人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神は絶対的

2023-12-23 09:30:28 | 
神は絶対的である...
本当は、こういう言葉を無闇に表したりしないほうがいいのでしょう。
大体、絶対的なものなどこの世にあるだろうか?
絶対なる神という表現がどんなに人類に相克、混乱を引き起こして来ただろうか?
絶対という言葉は、絶対悪とも言えるのではないか?
それでも、私の中には、”私の神は絶対なるもの”と、どうしても言い表したいと感じてならないものがあるのです。
何故ならば、私の思いを無化させるものは、私の神の他に絶対に無いからです!
つまり、”○○は絶対である”という表現は、畢竟そういう思い、思考マインドから発している、ということであり、絶対的なものとは、人がそう思っているものではない、ということです。
多くの宗教では、今でも”この先生、この教えは絶対!”、などと信じ、説かれています。
神の存在も言葉では説かれていても、そこで信じられているものは、相対的な人間の言葉に過ぎず、実際には神はそこに生きてはいないのです。
生ける神がそこに臨んだなら、そうした相対的な信仰地獄から解放されることでしょう。
そうです、妄信、狂信的有り様は、実に思念に覆われた地獄世界であることを知らねばならないのです。
どんなに”私には思いがありません”、などと言おうが、それは所謂”思考停止”の状態のことを言っており、当人には無自覚らしい強固な思念の凝固の上に立ったもので、そこで自由に考え、内省する精神を失った状態になっているのです。
言い換えると、自己実存が思念で覆われ、光が差してこない状態ということ、これが思念地獄で無くてなんであろう...
逆説的ですが、実存的な地獄のような苦悩を抱えている方がどれだけマシだか知れません!
思考停止地獄には、苦悩を抱えるという自由すらありません。ましてやあの今生では与れないような至福など!
私が私自身である時に、あの思いを超えた、恩寵の光が差し込んで来るのです!
それは、私と真向かいに臨む、実存的な神から来る!...他の如何なるものもありません。
私が直接つながる神なのであって、宗教が説く、あの神やこの神のことではありません。
この意味で神は絶対的なのです。あなたにあってはどうかは知らない!
あなたは、あなたの絶対的な神に会い、つながればいいのです。絶対に人間が考え、信じている神にあなたを明け渡してはなりません!(これが思考停止状態)
又、本当に自分のすべてを明け渡すことが出来るのは、一人一人の実存的な神をおいて無いはずです。
そう、私と私の神との関係は独占的(モノポリー)なのです。
いや、そういうことを一人一人が歩んでいるんだっけ?...
私の神はすべての神でもある?...
いやいや、神はどこまでも私の思いを超えているので、絶対に分からないでしょう!...

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恩寵の道 | トップ | 神の導きは純一 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
認識ということ (のしてんてん)
2023-12-24 08:14:51
クリスマスの最高のプレゼントをありがとうございました。
返信する
Unknown (シタテルヒコ)
2023-12-24 09:51:37
のしてんてんさん、有難うございます。今日はクリスマスイブ...もっとラブきゅんな記事になるかもしれません。
返信する

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事