昔から、椿が好きだった。庭には、母の実家からもらってきたものも含め幾本かの椿が植わっている。なかには植木市で買ってきたものの手入れが悪く、なくなってしまったものもあるが……。
どちらかというと、八重系の華やかな椿よりも侘助系のシンプルな椿が好きだ。花びらが折り重なっていないので、地面に落ちても何やら凛とした風情がある。散らずに首ごと花が落ちることから武家では嫌われたとの言い伝えもあるが、咲いた形のまま静かにポトリと落ちる花に、わたしはむしろ潔さを感じる。
椿というと新年の生け花にもよく使われるせいか、つい寒い時期の花というイメージがある。しかしその字をよく見てみれば、木へんに春と書く。つまり、椿は春の花なのだ。季語でも春に分類されている。椿を詠んだ俳句で名高いのは、やはり河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」だろう。椿のありようを端的に詠んだ名句だと思う。
庭の椿に先駆けて、近所の雑木林では今、藪椿が咲き誇っている。堂々たる大木から紅色の椿が次々と落ちてくるさまには、なんともいえず惹き付けられる。花を踏むのがしのびなく、つい避けて歩くので椿の木の下でだけやや妙な歩き方になっているかもしれない。
どちらかというと、八重系の華やかな椿よりも侘助系のシンプルな椿が好きだ。花びらが折り重なっていないので、地面に落ちても何やら凛とした風情がある。散らずに首ごと花が落ちることから武家では嫌われたとの言い伝えもあるが、咲いた形のまま静かにポトリと落ちる花に、わたしはむしろ潔さを感じる。
椿というと新年の生け花にもよく使われるせいか、つい寒い時期の花というイメージがある。しかしその字をよく見てみれば、木へんに春と書く。つまり、椿は春の花なのだ。季語でも春に分類されている。椿を詠んだ俳句で名高いのは、やはり河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」だろう。椿のありようを端的に詠んだ名句だと思う。
庭の椿に先駆けて、近所の雑木林では今、藪椿が咲き誇っている。堂々たる大木から紅色の椿が次々と落ちてくるさまには、なんともいえず惹き付けられる。花を踏むのがしのびなく、つい避けて歩くので椿の木の下でだけやや妙な歩き方になっているかもしれない。