人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

命の親

2023-11-25 09:27:03 | 
“人間は本来神と一つのものである“、とか“人間には前世というものがあり、死後もなお生き続けるのである“、というような教えがあります。
いつも言うように、私はこういうことを一度も否定したことはありません。
ただ、そのことを所与のまま鵜呑みにして、何ら内省も考察もされないで迎合してしまう心的態度には否定的なだけなのです。
何故ならば、それだと本当に自分自身の問題として、主体的にそのことに関わることがないからです。
神のことも永遠の生命のことも、自分に直接的に感ずるということがない...ということは自分が直接その幸福に与ることがないということと同じでしょう。
第一、特殊な人は別として、誰も生まれた時から自分は神と一つであることを知らないし、前世のことも覚えてないのですよ。
まっさらな状態で生まれて来ているのです!…って、生まれたての赤ちゃんを見てるとそうでもなさそうではあります。
何でそんなに泣いてるの!...赤ちゃんの時のこと覚えてない?
私はうっすらと記憶があります。
とにかく何か知らないけど一大事なんです。大変なんです。どうしたらいいんだああ~、“ンギャア“!
無い!、生きるのにもっとも大事なもの、それが無いと生きられないもの...そのものと切り離されてこの世に出て来ちゃったよう!...どこに行っちゃったんだよう!...と探し求めるのです。
そして両親の顔を見て...それが本当に大事なものなのかどうか分からないのだけれど、そのものと重なるところがあるのでとりあえず安心します。良かった!
本当に人生が良くなるかどうかはこれからのことなのだけど...
本当に命と同じか、あるいはそれ以上に大事なものは、愛、幸福、安らぎと共にあることは、生まれた時から知らされているのです!...覚えてない?
つまり前世とか死後の世界の存在のことは知らないけど、永遠の生命への直観というものはそこにあるのです。
それは、失われたそのもの...命の親としか言いようのないものと共にある!
肉の親は居るけど、命の親との関わりのような直接性は感じられません。
そして、時に親子の関係からズレたものになったり、いずれは離れることにもなります。
命の親から離れて、肉の親とつながり、そこから離れて又つながるのでしょうか?
いや、離れていたのは仮のことで、本当は一度も離れたことは無かったのでしょうか?
神というものは信じたい人間だけが信じていたらいい...本当にそう思いますか?
命の親のことですよ。何で人ごと、人伝えのことなどで済まされるだろうか!(“記憶にありません“、で済むのは、国会の答弁だけではありませんか?)
私やあなた自身の問題でなくて何でしょうか?!...
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