人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自然に...

2023-05-23 09:30:04 | 意識、照明
”神、神的なもの、最愛のものに意識を向ける”、なんてことを何度も言ってます。
でも、意識が向かなければ、やる必要ないですよ!
はあっ?...
私はどうも、実にトンチンカンな、不自然なことを言っているようです。
人間は誰でも意識が向くことをやって生きていて、向かないことはやらないものでしょう。誰に言われなくても!...
神という言葉には抵抗がある...それは、まあ分かる。それは私の場合です。
しかし、最愛のものに意識を向ける...向かないってのはオカシイですよ!、不自然!
だから、”向いちゃう”っていうのがホントなんです!
これは、ですからそういうことを意志努力でやろうとする、それに合わそうとすることとは根本的に違うことを言っているのです。
ただ、普通は、その意識的な事態、在り方というのは、”意識されていなくて“、漠然と思うことと一緒くたになっているので、そのように言い表しているまでです。
”意識しよう!、しなければ!“...それは、だからだから違うっつーの!
意識が自然に向けられる、動くのを感じていたらいい!
神的なものを意識する、というのは私的には、根本的に祈りと同じなんですけど、これは全く自然に、“じねん“に行われることなのです。
そういうことに向かない、向けなければ、なんていうのは、全くオカシイ!...やんなきゃいいだろ!、向かないんなら!...向くからやっている、やらされているのっ!
宗教、スピ界隈には、この道理がうやむやになっていて、“やらなければ、仕方なしに...“、なんてテライ多くないですか?...ああ、何という人生の無駄であろうか!
”この信仰、修行法でなければ!“...すべて、余計な虚言です。
“信じないと、やらないと救われないですよ!”
も、ホントに度し難い!...そういう言葉が飛び交っていること自体が救われない理由なんじゃないですか?!
やらなきゃならない?...ナンセンスなこった!...そんな実の無い、身につかないもの!
意識が向かないってのは、内実が無いってこと、ご本尊が、本心がお留守になっていることなんです!
神でなくても、最愛のもの...わかりやすく言うと、最愛の人、ペットなどに意識が向けられると、心が安まって来るでしょう。何だか救われる...
そうやって幸福を得る...いや、そうじゃなくて、そうやっている過程でそうなっているでしょう?
だから、最愛のものに意識を向けていて、幸福でない訳が無いのです!
最愛のもの...次愛以下のものじゃないですよ!...即ちおのずと意識が向いちゃうもの...やっぱり神ってる、神が舞い降りるようなものじゃないかなあ?


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