https://www.dailyshincho.jp/article/2018/01040800/?all=1
男子学生が8割を占める東大で、ピアノを含めた何らかの楽器を習っていた割合が6割を超えるというのは、世間一般のデータと比べて明らかに差がある。
14年4月の時点で20代以下の人を対象にした日本生命保険相互会社による調査でも、ピアノを含めた「音楽教室」経験者は26・1%。時代による変化を考慮しても東大生のピアノ経験率は顕著に高い。
経済格差、忍耐力…
考えられる理由はいくつかある。
(1)ピアノを習わせ、自宅にもピアノを購入するだけの経済的余裕がある家庭の両親は高学歴である確率が高く、その子供もまた知能が高くなる。
(2)教室に行ったときだけ練習するほかの習い事とは違い、ピアノの場合、自宅でも毎日練習しなければならない。しかもその練習は単調なことのくり返しであることが多く、それが習慣化することで、学習習慣の定着にもつながる。
(3)実際にピアノを弾くという行為が、知能開発を促進する。
おそらくこれらすべての理由が複合的に作用して、東大生の約半数がピアノ経験者という状況になっているのだろう。
(1)について、地方出身の現役東大生Aさんは、次のように証言する。
「僕のまわりを見ている限りでの話ですが、中学→高校→大学と上がるにつれて、ピアノをやっている友人の割合が明らかに増えていったんです。中学は地元の普通の中学だったので、いろいろな家庭事情の生徒がいました。ピアノをやっていた友人は少なかった。でも高校は一応県下ナンバーワンの進学校で、ピアノをやっている友人が結構いました。そして東大に行くとおよそ2人に1人がピアノ経験者なのです。これは親の所得層とも関係するんじゃないかと思いました」
要するに、ピアノをやったから頭が良くなったのではなく、頭の良い子が生まれ、育つような環境だからこそ、ピアノが身近にあったのではないかということだ。「経済格差が教育格差につながる」という指摘の裏返しである。
(2)については、私自身が拙著『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』の執筆のために公文式の学習法を取材したときに感じたことだ。
毎週課題を与えられ、教室にいるときに練習するだけではなく、自宅でも毎日決まった量と質の練習をしなければいけない。その構造において、公文式とピアノの教室はそっくりなのだ。
小さなころから毎日決まった時間、椅子に座って単調な練習をくり返す。それによって忍耐力も、学習習慣も身に付くのかもしれないし、逆に、それに耐えられるような子供だから公文式やピアノが続くのかもしれない。どちらの理由も考えられる。
ただし、以上は東大生にピアノ経験者が多いことの積極的な理由とは言い切れない。では、(3)のような積極的な意味での因果関係を示す証拠はあるのか。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/01050558/?all=1子供が学ぶべきは「英会話」「プログラミング」より「ピアノ」!? その驚きの効果とは
“ピアノを習うだけの経済的余裕”“レッスンを続ける忍耐力”といった分析のほか、音楽ジャーナリストの菅野恵理子氏は「脳科学の観点からもピアノの効果は実証されてきています」と証言する。
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幸福学の研究者として知られる慶應義塾大学大学院の前野隆司教授と、ヤマハ音楽振興会が共同で行った「幼児期・児童期の音楽学習と幸福度やグローバルネットワーク社会への適応力との関係性に関する調査」では、音楽系の習い事経験者は「幸福度や生活満足度が高い傾向がある」「学業成績が良いと自己評価する傾向がある」「多様性適応力が高い傾向がある」などの結果が得られた。
また、多様な人がともに協創する際に必要な能力を指標化した「多様性適応力」については、8つの能力要素のうち、7つの要素(挑戦意欲、俯瞰力、創造力、利他精神、許容力、信頼関係構築力、コミュニケーション力)において、音楽系の習い事経験者が高い傾向が確認できたとのこと。
「音楽を学ぶなかで、このような能力が開発される可能性があると見られる」
と前野教授。
さらにピアノを習うことの有効性について実地的に調べようと、一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(通称ピティナ)を訪れた。ピティナは、1万6000人以上のピアノ指導者からなる公益法人だ。専務理事の福田成康さんは開口一番こう言った。
「数学を学ぶことの意味なんて誰も立証できないし、誰も立証しろなどと言わないのに、なぜピアノだけその効果を立証しなければいけないのでしょうか!?」
おっしゃるとおりである。主要科目を学ぶのと同じかそれ以上の意味が、音楽を学ぶことの中にも絶対的にあるのだが、それを論理的に証明するのはそもそも難しく、それは数学だって同じではないかというのだ。
「学校における『主要科目』から音楽がもれてしまったのは、きっと大学入試で試験がしにくいから。それだけの違いです。でも社会に出て必要になる能力は主要科目だけでは養えません」
ピティナで長年採用を担当してきた立場からこうも言う。
「大人になって、できる人とできない人の差は、実は目に見えるスキルではなく、基礎力の差なのです。社会に出てから目に見えて必要になるスキルは、大概大人になってからでも学べます。だからこそ高校生くらいまでは、大人になってからは普段使わないことをしっかり学んでおくべきだと思います。もっと小さな子供のうちは、そのころにしかできないことをすべきです。表には表れにくい能力こそを鍛えておくべきです。それが本当の基礎力というものでしょう」
幼児のうちから知性の土台を
建物の基礎は表からは見えない。同様に、人間の能力も、表からは見えにくい基礎をしっかりと築いておくことが大事だというのだ。
「その意味で、まだ言葉が十分に理解できない幼児のうちから音楽に触れることを強くおすすめしたいと思います。言語に関わる能力ばかりを知性だと思っている人が多いかもしれませんが、それは単なる知識です。人間の知性とは、身体性や感性をも含んだもっと幅広いものです。音楽教育を通して、言語を使えない幼児のうちから知性の土台を築くことはできるのです」
日本では数学ができるだけでさまざまな選択肢が開けるのに、音楽ができるだけでは選択肢が広がりにくいと福田さんは指摘する。
「ピアノをやってきた人には独特の、決められたことを最後までやり抜くまじめさがあります。これは受験勉強でも社会に出ても通用する能力です。日本では音楽を学ぶというと、『将来稼げない』と心配されますが、それは音楽そのもので食べていこうとするからでしょう。音楽で培った各種能力を仕事に活かせば、必ず稼げます。たとえばシンガポールにある芸術系の公立中高一貫校スクール・オブ・ジ・アーツ・シンガポールでは、卒業後も芸術の道に進むのは約2割で、そのほかの生徒たちは医者になるなど、各界のリーダーを目指しているそうです。日本の音楽教育もそうなるべきだと思います。ちなみにピティナの採用履歴書フォームには、学校歴だけでなく、習い事歴も書く欄を設けています。ピアノが上手な人は例外なく優秀です」
日本でも一部の学校は音楽教育の有効性に気付いている。たとえば、2016年の東大推薦入試の合格者の中にはピアノコンクールでの活躍が評価された受験生もいた。
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開成では全員がピアノを弾く
実は東大合格者数で首位を独走する超進学校・開成では全員がピアノを習っていると、前出・菅野さんが教えてくれた。
「幼児期に音楽を学ぶことが知能を発達させるうえで有効であることは間違いないと思いますが、音楽教育の可能性はそれだけではありません。たとえば開成では、もう四半世紀以上も前から、全員にピアノを弾かせているんです」
音楽室には1人1台電子ピアノが用意されている。中1の1学期、校歌の楽譜を書き写すなどして、音楽の基礎を学ぶと、1学期中に「河は呼んでいる」、2学期には「ドナドナ」、3学期にはジブリの「君をのせて」に自分で伴奏を付けて弾く(菅野さん取材時)。
中2の1学期には創作の第一歩としてバッハのメヌエットを全員必修で学ぶ。2学期になるとなんと自分で曲を作り、それを演奏するのが期末テストとなる。
さすがは開成生。進度が速いのは数学や英語だけではなかった。音楽でも、たった2年間でオリジナル曲を作曲し、自ら演奏できるようになってしまうのだ。中3時にはギターも習う。
高校では、音楽は選択科目となる。藝大でも使われているテキストを使用し、1年間をかけて作曲を学ぶ。最後の授業のテーマは「自由と規則、あるいはドビュッシー」だ。自由とは最初から何をしてもいいということではなく、ルールや伝統を学んで完全に身に付けたうえで初めて手に入るもの。それが人間の生き方そのものだという思いが込められているという。「守破離」の精神である。
ピアノを習う意味は、幼児期に知能を発達させるためだけではない。全人教育あるいはエリート教育としての意味合いもあるのだ。
プログラミングよりピアノ!?
菅野さんはさらに、特にアメリカのトップ大学において、次世代のリーダーたちがリベラル・アーツ教育の一環として音楽を学んでいる姿を丹念に調べ、すでにその成果を著書『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』にまとめている。
「ハーバード大学では、イノベーティブな音楽に触れることで、革新性や創造性について学ぶ授業が行われています。カリフォルニア大学バークレー校には、民族音楽を通してダイバーシティについて体験的に学ぶプログラムがあります。マサチューセッツ工科大学では、世界で起きていることを音楽に表し、音楽を通じて理解するという取り組みを行っていました」
アメリカの多くの総合大学では、音楽学科や付属の音楽学校が存在するだけでなく、音楽専攻ではない学生でも受講できる音楽科目が幅広く開講されている。
「音楽は古代ギリシャの時代からリベラル・アーツの一部として認められてきました。21世紀の今、アメリカのトップ層の学生たちは教養として音楽を学んでいます。豊かな人格形成や人間理解、そして真理を学ぶ目的で、音楽の重要性が見直されているのです」
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/01040800/?all=1&page=2なぜ東大合格生の2人に1人は「ピアノレッスン」経験者なのか 3つの理由を分析
ピアノを習うと脳に変化が
「脳科学の観点からもピアノの効果は実証されてきています」
と言うのは音楽ジャーナリストの菅野恵理子さんだ。菅野さんが、テレビでもおなじみの脳科学者・澤口俊之さんを取材したときのことを教えてくれた。
「学習塾、英会話、習字、スポーツ系など、ほとんどの習い事をやってもHQはほとんど変わりませんが、ピアノだけ突出して高い効果が見られるそうです」
HQとは「人間性知能」のこと。人間性を司ると言われている前頭前野の脳間・脳内操作系の能力の高さを表す。ただしこれだけでは単なる疑似相関かもしれない。しかし、こうも言う。
「2000年に発表された論文で『ピアノの稽古は問題解決能力を向上させる』ことが証明されているそうです」
8〜10歳の小学生を対象に、ヨーロッパで行われた研究のことである。小学生を2つのグループに分け、一方にはピアノを、もう一方には演劇を、週1回習わせた。4カ月後、8カ月後に問題解決能力を測定すると、ピアノを習っていた集団のほうがその伸長が明らかに大きかったというのだ。
また、12年にヨーロッパで行われた研究によれば、ピアノを習うことでIQそのものが向上する効果も認められたとのこと。片手で弾くピアニカに同じような効果はなく、両手の動きが全く違うヴァイオリンにはまだ明確な証拠がない。
「ピアノは両手で微妙に違う指の動きをすることと、譜面を先読みして覚えて後追いしながら弾くことに意味があるのではないかという説が有力です。ピアノのレッスンを通じて、脳の構造が良い方向に変わることが実証されている、とのことでした」
現役東大生たちは語る
ある現役東大生Bさん(男性)は、小学校の低学年でピアノを始め、中学年のころには、近畿地方のピアノのコンクールで上位に入賞した。中学受験をしたが、ピアノだけは6年生の夏ごろまで続けた。サッカー、野球、空手、書道も習ったが、最もやって良かったと感じたのはピアノだったという。
「ピアノとか音楽系をやっていると、指を使ったり、楽譜を読んだりするので、頭を使うからすごく教育にいいみたいなことを聞くんですけど。まさにそれは実感しています。右手の楽譜を見ながら弾くというのと、左手の楽譜を見ながら弾くというのを、同時にやらなきゃいけない」
別の現役東大生Cさん(男性)は小1から小6まで定期的にピアノを習っていた。今でもときどき思い出したようにピアノを弾く。
「ピアノを定期的に習っているときにはあまり感じなかったのですが、教室をやめてしばらくして、自分一人でやろうとしたとき、左右を同時に弾くってすごく脳が苦しむなと実感したことがあります」
左右の手の楽譜を同時に見ながら、10本の指を動かすことが、脳に高度な負荷をかけているのではないかと、2人とも実感しているのだ。
前出の澤口さんは著書『「学力」と「社会力」を伸ばす脳教育』の中で、「読み書き算盤+音楽」で子供の知能をまんべんなく伸ばすことができると述べている。「音楽」については楽器演奏が適当であるとも。そして保育園や幼稚園で最低限、読み書き算盤+音楽は行うべきだと、脳科学の立場から強く訴える。