SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

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竜の唄を継ぐもの 第1話

2021-01-22 13:22:14 | 書いた話
「あたしのグラスに、映るあんたの顔……口に含んだ少しの酒が毒の味、ああなんてこと……」古い唄を口ずさみながら女は、静かに酒を注いだ。こうしていると、本当にあの人が目の前にいるみたい。苦い笑いがこみあげる。莫迦ね、今ごろは別の女のところにいるのに。だからこうして独りで、人生最後の酒を呑もうとしているんじゃない。女は覚悟を決めて、グラスを口に運ぶ。──すぐ効く毒、のはずだった。だが、いくら待っても、死は訪れなかった。女は戸惑い、薬の容器が空なのを確かめ、グラスを見た。その瞳が驚きに見開かれる。ありふれた硝子のグラスが、みごとな紫水晶に変わっていたのだから。女は笑った。が、その笑いはもう苦くなかった。むしろ楽しげに、美しく輝くグラスを手にする。その様子を眺めていた水神見習いがほっとして窓から離れようとしたとき、間近で涼やかな声がした。「なるほど、硝子を水晶に変えて毒を浄めたわけか。やるもんだね」
(つづく)
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新・指先のおとぎ話『雲と雨と』

2020-12-02 18:02:59 | 書いた話
“ラ・マンチャの雲が雲喰ふ春野かな”「……こんな短詩があるんですって、厭ねえ」雲の女神が、ふくよかな頬をすこしふくらませて言った。もっともその顔は、怒ってはいない。「叔母上は喰いそうにないものな」水神は、半ば慰め、半ばやれやれと相槌を打つ。「そうね、あなたは昔、よく盗み食いしていたけどね」「よく、はひどいな、叔母上。夕飯を食いそびれた時だけさ。ここの雲は味がいいからな」「そのあなたが今では一人前の水神さま。わたしも歳をとるはずね」叔母の小さな溜息を、水神は聞き洩らさなかった。「心配事かい?」「娘がね、あなたみたいに早く立派になってくれたらいいのだけど」「いや、彼女はもう、れっきとした雨の女神じゃないか」「駄目よ、いつまでも気分屋の甘えん坊で。雨降るかやと、おっ母さん、滴ひと粒落ちてこぬ……」いつまでも少女の面影のままの従妹の顔を思い浮かべ、雲の女神のひなびた唄を、水神は微笑ましく聴いた。
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新・指先のおとぎ話『うだつの上がらぬ神』

2020-11-17 15:35:22 | 書いた話
それは、見るからにうだつの上がらぬ神だった。低い背丈を曲がった腰がさらに低く見せ、櫛を入れる甲斐もなさそうな白髪は、形がよいとは言いかねる頭の周りを寂しげに漂っている。かつては一張羅だったのだろう、くたびれた長衣も、見ればあちこちにほころびがあった。ただ、両の瞳だけが碧玉のように耀いていた。天帝との顔合わせに集った神々も、その神のことを思い出しかねていた。声を掛けようという者も現れない。はからずも注目を集めたみすぼらしい神は意に介するふうもなく、唄の文言のようなものを呟いた。「老人が歩みゆく、あわれにこごえて……栄光あれ、生まれいでし御子に栄光あれ」──と、その姿は一同の前からかき消え、代わりに伝令が駆け込んできた。「お知らせを! 只今、天帝のお孫さまがご生誕!」そして、新たな神の子が天宮に誕生した。まだ髪も生えそろわず、頭も不格好に大きかったが、両の瞳は、碧玉の耀きをそなえていた。
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新・指先のおとぎ話『5月のピアノ』

2020-05-06 15:24:05 | 書いた話
おや、あの家からピアノが聴こえる。ふと風神は空を行く足を止めた。老いた作曲家が亡くなってから、あの家からピアノの音がすることは絶えてなかったはずだが。夫人はすぐれたピアニストだったが、夫を見送ったあとは弟子を育てるのに忙しくて、あの家のピアノは弾いていなかったはずだ。そう、あのピアノは少し調子外れなんだ。でも夫妻は、それが味わいなんだと言って無理に直そうとしなかった。初夏のややけだるい空気をはらんだような旋律は、途中で古いわらべ歌めいた調子を帯びる。風神の目の前に、幾人もの少女たちが軽やかな笑い声を立てながら駆けてゆく姿が浮かぶ。緑濃い庭の奥へと少女たちが消えたとき、風神は思い出す。あの家には、もうピアノなどないことを。さてはピアノに聴こえていたのは庭の葉ずれか、と苦笑いした風神は知るよしもなかった。同じころ遠く離れた東の地で、夫人の弟子のひとりが、想いを継いでその曲を奏でていたことなど。
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新・指先のおとぎ話『氷壁の呟き』

2020-04-20 17:40:04 | 書いた話
高だかとそびえる氷壁は、透き通った北の海を見下ろして、長い航海に出てゆく船を見送っていた。これまでに何艘の船が、この氷壁のかたわらを過ぎていったことか。そして今の季節になると、そうした船と張り合いたがる氷山が海にあらわれる。中には、つまらぬ見栄で海に消えた者もいた。太陽神が春の息吹きを送って寄越すこの季節、つい自らの力を見せつけたくなるのもわからなくはないが……「力じまんは身のおわり、か」氷壁から洩れた呟きを、耳にしたのは行きずりの風。「珍しく感傷的ですね?」風の問いかけに、氷壁から声が返った。「昔、そう書いた作家がいたのさ。今は大丈夫、“大地の門”があるからね」そのとき、かつて氷壁のもとを旅立った船団が到達した、西の海辺を護る大門のそばで、春を告げる高らかな踊りの調べが鳴りわたった。まさに『大地の門』と題されたその調べは、あらゆる災いを打ちはらうように、世の果てまでも豊かに響いていった。
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新・指先のおとぎ話『山の双竜』

2020-03-21 11:19:47 | 書いた話
頂きに決して溶けない雪をまとったその山並みは、地の果てまでも続いているかに思われた。壮麗な純白の雪の上には、巨人さながらの雲がむくむくと湧いている。そして雪と硬い大地とが境なす辺りに、いまだ幼い双竜は在った。すんなりと丈高い雄の竜は、早春の息吹めいたさみどりの肌を持ち、やわらかく頭を傾げた雌の竜は、穏やかな秋の陽射しに似た褐色の肌におおわれていた。二頭は地帝を父とし、清らかな山の泉水を母として生まれいでた。天と地を自由に行き来する神々が、彼らに祝福を与えた。風、水、雲、雨、海、虹、そして音楽。双竜がやがて自我を持たんとするころ、音楽の女神が彼らにひとふしの唄を贈った。「山にある園、わたしが好んで聴くのはわがもとに集う山の獣らの声……」。そのとき、双竜のからだから美しい緑と褐色の光が放たれた。その溢れる光は雪をいただく山並みを満たし、彼らの父たる地帝は二頭の竜に、この日、山神の称号を与えた。
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新・指先のおとぎ話『みすぼらしい櫛』

2020-01-30 13:36:04 | 書いた話
その櫛は、飾り櫛と呼ぶにはあまりにみすぼらしかった。それを手にした娘の貧しげな風情が、みすぼらしさに輪をかけていた。「金、あるのかい?」露店商に訊かれ、娘はびくっと櫛から手を離した。「欲しいの?」よく透る声が割って入る。声の主は、気さくな雰囲気の青年。露店商に、青年は金の指輪を差し出した。「は?」「足りなければ、歌もつけよう」軽妙な歌が流れる。「あんたの髪のみすぼらしい櫛で、指輪が欲しいというのかい……」露店商が戸惑う隙に、「逃げるよ」青年は娘の手を取って走り出す。「え、旦那さん……?」「あの指輪はニセモノ。やがて水に還る」「あの、あなたは……」娘の目の前で、青年の醸す空気がおごそかなそれに変わる。「まだ水神見習いだから、術も長くはもたないんだ。ほら、早くお行き」娘は頭を下げ、櫛を揺らして走り去った。「……じいさまには内緒だな」水神見習いは師匠たる先の水神の顔を思い描き、すっと天に溶けた。
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新・指先のおとぎ話『光の面影』

2020-01-04 16:33:30 | 書いた話
天帝が亡き妻の居室に足を踏み入れたのは、五百年ぶりのことだった。光の女神だった妻が大小の画布に描きのこしたあらゆる光の姿。それらを天帝は愛おしそうに、一枚一枚眺めていった。その足がやがて、ある絵の元で止まった。妻が自分のいなくなった後を託すように、雷神をほのめかす、ほとばしる稲光を描いた絵。荒々しいまでの生命力にあふれた稲光は変わらない。だが──よく見ると、それまで気づかなかったものが天帝の目を惹いた。稲光を包むように取り巻く薄紅と曙色のやわらかな光。それは、光の女神が好んでまとった、衣の色にほかならなかった。「おまえの瞳の光こそ、港へ続く道しるべ……」妻が好きな唄のひとふしが、天帝の口からこぼれた。と、そのとき、絵の一角がきらきらと光りはじめた。瞳のきらめきにも明星にも似た、さりげないが美しい光。「ずっと見ていてくれたのだな……」天帝は妻の面影を追うように、その光を飽かず見つめていた。
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新・指先のおとぎ話『沃野を潤す』

2019-03-13 14:14:18 | 書いた話
意匠を凝らした赤い城が、夜明けを待っている。太陽神が目覚めるまでには、まだ暫くの時がある。乾いた大地は城と同じ、赤みを帯びた色をしている。砂漠、ではない。さりとて、草波打つ光景、でもない。むきだしの、荒々しい、けれど、豊かないのちを内包した、沃野。どこからともなく、硬質な楽の音が響いた。かつて赤い城を建て、そしてこの地を追われていった人びとの悲憤に想いをいたした、無常と華やぎが交錯する調べが。それに呼応するように、沃野の地中深くで、何かが目覚めた。いまだ誰の目にも触れない、それは、地下水流。長い睡りについていた水神が、ひとつ大きく伸びをした。「……そろそろ表に出ようかしらね」凛々しい女戦士の姿をした水神は、水招きの歌を口ずさむ。だがその姿と声はいつしか、颯爽たる青年のそれに変化していた。男女双方の姿と声を操る双神──水神の歌が喚んだ水はやがて地表にのぼり、少しずつ乾いた沃野を潤していった。
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新・指先のおとぎ話『月は見ていた』

2019-02-27 12:57:06 | 書いた話
月は、今日も大きく輝いている。心なしか、いつもより大きく見える気がする。そういえば、なんとかムーン、っていうんだっけ。ふだんより大きく見える現象。ま、わたしには関係ないんだけど。どうせあの月も、もうすぐ見えなくなる。お医者さまも言ってた。「残念ですが、いまの医学ではおそらくあと一年ほどで……」あと一年で光が失われるなら、いまのうちにもっとちゃんと見ておこう。「無理しちゃだめよ」友人たちは言う。でも好きなんだもの、月。太陽より全然好き。きっと美しい女神さまが住んでるんだわ。……なにかしら。唄が聞こえる。「窓辺に月がやってきて、子どもらを眺めてた。月はジプシー女、ばんざい、王の子孫たち……」軽やかな衣ずれの音。誰かに優しく抱かれた気がして、目を開ける。──とても、よく見える。目の病なんか、なかったみたいに。「女ですもの、わたくしだって」月神がふくよかな丸顔をほころばせ、そっと空に帰っていった。
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