散歩用のシューズを購入してから、天気の悪い日は別にして、デジカメのバッグを肩から提げて歩く習慣は復活したようです。歩き回ればブログネタの一つや二つには出会えます。先日はイタチを見かけましたが、撮影のタイミング難しい。やはり撮影の対象は植物、いわゆる雑草が多くなります。
郊外の団地に引っ越してから四半世紀は過ぎました。ここに移ってから周りの植物の名前だけでも知りたいと思って購入したのがブルーバックスの『野草の手帖』(長田武正著、1989年初版)です。
カラー写真も少しは掲載されていますが、図版の多くは飯沼慾斎(1783~1865)が著した『草木図説』から摂られています。『野草の手帖』は植物分類の基礎を易しく書くことが目的の一つですが、もう一つの狙いは飯沼慾斎の業績を知らせることにあります。
飯沼慾斎は1782年、伊勢に生まれ、12歳で美濃大垣で医学を学ぶうち、小野蘭山に出会って植物学に傾倒します。28歳で蘭学を学ぶために家財を売り払い妻子を預けて、江戸に出て宇田川洪庵の門を叩いて蘭学を学びます。洪庵は日本で最初の化学書『舎密開宗』を出版しています。舎密(せみ)とはオランダ語のChemieの音訳です。
慾斎は50歳で家督を譲り大垣で研究生活に入ります。当時の50歳は今の65歳位になるでしょうか。50歳で引退してからの業績が素晴らしいのは伊能忠敬(1745-1818)と同じですね。団塊世代はまだまだやれます。
1852年70歳の時、草部20巻を脱稿、1860年までに全20巻を刊行しました。日本で最初の科学的な植物学の誕生です。『草木図説』は牧野富太郎の牧野図鑑が出版されるまで使われたのです。草部の前書きで彼は漢文で「今の草本学者は、ただ植物の漢名を多く識るだけで得意になっているが、自分が考える植学というものとはほど遠い。植学は窮理(きゅうり)の学の一分野である」と書いてあります。窮理の学とは自然科学を意味します。福沢諭吉も1868年に『訓蒙 窮理圖解』(きんもう きゅうりずかい)を著して、自然科学の啓蒙を図ったことは心に留めておきましょう。
さて冒頭の画像はヘクソカズラですが、名前は可哀想の一言に尽きます。よく見ると美しいのです。別名も早乙女花です。『草木図説』の図版に長田さんは以下のようなコメントを加えています。
「へくそかずらと早乙女花とは対照がひどすぎる。でも、花はたしかに可愛い。白い花の中心だけが赤く、背側は帽子の形。早乙女のすげ笠である。野草の名はみな牧歌的なのが嬉しく切ない。」
昔々、観賞用として導入された南米原産のマルバルコウソウ(丸葉縷紅草)です。今では雑草として嫌われていますが、美しいとは思いませんか?
最後に若い方々に一言忠告。板倉聖宣さんからの受け売り。若いときに博物趣味にのめり込んではいけない。この分野では若者は逆立ちしても年寄りに勝てない。博物学は年寄りの学問(趣味)なのです。若者は若い時にしか出来ない数学や物理に突っ込むべきなのです。ここならジジイに勝てる。フィールズ賞の年齢制限は40歳でしたね。
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郊外の団地に引っ越してから四半世紀は過ぎました。ここに移ってから周りの植物の名前だけでも知りたいと思って購入したのがブルーバックスの『野草の手帖』(長田武正著、1989年初版)です。
カラー写真も少しは掲載されていますが、図版の多くは飯沼慾斎(1783~1865)が著した『草木図説』から摂られています。『野草の手帖』は植物分類の基礎を易しく書くことが目的の一つですが、もう一つの狙いは飯沼慾斎の業績を知らせることにあります。
飯沼慾斎は1782年、伊勢に生まれ、12歳で美濃大垣で医学を学ぶうち、小野蘭山に出会って植物学に傾倒します。28歳で蘭学を学ぶために家財を売り払い妻子を預けて、江戸に出て宇田川洪庵の門を叩いて蘭学を学びます。洪庵は日本で最初の化学書『舎密開宗』を出版しています。舎密(せみ)とはオランダ語のChemieの音訳です。
慾斎は50歳で家督を譲り大垣で研究生活に入ります。当時の50歳は今の65歳位になるでしょうか。50歳で引退してからの業績が素晴らしいのは伊能忠敬(1745-1818)と同じですね。団塊世代はまだまだやれます。
1852年70歳の時、草部20巻を脱稿、1860年までに全20巻を刊行しました。日本で最初の科学的な植物学の誕生です。『草木図説』は牧野富太郎の牧野図鑑が出版されるまで使われたのです。草部の前書きで彼は漢文で「今の草本学者は、ただ植物の漢名を多く識るだけで得意になっているが、自分が考える植学というものとはほど遠い。植学は窮理(きゅうり)の学の一分野である」と書いてあります。窮理の学とは自然科学を意味します。福沢諭吉も1868年に『訓蒙 窮理圖解』(きんもう きゅうりずかい)を著して、自然科学の啓蒙を図ったことは心に留めておきましょう。
さて冒頭の画像はヘクソカズラですが、名前は可哀想の一言に尽きます。よく見ると美しいのです。別名も早乙女花です。『草木図説』の図版に長田さんは以下のようなコメントを加えています。
「へくそかずらと早乙女花とは対照がひどすぎる。でも、花はたしかに可愛い。白い花の中心だけが赤く、背側は帽子の形。早乙女のすげ笠である。野草の名はみな牧歌的なのが嬉しく切ない。」
昔々、観賞用として導入された南米原産のマルバルコウソウ(丸葉縷紅草)です。今では雑草として嫌われていますが、美しいとは思いませんか?
最後に若い方々に一言忠告。板倉聖宣さんからの受け売り。若いときに博物趣味にのめり込んではいけない。この分野では若者は逆立ちしても年寄りに勝てない。博物学は年寄りの学問(趣味)なのです。若者は若い時にしか出来ない数学や物理に突っ込むべきなのです。ここならジジイに勝てる。フィールズ賞の年齢制限は40歳でしたね。
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ヘクソカズラの利用法は実に秀逸ですね。私にはちょっと思いつかない。引退したらエネルギー多消費型の趣味(陶芸)より竹細工をやりたいと思っていました。幾何学との関連もありますし。
前橋市は元々利根川の川原だったので少し掘ると玉石がでます。水はけが良いので果樹園には向いているのですね。
自宅から車で10分、少し登ると赤城の南麓にもリンゴ園があります。そろそろリンゴのシーズンですねぇ。
ところで↓の記事・前橋にも梨が取れるとは・・私も実は何を隠そう、前橋に住んでいました。もう故郷を離れて○年、沼田のりんごは知ってましたが、梨もとは・・・。
それに梨園でのJazzとは、素敵ですねー。
また教えてください。