大きな地震、インドネシアでありましたね。
地震が起こり易くなっているので、これは、日本にも関係あるのです。
さて、イパネマの娘についての番組を観た。
いきなり、カーネギーデビューだったんですね。
録音の時、一緒にやろうと言ったスタン ゲッツに散々文句を言ったみたいで、通訳したカルロス ジョビンも困って、酷いことは言わないようにしたみたいだけれど。
ジョアン ジルベルトは、ボサノバにはポルトガル語が合うと思っていたけれど、プロデゥーサーは、世界に広めてヒットを出すには、英語の方がいいと思っていた。
妻のアストラートが私も歌わせてとしつこく言うので、後で消したらいいから、録音だけさせてやって、とジョアンが言ったのを、ジョビンは、消したらいいというのをプロデゥーサー伝えず通訳した。それで、別トラックに録音されている。
プロデゥーサーは、聴いた時にこれはいけると思ったので、英語の発音やイントネーションなど直して、何度も取り直したらしい。音程の危ういのも魅力になったみたいで。
LPは、1番ジョアン、2番アストラートで、シングルは、アストラートの英語の歌で発売された。
それで、ヨーロッパや世界にあっという間に広がり、グラミーも受賞している。
1964年には、ブラジルの情勢が悪くなると、ブラジルではボサノバはJazzに身を売った音楽ということになった。
ジョアンは、イパネマがヒットしている時から、夫婦仲が悪くなり、ブラジルに帰国して、あまりいい思いはしなかったみたい。
それに引き換え、ジョビンはアメリカで作曲などで活躍した。
1980年代には、またボサノバがブラジルで見直されるようになった。
ということで、歌っているだけでなく、この曲についていろいろ知ることが出来た。
当時師事していたJazzのピアノの先生にボサノバは前にくって歌うんだよ と言われ、1、2日録音の前に急に後ろにずらしていたのを練習して、前にくうのに直して歌ったことがあるのですが、
結局、Jazzの歌の先生には、JazzはJazzの歌い方があるからということで、後ろでも良かったみたいで混乱した経験があります。
まぁ、前に"くう" いい練習になりましたが。
歌は歌の人でないと分らないこともあるということです。