時に帝の姉の湖陽公主、新たに寡なり、帝と共に朝臣を論ず、
微かに其の意を観る。
主曰く、 宋公の威容徳器、群臣に及ぶ莫し、と。
帝曰く、 方に且に之を図らんとす、と。
後に弘を引見せ被らる、帝、主をして屏風の後に座せしめ、因りて弘に謂ひて曰く、 諺に言ふ、
貴びては交はりを易かへ、富みては妻を易ふと、人か、と。
弘曰く、 臣聞く、貧賤の知は忘る可からず、糟糠の妻は堂より下さず、と。 帝顧みて主に謂ひて曰く、 事諧ととのはず、と。
光武帝の姉である湖陽公主が未亡人となった。
光武帝は湖陽公主と臣下に関して論じ、秘かに湖陽公主の気持ちを観た。
湖陽公主は言った。
宋弘殿の厳かで徳が溢れ出る様は、朝臣多しと雖も及ぶ者はおりません、と。
光武帝が言った。
それでは宋弘に図ってみようではないか、と。
そして光武帝は宋弘を引見し、湖陽公主を屏風の裏に座らせ、宋弘に言った。 諺に位が高くなれば友を替え、
富みては妻を替えると言うが人情であろうか、と。
すると宋弘が云った。
私はこのように聞いております。
貧賤に知己となった者を忘れては為らない、
苦労を共にした妻を家から追い出しては為らない、と。
これを聞いた光武帝は屏風の方を顧みて云った。
事、調わず、と。
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「糟糠の妻は堂より下さず」の糟糠は、「かす」と「ぬか」のこと、
ひどく粗末な食事のことであり、貧しくて糟や糠の類しか食えずに艱難を共にして来た妻は、
喩え、後日処を得て富み栄えるようになっても、これを棄てやったり、粗略に扱ったりはしないと云うこと。