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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆ユグノー戦争を終結させた名君 アンリ4世の暗殺事件には、やはり黒幕と共犯者が?

2019-03-28 04:19:01 | Weblog

カペー朝、ヴァロワ朝、そしてブルボン朝と続いた歴代のフランス王朝の中で、最も国民に親しまれていて人気の高い国王が、16世紀末に即位したブルボン王朝の初代国王アンリ4世である。

*フランスで最も愛された王が、狂信者の刃に倒れる  当時のフランスでは、カトリック教徒とユグノーと言われる新教徒が対立し、血を地で洗う戦いが繰り広げられていた。 ブルボン家の出身で苦難の末に王座に就いたアンリ4世は、1598年にナントの勅令を出すと、「フランスの国教はカトリックだが、新教徒にも完全な信仰の自由を認める」と宣言した。これによって、双方の信仰が認められたことになり、長きに渡った内戦は終結したのである。 アンリ4世は疲弊した国土の回復に努め、産業を保護し、荒廃したパリの街を整備し、その功績と闊達な人柄で、広く人民にも愛された。ところが1610年5月、重臣の見舞いの為ルーブル宮を出た際、狂信的なカトリック教徒の男に襲われ、四輪馬車の外から右の頸動脈を一突きされて、命を落としたのである。

*黒幕説が囁かれることとなった理由  すぐさま取り押さえられた男は、自身の単独の犯行であることを主張したまま処刑された。だが、これにて一件落着とはならない。この暗殺事件には、陰で糸を引いた黒幕がいると囁かれた。その根拠は、当日の異様に手薄な警備である。国王の外出の際には必ず護衛に就くはずの衛兵隊がおらず、併走するはずの供回りの騎兵も、アンリ4世の馬車からずっと後方へ引き離されていた。而も、王の馬車が狭い路地に入ったところで、前方に1台の荷車がやって来た為、従者はそれを除けさせようとして王の側を離れてしまう。丁度その時現れた男が、馬車の外から王を刺したのである。だが、四輪馬車の外側から急所に狙いを定めるには難しい。王の行動やその場の状況を、あらかじめ事細かに把握していなければ出来ないことである。その為、王のごく身近にいた者が王の行動を計算しながら綿密に計画を練り、それを実行させたと考えられた。

*真っ先に疑いの目が向けられた人物はーーー  この事件の本当の犯人は、誰あろう、王妃のマリー・ド・メディシスだという噂が、早くからパリに流れた。 アンリ4世とマリーは、酷く仲が悪かった。マリーはイタリアの大富豪メディチ家の出身。メディチに莫大な借金をしていたアンリ4世は、マリーとの結婚によってそれが帳消しになり、而も持参金が手に入るというので結婚したのだ。 当時の王侯の婚姻は政略結婚が一般的であった為、国王が愛人を持つことに寛容であったが、アンリ4世はことに好色で大勢の愛人を抱え、一方のマリーは並外れて嫉妬深く、夫の行動に常に苛立っていたという。而もアンリ4世は、暗殺される直前に、マリーの王妃としての戴冠式を行なっている。これによって彼女は、王が不在だった場合や次期国王がまだ幼い場合に、摂政として統治権を手にすることが出来るようになった。そしてこの戴冠はマリーの強い希望によって実現したもので、あまりにタイミングが好過ぎた。 画してアンリ4世の死後、アンリ4世とマリーの息子がルイ13世として王位に就くと、マリーはその摂政として長く実験を握ることとなった。

*女たちの恨みを買っていたアンリ4世  また、前王妃のマルグリットも暗殺に加担していたという説もある。マルグリットは先の王家ヴァロワ家出身で、カトリーヌ・ド・メディシスとアンリ2世の娘。兄にはフランソワ2世とシャルル9世、アンジュー公アンリ(後のアンリ3世)がいる。アンリ4世にとっては王位に近づく政略結婚の相手だったが、アンリが王位に就くと、もう用は無いとばかりに離縁されていたのである。更に愛人のアンリエット・ダントーラまでが、計画に加わっていたという説さえある。アンリは多くの愛人の間を行き来し、蔑ろにされたアンリエットは恨みを抱いていたというのだ。つまり、復讐と同時に権力を握りたい王妃たる妻、復讐に燃える元王妃たる前妻、そして愛人によってアンリ4世は葬り去られたことになるが、果してどうだろう。

*憐れなアンリ4世の首の行方  時代は下って、19世紀のこと。サン・ドニ聖堂に葬られていたアンリの遺体から、首がなくなっていることが発見された。どうやらフランス革命の混乱の最中に、盗み出されたらしい。その後、アンリの首と思しきものが古美術商の間で売りに出され、持ち主の間を転々とした後、2010年、ポワンカレ大学の法医学チームが、これがアンリ4世の首であると発表したが、その首はまだ歴代国王の眠るサン・ドニ大聖堂へは戻っていない。国民に愛された王と謂えども、安らかに眠ることは中々出来ないようだ。


マリーの摂政就任を描いた「アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言」
                           (ルーベンス ルーブル美術館)


             世界史ミステリー
               その事件は仕組まれていた?黒すぎる「陰謀」のミステリー

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