色をしている。砂漠、ではない。さりとて、草波打つ光景、でもない。むきだしの、荒々しい、けれど、豊かないのちを内包した、沃野。どこからともなく、硬質な楽の音が響いた。かつて赤い城を建て、そしてこの地を追われていった人びとの悲憤に想いをいたした、無常と華やぎが交錯する調べが。それに呼応するように、沃野の地中深くで、何かが目覚めた。いまだ誰の目にも触れない、それは、地下水流。長い睡りについていた水神が、ひとつ大きく伸びをした。「……そろそろ表に出ようかしらね」凛々しい女戦士の姿をした水神は、水招きの歌を口ずさむ。だがその姿と声はいつしか、颯爽たる青年のそれに変化していた。男女双方の姿と声を操る双神──水神の歌が喚んだ水はやがて地表にのぼり、少しずつ乾いた沃野を潤していった。
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新・指先のおとぎ話『月は見ていた』

2019-02-27 12:57:06 | 書いた話
月は、今日も大きく輝いている。心なしか、いつもより大きく見える気がする。そういえば、なんとかムーン、っていうんだっけ。ふだんより大きく見える現象。ま、わたしには関係ないんだけど。どうせあの月も、もうすぐ見えなくなる。お医者さまも言ってた。「残念ですが、いまの医学ではおそらくあと一年ほどで……」あと一年で光が失われるなら、いまのうちにもっとちゃんと見ておこう。「無理しちゃだめよ」友人たちは言う。でも好きなんだもの、月。太陽より全然好き。きっと美しい女神さまが住んでるんだわ。……なにかしら。唄が聞こえる。「窓辺に月がやってきて、子どもらを眺めてた。月はジプシー女、ばんざい、王の子孫たち……」軽やかな衣ずれの音。誰かに優しく抱かれた気がして、目を開ける。──とても、よく見える。目の病なんか、なかったみたいに。「女ですもの、わたくしだって」月神がふくよかな丸顔をほころばせ、そっと空に帰っていった。
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新・指先のおとぎ話『兎いぬかと』

2019-02-19 11:01:34 | 書いた話
猟師の合図に応えて、猟犬がほら穴へ勢いよく飛び込んでいく。確信があった。丸々とした野兎が、このほら穴に逃げ込むのを見たのだ。さして深そうなほら穴でもなし、きっと間もなく愛犬が、獲物をくわえて意気揚々と姿を見せるだろう。五分、十分……犬は戻らない。不安がきざす。十五分、二十分……もう待てなかった。思ったより穴が深かったのか、予期せぬ何かが潜んでいたのか。愛犬を見殺しにはできない。覚悟を決め、ほら穴に踏み込む。後悔はすぐに襲ってきた。どれほど長く放置されていたのか。至るところ蜘蛛の巣やら綿埃やらに溢れ、進むごとに粉塵が舞い上がる。狩どころではない。巨大な蜘蛛の巣に絡まっていた猟犬を助け出し、埃まみれで猟師は逃げ出した。静けさを取り戻したほら穴から、「やれ、驚いた」野兎の変化(へんげ)を解いた牧の神が、「兎いぬかと穴に入りゃ、兎いもせず用もなや、埃ばかりが取れてくる……」陽気な小唄を口ずさみながら現れた。
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新・指先のおとぎ話『幸せのチョコレート』

2019-02-13 16:05:17 | 書いた話
病の兄のために少女がえがいたのは、花ではなかった。ほかの子どもたちが黄色いたんぽぽの花を描くなかで、少女が画題に選んだのは、空へと舞い上がる綿毛だった。そう、夢を天高く託すように。治ることのない病を抱えていた兄はやがて命を終えたが、少女が祈りを込めてえがいた綿毛は、小さな缶にデザインされることになった。中には、同じく小さな、けれど甘くておいしいハートの形のチョコレートが詰められた。チョコレート缶はほかのデザインの缶と一緒にたちまち人気になり、歌にもうたわれた。「命つなごう、命のチョコレート……ぼくもわたしもチョコレート、ハッピーハッピー、ハッピーチョコレート……」人々がうたうその歌を、風神が聞きつけた。彼は微笑み、かたわらを向いた。「聴こえるかい、あの温かい歌声が。みんな、おまえたちが大好きなんだね」病や戦争から解き放たれて天に昇り、新たな命を授かった風花の子どもたちが、幸せそうに笑った。

『チョコレートのうた』https://youtu.be/y31TXTm66sg
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新・指先のおとぎ話『光の遺言』

2019-02-08 13:59:30 | 書いた話

知らせを受けて天帝が妻の居室へ向かったときには、すでに遅かった。光の女神として天地に光を分け与え、その光を絵にえがいてきた妻は、しかし、生まれつき身体が弱かった。「……陛下」女官長が、涙をたたえて天帝を迎える。慣れない天宮暮らしにも、いつも温かな笑顔を見せ、一度も愚痴をこぼさなかった妻。「こちらへ」導かれるまま、奥の画室へと足を踏み入れる。知らないうちに、命数を縮めるほどの気苦労を抱えていたというのか。千々の後悔に乱れる天帝の耳が、歌を聴く。「恐れおののくわれらがもとに、すわ一閃の稲光、かくてひとりが黒焦げに……」はやる想いで見渡すと、一枚の絵が目に入った。明るくおそろしく、天頂からほとばしる一筋の稲光。豊かな実りをも非情な裁きをも与え得る、強くあざやかな光。「……なるほど、これは丈夫そうだ」天帝の泣き笑いが画室に響いた。妻の“遺言”通り天帝が雷神を妻にめとったのは、その少しあとのことだ。

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