*ナチスに対するレジスタンス活動
フランス共産党は1920年にフランス社会党から分離して結成された。
この存在がはっきりしている政党組織を地下組織とすることに違和感を覚える人もいるだろう。
しかし、このフランスに生まれた共産党は、誕生から現在までの約90年の間に、国内、国外を問わずに広い範囲で秘密裏に影響を与えた組織なのだ。
結成当初は党員が11万人居たとも言われるが、党内の権力争いによって勢いは急速に衰え、総選挙でも惨敗を喫する。
しかし、第二次世界大戦でナチスドイツに対するレジスタンス活動を繰り広げたことから急速に勢力を増すことになる。当時、フランスには地下活動を続けていた「人民戦線」と呼ばれる組織があったが、この組織はフランス共産党から発生したもので、戦争時にはレジスタンスの中枢を担うようになっていた。
彼らのナチスの将校を射殺すると云う過激なやり方は、ナチスの激しい報復を招いた。血で血を洗うその熾烈な戦いぶりは、ナチスに怯えるフランス国民の間にも強烈な印象を残すことになる。
*ソビエトの影響下にあった
第二次世界大戦が終結した1945年の総選挙で、共産党はフランスの第一党に躍進した。悪の組織の代表のようなナチスに抵抗した組織と聞けば、地下で活動した時期があったとしてもヒーロー集団のように感じられたのだろう。
しかし、ヨーロッパで最も過激な共産党組織としても名を馳せた彼らは、ソビエト連邦とも深い繋がりを持っていた。実は、フランス共産党がナチスドイツへの抵抗勢力として活動したのは、ソビエトの指導者スターリンの意向が強く働いた結果だったという。ナチスドイツはソビエトへも侵攻していたが、フランス共産党が暴れれば、ソビエトの軍事的な脅威を減らすことができる。同時に、社会勢力の拡大を牽制することも狙いの一つにあった。
このソビエト追従の傾向は第二次世界大戦後も続き、フランス共産党はアフガニスタン侵攻やポーランド干渉、核兵器の保有まで、ソビエトの政策を支持している。
また、ゴルバチョフ書記長がアメリカと共に核兵器根絶を掲げると、今度はそれに同調して核兵器の根絶を訴えたのだ。
*カンボジアの独裁者ポル・ポトを生む
更に、フランス共産党が生んだとも言える最悪の独裁者がカンボジアのポル・ポトである。彼は一時フランスに留学しており、その時に共産党内に作られたクメール共産主義グループに参加していた。ポル・ポトは、この時に過激なスターリン思想に傾倒して行ったと言われている。
スターリンと云えば、ソビエトで大規模な粛清を行い、恐怖政治を敷いた悪名高き独裁者である。彼は秘密警察を使って、反抗的とみなされた人々を逮捕・処刑した。祖国カンボジアに帰った後のポル・ポトが行った蛮行についてはあまりにも有名だ。
彼が率いたクメール・ルージュ(カンボジア共産党)が行った大量虐殺では、100万とも150万とも言われる人々が命を落としている。ポル・ポトはスターリンを支持するフランス共産党でその思想に強い影響を受け、スターリンと同じように、反体制と判断した人々を虫けらの如く惨殺して行ったのである。元々差別的な傾向があったポル・ポトにとって、フランス共産党でスターリン思想に触れたことこそが大虐殺への引き金となったと言えるかも知れない。
いまでは地下組織だった面影が薄くなったフランス共産党だが、独裁者に傾倒し、史上最悪の独裁者の1人を生み出したと云う血塗られた時代が存在するのも事実なのである。
画像 ドイツ軍によって身体検査をされるレジスタンスたち
クメール・ルージュが政治犯を収容していた場所は
現在虐殺博物館となっており
犠牲者たちの写真などが展示されている
本当に恐ろしい地下組織
歴史を変えた地下組織