背番号28
これが鉄人と呼ばれた元広島東洋カープ衣笠祥雄選手の由来(鉄人28号から)
昨日まさかと思ったが驚いた訃報
先日の解説では声が出なくてどこか悪いのか?って噂になっていたが
あまりにも急すぎる
ニュースでは衣笠さんの人柄が良く出ているエピソードが紹介されていて
みんなに愛されていたんだな~と改めて思いました
若手時代の衣笠さんと当時コーチだった関根潤三さんの特訓で能力開花したが
いち早く能力を見抜いていたのは
やはりあの人だった
当時広島にいた根本陸夫さん(監督から管理部長だったかな?)
とにかく野球に対しては真面目だったね
秋山幸二さんが自分のターニングポイントで衣笠さんとのエピソードを話しますが
人柄がよく表れています
その内容は
1986年オープン戦での移動の時
前年に西武ライオンズ退団からメジャーへ行き引退し評論家になっていた江夏豊さんに
前年40本塁打し最年少記録で王貞治氏と並んでブレイクした秋山幸二選手が
衣笠さんを紹介された時の話
ひと通りバッティングの話をして
日本シリーズでのことになり
衣笠さんから日本シリーズはどうしたんだ?いつものプレーじゃなかったねと
(阪神とのシリーズで秋山選手はサードで2暴投と0本塁打で西武が負けたのは秋山と阪神バースとの差だと言われた)
言われたようで
秋山選手は実は右人差し指を痛めていて(後にじん帯断裂だったらしい)
思ったプレーが出来なかったと正直に言ったら
アキそれは甘いよ
プロならケガをしていてもやり方がいくらでもあるだろうって言われて
言い訳していた自分が恥ずかしいと思ったそうです
橋渡しをした江夏さんは多分秋山選手に期待してたんだろうね
親友の衣笠さんに秋山選手にカツを入れて欲しかったんだと思うよ
江夏さんとのエピソードは
江夏さんが投げているときにサードを守っていた
秋山選手がサードゴロをトンネルした時に怒られるだろうなってマウンドに謝りに行ったら
お前には守備は期待してない打ってくれよって返されたようで
その後に秋山選手の殊勲打でチームが勝ったが
そのあと江夏さんにお前ひとりで野球やってるなって言われたそうです
1986年は41本塁打115打点と
3冠王ロッテ落合博満選手と終盤まで打点王争いを繰り広げた
そして広島との日本シリーズ第8戦では初めてバック宙を披露した
1991年オールスターでの自打球がなければ連続試合出場は衣笠さんのところまでいってただろうね
結果633試合でストップ
衣笠さんは敵味方関係なく野球人として接してくれるのでコーチで見たかったな
惜しい人を亡くしたが後輩たちに思いは引き継がれている
ご冥福をお祈りいたします
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