第2次世界大戦の爪痕が色濃く残る1947年のことである。
この年、イタリア中の人々が驚嘆する出来事が起こった。
場所はイタリア・プーリア州サン・ジョバンニ・ロトンドの修道院で、渦中の人物は生まれつき眼球がない全盲の少女だ。彼女は祖母と共に修道院を訪れ、数々の奇跡的な病気の治癒で知られるピオ神父との対面を果たしたのである。
ピオ神父は少女の事情を聞いた後に祈りを捧げ、その両瞼に優しく手を触れたと云う。僅か10分あまりの対面であったが、その3か月後に奇跡が起こった。驚くべきことに、少女の目に眼球が生じて瞼が盛り上がり、人並みの視力を得ることができたのである。少女の先天的な眼球欠如は医学的に証明されていた為、まさに奇跡としか表現できない出来事だった。
「奇跡を起こす聖人」として、ピオ神父の名はヨーロッパから全世界へと急速に広まって行ったのである。
ピオ神父は、十五歳の時にフランシスコ会に入信し、翌年からは修道士として生活を送り始めた。この頃から、聖体拝領の儀式に使うパンだけで21日間も過ごし、50度を超す高熱を発したりするなど、不思議な性質を持っていたと云う。そして1918年、彼が奇跡の人であることが証明される出来事が起きた。ピオ神父に「聖痕」が現れたのだ。
聖痕とは、イエスが磔刑時に受けたものと同じ傷が、選ばれた人間だけに出現する現象である。ピオ神父の両手、両足、右脇腹に深い傷が生じて血が流れ出し、その後、彼は聖痕が現れる度に、刺し貫かれる様な激痛に耐えかねて苦痛の声を上げたと云う。この聖痕現象は、彼が死ぬまで50年にも渡って生じ続けたと伝えられる。また、同じ人間が同時に複数の場所に出現する「バイロケーション現象」も、彼の奇跡性を表わすエピソードの一つだ。このバイロケーション能力は、カリオストロ伯爵やティアナのアポロニウス、ピタゴラスなども有していたと謂われるが、ピオ神父の能力は一際優れていた様だ。例えば、遭難寸前のパイロットがピオ神父の幻影によって命を救われたり、医者が匙を投げる程の重病患者が、これも幻影のピオ神父の出現によって症状が回復している。いずれの時も、ピオ神父は遠く離れた場所に居たのである。こうしたピオ神父のバイロケーションに関する公式記録報告は、サン・ジョバンニ・ロトンド教会に多数残されていると云う。ピオ神父は1968年9月23日に、人々に惜しまれながら天に召された。だが、「奇跡の人」と称されるだけあって、死後にも様々な奇跡を起こし続けている。
実は、つい最近もピオ神父の奇跡が起こって話題になった。
彼の死後40年目の2008年、サン・ジョバンニ・ロトンド教会にある墓が開かれ、その遺体が一般に公開されたのだ。開墓に立ち会ったマンフレドニアのドメニコ大司教によれば、頭頂部こそ白骨化していたものの、髪や髭、顎、手、足、爪などは腐敗していなかったと云う。
ピオ神父の魂は今も行き続け、何処かで悩める人々を救済しているのかも知れない。
世界と日本の怪人物FILE
人智の及ばぬ力を宿した霊能力者たち