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ノモンハン戦とは

2022-01-22 18:16:40 | 小説
家にある本の一つ「ノモンハン美談録」は厚さ5.3センチです。
____前線における一兵士の歌 _____ 
ですが大尉や中尉で無く伍長や一等兵が戦いで死んでゆく姿が大部分描かれている。
475人余りの物語(死んでゆく姿)です。
その中の一つが

陸軍上等兵堂園時義の場合・・・・・
「単身群敵を粉砕」は

8月20日、連戦連敗の敵は再挙を期して大逆襲に転じて来た。機械化大部隊の広範な包囲作戦。しかも我が軍は寡兵をもって至る所に反撃を固めていた。
堂園一等兵もまた、その戦場の一角を死守すべき分隊の一員だった。
60台の飛行機、十数台の戦車、重砲野砲その他各種の火器、約200の狙撃兵それらが緊密に連携を保ちつつ、このわずか一個分隊の陣地に向かって突進してくる。
約100メーターまで緊迫してきた時、それまで戦車にあてに続いていた狙撃兵は、小癪にも「ウラーウラー!」と威聲をあげて突っ込んできた。
戦車砲はますます鮮烈ね援護射撃を続けている。
この状況を眺めた堂園一等兵は、「ようし、今に見ろ!」憤然と立ち上がるや、手榴弾六個をひっつかみ前方の壕に飛び移って身を沈めた。十分に引き付けて一挙に撃滅しようと待ち構えたのである。
それとも知らぬ敵の狙撃兵の一隊は、こく一刻と肉迫してきた。70M、50M・・・ついに20メートルまで迫った時、分隊長の号例一下、隠しておいた我が機関銃は猛然と火を噴きだした。
この時とばかり立ち上がった堂園一等兵は、渾身の力を腕に込めて一発又一発、続けざまに6っ発の手榴弾を敵の真っただ中に叩き込んだ。
たちまち10数名の敵が木の葉のように吹っ飛んでしまった。
この猛撃に度肝を抜かれた敵勢は、狼狽しながらも数十発の手榴弾を投げ返し、しばし壮絶な手榴弾戦を展開したが、、我が沈着果敢の反撃には敵する術もなく、ついに我が陣地に武器や死体を抛り出したまま一目散に逃げだした。
一時鳴りを潜めていた敵戦車軍は、この有様を見て友軍の危機を救わんがため、再び猛然と戦車砲、機関銃を浴びせて来た。
その一弾はついに堂園一等兵の直前で炸裂、その破片は○○や顔面と胸部を貫通してしまった。
「堂園しっかりしろッ」駆け付けた戦友に抱き起こされた彼は、「あとは・・・・頼むぞ・・・」
壮烈な一語を最後に、ノモンハンの華と散って行った。
・・・・・こんな話が面々と書かれています。

昭和は良い時代だった(ノスタルジー)と言われるが、そうとは言えない事件、戦争のあった時代でもあったことを忘れてはいけないと思います。
人間は喉元過ぎれば忘れるものなのです。
後記:コロナ過の何倍もの悲しみ辛さが戦争です。





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