Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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始皇帝の父が何より悲惨だった父・子楚のみすぼらしい生い立ち

2018-01-25 04:05:30 | Weblog

◆使い捨ての人質
 始皇帝の父親である子楚「荘襄王)。その父親は後に孝文王となった太子・安国君である。ところが、子楚の母親である夏姫は既に寵愛を失っていたし、安国君もその時はまだ太子ではなかった。故に、王族とは云え、その身分はかなり低いものだったのだ。その為、当然の様に捨て駒扱いの人質が相応しい存在とされ、趙に送り出されたと云うわけである。この時代は、強弱に関わりなく、ほとんどの国が人質の取り合いや交換をしていた。嫡子や溺愛している側室の子どもなどは、出来の良くない子や、あまり愛されていない妾の子などは、どんどん人質に出されて行った。子楚もその中の一人に過ぎなかったのである。しかも、安国君の子どもは20人余りも居たので、子楚が秦の王位に辿り着くことなど、万に一つもないと考えられていた。
その様な扱いであるから、母国から送られて来る生活費は滞るばかりでる。それどころか、人質が居るにも関わらず好戦的な時の秦王・昭襄王は趙に対して戦争をしかけており、和平の為の人質であった子楚の命は、当然のことながら代償として贖われるべきだと趙は考えていた。それまでは何とか生き延びていたものの、命も最早風前の灯に思われた。そんな彼の人生が一気に変わったのは、韓からやって来た商人・呂不韋に見出されたことである。
子楚を見て「奇貨居くべし(掘り出し物だ。買うべきだ)」と述べたと言う呂不韋の登場によって、始皇帝誕生へと続く物語は始まった。

       
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