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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆宝の地図をたどっても見つからない秘宝 「海賊キッドの財宝」は、いったい何処に埋まっている?

2019-08-04 04:01:46 | Weblog



歴史上最も有名な海賊が、キャプテン・キッドことウィリアム・キッドだ。
1883年に発表されたスティーブンソンの冒険小説「宝島」の中に出て来る「フリント船長の財宝」は、キッドの財宝をモデルにしているといわれ、エドガー・アラン・ポーの小説「黄金虫」(1843年)の中にも、キッドの財宝が登場する。
これらはあくまで小説の話だが、本当にキッドが莫大な価値の宝を隠していたという伝説がある。
根拠は、キッドが処刑される前日に書いた一通の手紙だ。

*財宝のありかを明かさぬまま処刑されたキッド  
キッドは、1701年5月23日に、ロンドンの海賊処刑場で縛り首の刑に処せられたのだが、その前日、英国下院議長宛てに、「私は西インド諸島で、10万ポンドにのぼる財宝を手に入れた。処刑を免除されるなら、財宝を政府に差し出す。財宝のありかに案内する」といった手紙を送っていたのである。 しかし、キッドの申し出は無視され、処刑は決行された。 彼の遺体はテムズ川に晒され、海賊行為に走る者たちへの見せしめとされた。こうしてキッドが持っていると記していた財宝のありかは、謎のまま残ったのである。

*キッドは本当に財宝を持っていたか?  
では、キッドは実際に莫大な財宝を隠していたのだろうか? これについては、疑問がある。
実は、キッドが略奪したことがハッキリしているのは、アルメニア船「ケダー・マーチャント号」と「メイドン号」の2船だけで、その他にはハッキリ海賊行為の事実はないのだ。
しかも、彼は略奪品を船員たちと分けている。 キッドが10万ポンド以上もの大金を所持していた可能性は高くないのだ。 海賊の代名詞としても語られるように、キッドは長く海賊として大暴れしていたようなイメージを持たれがちだが、活動期間も短く、しかも元々は海賊を一掃する為に送り込まれた船の責任者だったのだ。

*海賊キッドは、元々は「海賊を取り締まる責任者」だった  
キッドによる海賊討伐計画を立てたのは、ニューヨークの総督に任命されたベロモント伯爵と、海軍大臣や大法官を含む数人の政府メンバーで、そこには英国王ウィリアム3世自身も加わっていたという。 キッドは彼らから非公式な資金援助を受け、海賊船から奪った戦利品の60%の分け前を貰う約束をして船を出した。 残りはキッドに仕事を依頼した人物たちが山分けする計画で、ウィリアム3世も10%の分け前を貰うことになっていたという。
しかし、1年以上も大西洋とインド洋を航海したが、キッドの船は目ぼしい収穫を得ることはできず、分け前を全く受け取ることができない船員たちに不満が溜まって行った。
そして、遂に船員たちの不満が爆発し、結局、キッドは何処の国の船でも無差別に襲う海賊へと身を落としたのである。 しかし、キッドは僅か2船から略奪しただけで逮捕され、処刑された。彼の助命嘆願も無視された。その処刑の裏には、キッドの口から真相をバラされないようにする為の、国王をはじめとする影の首謀者たちの思惑があったという噂もある。

*発見された「キッド直筆の地図」  
ただ、1943年に、「ウィリアムとサラ・キッドの箱」という文字が彫り刻まれた箱が発見された。その中から、キッドの直筆で、島の緯度と経度が記され、財宝のありかが暗号化された地図が発見されたことで、キッドの財宝を眉唾と見て来た雰囲気が俄かに変わる。
その島はシナ海にあると記され、日本の南西諸島の「横当島」や、トカラ列島の「宝島」が有力だという説もあるが、キッドが東洋の海まで来た記録はない。他にもカリブ海を有力とする説や、北方のノヴァ・スコシア沖のオーク・アイランド島などが挙げられている。
多くのトレジャーハンターが探す中、今も見つかっていないキッドの財宝。果たして世界の何処に、今も眠っているのだろうか?

 

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