昨日の全国高校野球選手権大会決勝
秋田・金足農業高校対北大阪・大阪桐蔭高校
2-13で大阪桐蔭高校が史上初2度目の春夏連覇達成で幕を閉じた
試合前は金足農業吉田投手の奮闘ぶりから金足農業を応援していた(ワタクシも東北だし)
吉田投手は準決勝でも完投し翌日の決勝
さすがに疲れは抜けきらず立ちあがりから大阪桐蔭打線に捕まり3失点
3回まで踏ん張っていたが4回1番宮崎選手の3ランで勝負あり
ワンサイドゲームになり最終的に13-2というスコアでした
6回からは吉田投手から4番サード打川選手がマウンドに上がり
予選から1人で投げてきた吉田投手はライトへ
4ポジションを変えて9人野球で最後まで戦った
中泉監督もよくここまで選手を育てたと思いますね
それと吉田投手と野球がしたいからと金足農業高校に進学し金農ナインも凄い![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
そして必ずってほど話題になる
投球過多による投手疲労とケガの問題
まあ過去をみても甲子園での無理がたたりその後プロへ行ってもケガで活躍できないこともあるが
ワタクシの見解は関係ないですね
そもそも甲子園の日程が悪い
準々決勝から試合間隔が無いんだから決勝戦は2日空けてやったほうがいいでしょ?
投球過多とか言う前に日程を見直しなさい
決勝戦始球式で青森・三沢高校OBの太田幸司氏愛媛・松山商業OBの井上明氏が投げましたが
1969年の決勝戦引き分け再試合で死闘を演じた
1人で投げ切った太田投手は一気にブレイク(もう一人投手がいれば勝っていたと青森県人は今でも思っている)
当然僕は生まれてません
親から聞いたが地元三沢でのフィーバーぶりはハンパなかったそうです
1人で投げ切った太田投手と吉田投手は重なる部分がありますね
第100回記念大会ということで過去の話が記事なったりしていますが
ワタクシが気になったのは1989年優勝した帝京高校吉岡雄二選手
この年の帝京高校は春の選抜1回戦負け
夏は厳しい東東京代表を勝ち取り春のリベンジを目指していた
4番投手の吉岡選手を中心に1番蒲生弘一3番鹿野浩司5番池葉一弘とポイントゲッターがいたので
安定して勝ち上がっていく
準決勝は秋田・秋田経法大付属高校(現明桜高校)を4-0で下し
決勝は宮城・仙台育英高校が相手
仙台育英は絶対エース大越基投手の活躍で勝ちあがってきた
一方帝京は吉岡投手の他ライトの5番池葉選手がリリーフ出来るので
戦前は戦力的には帝京有利
しかし始まってみると
投手戦
9回まで0-0![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
これは三沢対松山商業みたいになるのか?
と思ったら10回表帝京3番鹿野が2点タイムリー
ついに均衡が破れた
その裏帝京吉岡投手がキッチリと締めて帝京高校が初優勝を飾った
そうこの時も東北勢初優勝がかかっていたんだよね
準決勝で秋田経法大付属を下し決勝では宮城仙台育英を下し
東北方面では吉岡投手はヒール扱いだったようだね
吉岡投手その後巨人にドラフト3位で入団したが選手層の厚い巨人では1軍になかなか上がれず投手から野手へ
1997年に近鉄へトレード
もともと打撃は良かったので移籍2年目で1塁のレギュラーになり
2001年の優勝時には自己最多の26本塁打をマークしいてまえ打線の一角を担った
その後何かの運命か球団再編により東北楽天ゴールデンイーグルスへ
その時の吉岡選手は仙台方面の人は顔も見たくないでしょうねって言ってたそうだが
実際は暖かく迎えてくれたそうです
話戻して投球過多のこと
その吉岡さんは実は甲子園のあとの高校生選抜の遠征中に肩を壊してたらしいです
プロに行って伸び悩んだのはその時のケガが原因みたいですね
秋の国体も池葉選手が投手やっていたし
やっぱり日程が原因でしょう甲子園終わってから高校生選抜の遠征とかどんだけ無理させるんだよ
投球過多に一投を投じる話も
花巻東の大谷翔平選手は予選で負けてからもいつも通りに練習は継続していた
光星学院の坂本勇人選手も同様で芸術的な内角打ちはこの時の練習で身につけた(もともと内角は苦手でアウトローが得意だった)
プロで活躍するには今自分が何をすれば良いか?当人が一番良く分かっている
いくら甲子園で活躍してもその後練習しなければ普通の人に戻ってしまう
甲子園で負けてからテーマを持って練習してたものがプロでも活躍している
吉田輝星君には今はしっかり休んでそのあと
プロに指名されるまであのストレートをしっかり磨いてほしい
白河の関を超えるのはいつのことかな~