SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

光なす双つのギター・第26話

2010-05-31 10:40:10 | 書いた話
「……伝言? 誰から」
 ボーイは、入り口のほうを目で示す。ベロニカは顔を曇らせた。男がひとり、足早に立ち去っていくところだった。
「あれは……メンドーサだわ」
「メンドーサ?」
「パスクアルとつるんでた連中のひとりよ」
 ベロニカとニコラスは、嫌な予感に駆られてメモに目をやった。
「──えっ」
 ベロニカが、グラスを倒さんばかりにして立ち上がった。テーブルについた両手が、かすかに震える。足許でおとなしくなっていたまん丸い犬が、驚いたように起き上がる。
 ニコラスもベロニカを気遣いながら、メモを確認する。
 乱雑な文字で、短い用件が書かれてある。
「ペドロと、ひと騒動。
 例のギターで、返してやろう。   P」
 それと、ねぐららしい宿屋の名前。
 ニコラスは、ギターケースを手にとった。
(……仕方ない、よね)
 その手を、ベロニカが押さえる。
「行くことないわ、ニコ。しばらく頭を冷やさせたらいいのよ、あの子」
「そんなわけにはいかないよ、ベロニカ」
「──なら、わたしが行く」
「それは絶対だめだ!」
 ニコラスは本気で慌てた。
「あなたは、ワン君と一緒に帰っていて。必ず、ペドロを連れて帰るから。……ギターのことなら、心配しなくていいから」
「……ニコ……」
 ベロニカの瞳に、涙の粒が盛り上がる。
「……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「大丈夫だ、ベロニカ。泣かないで」
 ふたりは身を寄せ合い、そして、同じひとつの声を聞いた。
──心配ない。
 古酒のようにコクのある、響く声だった。

光なす双つのギター・第25話

2010-05-27 14:50:10 | 書いた話
 夜明け前のバルのテラスは、静かだった。近くの大通りを行く車もまだ少ない。
 ベロニカは、ニコラスのグラスにゆっくり酒をついだ。
「……あいつだって」
 振り絞るような声音に、悔しさが滲む。
「結婚したころは、もう少しましな根性してたのよ」
 ニコラスはあえて言葉を挟まず、グラスに口をつける。
「でも、だんだん性格が歪んでいって」
 けどね。ベロニカは、口調をゆるめた。
「考えてみたら、あいつも可哀想だったかもしれないわ。どこに行っても、ベロニカ・ロペスの亭主、っていう肩書がついてまわるんだもの」
 ニコラスは頷いた。パスクアルのような男にとっては、さぞ屈辱的なことだったろう。
「……結局、わたしのせいなのかしら」
 ベロニカの苦い笑いが、テラスを渡る風に溶けていった。
 ニコラスが切り返す。
「それは違うよ」
 自分でも意外なほど、声に力が入った。
「ニコ……」
「いや、あの」
 ふいに湧いた気恥ずかしさを消そうと、ニコラスは言葉を探す。
「仮にもあなたが選んだ人だもの。間違いはなかったはずだよ。──それより」
 気になっていた、もうひとつの話題に切り換える。
「ペドロはどうしたんだろう。あのあと、出ていったままだけど」
「また呑みにいったんだと思うわ。あの子、血の気が多いところがあるから、少し心配なんだけど……」
 と、ボーイのひとりが近づいてきた。手にメモを持っている。
「ご伝言です、ベロニカさんに」

光なす双つのギター・第24話

2010-05-25 12:24:36 | 書いた話
 楽屋にまで入り込んできたパスクアルを、ベロニカは冷然と無視した。
「……ふん。気位の高さも相変わらず、か」
 パスクアルも、ベロニカの反応は予測していたのだろう。めげるふうもなく、今度はニコラスに目を向けた。ペドロが喧嘩腰になって前に出かかるのを、ニコラスが制する。
「……ぼくなら平気だから、ペドロ」
「はん、仲のいいこって」
 パスクアルが冷笑する。
「あんたか、ベロニカの新しいおもちゃは。確かに、あいつの好きそうな音を出すよな。おまけに、若くていい男ときてる」
「……出ていかないと、警察を呼ぶわよ」
 ベロニカの大きな瞳は、これ以上ないほど真剣だった。
「わかったよ、おっかねえなぁまったく。……どうだい、あんた。一度だけ、そのギターを見せちゃくれねえか」
「相手にしないで、ニコ」
「ベロニカ、後生だ。ホアキン・ミラのギターを、間近で拝みたいんだよ」
「……わかりました」
 ニコラスは、ギターケースを開けた。
「ニコったら」
「へえ、見事だな。──ちょいとごめんよ」
 止める間もあらばこそ、パスクアルはギターをつかみだしていた。今にも持ち逃げしそうな勢いに、ベロニカが蒼ざめる。
「何するのっ」
「どうだい? やっぱり、おれみたいな渋い男じゃないと似合わんだろう、この楽器は」
「そうは思いませんね。失礼」
 ニコラスは、動じなかった。落ち着き払ってパスクアルからギターを取り戻し、ケースに収める。パスクアルが舌打ちした。
「ちっ、ケチくせえな」
「一度見て、気が済んだでしょう。お引き取り願います」
「……偉そうに。後悔するなよ、若造」

光なす双つのギター・第23話

2010-05-22 13:40:49 | 書いた話
 ショーが、はねる。
 盛大な拍手を背に受けて、ベロニカ、ニコラス、ペドロの3人は楽屋に引き上げる。
「無事に終わったな、今日も」
 ペドロが弾んだ声で言った。
「──そうね」
 ベロニカは、弟ほど浮かれていなかった。
「なんだよ、これでもう4日だぜ」
 姉の淡々とした態度が物足りなかったのか、ペドロは大仰に肩をすくめる。
「どうせ口先だけだったんじゃないのか、パスクアルの奴」
「……それはどうだろうね」
 ニコラスも、ギターをしまいざま口をはさんだ。
「ったく、ニコもベロニカの味方かよ」
「というわけじゃないけど」
 ニコラスは考えていた。
 名誉欲が強いという、ベロニカの元の夫。滅多に手に入らない、名工ホアキン・ミラのギターを持つ自分……ましてや同じフラメンコ・ギタリストならば、ベロニカも言ったとおり、そう簡単には諦めないだろう。
 果たして。
「失礼しますよ」
 楽屋の外で、興行主の声がした。
「急ぎのご面会という方が」
「どなたかしら」
 ベロニカが応対する。
「ええと……パスクアルさんと」
「──会いたくないわ。帰ってもらってくださいな」
「ですが……」
「そいつぁ冷たいな、ベロニカ」
 興行主を押しのけるようにして、入ってきた大柄な男がいた。
「いや、さすがおれの元・女房殿だ。相変わらずの人気っぷりだぜ。きのうまで大入り満員で、やっと今日、席がとれたんだ」
 パスクアルが、品の悪い笑みを浮かべた。

光なす双つのギター・第22話

2010-05-19 21:21:27 | 書いた話
 姉の叱責に少しの間おとなしくしていたペドロが、神妙な顔で言葉を継いだ。
「でも、気をつけなよ、ニコ」
「うん?」
「パスクアルの奴、あんたのギターを狙ってるぜ。おれに、そう言ったもの」
 ベロニカが、憎々しげに宙を睨む。
「あの男が、考えそうなことね」
「……そうなの?」
「うんざりするほど、欲が深いんだから。マヌエル伯父さんだってそれをわかってて、絶対に自分の楽器は譲らなかったぐらいよ」
 ニコラスは頷いた。ベロニカの伯父のギタリスト、マヌエル・ロペスの名は、フラメンコ・ギターを志す者なら誰でも知っている。
「ベロニカ、パスクアルと結婚したときマヌエル伯父さんに大目玉食らったんだよな。おまえは男を見る目がない、って」
「──ペドロっ」
「……はいはい、黙るよ」
 そう言いながらも、ペドロの口はなおも閉じなかった。
「惜しかったよな。マヌエル伯父さんも、ニコなら文句なかったろうにな」
「……ぼくも、聴いてもらいたかったよ」
 伝説の名人、マヌエル・ロペスも、もはやこの世の人ではない。
「とにかくニコ、あんたは、ホアキン・ミラの最後のギターの所有者なんだ。それを忘れないでね。んじゃ、おやすみっ」
 ペドロはベロニカが次の小言を発する前に、素早く部屋を出ていった。
「……まったく、あの子ったら」
「心配してくれてるんだよ」
 ベロニカは、眉をひそめた。
「わたしが気がかりなのは、パスクアルのことよ。あの男が、このまますんなり諦めるとは思えないわ」
 ニコラスも、いささかの懸念を抱いて、ギターを爪弾いた。

光なす双つのギター・第21話

2010-05-17 17:17:39 | 書いた話
「それにしても、不思議だね」
 ベロニカをなだめるように、ニコラスは言った。
「彼女は、ぼくらに何かを伝えたいのかな」
「そうねえ……」
 ベロニカが考え込んだ、そのとき。
 ドアが開いて、ペドロが入ってきた。不愉快そうなしぐさで、椅子にどすんと座る。
「何なの、帰るなり」
 ベロニカがたしなめる。
「厭な奴に会ったんだよ」
「厭な奴?」
「パスクアルさ」
「──!」
 ベロニカの顔色が、さっと変わった。
「あいつが、この街に?」
「ああ。バルで呑んでたら、声をかけてきやがって。どうやら、おれたちの評判を聞きつけて、ずっと気になってたらしくてな」
 そこまで話して、ペドロは「しまった」という表情になった。
「ごめんベロニカ。ニコには──」
「いいの。わたしが話す」
 姉弟のやりとりの脇で控えていたニコラスに、ベロニカは向き直った。みぞおちのあたりに、苦いものがこみ上げる。けれど──今、話さなければ。
「ニコ。パスクアルというのはね──わたしの、別れた、夫なの」
「……うん」
 ニコラスは、意外なほど冷静でいられた。ベロニカほどの女性が、今の歳まで独身でいたら、そのほうがよほど驚いたろう。
 ベロニカは、ニコラスに感謝の微笑みを贈り、告白を続けた。
「やはりギタリストなの。腕はいいけど、名誉欲が強くて女癖が悪くて、結局別れたわ」
「ベロニカが叩き出したんだぜ」
 ペドロが茶々を入れ、ベロニカの射すくめるような視線にさらされた。

光なす双つのギター・第20話

2010-05-15 12:34:33 | 書いた話
 ギターは、セビジャーナスのひとふしを鳴らして止んだ。まるで意志を持つもののように、ふわりと床に横たわる。
 ベロニカは、気遣うようにニコラスを見た。
「ニコ……何か思い出したの?」
「うん──。全部、じゃないけど、いくつかのことは。あの女性は、ミラの造ったおもちゃのギターを探しに、ぼくの家にきた。そして、そのギターは、歌うギターだった」
「歌う、ギター……?」
「『帰りたい』って、歌ってた。ぼくには、いつもそう聴こえてた」
 ベロニカには、そのとき理解できた。
 頑固ひとすじに生きたホアキン・ミラが、なぜニコラスを気に入ったのか。
「木の声がわかる、って、そういうことだったのね」
 ベロニカは、ためらいを捨てた。
「ニコ。彼女の正体はね……」
 ベロニカは、そこから一気に物語った。
 彼女──エストが、泉の女神であったこと。1本のアーモンドと結ばれたが、やがて夫が切り倒され、息子とともに探しに出たこと。
「息子……?」
「ええ。歌い手として彼女のそばにいたわ」
「ああ、あの彼が……」
 昼下がりの部屋で、幼い自分のギターに合わせて、セビジャーナスを歌ってくれた青年。甦る、低く響く女性の声。
「きっとすばらしいギタリストになるわ、あなた」
(……思い出せて、よかった)
 10数年ぶりにかみしめる、くすぐったいような記憶。その余韻から、ニコラスは、ふと我に返った。
「……ベロニカ? どうしたの?」
 ベロニカが、口をとがらせていた。
「まったく、エストったら。どうして、今ごろニコの夢に出てくるのよ? どうせなら、わたしの夢に出てきなさいよね」

光なす双つのギター・第19話

2010-05-12 12:12:23 | 書いた話
 それは、たった3日ほどの出会い。
 今から20年ほど前のこと、たまたま目にした彼女の、ソレアの舞い。夜気にも似てゆるやかに、緊張をはらんだ踊りと、星の輝きをはなつ瞳。祖母の魂を送ってほしくて、頼み込んだひとさし。彼女が選んだサンブラの、鎮魂の調べ……
 ベロニカは、長年大事にしまいこんでいた思い出をひとつずつ取り出しては、ニコラスの前に広げていった。
 ニコラスのかたわらでは、まん丸い犬が、気持ちよさそうに眠っていた。
「おまえも、あのときは子犬だったのにね」
 いとおしげなベロニカの囁きが聞こえたのかどうか、丸い耳がわずかに動く。
「どこまで話したかしら。──そうだ。それで、彼女と一緒にホアキン・ミラのところに行ったのよ。で、彼が造ったアーモンドの、おもちゃのギターの話になって──きゃっ」
 ニコラスが突如、椅子を蹴って立ちかける。
 しかし、その行動に動揺したのは、むしろニコラス本人だった。
「あ──っ、ごめんっ」
「どうしたの、ニコ」
「わ……わからない」
「わからないって、すごい剣幕だったわよ。……嫌だ、顔が蒼いわ、あなた。大丈夫?」
「そうじゃないんだ……ベロニカ、今、おもちゃのギター、って言ったよね?」
「ええ」
「どうしてだろう……すごく、懐かしい気がしたんだ、ぼくも」
「ええ!?」
 ベロニカが呆気にとられたとき。ニコラスのギターが、光りながら鳴りだした。ふたりが愕然と見つめるなか、音が形をなしてゆく。
「セビジャーナス……だ」
 3拍子の明るいメロディーが流れる。暑さを吹き散らして楽しげに踊る、黒髪の女性が、ニコラスの心に明快な像を結んだ。

光なす双つのギター・第18話

2010-05-09 12:21:23 | 書いた話
「……変わった? あなたの夢が?」
「……うん」
 ニコラスは手にしていたギターを置いて、ベロニカと向き合った。ペドロは少し前に飲みに出かけ、まだ戻らない。
 夜はあわあわと更けて、さきほどまで賑やかだった街通りの人声も今は絶えていた。落ち着いて話をするには、ちょうどよい頃合いに思われた。
「ギターが奏でるメロディーは、前と変わらないんだ。ギターの温かい輝きも同じでね。でも、ここしばらく……」
 ニコラスは、ふと目を閉じた。夢の名残りを思い描くように。
「その奥に、女の人の面影が浮かぶんだ」
「ふうん?──女の人、ねえ」
 ニコラスは、ハッと息を呑んだ。
「ベロニカ、変な意味じゃなくて」
「冗談よ、ばかね」
 ベロニカの目は、もう笑っている。ニコラスは、敵わないなあと息をつく。
「おぼろげな姿ではあるんだけどね。彼女は、淡い紫色のドレスを着ているんだ。で、黒にも銀にも見える長い髪と瞳が、きれいに光るんだよ」
「なんですって──」
 ベロニカは、ドキリとした。
 淡い紫のドレス。
 黒にも銀にも見える髪と瞳。
 その女性を、ベロニカは、はっきりと脳裏に描くことができた。
 美しい舞い姿も、甦ってきた。
 歳月が流れても、色褪せない思い出。
 ──彼女、なのだろうか。
(ねえ……あなたなの?)
 胸のうちで呼びかけてみる。
「どうかした? ベロニカ」
 ニコラスが、のぞきこんでいた。
「ニコ。わたし、その人知ってると思うわ」
「えっ?」

光なす双つのギター・第17話

2010-05-06 12:12:23 | 書いた話
「ねえ、ベロニカ。母さんが電話で言ってたよ。いつ、ニコを連れてくるんだって。娘の新しい恋人に、早く会いたいみたいだぜ」
 ペドロがベロニカに笑いかける。そんなときのしぐさは、どこかに幼さを残している。
 ベロニカとニコラスは、苦笑まじりにペドロを見やった。
「ペドロ、ぼくたちは、まだそんな……」
「そうよ、気が早いわ。家族に紹介するきっかけがほしくて、あんたを歌い手として集落から呼んだわけじゃないのよ」
「まだ一緒にならないの? ならさあ」
 ペドロは、ニコラスのギターに手を伸ばす。乱暴なことはしないとわかっているから、ニコラスも抗議はしない。
「なんでギターが光るのさ。ふたりの間に特別なつながりがないなら、おかしいだろ」
「あんたがそれを訊くのは、何度目かしら」
 ベロニカが、ペドロの手からギターを取り返す。
「おれだけじゃない。お客の間でも、評判になってるぜ? ショーが盛り上がってくると、ギターが水晶みたいに光り出すんだもんな。しかも」
 ペドロは勿体ぶって言葉を切った。
「このごろ、光がだんだん強くなってるじゃないか。気づいてる?」
 ニコラスとベロニカは、そっと顔を見合わせた。
 気づいては、いた。
 ベロニカの踊りと、ニコラスのギター。
 ふたりの呼吸が合うほどに、ギターが光る回数が増えてきていた。それもこのところ、光が明らかに増している。ペドロにもそう見えるということは、錯覚ではないのだろう。
 ニコラスはギターを構え、ぽろぽろと鳴らした。弾きながら、思う。
(……話そうか、どうしようか)
 ベロニカには、言うべきだろうか。
 ギターの夢に、変化が現れていることを。