「しばらくだな、ホアキン」
ロレンソが、懐かしそうに言った。
「おれたちの結婚式にも来てくれなかったろう。どうしているかと思っていたんだよ」
ミラは答えなかった。ロレンソの傍らに控えた女性──ルシアのほうにちらりと目を走らせる。ルシアは、優しげな中にも芯の強そうな表情を浮かべて、ミラを見返した。
「──そうなの。子どもが生まれるのよ」
ふっくらしたお腹を、彼女は撫でる。
「……だそうだな」
「知ってたのか」
「工房の連中が、知らせてきたからな」
「そんなことが、噂になるのね。わたしがロレンソと結婚してから、ずいぶん経つのに」
「きみは、工房の人気者だったからね。師匠の娘を射止めたおれは、いまだ羨望の的さ。今では、おれもギター職人じゃないのにな」
ロレンソが、妻をいたわるように言い添える。ミラは無言でギターを手に取り、やおら奏で始めた。ロレンソとルシアの顔が輝く。
「……いい、曲ね」
ルシアがうっとりと感嘆した。
「子守歌、なのかしら」
ミラは、ぶっきらぼうに手書き譜を出す。
「……子どもが生まれたら、弾いてやれ」
「じゃ、おれが」
ロレンソが手を伸ばしたが、
「いいえ、わたしが」
受け取ったのは、ルシアだった。
「せっかくのホアキンのプレゼントだもの。わたしが、弾いてあげたいわ」
その刹那、ミラのごつい頬に幸福そうな微笑みが浮かんだのを、誰も見ていなかった。
「……これが、ミラが生涯独身だった理由」
ニコラスの隣で、彼女が囁く。藤紫のドレスと黒髪が、白銀に変わり始めていた。
「……そうか……ミラも、母さんのことを」
と、次の情景が、ニコラスの前にひらけた。
ロレンソが、懐かしそうに言った。
「おれたちの結婚式にも来てくれなかったろう。どうしているかと思っていたんだよ」
ミラは答えなかった。ロレンソの傍らに控えた女性──ルシアのほうにちらりと目を走らせる。ルシアは、優しげな中にも芯の強そうな表情を浮かべて、ミラを見返した。
「──そうなの。子どもが生まれるのよ」
ふっくらしたお腹を、彼女は撫でる。
「……だそうだな」
「知ってたのか」
「工房の連中が、知らせてきたからな」
「そんなことが、噂になるのね。わたしがロレンソと結婚してから、ずいぶん経つのに」
「きみは、工房の人気者だったからね。師匠の娘を射止めたおれは、いまだ羨望の的さ。今では、おれもギター職人じゃないのにな」
ロレンソが、妻をいたわるように言い添える。ミラは無言でギターを手に取り、やおら奏で始めた。ロレンソとルシアの顔が輝く。
「……いい、曲ね」
ルシアがうっとりと感嘆した。
「子守歌、なのかしら」
ミラは、ぶっきらぼうに手書き譜を出す。
「……子どもが生まれたら、弾いてやれ」
「じゃ、おれが」
ロレンソが手を伸ばしたが、
「いいえ、わたしが」
受け取ったのは、ルシアだった。
「せっかくのホアキンのプレゼントだもの。わたしが、弾いてあげたいわ」
その刹那、ミラのごつい頬に幸福そうな微笑みが浮かんだのを、誰も見ていなかった。
「……これが、ミラが生涯独身だった理由」
ニコラスの隣で、彼女が囁く。藤紫のドレスと黒髪が、白銀に変わり始めていた。
「……そうか……ミラも、母さんのことを」
と、次の情景が、ニコラスの前にひらけた。