人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

幸福と自由

2021-09-23 11:01:17 | 哲学・思想
人間は皆幸福を求めているものでしょう。
悟りだとか、究極の真理を極めようとかいうことも、要するにそれに与らんがためにしているのは言うまでもありません。
でなきゃ、誰がそんな物好きな道を行ったりするでしょうか?
不幸を求めている人などいるでしょうか?...勿論、人生では求めずしてそうなってしまうものだし、幸福を求めていたはずがかえって不幸を招くこともあります。
強制力の伴う社会生活は置いとくとして、わざわざ辛い、苦しい道を求めることは、その先にある幸福を見据えているのでない限り、どこか不自然で、病的に映ります。(多くの人は無意識のうちに、病的に映らずともそういう道を選んでいるようにも思いますが...)
だから...不幸になるものは徹底的に排除し、回避し、どこまでも幸福を追い求めていけばいいのですi...って、それはきっと罠だi
これは、少しでもラクをしたい私が陥りやすい罠ですが、本当に幸福になる道には、逆説的ですが、こういう幸福だけを追い求める道が立ちはだかったりもします。
現実に即して考えてみましょう。そうやって、自分の意志的な働きかけで、幸福になれるであろうものを獲得しようと躍起になり、そういう人間関係を築くことを企図したりして、不幸、不快なものを退けて勝ち得た幸福というものに、本当にあの平安、幸福感というものを感じるでしょうか?
そこにあるのは幸福なものへの、その観念への固執した思いなのではないでしょうか?
本来、幸福とは自分の意志で勝ち得るものでなく、与えられるものではないでしょうか?
そうです。本来から与えられている...本来的な幸福は、不幸な事態に見舞われたとしても失われたりしません。
状況自体は変わらずとも、それに左右されない幸福感は持てるものです。
しかし、そのことに囚われ、思念から自由でなければ、幸福はその手からすべり落ちてしまいます。
幸福と自由の根本的な問題は、思いを超えることにあると言うに尽きるでしょう。
哲学者のベルジャーエフは、生涯に渡って人間実存の根本的在り方として、"自由"、自由であることを強調していました。
あまり幸福といったものには言及していないのが私には不思議にも思えるのですが、そこに彼のボヘミアン的な、男性性というものを垣間見ることが出来ます。
私に即して言えば...幸福感というものは、改めて思うに実に自由と結びついていると言わざるを得ません。
これは端的に、諸々の思いから自由であること、即ち思いを超えたものに与ることに他なりません。これで幸福でない訳が無いのですi
私はベルジャーエフに成り代わって、"自由とは幸福であること、幸福とは自由であることであるi"、と言いたい。
(彼はきっと小市民的幸福主義に甘んじたくなかったのでしょう? そういうことをどっかで言ってなかったか?)
私にはボヘミアン気質と小市民気質のどちらの血も流れているのです。
ともかく、何人にあっても幸福と自由は切り離すことの出来ないものでしょう。
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