幸せの深呼吸

幸せは自分の中にある。
幸せは自分が決める。

有名な観光地だが、近くにはウランの採掘現場が

2015-10-02 | 

ツイートから

2012年4月10日8年前に同僚とある国に行った。有名な観光地だが、近くにはウランの採掘現場が。 帰国して程なく友人は癌であっけなく亡くなった。僕も帰国直後、免疫疾患で仕事を辞めざるを得なくなり療養中。後輩も同じ所を旅して帰国1年後に癌に。 これは単に偶然だろうか?

 

どこだろう?と調べてみた。

グランドキャニオン行かなくて良かった。知らずに行った人も多いだろう。フランスは、結構あるけれど、行った場所は大丈夫だったか?

これからは、こういうことも考えて行かないといけない。最近では、ネットでわかるようになったからいいけれど。

先住民が犠牲になっていることがわかった。

http://homepage2.nifty.com/kasida/environment/hibaku.htmから

アメリカ・アリゾナ州のレッドバレー地区。広島と長崎の原爆へのウランを掘った場所といわれている。

ニューメキシコ州のアルバカーキ近く、先住民ラグーナ人の村の一つパガーテ。

グランドキャニオンでも採掘

 観光地グランドキヤニオン国立公園の南側の崖っぷちに塔が立っている。公園内を走る無料バスの運転手が自慢気に語る。
「ウラン開発に情熱を傾けた人々の金字塔です」
 そのウラン精錬工場跡は 『注意! 放射能地区』 の標識をハイキングコースに向け、金網の柵で囲まれている。ガイガー・カウンターで柵周囲の放射能値を測定したら、予測もしなかった数字が現われた。9.3マイクロ・シーベルト毎時! 自然界での許容量の46倍。工場はもう30年も前に閉鎖されたのに。観光客が楽しそうに脇を通り過ぎていく。

アメリカ以上に、カナダ・ナミビア・南アフリカ・オーストラリア・ニジェール・フランスでもウランは掘り出されている。詳細は割愛するが、30年前まで、日本でも、鳥取、岡山両県にまたがる人形峠周辺でウラン採掘が行なわれ、多くの人が被曝した。

ウランの半減期は四五億年。いったん掘り出すと、その土地を永久に汚染する。ここから一体、どれだけの「ヒバクシャ」が生まれたのだろうか。そしてこれからも

オーストラリアでも、世界遺産登録地カカドゥ国立公園でのウラン採掘計画に、先住民族アボリジニーが聖地を死守すべく反対運動を展開している。このウランの行き先もやはり日本である。原発は二酸化炭素を排出しないといわれる。だが、多くのヒバクシャを生みだしている。

http://www.thecleanestline.jp/2012/03/grand-canyon-wins-new-protections-from-uranium-mining.htmlグランド・キャニオン、ウラン採掘禁止令を勝ち取る

南アフリカ http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=14-09-01-01

図1 南アフリカの原子力発電所サイトと新規サイト候補地 http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/14/14090101/04.gif

http://resource.ashigaru.jp/top_mine_1.canada_uranium.html カナダの主なウラン鉱山一覧

 2007年のカナダのウラン生産量は9,476tUで、2006年の9,862tUよりやや減少したが、世界全体のウラン生産量の23%を占め、世界第1位を維持している

表1 カナダのウラン鉱山・主要鉱床の概要(2008年末現在)
図1 カナダ・アサバスカ堆積盆地のウラン鉱山と主要鉱床(2008年末現在)
図2 McArthur River鉱山

http://www.peace-forum.com/gensuikin/news/110610date.htmlから

ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている

 世界で2,050回以上行われた核実験は、全て先住民族の土地で行われてきました。いろいろな被害を先住民に押し付けてきたと言えます。広島・長崎を起点とすれば、65年間、核の被害を先住民族に押しつけ、核を持つ国が豊かになり、今や私たちは、原子力発電を地球温暖化に対する切り札として推し進めようとしています。それら全ては、先住民族の住む土地のウラン鉱石を掘り出すところから始まって、それを使う事で回っています。つまり、先住民に被害を与え続けている、私たちは今や加害者の側に立っていると言うことです。

その時に、ウラン採掘、核実験、さらに核廃棄物を捨てるところも先住民の土地が選ばれてきている──そういった差別を受けてきたことにニュークリア・レイシズムという言葉を使いました。字引にもありません、エンバイロメンタル・レイシズム、環境破壊が先住民族に差別的に被害を与えているということを表現した言葉に沿った形で作られた言葉です。
 一番最初は、カナダの北極圏にあるグレート・ベア・レイクで採掘されたウランが広島・長の原爆に中心的に使われました。そこに住んでいたのが、サトー・デネーと呼ばれる人々です。原爆を作る前に、材料を掘り出す段階から被害を受けていました。

ウランの採掘
 現在カナダは世界最大のウラン生産国です。ウランの採掘場はサスカチュワン州というちょうどカナダの真ん中になるあたりです。サスカチュワン州の北の方、もっと北に行くとノースウェスト・テリトリーと言います。
 デネー・インディアン、あるいはイヌイットといった人々の住む地域がありますが、そことの州境にたくさんの湖があるあたりで採掘されています。こういうところのウランが、我々日本の原発を廻しているのです、そこではデネーと呼ばれる人々が被害を受けています。
 アメリカにナバホと呼ばれる先住民族の人々がいます。正式の部族名はディネという、デネーというカナダの部族と兄弟のような関係で似た名前ですが、1910年代にすでにウラン採掘が始まっていました。その時のウランは原発には使われていませんでしたが、採掘にあたったのは地元のナバホ・インディアンです。彼らは放射能、つまりウランがどれほど危険なものかということは一切教わらず、採掘をした人々はほとんど肺ガンなどに罹りました。ウラン鉱脈の中には肺ガンを起こす非常に危険な物が入っているのですが、そういうことを知らずに掘っていたわけです。
 また、ナバホの人々は、レンガと石を積み上げてホーガンという伝統的な家をつくるときに、ウラン鉱山の石を使いました。そこに住んでいる人々は、鉱山の仕事に行って被曝をして、帰ってきて家でも被曝するといった事をくり返しているわけです。

1979年にシャーキロと呼ばれる所にあったダム、日本で言うボタ山のようなところですが、それが大雨で崩れてプエブロ川という周辺の人の飲料水や家畜の飲み水になっている川に流れ込んで大変なことになりました。去年、事故から30年になったのですが、まだ放射能除染されていない状況です。
 ナバホの人々の住んでいる居留地には、あちこちたくさんの所にこういったウランのゴミが捨てられています。ナバホの居留地と言ってもピンとこないかも知れませんが、おそらく西部劇などで、グランドキャニオンやモニュメントバレーなどを見たことがあると思います。みな居留地の中にあります。もしグランドキャニオンに行く機会があったら必ず通るであろう、キャメロンという小さい村があります、村の後ろ側には使わないウラン鉱石が捨てられています。いまや砂漠の砂と見分けがつきません。
 ウラン鉱滓の捨てられた所のそばには羊が放牧されています。汚染された草を食べて育ちます。羊の肉はナバホやプエブロ族の人々がよく食べる肉です。ですから彼らは何重にも被曝をし、放射能を体内に取り込むことになります。周辺地域の子供たちの間には、たくさんの障害が出ていますが、よく調べられていません。

 もう一つのアメリカの実験場は、ラスベガスの北西100kmにあるネバダ実験場です。ここは、ショショニと呼ばれる先住民族の人たちの大地です。そこをアメリカは勝手に国有地だとか、遙か昔に土地を貸そうという協定を結んでいながら、それに対する代替も出さず、金の補償もしないまま、ずっと使い続けています。
 ここでは1951年から1992年までずっとアメリカは核実験をやってきたわけです。大気圏内だけでも100回の核実験です

 次に、2番目の核保有国旧ソ連です、今は独立したカザフスタンのセミパラチンスク実験場で467回、1949年から1991年までやりました。ここはカザフの人たち、馬で駆って羊の放牧をして暮らす人々の土地です。そこで核実験をやって、今やソ連という国は消えましたから、ヒバクシャだけが残されました。カザフの人たちはだいたい120万、多くて150万の人々が被害を受けたまま放り出された、というのが現状です。

 3番目の核実験をしたのはイギリス。1952年から57年までオーストラリアでやりました。オーストラリアもイギリス連邦だったわけですが、そこで12回の核実験を行いました。実験の被害を受けたのはアボリジニと呼ばれる先住民です。たくさん被害を受けたのですが、実態は未だによく分かりません。当時オーストラリアではアボリジニの人々が何人いるのか知らないんですね。なぜなら、1967年まで国勢調査の対象になっていなかったんです。それ以前は、何人、どこに住んでいるのか分からない。そういうところで核実験をやって被害を受けた人がたくさんいるのに分からない。その後、イギリスは太平洋中西部のほぼ真ん中にクリスマス島という島が有りますが、そこでも実験をやっています。クリスマス島はあまり人のいないところだったのですが、実験にはイギリス領の国の兵隊がたくさん参加させられました。その中には、ニュージーランドの兵隊、先住民族のマオリの人たちが入っています。この人たちも被曝をしました。この実験ではフィジー島からの300人の兵隊が参加させられて被曝をしています。

 4番目はフランスです。最初1960年から65年までは、アルジェリアのサハラ砂漠で核実験をやりました。実験によって、地元アルジェリアの人々、それからサハラ砂漠にはニジェールなど他の国もたくさんありますがそこにはトゥアレグ族と呼ばれる遊牧の民がいます。そういう人たちも被曝をしています、しかしよく分からないのが現状で今日まで来ています。1967年以降は、仏領ポリネシアのタヒチの南東1200kmにある、モルロア、ファンガタウファの2つの環礁で実験をしました。先住民のマオヒの人々の島です。そういう人々に被害を及ぼしながら、フランスは核実験をやってきました。

 最後は、中国です。1964年10月16日に新疆ウイグル自治区ロプノールというところで実験をしました。東京オリンピックの真っ最中でした。アジアにある中国の存在を誇示するためにあえて東京オリンピックの期間に原爆実験をやったんです。実験場周辺にはウイグルという先住民の人々がいますが、その人たちに被害を与えて核兵器を手にしました。チベットの独立問題は、新聞でよく目にされると思います、中国がチベットをどう弾圧しているのかも聞かれると思いますが、チベットを中国は決して手放さないだろうと言われています。なぜなら、チベットはウランの宝庫だからです。ほかの鉱物資源もたくさんあります。もし独立してしまったら、中国の工業生産が行き詰まると言われています。モンゴルのも中国の核実験によって被害を受けています。もう一つはすぐ東側にカザフのセミパラチンスク実験場があります。その死の灰も浴びて、二重に被曝している可能性もありますが、そのあたりのことはほとんど分かりません。被害を受けているのは確かですが、どの程度のものなのか分からないというのが現状です。

北極圏へも被害が
 もう一つ、私たちが全く忘れてしまう場所が北極圏。せいぜいオーロラがあるぐらいしか、あるいは、イヌイットと呼ばれる人たちがいるだろう、と言う程度しか知られていません。家に帰ったらいろいろ本を読んでみてほしいのですが、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国、この5ヵ国が大気圏内核実験、つまり地上でやったときに、そのほとんどが北半球にありますが、核実験で空高く放射能の灰を吹き上げると、ジェット気流が死の灰を北極に向かって集めることになります。
 北極には大陸がなく北極海を取り巻くようにロシア、カナダの大陸、グリーンランド、アイスランド、スカンジナビアがあります。この地域にだいたい250万人ぐらいの先住民族が住んでいます。その人たちに共通しているものが一つあります。どの先住民族も、トナカイ、カリブの放牧で暮らしており、主食がトナカイ、カリブの肉です。餌にしている苔が放射能を吸い込んでしまうと、苔を食べたトナカイ、カリブを先住民族の人々が食べることになります。
ここに取材に入ったときに、6人家族の所に行きました。だいたい1ヵ月の間に、70kgぐらいのトナカイ1頭を丸ごと食べます。ほとんど主食です。とくに内蔵は生で食べます。北極圏ではほとんど草が生えませんから、ビタミン栄養源になる新鮮な物がありません。内臓を生で食べてビタミンを補っているわけです。しかし、そこに放射能が集中しています。そういうものを食べることによって北極圏の人々が食道ガンや腎臓ガンなどに罹っているというのが少しずつ分かってきました。しかし、私たちは北極圏について全く知らないというのが現状です。

ウランは大地に留めておけ
 オーストラリアの中央部のオリンピックダムという場所が、オーストラリアでもっとも多くのウランを採掘しているところです。日本の原発のウランも今ここのオリンピックダムから来ています。ここはクカドゥという元々アボリジニの聖地です。1983年に彼らは聖地を守れと言うことで座り込みをしました。その後オーストラリア政府は採掘に許可を出して、土地の名前もオリンピックに変えてウラン採掘をしています。

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=04-03-01-05

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=04-03-01-08から

フランス国内のウラン資源は1946年から1987年頃まで盛んに採掘され、30ほどの鉱山が操業していたが、次第に生産量が落ち、相次いで閉山していった。最後まで残ったLodeve(ロデーヴ)鉱山は1997年に、Bernardan(ベルナルダン)鉱山は2001年に閉山し、現在フランス国内で操業を続けている鉱山はない。2001年に閉鎖されたBernardan鉱山に関する資源量について、2009年に再評価を行い、確認資源量11,451tU、推定資源量139tUと算定し、このうち9,000tUは露天採掘で回収可能とされたが、生産コストがUSD130/kgUを上回ると見られることから、現在、手付かずの状態にある。未発見の資源に関しては、系統的な見積りはしていない。フランス国内の主なウラン生産センターの概要を表1に、また、主なウラン鉱床を図1に示す。
 なお、フランス国内でのウラン探鉱は既知のウラン鉱床とラジウムの探鉱時に発見された数少ない鉱微地に焦点を合わせて、1946年に始まり1948年にはLa Crouzille(ラ・クルジーユ)鉱床が発見された。1955年までにLimousin(リムーザン)、Forez(フォーレ)、Vendee(バンデー)及びMorvan(モルヴァン)の花崗岩分布で鉱床が確認された。探査活動はその後、主に中央山塊(Massif Central)の北部と南部に位置している小規模な花崗岩分布地域盆地の堆積層や陸生堆積層にも拡大された。しかし、1999年以降、国内での探査活動は行われていない。
 フランス国内の1997年までのウラン生産量は72,500tUであったが、1998年にLodeve鉱山が、2001年にBernardan鉱山(いずれもAREVA NC(旧、COGEMA)社所有)が閉山し、2002年にはウラン生産量は18tUに減少した(表2参照)。閉山後、鉱石処理プラントは解体され、用地は埋め戻された。また、鉱山からの流出水の水浄化処理時に使用した樹脂から、毎年数トンのウランが回収されている。

長期購入に関する契約は、カナダから4500tU/年、ニジェールから3200tU/年のほか、オーストラリア、カザフスタン、ロシアと締結している。AREVA NC社によるウランの探鉱と開発活動は、2007年6月に南アフリカ共和国、ナミビアなどでウラン鉱山を所有する南アフリカ共和国のウラン生産企業UraMin(ウラミン、現Areva Resources South Africa)を買収するなど、子会社を通じて直接的、あるいは間接的にカナダ、ナミビア、南アフリカ、中央アフリカ、ニジェール、カザフスタンなどのウランの採掘事業やプロジェクトにも関与している(表3及び図2参照)。

図1 フランス国内の主なウラン鉱床
図2 フランスの国外におけるウラン資源探査状況

http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/04/04030108/04.gif

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