SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

異国の鳥 第20話

2013-01-28 18:28:22 | 書いた話
 ピアノは得意ではない。しかも、目の前にあるのは長いこと調律もされていないピアノ。
 曲になるだろうか。
 ニコラスは我知らず、ティトに祈っていた。
(頼む、ぼくに力を貸してください)
 鍵盤に指を下ろす。
 覚悟していたビリついた音を、思わぬ美声が救った。
 雷に打たれたように、ベロニカが叫ぶ。
「──おじいちゃん!」
 ニコラスも、自分の指を動かしているのがティトらしいと悟るまでに、時間はかからなかった。
 林を渡る風に似た、懐かしげな曲が鳴る。
 そこに、今度は歌が加わっていた。美声だが、技巧を弄した歌いぶりではない。むしろ、あたたかなうたごころに満ちていた。
 知らない言語だった。
 知らないはずなのに、ベロニカにもニコラスにも、その意味が伝わってきた。
「鳥よ鳥、
われは異国の鳥なりき
ふるさと離れ歌いおり……」
 ティトの歌声に支えられて、ピアノの音の狂いはまったく気にならなくなっていた。
「ニコ、この歌……!」
 ベロニカが肩を震わせる。ニコラスも頷く。画用紙に浮かんだ文字を、エストが読み解いてみせた、あの文言。
 そして、歌がひと呼吸ついたとき。
「きゃ」
「ベロニカ!?」
 ニコラスがピアノを離れて駆け寄る。ベロニカの手の中で、写真が変貌を始めていた。いや、正確には“鳥”が。金色の翼を再びはためかせているが、その先が何かを指し示している。
「針箱……?」
 二人は針箱を見る。蓋に文字が表れていた。
 Chori──チョーリ、の文字が。

異国の鳥 第19話

2013-01-24 13:24:08 | 書いた話
 ベロニカの問いに、エスペランサは優しく微笑んだ。
「おじいちゃんの鳥は、いつかおじいちゃんの元へ帰るの。──いいえ」
 ふいにエスペランサの動きが止まった。
「……おばあちゃん?」
 ベロニカは不安に襲われた。
 夫を亡くした悲しみが、祖母の心の臓に溢れてしまったのだろうか。
 が、そうではないようだった。エスペランサの言葉は続いた。
「そう、いつかあなたが帰してあげるのよ、ベロニカ」
「あたしが……?」

「今思うと、巫女みたいだったわ、あのときのおばあちゃん」
 祖母の面影を描き起こして、ベロニカは回想を終えた。しっかりと針箱を抱いたまま。
「エスペランサには視えていたのかな……いずれきみがこうしてここに来ることが」
「あなたと一緒にね」
 ベロニカはニコラスに笑いかける。照れを振り払うように、ニコラスは急いで告げた。
「とにかく試してごらんよ、その写真」
「ええ、やってみるわ」
 答えたものの、いざとなると、ベロニカにも策はなかった。木製の針箱の蓋はぴたりと合わされ、紙一枚はさめる余地もなさそうだった。丸めてどこかに差し込もうにも、鍵穴のようなものは見当たらない。ベロニカの焦りは募っていった。
 見守るニコラスにも、妻の気持ちは伝わっていた。けれど手は出さなかった。これは、エスペランサがベロニカに託したことなのだ。それならば、任せなければ。が──。
 メロディーが、響いた。頭のなかで。ティトが伝えてきた、あのメロディーが。
 ギターを家に置いてきたことを悔やみながら、ニコラスはピアノに向かった。

異国の鳥 第18話

2013-01-04 14:04:17 | 書いた話
「写真が、針箱の鍵?」
 訊き返されて、ベロニカも自問する。
「……そうよね、無理よね──ニコ?」
 ニコラスの動きは早かった。居間からエスペランサの部屋へ、また居間へ。その手には、年代ものの針箱がひとつ。家じゅうを探して見つけた物の中で、どうしても開けることのできなかった、古い針箱だった。
「ニコ……」
 ベロニカの瞳が、信頼に耀く。
「試してみよう。ぼくにティトの声が聞こえるなら、きみにエスペランサの声が聞こえたっていいはずだ」
「そうよ──孫娘だもの」
 ベロニカは、しゃんと胸を張る。
 ニコラスは、針箱をベロニカに手渡した。ベロニカは大事そうに、両手でそれを抱く。
「おばあちゃん……」
 懐かしさに駆られてこぼれる呼びかけが立ちのぼらせる、ひとつの情景。
 ティトの葬儀が済み、エスペランサが夫のものをすべて灰にした晩のこと。ベロニカは、祖父があの写真を眺めていた場所に行ってみた。むろん、もう何もない。
「何をしているの、ベロニカ」
 エスペランサの声だった。この祖母には、隠しごとはすぐばれる。ベロニカは正直に、かつて自分が目にしたものを話した。エスペランサは一瞬ハッとしたようだったが、すぐその表情を消して、孫娘の頭を撫でた。
「いいのよ、ベロニカ。あれは、おじいちゃんの鳥なんだから」
「……あれが、鳥!?」
「そう、鳥よ」
 エスペランサは、すっくと背を伸ばし、それから両腕を交互にゆっくり拡げてみせた。黒い弔いのドレスの彼女が、このときばかりは、確かに黄金の輝きをまとって見えた。
 得心したベロニカは問いを重ねた。
「あれも、燃やしちゃったの?」