思い返すと、自分のことながら面白い。
3年前は、ミュージカルテニスの王子様、それはただの色物だと思っていた。
「イケメン」を、ほんとうにただの「顔面の良いだけの若者」だと思っていたし、
演目自体、子供だましだと思っていた。
もちろん、テニミュサポーターズクラブにも入っていなかったし、
地方遠征なんか思いつきもしなかった。
というか、1演目の複数公演鑑賞自体というものが、時間とお金の無駄で、視野の狭さのあらわれだ とすら思っていた。
2014年11月、そのすべてに私はNOと言おう。
価値観はかくもあざやかに変容する。
==
いよいよ終幕の時が来たセカンドシーズンの、最後の姿を見届けてきた。
さいたまスーパーアリーナ最終日、ドリームライブ2014に行ってきました。
ドリームライブに行った人累計何十万人かの中で感想を述べた人のうち
8割以上がそのように語ったであろう表現で表してしまうが、確かにそうだから言うしかない。
本当に夢の空間だった。
出演者、衣装、音楽、構成、演出、カメラワーク、客席、すべてが協力的だった。
すべてがこの日のこの時を見届けるために集まっているのだった。
内容に関してはもういちいち細かい事は言わない。(覚えてない)
この日のために購入したペンライトに加え、公演グッズの「ドリームライト」を購入し
首にはドリライタオル、両手で持ったライトの色を曲目に合わせて
カチカチカチカチ変えまくった3時間は幸せでしかなかった。もちろん、泣いた。
私はドリライ前に総復習をしようと思い、セカンドシーズンの最初のころのDVDを見直してきていたのだが、
目の前のドリライの舞台上ではもはや、初期の倍くらいの速さと手数のダンスが繰り広げられているようにずっと感じていた。
これはおそらく、全員でちょっとずつ、上に前に進んで来たということなんだろう。
演じる人々が入れ変わっても、「テニミュセカンド」という入れ物が進む速さは変わらない。
本当にレベルアップした演目を全員がこなしてどんどん加速してきた。そんな感じがする。
しのぎを削ってきた数十人の出演者のすべての青春空間。
そして、弱冠二十歳のリーダーが、心の芯を強くもち、舞台という名のコートで己を鍛えてきた、唯一無二の人生劇場。
彼らが動いて、舞台上の世界に命が吹き込まれ、躍動して、光を浴び、そして役目を終えた。
そして輝かせ続けたスタッフのプロフェッショナリティに感服する。
世界観が徹底して守られ、統率が取られていることがどこでも当たり前ではない、ということは、
テニミュ以外の演目を観に行くようになって気づいたことだった。
この市場の開拓者として蓄積されたノウハウの賜物なのか、安定した運営はすべての基盤だったと思う。
本当に、すごい4年間だったのだろう。
私が見届けられたのは後半の2年半ほどではあったけれど、
いつの間にやら身と心を乗り出し、全力で夢中で応援するものとしての楽しさを味わう人になっていた。
私にとっても、人生において非常にまれなる熱い時間だったと思う。
今日で本当に最後。
ぜったいにもう、全員は集まらない。
たとえもし叶ったとしても、いまと同じ価値観を持っては集まれない。
そう思うとどうしようもなく感傷がわいてくるけど、
「離ればなれになるんじゃないよね ただ目指す道が違うだけ
いっしょに過ごした日々に押されて 前に進もう」
という前向きな歌詞を聞かされれば、たとえ応援席の一員としてだって、
べそべそしているのはテニミュの画にはそぐわないということが身につまされる。
一期一会のすばらしさ、袖振り合うも多生の縁、
仲間の絆と競い合いの美学、
闘志を持つ意味と、自分自身に挑む姿勢、
そして勝負がつけば笑顔で潔く終わり、次の世界へと足を踏み入れる勇気。
なんだこれ、なぜなのかはわからないが、
相変わらずテニミュには、人生への希望と前向きに挑むことの素晴らしさを教え続けられてしまう。
公演終了後にはキャストがぞくぞくと、自分たちの心のこもった言葉で、
演じたキャラクターやテニミュにお別れを告げているようすが伺えたけれど、
彼ら出演者にとっても、テニミュが与えている作用がすさまじいことがわかる。
だって、正しすぎる。
言ってることがまっすぐすぎて、嘘がない。
スポーツのプレイヤーというキャラクターを、身をもって演じているうちに、
彼ら自身が自分の人生のプレイヤーとして、意志を持った人間になっていったんだなあ
ということがよく伝わる。
(どの公演だったか、「これからの役者人生、大きく言えば人生、、、」
というスピーチをしていた和田琢磨くんのことをふと思い出した)
うらやましいことだ。
私もそんなの、身をもって体験してみたい!
観念的な感想書いてる場合じゃない!! テニミュ出たい!!!
来世での野望としてとっておく!!!
アンコールの挨拶、「これでもう最後になります」という言葉に対し、
終わってしまうことへの戸惑いで返答のできない客席に、
「あれー? 返事がないなあ」
と笑った座長。
最後まで明るく涙の無い、完全に消化しきったかのような、
さわやかなぬけがらにも思えるようなスピーチと、
全力のファンサービス(ウインクと投げキッス)だった。
最後まで「テニミュ好きな人みんなで」過ごせて、ほんとによかったね。
「今の俺 突き抜けたところにいるから 別世界にいるから
新しい時の流れが ここから始まるから」
という歌詞そのままに、完走の笑顔とともに手をふってくれた、
会場を駆け抜けてくれたキャストたちのことを私は忘れはしない。
すばらしいテニミュセカンドシーズンの、幸せすぎる幕引き。
前向きに走り続けた男たちと、それを見守る女たちの素晴らしい世界に溺れられたことで、
自分の中の新しい扉が開いた、ほんとうに、そう思う。
ありがとうテニミュ。
きっとまたお会いしましょう。
3年前は、ミュージカルテニスの王子様、それはただの色物だと思っていた。
「イケメン」を、ほんとうにただの「顔面の良いだけの若者」だと思っていたし、
演目自体、子供だましだと思っていた。
もちろん、テニミュサポーターズクラブにも入っていなかったし、
地方遠征なんか思いつきもしなかった。
というか、1演目の複数公演鑑賞自体というものが、時間とお金の無駄で、視野の狭さのあらわれだ とすら思っていた。
2014年11月、そのすべてに私はNOと言おう。
価値観はかくもあざやかに変容する。
==
いよいよ終幕の時が来たセカンドシーズンの、最後の姿を見届けてきた。
さいたまスーパーアリーナ最終日、ドリームライブ2014に行ってきました。
ドリームライブに行った人累計何十万人かの中で感想を述べた人のうち
8割以上がそのように語ったであろう表現で表してしまうが、確かにそうだから言うしかない。
本当に夢の空間だった。
出演者、衣装、音楽、構成、演出、カメラワーク、客席、すべてが協力的だった。
すべてがこの日のこの時を見届けるために集まっているのだった。
内容に関してはもういちいち細かい事は言わない。(覚えてない)
この日のために購入したペンライトに加え、公演グッズの「ドリームライト」を購入し
首にはドリライタオル、両手で持ったライトの色を曲目に合わせて
カチカチカチカチ変えまくった3時間は幸せでしかなかった。もちろん、泣いた。
私はドリライ前に総復習をしようと思い、セカンドシーズンの最初のころのDVDを見直してきていたのだが、
目の前のドリライの舞台上ではもはや、初期の倍くらいの速さと手数のダンスが繰り広げられているようにずっと感じていた。
これはおそらく、全員でちょっとずつ、上に前に進んで来たということなんだろう。
演じる人々が入れ変わっても、「テニミュセカンド」という入れ物が進む速さは変わらない。
本当にレベルアップした演目を全員がこなしてどんどん加速してきた。そんな感じがする。
しのぎを削ってきた数十人の出演者のすべての青春空間。
そして、弱冠二十歳のリーダーが、心の芯を強くもち、舞台という名のコートで己を鍛えてきた、唯一無二の人生劇場。
彼らが動いて、舞台上の世界に命が吹き込まれ、躍動して、光を浴び、そして役目を終えた。
そして輝かせ続けたスタッフのプロフェッショナリティに感服する。
世界観が徹底して守られ、統率が取られていることがどこでも当たり前ではない、ということは、
テニミュ以外の演目を観に行くようになって気づいたことだった。
この市場の開拓者として蓄積されたノウハウの賜物なのか、安定した運営はすべての基盤だったと思う。
本当に、すごい4年間だったのだろう。
私が見届けられたのは後半の2年半ほどではあったけれど、
いつの間にやら身と心を乗り出し、全力で夢中で応援するものとしての楽しさを味わう人になっていた。
私にとっても、人生において非常にまれなる熱い時間だったと思う。
今日で本当に最後。
ぜったいにもう、全員は集まらない。
たとえもし叶ったとしても、いまと同じ価値観を持っては集まれない。
そう思うとどうしようもなく感傷がわいてくるけど、
「離ればなれになるんじゃないよね ただ目指す道が違うだけ
いっしょに過ごした日々に押されて 前に進もう」
という前向きな歌詞を聞かされれば、たとえ応援席の一員としてだって、
べそべそしているのはテニミュの画にはそぐわないということが身につまされる。
一期一会のすばらしさ、袖振り合うも多生の縁、
仲間の絆と競い合いの美学、
闘志を持つ意味と、自分自身に挑む姿勢、
そして勝負がつけば笑顔で潔く終わり、次の世界へと足を踏み入れる勇気。
なんだこれ、なぜなのかはわからないが、
相変わらずテニミュには、人生への希望と前向きに挑むことの素晴らしさを教え続けられてしまう。
公演終了後にはキャストがぞくぞくと、自分たちの心のこもった言葉で、
演じたキャラクターやテニミュにお別れを告げているようすが伺えたけれど、
彼ら出演者にとっても、テニミュが与えている作用がすさまじいことがわかる。
だって、正しすぎる。
言ってることがまっすぐすぎて、嘘がない。
スポーツのプレイヤーというキャラクターを、身をもって演じているうちに、
彼ら自身が自分の人生のプレイヤーとして、意志を持った人間になっていったんだなあ
ということがよく伝わる。
(どの公演だったか、「これからの役者人生、大きく言えば人生、、、」
というスピーチをしていた和田琢磨くんのことをふと思い出した)
うらやましいことだ。
私もそんなの、身をもって体験してみたい!
観念的な感想書いてる場合じゃない!! テニミュ出たい!!!
来世での野望としてとっておく!!!
アンコールの挨拶、「これでもう最後になります」という言葉に対し、
終わってしまうことへの戸惑いで返答のできない客席に、
「あれー? 返事がないなあ」
と笑った座長。
最後まで明るく涙の無い、完全に消化しきったかのような、
さわやかなぬけがらにも思えるようなスピーチと、
全力のファンサービス(ウインクと投げキッス)だった。
最後まで「テニミュ好きな人みんなで」過ごせて、ほんとによかったね。
「今の俺 突き抜けたところにいるから 別世界にいるから
新しい時の流れが ここから始まるから」
という歌詞そのままに、完走の笑顔とともに手をふってくれた、
会場を駆け抜けてくれたキャストたちのことを私は忘れはしない。
すばらしいテニミュセカンドシーズンの、幸せすぎる幕引き。
前向きに走り続けた男たちと、それを見守る女たちの素晴らしい世界に溺れられたことで、
自分の中の新しい扉が開いた、ほんとうに、そう思う。
ありがとうテニミュ。
きっとまたお会いしましょう。